第17話 00:00
◇◇◇◇
「本日は非常に天候に恵まれ」うんたらかんたら、と校長が開会式で述べたとおり、雲ひとつない晴天が広がっている。時折心地よい秋風が運動場にいる人々の間を通り抜けてもいる。これ以上ない体育祭日和だ。
例年であれば、そんな天気と裏腹に沈んだ気持ちで体育祭に臨んでいた。
運動神経に優れているわけではないし、何より不運とドジを日常茶飯事の進が体育祭で何事もなく終われるはずもない。楽しいわけがないのだ。
しかし、今年に限っていえばそうでもない。
進はジャージのポケットに片手を突っ込み、そこにタイマーがあることを確認した。タイマーがあるからと言ってリレーで1位をとることは難しいだろう。けれども、走っている最中にみっともなく転ぶ事実をなかったことにすることはできる。それどころか個人競技の障害物競走ではうまく使えば1位も夢ではないかもしれない。足の速さの優劣だけが勝敗を決めるわけではないのだから。
皆の前で恥をかかない、というだけで満足するのではなく、やはりどうせなら1位をとりたいのだ。
清田さんにかっこいい姿を自然に見てもらえるこのビックチャンス、逃したくない!
好きな女の子の前でかっこつけなくて、いつかっこつけるというのか。
進は闘志を燃やした。
金曜日に恵から事故未遂の件でお礼と謝罪はもらったが、朝少しその話をしただけでその後中々話しかけるきっかけがなかったのだ。体育祭でいいところを見せて、もう一度映画のリベンジを謀りたいところである。
「友坂じゃん!おかえり」
「クラス得点の貢献あざっすー」
「おーまあな。お前らも次の競技で1位とって稼げよ!…はーっ、よっこいせ」
「お疲れ、爽真。後1位おめでと」
「さんきゅー」
クラスメイトからの絡まれながら、進のところまでやってきた爽真がおじさんくさい掛け声でテント内の長椅子に腰掛けた。進の労いに応えながらも、暑さを逃そうと体操服をパタパタと扇いでいる。
つい先ほど流行のJポップ曲をBGMに行われた100メートル走に出場していた爽真は、2位以下と大きく差をつけて堂々の1位を獲得し、応援席や実況中継をしていた放送委員ともども会場を沸かせていた。
「つか皆やっぱ気合入ってんな」
「何だかんだ負けず嫌い多いしねうちのクラス」
「確かに。でも定期テストではこんなに対抗心持ってなかったよな?」
「…うちのクラスは脳筋だった…?」
「はははっ間違ってはないよな。運動部多いし」
目の前の1年生の競技を眺めながら、スポーツドリンクを飲む友人の横顔に進はいいなぁと内心羨んだ。
体育祭という非日常的な行事によって、皆が楽しげな表情をしつつも興奮とプレッシャーでピリリと殺伐とした空気を醸し出している。
そんな中、爽真はいつもと変わらない様子を保っていた。
「おい、友坂、時枝。そろそろ集合しろってさ」
1年生の競技が終わり、3年生がかわりに入場するのを眺めているとクラスメイトから声がかかった。
3年生のスウェーデンリレーの後は2年生のクラス対抗リレーだったか、とプログラムを確認した進は爽真と共に席を立った。
学年全員が整列する頃には、3年生の競技も終盤に差し掛かっていたようで、一息つく暇もなく進達は入場した。
進のクラスの戦略はいたってスタンダードで、序盤に足の速い生徒を走らせ、リードを獲得した上で中盤に足の遅い生徒に、そして終盤に特に足の速い生徒を配置して追い上げる、といったものだ。
進は勿論中盤に配置された生徒で、爽真はアンカーである。
体育祭にド定番の曲であるクシコス・ポストがかけられ、ピストルの音が鳴り響き5クラスが一斉に走り始めた。
順番待ちする間にも各クラスがわぁわぁと声援を飛ばす。
