第11話 ハッピーマンデー
◇◇◇◇
月曜日。
長い一週間のはじまりを告げるその曜日は、多くの学生や社会人から憂鬱の念をこめてブルーマンデーと称されている。
しかし、進にとっては違う。
憂鬱とは程遠い、待ちに待った週に1度の1番心が浮かれる日である。
6間目の後のHRの終了を告げる教師の言葉を聞くやいなや、机から教科書とノートを引っつかんで通学鞄に放り込む。
鞄を肩にかけた進は、つとめて真面目な表情を作り落ち着いたトーンを意識して友人に声をかける。
「爽真、僕これから委員会だから図書室行ってくるよ」
「あぁ、委員会だから今日の掃除免除されるんだったか。今週俺は掃除当番じゃないし、暇だから図書室まで行こうか?」
「いいよ~もうそんなことしなくても大丈夫だって!先週1週間1度でも僕がころんだ…ううん、躓いたことあった?」
「いや、なかったけど…」
「大体、その前から登下校は別だったじゃん。寄り道の時はともかく。それで今まで大きな事故なんてしなかっただろ」
「ころんで両膝や顔面から血を流したりすることはあったけどな、ははは。ま、でも最近は確かにそんなことないもんな!」
にかっと白い歯を覗かせて笑う爽真に、そうだそうだと大きく頷く。
そんなに過保護にしなくとも、今の進は心配されるような人間ではないのだ。
友人に心配をかけ手を借り保護されなければならない、ドジで不運な以前の進ではない。
ただ1年以上進のドジを見てきたせいか、1週間程度の時間ではまだまだ爽真の中の進に対する意識を完全には変えられていないようだった。
「…じゃーまた明日な。委員会がんばれよ!」
「うん、また明日」
わしわしと頭を撫でてくる爽真の手から逃れ、進は教室を後にした。
もうドジなんてしてないのに、相変わらず心配性だな爽真は。
ぼさぼさになった髪の毛を手櫛で整えながら、先ほどまで一緒にいた友人の顔を思い返してみる。
別れ際の爽真が一瞬だけ寂しそうな表情をしていた気がしたのだ。
しかしよく観察する前に、彼はいつも通りスポーツ少年のお手本みたいな爽やかな笑顔を浮かべていた。
そもそも爽真はセンチメンタルな感情をそうそう抱くような殊勝なタイプではない。
進のドジを「大したことじゃない」と笑い飛ばす豪快な性格だし、テストで悪い点数をとった時も「やっちまったははは」といい笑顔をしていた。
家族ものの涙なしには観れないという評判の映画を観たときも「感動したな!」とからっと乾いた目で感想を告げていた。横で一緒に観ていた進は自身のハンカチをべしょべしょにしていたというのに。
それくらい爽真はセンチメンタルという言葉から程遠い存在だ。
やっぱり、僕の見間違いか。
それに言いたいことあったらぽんぽん言うタイプだしな。
光の反射とかで偶然そう見えてしまったんだろうと進は結論づけ、図書室へ急ぐ。
今集中すべきは、図書室での委員会活動だ。
図書委員会に所属する生徒達の主な仕事は図書室の貸出・返却手続きと返却された本の片付けである。
とはいえ、全員が図書室に集まっても非効率的なため、委員会の仕事は当番制になっている。
月曜日の放課後は、進と、同じクラスの清田が当番なのだ。
清田
進がクラスで一番かわいいと思っている女子生徒だ。
大人しい見た目に反して自分の意見をきっぱりと主張するギャップがいい、と想いを寄せる男子が何人もいる。かくいう進もその1人である。
くじ引きで偶然同じ委員会になった時は、爽真と同じクラスになれた件も合わせて今後数年分の運を使い果たしたのではないかと、むしろ怖くなった。
しかしその幸運のおかげで、委員会中、恵と共に仕事をして、ちょっとした雑談をする仲にまでなれたのだ。
教室の席は離れているし、移動授業で班が一緒になることもない。もちろん休憩時間に彼女のもとへ行って他愛ないおしゃべりをする仲でもない。
そんな進にとって委員会の当番がまわる月曜日は、1週間の中で特別な日である。
「失礼します。図書当番にきました」
「あぁ、時枝君。清田さんは?」
「多分もう少ししたら来ると思います」
