第9話 犯人はお前か…?
◆◆◆◆
人間、結論を急くと視野が狭くなるという。
7度目の10時を迎えた巡は、死んだ目でパソコンのディスプレイを眺めた。
担当先から「~な状況で使えるいい感じの商品なんかない?今度来た時に教えてよ」と、ざっくりした内容で送られてきたメールに即効で返信しアポイントをとりつけたまでは順調だった。
客先に向かうまでに、何点か見繕った商品の提案書を作成したとたん、例のタイムリープ現象が始まったのだ。
10時50分になった瞬間。
お馴染みのノイズがはしり、目を開けると時計は9時50分に逆戻り。
MSPゴシック体の「クリックしてタイトルを入力」という文字が、真っ白なスライドにやけに力強く表示されている。
資料が消えることはもはやこの数日間で慣れた。
何度経験しても腹が立つしうんざりするが、今巡が絶望しているのは提案書のことではない。
「時枝さん、関連資料用意してきました。後、テスターの商品は倉庫へ電話しておいたんで優先的に準備してくださるそうです。ですから今から急いで発送指示書作って、倉庫へPDF送っときますね。俺が送り次第、発送してくださるそうなので今日の夕方にはこっちに届くと思いますよ」
資料室から戻ってくるなりバサバサと巡の机に資料を置く新田に、巡は貼り付けた笑顔で答える。
「うんありがとう。じゃあ発送指示書よろしくね」
このやりとり、7度目である。
しかし、新田は初めて聞きましたと言わんばかりに満足気に笑ってパソコンに向き合った。
少し前に「犯人は新田だ!」と推理とは名ばかりの決め付けをしたが、よくよく考えれば、というより冷静になってみれば新田が犯人なわけがなかった。
教育担当である巡は、出社から退社までほぼずっと新田と共にいる。
この数日間のタイムリープの最中も、もちろん新田は巡の傍にいた。
巡の傍で、彼は周囲と同じように「これが初めて」という顔で何度も同じ言動を繰り返していたのだった。
タイムリープの犯人であるならば、前回と違う行動をとっているはずだ。
もっと言えば、地球を救っているなら社内で悠長に仕事している場合ではない。すぐにビルを飛び出してどこか外へ向かってるはずだ。外に出たとこで何をどうやって地球を救うのかはわからないが。
巡のようなタイムリープ能力にかからない第三者がいることを警戒し、新田が演技をしているのではないか。
新田犯人説を諦めきれない巡がそうした可能性に賭け、3度目の9時50分では、資料室から帰ってきた新田にわざと全く関係のない話題をふってみた。
「新田、コンビニに行ってアイス買ってきて欲しいな」
弟に向けるよりも大分優しめな声音で命令するも、「時枝さん、関連資料用意しました」と先輩の言葉を全てスルーしてドッサリ資料を机に置いてくる。その後の言葉も一言一句同じ言葉を繰り返した。
4度目の9時50分を迎えた時は、言葉でしらばっくれるなら肉体言語だと脳筋的発想で新田に立ち向かった。
新田が巡の苗字の「と」と口を開いた瞬間、特に意味のない暴力を振るう。
心配ない、軽めのストレートだ、と拳を向けたが、驚くべきことにひらりとかわされた。
そのまま新田はパンチなんてなかったような表情で
「時枝さん、関連資料用意しました」
と言って、巡の机に資料を置く。その無防備なタイミングを狙って巡がフックを打つも、これまた不思議なことにかわされる。
新田君、そんなに運動神経よかったの…?