アンカーを除き、トラックの半周ずつしか走らないため、すぐに進の順番が回ってきた。
負けず嫌いな性格の多い進のクラスは今のところ1位だが、そのリードは大きくない。
暑さとは違う汗が背中をじっとりと濡らす。レーンの一番内側に立って、前の走者が来るのをじっと待つ。
前の走者である女子生徒も決して足が速い分類ではないが、何とか抜かされずに息も絶え絶えに右手の赤いバトンを突き出してきた。
「時枝、君っ!はいっ」
「っ!」
左手で受け取ったバトンは、汗で濡れた進の手から滑り落ちた。「あーっ」という悲鳴のような声がざわめきが届く。
「あっと、時枝選手バトンを落としてしまう!これは痛い!そこで…すかさず後続の選手が追い上げていく~!」
実況中継の声に耳が熱くなるのを感じながら、ころころと転がったバトンを慌てて追いかけすぐに走り出す。しかしもともと僅差で迫っていた後続の走者に次々と抜かれてしまっていた。
結局半周走りきる頃には4位に転落してしまっていた。
走り終えた進は、ハァハァと肩で息をしながらクラスメイトの顔も見ずに俯いたまますぐにポケットからタイマーを取り出した。
ピ、ピとボタンを連打すると、視界にノイズが走ると共に05:00という表示されたディスプレイがすぐに一秒一秒カウントダウンを始めている。
顔をあげた先では、進のクラスが1位を保った状態でバトンを回している。
2度目にも関わらず先ほどと同じように緊張で胸がドキドキと張り詰めている。
進は深呼吸をしながらレーンの1番内側に立った。
「時枝、君っ!はいっ」
「うん!」
パシッと叩かれるように左手に置かれたバトンを、今度は落とさないようにしっかり握り締めることに成功し、進は一瞬気を緩めてしまった。
その一瞬の油断のせいか、走り出して5歩もしないうちに進は足を縺れさせ転んでしまう。
すぐに起き上がって走ったものの、1度目同様、僅差で競っていた他のクラスの生徒に抜かれてしまい、結局ドベでバトンを渡すことになってしまった。
もう一度、やり直さなきゃ…。
俯いたまま、タイマーをセットしSTARTボタンを押す。慣れ親しんだ視界のノイズと共に、3度目のリレーを迎え、そして今度は靴紐を踏んでこけた。
4度目はまたもバトンを上手く受け取れずもたついている間に抜かされた。
5度目は直ぐ後ろで走っていた生徒がこけるアクシデントに巻き込まれた。
6度目は焦ってしまいバトンを受け取る前に走り出してしまい、取りに戻る珍事。
7度目はカーブで曲がりきれず体勢を崩してこけた。
8度目は次の走者にバトンを上手く渡せなかった。
9度目、ようやくバトンの受け取り、受け渡しもスムーズに行えて、こけることもなく無難に走り終えることができた。ただし、普通に抜かされて順位を2位にしてしまった。
ミスはしていないが、進の番で抜かされている。これではかっこいい姿と胸をはれない。しかし足の速さはいくら過去に戻ったとしてもどうしようもないので進は9度目の結果で妥協することにした。
走り終えたクラスメイトと同様、トラックの内側から続けられているリレーを見る。
2位は保っているものの、大分1位との差がついている。アンカーである爽真の順番がまわってくるころには1位との距離はそのままに3位以下3名とほぼ団子状態でバトンが渡されていた。
アンカーは他の走者と違い、トラック一周を走る。
その距離が功を成したのか、半周過ぎる頃にぐんっとスピードをあげた爽真が3位以下の走者を引き離した。そしてゴール手前の10メートルあたりで、とうとう1位の生徒を抜かしそのまま一気にゴールまで駆け抜けた。
バトンを持った右手を頭上に掲げるというパフォーマンスをする余裕まで見せ付けている。