「じゃーいつも通りカウンターに座っといてよ。カウンター横のカートに返却本がたまったら適時戻しておいて。僕は奥にいるから、何かあったら声かけてね」
ひら、と手を振って歳若い司書は準備室に引っ込んだ。
今年の春に新しく赴任した司書は、着任直後からずっとマイペースな仕事ぶりを見せている。
最初は戸惑ったものの、一ヶ月もすれば皆彼に慣れ、半年以上経った今はカウンターに司書の姿が見えなければ「いつも通り」準備室にいるのだろうと本人の口から言われなくても察することができるようになっていた。
1人でカウンターの席について暫くすると、入り口のドアが開いた。
「失礼します、図書委員の当番にきました」
そう言った恵はカウンターに進しかいないことを確認して、納得した風な顔をした。
カウンターの中に入って、進の隣に座るとこそっと話しかけてくる。
「先生、いつも通りもう奥に行ったの?」
「あー、うん。…えっと…先週と同じくカウンター業務と返却本の片付けをするようにって…」
「おっけー。てか、今週も遅くなってごめん。時枝君はいつも早くてすごいね」
「え、いや…僕がはやすぎるだけだから…。気にしないで。…急いで来てこけちゃったら危ないし…って僕が言うのも変だけどさ」
はは、と頬をかく。
走ってこけるのは進の嬉しくない十八番だ。同じクラスの恵にも今まで何度も授業中にそんな姿を見せてきたし、委員会でも何度もドジを発揮してきた。
返却された本を本棚に片付ける際、誤ってカートを倒して本を床に散ばらせてしまったり。
利用者に問い合わせされた本の場所を調べる時に何をどうやってか操作ミスをして機械を初期化してしまったり。
様々なドジをして迷惑をかけてきたけれども、恵は進を責めも呆れもせずフォローをしてくれた。
「ありがとう。でも来週はもっと早くこれるようにがんばる」
「そ、そっか。…僕も、がんばる」
「え~時枝君もっと早くなっちゃうの?ふふっ」
進の面白みのない言葉にも、恵は声を押し殺して笑った。
彼女と話す時はいつもそうだ。
恵を前にするとドキドキしてしまい「いい言葉を返さなければ」と必死に考えているのに、思考がからまわり、たっぷり時間を使ってたいしたことのない返答しかできずにいる。
非常にスローテンポで退屈な会話だ。
それでも、恵は進を急かさず「うんうん」と楽しげに聞いてくれる。
一週間に1回、放課後の短い間だけの接点だけれども、毎週毎週進は恋に落ちていた。
同時に、好きな子の前で情けない姿ばかりみせてしまう自身に毎回落ち込んでいた。
しかしそれも過去の話だ。
先週の月曜日はタイマーの機能調べで時間を費やしてしまったが、今日の委員会では存分にタイマーを活用できる。
本を床にぶちまけようと、貸し出し手続きに手間取ろうと関係ない。ミスなくスムーズにできるまで時間を遡ることができるのだ。
動作だけではない。会話もやり直せる。
「最適な言葉を」なんて悩んで会話のテンポを悪くしなくとも、思った言葉をポンポン返せばいいのだ。噛んでしまったり失言すれば、全部タイムリープしてなかったことにできるのだから。
進はポケットに入っているタイマーをきゅっと握った。
「返却ですね。はい、カードありがとうございます。貸出し書籍3冊全て承りました」
肩にかかるくらいの黒髪を耳にかけ、手際よく返却手続きをしていた恵は、書籍に瑕疵がないかぱらぱらとページを捲った。進も1冊手に取り、同じように確認する。
参考書や学術書は書き込みされてしまうケースが多いが、返却された本は小説なので可能性は低いだろう。
「ね、その本」
進の持っている本に、恵が表紙を指差した。
ポケットにあるタイマーを思い浮かべながら、進は心を落ち着かせる。
「それ、映画化したやつだよね」
「そう、いえばそうだね。だからこの本予約たくさん入ってるんだ」
「時枝君、読んだことある?」
「う、うん。トレジャーハンターの話で、宝物に辿りつくまでの複雑な謎解きとか、迫力あるアクション描写とか読んでわくわくした」
よし、いつもみたいに変にタメもしてないし、本の感想もスムーズに伝えることができた。
