第13話 加速する勘違い

◆◆◆◆


火曜日も水曜日も、巡は進にタイムリープのことを言い出せずにいた。

今日こそはと日中決意していても、帰宅してまるで好きな子とデートに行く日を楽しみにしているような幸せそうな顔で笑ってみせる進を見ると、その健気さに言葉がでなくなるのだ。

けれどもよくよく進の表情を注意深く観察すると、特に木曜日の今朝は、笑顔の中にやはり隠しきれない緊張感が滲み出ていた。


今週に入ってから一層世界の危機が迫っているのだろう。

月曜日の夥しい回数のタイムリープを皮切りに、ここ数日のタイムリープはいっそ過激なまでに回数を増やしている。

いつも巻き戻る時間が数分から1時間以内の巻き戻しなのが唯一の救いだろうか。これで一週間前などに戻られたら、たまったもんじゃない。

一度のタイミングにつき30回を超えるタイムリープがこの数日の平均数値となっているだけでも心が折れそうだというのに。


いや、そんな甘いこと思ってちゃダメだ。進は1人で懸命に戦っているんだから!

たぶん今この瞬間にも。


巡は弱気になる自身を鼓舞し、気合入れに自らの頬を両手でパチンと叩いた。


今は顧客先で打ち合わせの真っ最中だが、巡の突然の行動に驚く者はいない。

もう15回目になるタイムリープの真っ最中だからだ。


金曜日にメールで「この条件にあう何かいい商品あったら教えて」とざっくりした案件を投げかけてきた顧客のもとへ、巡は新田を連れて訪れていた。

話をもらって即日書き上げた提案書と、新田に手配してもらったテスターを手に取ってもらい、プレゼンを尽くしどうにか上手く話しがまとまり「では今日のところはそろそろ…」と腰を浮かせた瞬間、視界にノイズがはしったのだ。


ぶれる視界の中確認した時間は16時50分。

ノイズがおさまり、クリアな視界になった後に腕時計に視線を落とすと針は16時30分を差していた。


「そうだなぁ。確かにこの商品だったら条件に合っているんだけどねぇ…」


巡の目の前では顎をさすりながら、サンプルの商品を手にとった顧客が煮え切らない表情をしている。

16時30分頃にはこの会話をしていたのか、と思いながら巡は2度目の台詞を口にした。


◆◆◆◆


「はーっ無事終わってよかった。もうほぼうちで決まりですよねあれ!」

「8割うちで決まりだと思う。これが決まれば大きいわよ」


23回目の16時50分を迎えタイムリープから抜け出せた巡は、ようやく顧客先のビルから外に出た。

16時からのアポイントだったため時計上はたった小一時間の打ち合わせだったが、巡にしてみれば約8時間ぶりの外界だ。


どのタイミングが本番最後の一回になるのか巡にはわからない。そのためいくら先方が同じ言動をしようとも適当な返しをするわけにいかず、23回とも集中して打ち合わせに臨まなければならなかったのだ。

待ち望んだ開放感に気が抜け、同時に途方もない疲労感が押し寄せてくる。

しかし後ひと踏ん張りする必要がある。


「さっきの打ち合わせの中で大量受注の代わりに値引き交渉持ちかけられたから、私はこれから会社に戻って新たに見積書を作成するけど…戻るとすぐに18時になるだろうし、新田君はもう今日はこのまま直帰していいよ。あ、会社に定時連絡は入れといてね。じゃお疲れ」


後輩の手前巡は疲れた様子を押し殺し、客先のビルからくるりと方向転換し、会社に戻るために颯爽と歩き出した。

その後を新田が慌ててついてくる。

悔しいことに足の長い彼はすぐに巡に追いつき、むしろ追い越さないようにスピードを緩めてさえいる。


「待ってください!見積書作る前に、さっきの値引きのこと課長に説得しなきゃなんですよね?」

「行く前に最低限の値引き額と条件は課長通して部長から承認貰ってるから、この後は本当に見積書作って一応報告するだけよ。今日中にさっさと先方に送らないと他社にいかれちゃうかもって個人的に懸念してるだけだから、新田君は気にしないで」

「だとしてもここまできたら俺も最後まで関わりたいですし、それに…」

「それに?」

「時枝さん、会社と逆方向に歩いてますよ」

「えっ」


新田の言葉に、巡はぴたりと足を止めた。

横を歩いていた新田は巡にぶつからないようにしながら先輩に倣い足を止める。


「ここって…」


右を向くと、巨大な真新しい建物が聳え立っていた。

立ち止まる巡達をよそに、親子連れやカップル、制服姿の学生達がその建物の中へ続々と入って行っている。


「ごく最近にできたショッピングモールですよ。ほら、最近よくローカルニュースで宣伝してる」


ちなみに会社はあっちです、と新田は歩いて来た方向を指差した。

そういえばそんなニュースあったかも、と思い出し感想を抱く前に巡はかっと頬を赤らめた。


「き、気付いていたんなら早く言ってよ新田君」

「いやあ言うタイミングが見つからなくて」


すみませーん、と欠片も思ってなさそうなへらへらした顔で新田は嘯いた。


「時枝さんって、俺とか会社の人達の前で一生懸命バリバリのキャリアウーマン演じてますけど、あぁいや事実頼りになるんですけどね。でも、なんかちょっとヌけてるとこありますよねぇ」


