第16話 カウントダウンを告げる時計の音は届かない
◇◇◇◇
タイマーを拾ったばかりの頃、爽真や恵が命を落としそれをタイムリープ能力で救う、という想像をしたことがある。
こんな特殊な力を持った自分は大切な人の命を救うなどの特別な使命を持っているのでは、と。
しかし進の想像とは裏腹に誰もが平和に日常を過ごしているのを見て、それは見当違いだったのだとすぐに思い直した。
本当に、そんな使命なんてなくてよかった。
木曜日の放課後の事故未遂を思い出して、進は背筋をぞくりと震わせた。
記憶に残らないほど無我夢中になって恵を助けることができたが、もしあの時、進の行動が間にあわずに目の前で恵が車に轢かれていたら。
進はタイムリープして彼女を救える自信がとうてい持てなかった。
あれは咄嗟に動けただけであって、一度恵の死を目にしてしまったらタイムリープしたところで恐怖で体が竦んで動けないに違いなかった。
加えて、タイムリープしても事故直前の16時50分まで能力を発動させていたから、戻ることができる時間は本当に事故が起きる寸前だ。平常心とは程遠い心境の中でそんな直前に戻っても、どの道俊敏には動けないだろう。
タイマーの機能上、タイムリープ自体は何回だってやり直すことはできる。
けれども今までのように出来るまでチャレンジを試みると、その度に救えなかった恵の死も見てしまうことになる。まともな精神状態を保てるわけがない。成功する前に、進の心が先に折れてしまうだろう。
進は仰向けになってベッドに寝転びながら、枕元に置いていたオレンジ色のタイマーを右腕で持ちあげ天井の電球にかざした。
このタイマーは、今までどおり僕のドジや不運を帳消しにするためだけに活躍して欲しい。
何度見てもうさんくさいオレンジ色のボディのタイマーが白い電球の光に照らされて一層怪しくてらてらと輝く様に、そうぼんやりと望む。
「進、お母さんが夜ご飯できたって」
ノック音からコンマ1秒レベルでドアを開けて入ってきた姉に、進は自分でも驚くほど素早く起き上がってタイマーを枕の下に隠した。
見つかったところで一見普通のタイマーだから焦らなくてもいいはずだが、人間後ろめたいことや秘密事があるとつい反射的に隠してしまうものだ。
「姉ちゃん、入る時はノックちゃんとしてよ…」
部屋から出てリビングに向かいながら少年漫画のテンプレみたいな文句を言うと、巡は首を傾げた。
「したじゃないノック」
「そうだけど、そうじゃなくて…。ノック音とほぼ同時にドアを開けられたら意味無いじゃん」
「そう?ごめん」
食卓につきながら、さらりと謝られて進は鳥肌がたった両腕を擦った。
今までの姉なら「はぁ?見られてまずいものでもあるの?」と威圧してきたはずだ。月曜日あたりからの殊勝な態度はどうやらまだ継続しているようだ。
進の心情をよそに、当の姉はすっかり意識が夜ご飯に移ったようで、席に座るなり「いただきまーす」とスプーンを手に取っている。
姉の様子につられる様に進もぐるぐるとお腹の音をたて、食卓の椅子に座った。
今日の夜ご飯はかぼちゃのグラタンのようだ。オーブンから取り出したばかりなのか、まだふつふつと気泡が出来ては弾けている。
熱々のグラタン皿の横では、パンプキンスープが濃厚な香を漂わせている。
スープをすくってふぅふぅと息を吹きかけ、口に含む。「あちっ」と漏らしながら、ほっこりとしたクリーミーなスープに体が芯からぽっと温まる。
スープを飲み干し、そろそろ少しは冷めたかなとグラタンにスプーンをくぐらせる。
持ち上げたところからふわぁっと湯気があがってきたため、スープの時以上に念入りに息を吹きかける。それでもやっぱり熱くて、ほふほふと息を吐きながらホワイトソースで絡められた甘いかぼちゃとひき肉の旨みを頬張った。
グラタンを半分ほど食べ進めてようやく少し落ち着いた進は、カリカリに焼かれたフランスパンを千切りながら向かい側に座る姉の様子を伺った。
進同様、猫舌な姉はまだ4分の1ほどしかグラタンが減っておらず、目尻に涙を溜めながらゆっくりと食べているようだ。
やけに態度が軟化していること以外は、普通だな…。
木曜日の姉は、まるで救いのない物語を目にして酷く精神を傷つけられたかのような顔をして帰宅してきた。もそもそとご飯を食べ、ふらふらと就寝する姿に進だけではなく両親も目を見張っていた。
姉がそうなった原因の心当たりとしてはショッピングモール前で恵が事故にあいそうになった、ということだが、あれは未遂ですみ誰の血も流れなかった。
進にとっては衝撃的な事件だったが、被害者がいないとなれば周囲はすぐに何事も無かったかのように立ち去って行った。その程度の出来事だったのだ。
さすがに当事者の恵はしばらくショックから立ち直れていない様子で、結局その日の映画も取りやめたのだった。もっとも一晩寝ると落ち着いたのか、翌朝には進にお礼を述べ笑顔も見せていたが。
姉は当事者ではなく目撃者だった。だから彼女がそこまでダメージを負っている理由がわからない。
金曜日は、木曜日の夜のような幽霊のような雰囲気ではなくなっていたが、ずっと何かを考え込んでいた。今日も日中珍しく外出もせず、部屋にひきこもっていたがもうふっきれたのか今はいつもの姉に戻っているようだった。
よくわからないな、と進は最後の一口を食べる。もうグラタンはほんのりと温かいだけだった。
「ご馳走様でした」
「はいお粗末さまでした」
シンクに食器をさげると、母はまだ料理をしていた。
進の視線に気がついたのか、母は包丁でジャガイモの皮を剥く手を止めずに「これは明日の体育祭のお弁当用よ。朝に全部作れないから」と言った。
「明日来てくれるの母さんと、父さんも?」
「そうよ。そのためにお父さん今SDカード買いに行ってるの。ビデオのデータ、ぱんぱんだったみたい」
「あ、明日私も行く」
母の言葉に「へぇ」と打とうとした相槌は、姉の言葉によって「何しに!?」と方向転換した。
「何しにって、進を観に行くに決まってるじゃない」
「いや姉ちゃんそういうタイプじゃないじゃん…」
「何言ってるの。お姉ちゃんは一生懸命な弟を応援しようと思ってるだけじゃない」
野次馬見物のほうがまだ納得できた。
疑いの目を向けるも、姉は素知らぬ顔で食器を水につけて「お風呂入れるね」と母に告げリビングから出て行った。
残された進は、姉が出て行ったリビングのドアを睨む。
十中八九、応援以外の何かしらの目的があるはずだ。しかし、全く想像できないのがもどかしい。
癖でポケットにあるタイマーの感触を確かめようとしたが、夜ご飯の前に自室に置いてきたことを思い出して、進はリビングを後にした。
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