この調子だ、と進は自分を激励する。
その横で、恵はいつになく饒舌な進に目を瞬かせて僅かに驚きを顕わにした。
「…へぇ~テレビでCM流れてるけど、面白そうな内容だなって思ってたんだ~」
「ん、読むのおすすめ」
「そんなに面白いなら本借りようかなぁ。でも、予約たくさん入ってるんだよねぇ」
カウンターにあるパソコンで予約画面を眺め悩む恵に、「それならさ」と声をかける。
これまで恵を前にしていた時と比じゃないほど心臓の鼓動が早鐘を打っている。手は汗でじっとり濡れているし、喉はからからに渇き始めている。
大丈夫。僕はやり直せる力を持っているんだから。もし失敗したらなかったことにすればいいんだ。
「それなら、映画観に行こうよ」
「えっ、映画を?」
「僕も、その本の映画、観たいし。一緒に見に行かない?…放課後とか」
進の提案に恵はべっ甲飴のような薄茶色の瞳をまん丸にした。
ドッドッドッと爆音を奏でる心臓の鼓動とは裏腹に、図書室はシンと静かだ。
進は祈るような気持ちで恵の小さな唇を眺めた。
「いいね!」
上がった口角と共にあっさり告げられた台詞に、今度は進が目を丸くした。
「い、いいの?僕と映画」
「うん、行こ行こ。時枝君いつ空いてる?」
「え、僕はいつでも。帰宅部だし」
「じゃあ今週の木曜日の放課後にしない?」
「う、うん。その日にしよう」
「決まり!えへへ楽しみ~」
…いやいや面白そうな映画を観るのが楽しみということで、僕と出かけるのが楽しみというわけじゃないんだ。勘違いするな。
嬉しそうにスケジュール帳に予定を書き込む恵に、進はブンブンと頭を振った。
調子に乗ってはいけない。
木曜日の欄に書かれた映画という文字の後にピンクのボールペンでハートマークが書き込まれているが、女子というものはとにかくハートを乱用する生き物だ。他意はない。
…でも、二人で出かけるってことは、あれだよな。デート…。いや、清田さんは単に友達と映画を観るとしか思っていない!…ただ、男女が二人で遊ぶことを一般的にデートって言う、よな。
いや、でも、やっぱり…などともだもだ思考を巡らせながら、すでに確認したはず本のページを無意味にパラパラと捲る。
なんとか落ち着こうとしている進の制服の袖が、ちょんと引っ張られた。
袖を摘んでいる華奢な指先に、進はピシリと身体を硬直させる。
ぎ、ぎ、と進はオイルの足りない機械のようにぎこちなく顔を恵へと向けた。
「木曜日、放課後になったらすぐ行こうね」
にこ、と花咲くように笑いかけられた進は、全ての思考を放棄し「ぼ、僕ちょっと本棚整理してくるっ」と真っ赤な顔をして席を立った。
直後、進は別の意味で顔を赤くする羽目になった。
カウンターから出てすぐ、顔面から派手にこけた。
さらに立ち上がろうと近くにあった物を掴んだものの、運悪くそれは進の体重に耐えられない文庫本で、その文庫本数冊が本棚から抜け落ちると同時に進もバランスを崩して再び顔面から床に倒れこんだ。
おまけに、同じ段に収められていた本も支えを失い、うつ伏せに倒れている進の上にドサドサと落ちてくる始末だ。
その後も、返却本を棚に戻す恵を手伝おうとしてカートを倒してしまったり、背の低い恵に代わり上の段にある本を取ろうとして梯子から落ちたり、図書室から校門までの帰り道では何度も躓くなど、いつもの3倍ドジをしてしまった。
勿論、タイムリープしてそんな事実は全てなかったことにした。
恵には、カウンターから冷静に出て、返却本をスムーズに本棚に戻して、さっと格好良く上の段の本を取り、図書室から校門まで和やかに会話して別れた進の姿しか見えていない。
そこに辿り着くまで50回という過去最多のタイムリープ記録を更新したが、進はたったそれだけの回数ですませた自分を褒めた。
「映画…へへっ。あの清田さんと映画かぁ~…えへへ」
家に帰ってもなお彼女とのやりとりの衝撃は抜けず、枕に顔を埋めながら進はふわふわと笑った。
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