いや今の動きは避けようとして避けたというより体が勝手に動いたような…。
もしかして…。
冷たい汗が背中に流れるような気持ちで、巡は何事もなかった様子で報告を続ける新田を見上げた。
5度目の9時50分。
もしこれがやりなおしの中の1回ではなく、タイムリープ能力者の本番になったら、この会社クビになるな、という覚悟で部長席の前に立った。
特に前触れもなくスイングした拳を、椅子に深々と座る部長の顔面に向ける。
ぶぉっという風を巻き起こしながら部長の鼻先まで近づいていた拳は、触れる寸前でかわされた。
椅子に座ったままの部長が驚くべき速度で回避したのだ。
諦めずにジャブをしかけるも、俊敏という言葉からかけ離れた存在であろう彼は必要最低限の動きで巡の拳をよけていく。
更には避けながらまるで巡がそこにいないかのように、タイピングを始めている。
そんな部長の姿をみて、「どうやら嫌な予感が的中したようだ」と巡は悟った。
すなわち、タイムリープ中は巡がどのような干渉をしても影響を与えることができないということだ。
たとえ巡が脈絡のない話をして干渉しようとも、相手は影響を受けず前回と同じ言葉を繰り返すだけ。
物理的に介入しようとしても、相手は影響を受けないように無意識に避けている。
体が勝手に動いているような気がする、と感じていたのは気のせいではなかったようだ。
巡からパンチを受ける事実がない、という過去にそってタイムリープという事象に、本人の無意識下で無理やり体を避けさせられていたのだろう。
ちなみに、作成した資料のデータをUSBに保存しても、6度目の9時50分を迎えると自動的に削除されていたため、人間に限らず物に対しても同様のことが言えそうだ。
おそらく、この状況でモノやヒトに干渉できるのはタイムリープ能力者だけ。
能力者の場合も干渉できないのだとしたら、永遠にタイムリープするはずだ。
この数日間しつこくはあるものの、少なくとも時間自体は進んでいる。
そのことから、能力者はモノやヒトに干渉でき、それによって未来を変えることができているのだろう。
7回目の9時50分の現在、やっとそこまで考えがいきついた。
つまり、新田はタイムリープ能力者ではない。
彼が犯人ならばあんな不自然な体の動きはできないだろう。最も彼よりも不自然だったのは部長だが。しばらく夢にでてきそうなシュールな光景だった。
あぁ、無実の後輩を疑ってしまった。
さっきも私の体調を心配してくれたいい後輩なのに私ってば…。
ごめんね新田君、と巡は反省した。
危うく冤罪をきせた彼をぶちのめすところであった。
昼休憩、屋上でコーヒーでも奢ろうと決めた。
しかしその親切心を出そうにも。
はやくループ抜けないかな…。
10時50分を迎えると同時にまたしても視界にノイズがはしる。
8回目の9時50分が始まろうとしていた。
◆◆◆◆
犯人はわからない。
現状打破できない。
けれどもタイムリープは相変わらず乱発される。
フラストレーションたまりまくりである。
定時に帰宅した巡はクローゼットの奥にしまっていたアイテムを引っ張り出した。
ミットとパンチングスタンドだ。
大学デビューと同時に封印してしまったセットをこうして眺めるのも久しぶりである。
早速赤いミットを両手にはめて、スタンドを伸ばして高さを調節する。
すーっと息を整えて、素早くパンチを打ち込むと拳の速さに比例して赤いボールが跳ね返った。迫ってくるボールを再びパンチして、とリズミカルにシュッシュッとひたすら拳を繰り返し打っていく。
ブランクがあるものの、体は覚えているようだ。
やがて全身から汗が吹き出る頃には、ここ数日活動的だった腹のムシも少しは治まった。
いい汗かいた、と爽快な気分でシャワーを浴び、ぐるぐると唸るお腹をかかえてリビングへ向かう。
「お母さーんお腹すいたぁ。今日のご飯なに?」
「鯖の味噌煮よ」
母の言葉に、もう一度ぐるっとお腹を鳴らした巡は食卓についた。
鯖の味噌煮。蛍光灯に反射して、てらてらと光るこってりとしたタレがふんわりと味噌の香を漂わせている。
副菜にはポテトサラダブロッコリー添え。それからほうれん草のおひたし。
