第12話 孤独な英雄

◆◆◆◆


次に私の目の前でタイムリープ能力を発動した時がお前の最後だ…、と弟の動向を伺うも、結局その晩時間が巻き戻ることはなかった。


次の日の土曜日も、日曜日も弟が能力発動する瞬間を見逃さないようにと、先週と同じく外へ連れ出し買い物へ付き合わせたが、結局両日とも何も起きなかった。


そうかと思えば、休み明けの月曜日はタイムリープ現象が復活した。

ただでさえブルーマンデーで気分がさがっているというのに、とため息で済んでいた午前中はまだマシだった。


16時すぎにその悪夢のような現象が始まった。


もう何十回目かわからないノイズに、巡は果てしない絶望を感じていた。

20を超えたあたりから数を数えることを諦めた。怒りを抱く段階も、とうに超えている。


精密な機械のような反復動作を行う同僚。

一言一句違わない言葉を吐き出す電話先の顧客。

異常事態に気付いているのは己のみという孤独。

終わりのみえないタイムリープの恐怖。


いくら気丈な巡でも発狂しそうだ。けれども、泣いても喚いても周囲は気がつかないし、巡にタイムリープを終わらせる力はない。

巡にできることは、ただただ、このループから抜け出せるよう祈るだけ。


100回に届くか届かないか程のタイムリープを繰り返し、やがて時計の針が正常に進んだ時は、安心しすぎて少し泣きそうになってしまった。


パソコンの画面をじっと睨んで誤魔化していたつもりだったが、隣の席にいた新田がいつにない真顔でハンカチを差し出してきた。

妙に目敏いんだから、と内心で呟き涙が零れないように目に力を入れてお礼と共に断る。


「ゴミが目に入っただけだから」

「…そうですか…」


静かな声で返事をした新田はハンカチを収め、代わりにクリーム色の包装紙に包まれたキャンディーを無言で巡の机の上に置いた。

拒否する間もなく置かれたそれを断ろうとした時には新田はすでに作業に戻っており、巡は素直に甘えることにした。


包装紙をくるんと回し開いて小さいキャンディーを口にすると、優しいミルク味がふわりと広まり、一旦落ち着いた涙腺がまた緩みはじめた。


新田からしてみれば、先ほどまで普通にしていた教育係が突然涙ぐむというおかしな状況だろうに、彼はいつも以上に真剣にパソコンの画面を見つめ、雑談もしないで黙々と作業にあたっている。


これじゃ、どっちが先輩だかわからないわ…。


すん、と小さく鼻をすすり巡は口の中のキャンディーを舌でコロンと転がす。


この小さなキャンディーが溶けて無くなるころには、きっといつもの自分に戻れるはずだ。


◆◆◆◆


帰宅してもさすがにサンドバックを叩く気力が湧かず、巡はベッドに倒れこんだ。

枕に顔を埋め、深いため息をつく。


進がタイムリープの犯人である確証はない。

数回のやり直しで済まないところは弟っぽいとは思うが、彼が世界を救う役目を背負うような人物であるとは未だに思えない。

だから進がタイムリープをする瞬間を見届けてから、巡の怒りの鉄拳を受けてもらうつもりだった。


けれども、今日のような狂気的なまでの回数のタイムリープをこれからもされるのだと思うと、確証だなんだと言っている場合ではない。

世界を救うためにタイムリープ能力が発動されているのだろうが、果たしていつになったら世界は救われるのか。

こんな状態が何年も続けば巡の精神がもたない。


「今すぐ隣の部屋に行って、タイムリープを止めさせようかな。証拠無いけど進なら私が問い詰めたら逃げられないだろうし、もし犯人じゃなければ謝ればすむ相手だし。…あ、でも止めると世界が滅んじゃうのか…」


あちらを立てればこちらが立たずな状況に巡は呻き声をあげた。

ごろんと仰向けになり何か方法がないか頭を巡らせるも、解決策は浮かんでこない。

ポスターも何も貼っていない白い天井をぼんやり眺め、ふと気付く。


犯人が進だとして。

当然だが、能力発動している本人である進も巡と同じ回数のタイムリープを経験していることになる。

しかしただタイムリープが過ぎるのを待つ自身と違って、弟は世界を救うために何度もタイムリープをしている。


何度やり直しても滅びる世界をたった1人で目の当たりにして、最悪の未来が回避できるまで何度も何度も過去に戻って誰の手助けも得られないまま1人で奮闘するしかない。


それは、どんなに孤独で絶望的な状況だろう。


ただ時が繰り返されているだけでもあんなにも怖かったのに、恐ろしい未来をどんなに頑張っても回避できずに何十回も1人で直面しなくてはならないなんて。

それもあの不運で人一倍ドジな、ただの高校生である進が。


巡はふるりと震えて両腕をさすった。

弟の置かれている立場の重さを今更になって理解した。


弟に告げるべきだろうか。タイムリープに気付いていることを。

そして、力を貸すことを。

巡にできることがあるのかわからないが、1人ではないのだと知るだけでも彼の気持ちは軽くなるのではないだろうか。


巡はベッドから身を起こし、隣の部屋へ向かった。

コン、と控えめにノックしおずおずと顔を覗かせる。


「なに?どうしたの姉ちゃん」


ベッドにうつ伏せに寝そべり枕に顔を埋めていた進は、起き上がり首を傾げた。


「あ…えっと…」


まとまらない思考のまま巡は口を開いたが、いつになく上機嫌な様子の弟に、するりと本来の用事ではない言葉がでてきた。


「何かいいことでもあったの?」

「えっ、わかんの!?」


巡の言葉に進は驚きの声をあげ、枕を抱えて笑顔を漏らした。


「ちょっといいことがあったんだ。へへっ」


ふわふわと幸せそうに笑う弟の様子に、巡は胸が突かれるような思いを抱いた。


タイムリープのことを口にしようとしたが、安穏と暮らしている自身が弟に一体なんて声をかければいいのだろう。


辛そうな様子など一片たりとも感じさせず、恋に浮かれる少年のような純真な笑顔をみせる進は、今日も途方もない回数のタイムリープを行い、たった1人で世界の危機に立ち向かっていたというのに。

デスクでただ震えていただけの巡が、何を言えばいいのだろう。


「…そう、よかったじゃない」

「まーねっ。で、姉ちゃんは何の用だったの?アイスなら帰る途中にバニラとチョコとキャラメル買ってきたけど。カップのやつな」

「…特に用はなかったの。ただの気まぐれで来ただけ」


今自分が言えることは何もない、と巡は思いを飲み込んでそう返した。


アイスは自分で買ったんだから好きな味を食べなさい、と言い弟の部屋を出るとドアの向こうから「えぇっ!?」と驚愕した声と、おそらくベッドから落ちたであろう鈍い音が聞こえた。


見なくても想像できる進のいつも通りのドジな様子に、巡はまた鼻の奥がツンと痛むのを感じた。


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