あはは、と笑う新田に「は!?」と会社で出したことのない荒げた声をあげる。悪びれた様子のない彼に詰め寄りぐいっと上を向いて食って掛かる。


「私のどこが!」

「今だって道間違えてるし、この間も大事な商談が終わった後の帰り道に俺と話す時何回も噛んでいたし。あ、この間も会社の廊下の何も無いところで躓いてましたよね。それでその後誰も見てないかキョロキョロしちゃって」


思い出し笑いで肩を震えさせる新田に、いよいよ巡は耳まで真っ赤に染め上げた。全身から汗がぶわっと湧き出てくる。


「み、見てたの!?」

「残念ながら目撃者になっちゃってましたね」


躓いていたところだけではなくその後の間抜けな姿も目撃されていたなんて。


頼りになるお姉さんキャラを必死に保ってきた巡にとっては死活問題である。


「たまたまよ!道間違えたのも言葉を噛むのも躓くのもいつもじゃないのっ。新田君がタイミング悪いだけなんだから」


このままでは舐められてしまうと弁明してみるも、「はいはい」と軽い調子で心なしか微笑ましげに巡を見てくる新田に、唇を噛んで言葉にならない声を漏らす。


「…か、会社に戻る!」

「俺も着いてきます」


ここは潔く大人の対応で引いてやる、と巡は話を強引に終わらせた。

頬の熱が引かないまま半眼でじとりと見上げるも、新田は「ちょうどもうすぐ信号変わりますし、目の前の横断歩道渡って来た方向戻りましょう」とどこ吹く風とばかりに受け流す。


私のほうが先輩なのに、と内心愚痴りながらショッピングモール前の横断歩道の手前に立って信号が変わるのを待つ。


駅の近くでありショッピングモールの目の前だからか、二車線ずつある道路はひっきりなしに車が行きかっている。

赤色のピクトグラムを眺めながら、ふと視線をずらすと信号待ちしている対岸の群衆の中に見知った顔を発見した。


向こうも気がついたのか、そこそこ距離があるにも関わらずはっきりわかるほど顔を青くさせ「げっ」とでも言いたげに口を歪めている。寒くもないのにぶるぶると震え、まるで何かに怯えているような進に巡は眉をひそめた。


そんな進の横には彼と同じ高校の制服を着た女の子がいた。

青ざめている進に心配そうに話しかけている彼女は、恋人にしては進との距離が離れているし、おそらく友人なのだろう。


放課後にショッピングモールで買い物か、中にある映画館で映画でも観に来たのかな。


巡がそう推測したところで、信号が青に変わった。


進の横にいた女の子は、よほど楽しみだったのか真っ先に横断歩道へ一歩躍り出た。

するとそこへまだ間に合う!と言わんばかりに猛スピードで車が突っ込んできた。パァーッとけたたましいクラクションと急ブレーキによるタイヤと地面の摩擦音が鳴り響く。


「清田さん!!」


生まれて初めてといっても過言ではない、怒声にも似た弟の叫びと共に、彼らの姿はその車で遮られた。


巡も、巡の周囲の群衆も、おそらく対岸の群集も、誰もが悲鳴も出せずにただ息をのんだ。


車が横断歩道を大分過ぎてから停止したのを皆目に留め、次いで対岸の歩道に目を向けた。

横断歩道手前の対岸の歩道にできている人の輪が、ぽっかりと一部空いている。


人がいないその空間の中心には尻持ちをついている進と、進に腕をつかまれて背後から抱きしめられるようにして座り込んでいる女の子がいた。


呆然とした様子だが見たところ二人に大きな怪我はないようである、と確認できてバクバクと激しく打っていた動悸がゆっくりと治まっていく。


そして、巡は理解した。

今この世界で繰り広げられているタイムリープの物語は、タイムリープ漫画でよくある2つのパターンのうち地球の危機を救うシナリオではなく、好きな女の子を救うシナリオの方だったのか、と。


進は世界の危機を救う主人公ではなかった。

タイムリープの力で、あの女の子の命の危機を救う主人公だったのだ。


タイムリープの犯人の正体があのドジな弟だなんて、証拠をみるまでは、とどこか半信半疑な思いを抱いていた。

しかし、今の事件を目撃して、巡は進がタイムリープの能力を持っているのだと確信した。


今回の事故は運よく未遂で防げたのだろうが、きっと進は今まで毎日何十回もあの子を救うために過去をやり直していたのだ。


やり直す、ということは本来の現実ならおそらく彼女は命を落としているはずの存在なのだろう。

すなわち進は毎日好きな女の子が命の危険にさらされる姿を目にし、その死に触れていたことになる。


1日に何十回も彼女の死に直面し、彼女が生きる未来のためにただひたすら手を尽くす日々を過ごさなければならない。


それは、気の遠くなるような耐えがたい苦痛だろう。

巡は心臓をナイフでずたずたに切り裂かれるような痛みを感じ、瞼を閉じた。


ここ数日見た幸福そうな弟の笑顔と、先ほど見た顔を青ざめさせ怯え震えている弟の、対照的な表情が脳裏に焼きついて、離れない。

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