それにかき玉汁と皆大好き白米。
ごく、と喉を鳴らし、まずはお椀を手に取る。
お出汁のふんわりとした香を嗅ぎながら、温かいかき玉汁を飲む。
すぐに体が芯からじんわりと温まり、自然にほぅっと息がもれた。
次にポテトサラダを口へ運び、しゃきしゃきとしたキュウリの食感を楽しむ。
そうしてサラダを頬張っていると、横に座っていた進が箸を置いて席を立った。
コップを持ったまま冷蔵庫へ向かっているため、おそらく飲み物を注ぎに行ったのだろう。
「進、ついでに私の分もお茶ついできて」
「え…もう、わかったよ」
えぇ、と言いかけた進を睨むと、諦めた目で了承した。
ガラスのコップに麦茶を並々と注ぐ進を、巡は味噌煮を食べながら眺める。
「…な、何?姉ちゃん」
「別に何でもないけど。自意識過剰じゃない?」
「もー何なんだよ…」
ぶつぶつ呟きながら麦茶を注ぎ終えた巡は、両手にコップを持ち食卓へ戻ってきた。
「うわっ」
しかし、注いだ甲斐も無く食卓に戻る前に躓いた進は両手からコップを落としてしまった。幸いコップは割れなかったようだが、床はお茶まみれである。
「あらあらあらあら、ちょっと進~」
「ご、ごめん母さん」
「ここはやっておくからご飯食べておきなさいな」
布巾を片手にした母に追いやられた進は肩を落としながらご飯の続きに戻った。
我が弟ながら相変わらずドジだな…。
食卓から冷蔵庫までの短い道のりで、よくアクシデントを起こせるものだ。
今回はコップも割れなかったし、熱湯というわけでもなかった。マシな部類のドジだが、よく飽きもせずドジできるものだと感心してしまう。
おひたしをもきゅもきゅと噛みながら、気まずげな進の様子を観察し、はたと思い当たった。
この数日間を振り返ってみれば、タイムリープの犯人は、執拗なまでに同じ時間を繰り返していた。
あれは執拗というより、1回や2回で成功させることができなかったのではないだろうか。
「振り返ればあの時ヤれたかも」「あの時に戻ることができたらな」という後悔と願いは誰しも1度は抱く思いだ。
けれども、それはあくまで「できたかもしれない」という不確実要素の高い希望的観測にすぎない。
実際に過去に戻ったからといって、確実にヤれる状況に変えることができるとは限らないのだ。
実行する人のスペック自体が変わっていないなら、1度や2度過去に戻ったところでその人物の望む未来はそう簡単に作れないだろう。
数十回と同じ時間をタイムリープするこの犯人は、つまるところ並々ならない要領の悪い人間…有体に言えばドジなやつではないだろうか。
そこまで考えた巡はひとつの真実に気がついた。
犯人は、まさか、進なの…?
新田の時のように「犯人お前か!」とすぐ断言できないのは、弟と地球を救う正義のタイムリーパー像が結びつかないからだ。
しかし、もし進が犯人であるならば一応納得はできる。
あの尋常じゃないタイムリープの数々は、不運でドジな進だからこそなのだと。
彼がタイムリープの能力者であるならば、1回や2回どころか10回でも20回でもやり直しもするだろう。というより進が10回や20回のやり直しした程度で世界の危機を救えているのは逆に偉業である。
世界の危機がまだ脱していないのかもしれないけど、とりあえず次進がタイムリープ能力を発動したら、まずはコークスクリュー・ブローかけよう。
世界の危機についてはその後話せばいいや。
巡は箸を持つ手に力を込めた。ピシッという音が手の中から鳴っているが、興奮した彼女の耳には届いていない。
進がタイムリープ能力者だとしたら、おそらく先ほどの麦茶の件もなかったことにしようとするのではないだろうか。
よほど「私的なことに能力は使わない」と心に誓うほどの堅物ならともかく、進はそこまで頭の固い真面目くんではない。
現行犯で捕まえる調度いい機会だ。
言い逃れできない状況に陥れたうえで遠慮なく技をキメてやる、と悪役のテンプレのような顔で、巡はにたにたと舌なめずりしながら視界にノイズがはしるのを待つ。
だがその晩、巡の視界にノイズがはしることはなかった。
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