わっと高揚した声を上げるクラスメイト達は、競技終了のピストルが鳴っても興奮さめやらぬ様子で退場後すぐに爽真を取り囲んで彼の頭をぐしゃぐしゃにしたり肩を叩いたりと揉みくちゃにして騒いだ。
「功労者を雑に扱うなよ!」等と笑いながらされるがままにしている爽真の様子を、輪の外から眺めながら、進はまた「いいなぁ」と内心呟く。
爽真みたいな人間だったら、タイムリープの力なんか必要ないんだろうな…。
人智を超えた力を持ってしても、進はようやくマイナスからゼロ地点付近をうろうろする程度の能力しか発揮できていない。
友人と比較して、情けないやら悔しいやらで進はきつく拳を握り締めた。
◇◇◇◇
その後二人三脚やら騎馬戦に出たクラスメイト達は順調に得点を稼ぎ、僅差ではあるものの学年の順位は1位の成績をキープしていた。
残すところは進が参加する障害物競走のみである。
「時枝君、がんばろうねっ」
トラックの内側でぐっと拳を作ったのは、同じく障害物競走に出場する恵だ。
「うん、がんばろう」
恵の笑顔にドギマギしながらも頷き、改めて気を引き締めた。
ここでかっこいいところを恵に見せて名誉挽回しよう。
進達の体育祭における障害物競走は、走という字が入っているもののほぼ走ることはない。
まずスタート地点に置いてある三輪車を半周ほど漕ぐ。
次にテニスのラケットにボールを乗せて落ちないように進み、その先にあるネットを匍匐前進で潜り抜ける。
立ち上がった先にある高飛び用の一番低く設置されているポールを跳ぶ、もしくは潜り抜け、最後にお題の書いてあるくじを引いて指示通りの物や人を用意しゴールへ向かい、判定をもらう。
足の速さが関係するのは最後の借り物をする時くらいだろう。
進はスタート地点にある三輪車に跨った。
クラス順位が1位のためまたも1番内側のレーンだ。
ピストルが鳴った瞬間、横並びにいた生徒達と一斉にペダルを漕ぐ。
天国と地獄のBGMによって追い立てられるように交互に足を動かし、ようやくラケットが置いてある地点まで辿り着く。
三輪車に足を引っ掛けないように注意しながらラケットにボールを乗せて走ろうとしたが、3歩もしないうちにころころと転がっていく。前を見ると1人すたすたと早歩きしている生徒がいるものの、他の3人はボールに気をつかってゆっくりと歩いている。それに安心してボールをラケットに乗せてなんとか次のポイントまで到着した。
既に順位は3位に落ちている。
急いでネットを潜り腕を交互に前に突き出して、もぞもぞと進んでいく。
幸い絡まることなく通り抜けられた進は、そのまま高飛びのポールを潜り抜けた。一番低い高さとは言え、確実に跳びそこねたり着地に失敗する等の未来が予想できるからだ。
無難にクリアすることができた進はふらふらと立ち上がりながら、くじを引く。
前の2人は何を引いたのかわからないが、進にとっては幸いなことにくじを見てその場で唸っている。
まだ挽回できる、と手元の白い紙を見下ろす。
太いサインペンで一言お題が書かれていた。
「うわぁ…」
内容に絶句した。
お題に沿った人物が1人しか思いつかないし、それ人物は今ここにいる。けれどもゴール地点で判定された時にもしお題を知られてしまったら。
切実にくじを引きなおしたい。
このお題ならテンプレネタの校長の鬘とかの方がまだよかった。
よし、なかったことにしよう。
コンマ1秒でそう決意した進はポケットからタイマーを取り出した。この直後タイムリープができなくても、お題の内容に比べれば安い代償である。
ピ、と時間を設定し、STARTボタンを押す。
視界にノイズが走り、そして、
「進!!」
雷のような怒号が轟いた。
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