第15話 鬼の目にも涙
◆◆◆◆
デスクトップの右下に表示されている時計が12時を示した。
ちょうどキリもよかったため、巡は作業を中断することにして鞄からお弁当箱を取り出す。
今日は外回りの予定がないため、母にお願いをしていたのだ。
自分で用意するには時間も体力もない。しかし、弟が高校卒業したらもうついでだから、とお弁当はつくってもらえないかもしれない。
そんなことを考えながら、包みを解いて蓋を開けると、今日も色鮮やかなお弁当がふわりと美味しそうな香を漂わせた。
ほうれん草の白あえ。
プチトマトと卵焼き。
里芋の煮物。
きんぴら牛蒡。
豆腐ハンバーグといんげんのバター炒め。
そしてゆかりご飯。
ぎゅうぎゅうと密集したおかずから、まずはつやのあるプチトマトを食べる。
甘じょっぱいとろとろの液体はすぐになくなってしまい、巡はほうれん草の白あえに箸をすすめた。
合わせ味噌のほんのり甘い味とごまの風味に包まれた、人参とこんにゃくとほうれん草が一緒くたになって口の中に広がる。
いつもなら素直においしいと味に浸れるのだが、今はそんな気分になれなかった。
浮かない顔のままむぐむぐと口を動かしていると「時枝さん時枝さん!」と隣から名前を呼ばれる。
「見てくださいよ、これ」
カップラーメンをすすっている新田がパソコンの画面を指差す。
隣から覗き込むと、画面にはイルカの赤ちゃんと、その赤ちゃんに寄り添うようにして泳ぐ母イルカの映像が映っていた。
「そういえば何日か前に水族館でイルカの赤ちゃんが産まれたってニュースやってたっけ」
「そうなんですよ。それで動画のトレンドにあがっててクリックしたんですけど、もーめっちゃかわいくないっすか」
確かにイルカの赤ちゃんはかわいいが、それ以上に新田がフリスビーをとってきた子犬のように報告するものだから、その勢いに思わず笑みをこぼした。
それを赤ちゃんイルカに対するものだと勘違いした新田は、繰り返しその動画を再生してかわいいかわいいと連呼している。
ずっと落ち込んで悩んでたけど、何だか少しだけ元気でたかも。
巡は豆腐ハンバーグを大口を開けてぱくりと食べた。ふっくりふわふわな豆腐ハンバーグとキノコのとろりとしたあんかけの食感は何度食べても飽きない。昨日の夕飯のメニューでもあった豆腐ハンバーグは、ショッピングモール前の事故未遂を目撃したせいで碌に味わえなかったのでひとしお美味しく感じられた。
あの事件を目の当たりにし、激しい動揺に襲われた巡の記憶はぼんやりとしている。
何とか会社にもどって見積書を先方に送ったことと、ショックがおさまらないまま帰宅したこと。それとあまり覚えていないが、血の気がひいた巡を心配そうに支えてくれていた新田のこと。
一言たりとも昨日の話題を口にしていないけれど、恐らくイルカの赤ちゃんの話題も新田なりに気を使ってくれていたのだろう。
おかげで少しは気がまぎれた。
だけど、これからどうすればいいんだろう。
ゆかりご飯のさっぱりとした赤しそと梅の酸味を味わいながら思い悩む。
巡の最初の目的はタイムリープの犯人を突き止めて、はた迷惑な能力に対する怒りをぶつけ、タイムリープを止めてもらうことだった。
犯人が弟と判明したのはいい。
しかし、進は好きな女の子の命を救うために何度も過去に戻ってやり直しをしているのだ。人一倍努力が必要になる弟が人命救助のために孤軍奮闘しているのにそれを止めろとは言えない。
ボクシングの技を披露する選択肢は論外だ。地球を救うためだろうとこっちはいい迷惑だ!と一発犯人にぶつけようと思っていたが、進のあの健気な笑顔を前にジャブをきめられるような奴がいればむしろ見てみたいものだ。
せめて残酷な運命に立ち向かう進の苦しみを少しでも背負ってあげられたらと思うが、巡はタイムリープ現象に気付いただけの凡人である。
「そうだ、時枝さん。さっきコンビニで買ってきたんで、ちょっとおすそわけです」
カップラーメンを完食していつの間にか梅と鮭のお握りもたいらげていた新田が、ガサガサとビニール袋からチョコレートの箱を取り出した。
紙の箱をぺりぺりと切りはがし、小分けに包装されているチョコレートを3つほど掴んでパラパラと巡の机の上に落とす。
そして彼自身も1つ口にしてほわりと口元を綻ばせた。
「このチョコ好きなんですよ。何ていうんですか、トリュフチョコレートみたいな」
「あぁ、それわかるかも。ふわっと溶けるチョコ、私も好き。お言葉に甘えて貰うね」
「どーぞどーぞ。俺が美少女だったら、付箋に先輩お仕事頑張ってくださいってハートマーク付きで書いて渡すんですけどね」
「ふ、ドラマの見過ぎでしょ」
「えぇ、いないんですか?後輩とか部下ができたらやってもらうの夢だったんですけど…。俺褒められたり応援されただけでやる気倍増するタイプなのに…」
がくっとわざとらしく落ち込んでみせる新田に「後輩じゃないけど、明日お望みどおりやってあげようか?」とからかう。
「本当ですか!って、明日は土曜じゃないですかぁ~っ」
パッと顔をあげツッコミをした新田はノリがいい。でかい図体で唇を尖らせかわいく拗ねてみせる新田の横で空になったお弁当箱を片付けながら「まぁまぁ」と雑に宥めた。
「チョコでも食べて、午後も元気に仕事しよう」
「それ俺のチョコですし俺の台詞ですよぉ」
もう、とぶうたれる新田の反応を流して、巡もチョコレートをさっそく1つ手に取った。
舌の上でほろりと一瞬にして溶けたチョコは、けれども暫くの間甘さの余韻を残した。
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