第6話 私は準主人公(予想) 

◆◆◆◆


タイムリープ。

漫画でよく見かける設定だ。


ある日突然タイムリープの能力を手に入れた主人公は、危機的状況を打破するために活用する。その状況は例えば、地球滅亡の危機だったり、幼馴染の女の子が命を落とす危険からだったり。


何度も時を繰り返し、あの手この手で未来をハッピーエンドに変えていく。


そんな物語を、この世界のどこかの誰かが繰り広げている、のだろう。

いわゆる主人公というやつが、よりよい未来のために過去を改変してハッピーエンドを目指している。

それは結構だが、つきあわされる身にもなってほしい。


巡はパソコンの右端に表示された時刻を確認した。


10時25分。

本日4度目の10時25分だ。


あ~も~いい加減にしてくれ!!!


言葉には出さないが、内心は怒りでどうにかなりそうだ。

10時30分までに昨日担当先の顧客から受注できた商品の注文書を作成して、事務員に渡さないと本日中の発送処理の指示がしてもらえないのだ。

顧客を待たせるわけにもいかないので、本日中に処理をしてもらわなければならない。

その思いで必死にキーボードを叩き、なんとか10時29分ぎりぎりに作成し終え、後は事務に渡すだけ。となった瞬間に視界にノイズが走り、10時に時間が逆戻り。

作成したはずの注文書は真っ白。

ゼロからの再スタートである。


「わ゛だじぢゃ゛ん゛どづぐっ゛でだも゛ん゛!!!!」と濁点をつけるほど声を荒げて駄々こねたところで、タイムリープしていることを知らない事務員には頭のおかしい同僚とみられて終わるだろう。


モノにあたるなんて社会人としてどうかと思うが、誰とも共有できない苛々をキーボードにバンバンぶつけてしまうくらいは、せめて許して欲しい。

キーボードが壊れないうちに、はやくタイムリープの犯人をつきとめなくてはいけない。つきとめた暁には、鍛え上げた巡の拳で肉体言語を用いた話し合いで決着をつけてやる所存だ。


思いのたけをぶつけるようにEnterキーを強くタップする。

完成した注文書を前に、巡は祈るような気持ちでパソコンの右下の時刻表示を眺めた。


10時30分。


ノイズは、はしらなかった。

視界良好。クリア。

今度こそ、注文書を事務員に渡すことができそうだ。


まだ始業から1時間30分しか経っていないのに、既に疲労を感じた巡は給湯室へ向かった。会社に持ち込んだ自分のマグカップにコーヒーを注ぎ、デスクに戻る。

ふわふわと立ち上る湯気を眺めて、ほぅっと息をつく。


はじめは、現象に気がついた巡がタイムリープを引き起こしているのかと思った。

だが、自分の意図していない時に時間が何度も戻ることから、巡にタイムリープ能力があるわけではないと、すぐにその仮説は否定した。


タイムリープ能力がないのに、タイムリープ現象に気付くことができる。

言わば、巡の立場は準主人公ではないだろうか。

それなら、巡の周囲にタイムリープ能力を持った犯人がいるはずだ。


なぜならば、それが物語のお約束というものだから。


科学的根拠。

論理的な理由。

そんなもの全くない。

けれども、タイムリープなんて非現実的で物語にしかでてこない現象が起きているのだ。

ストーリー上、タイムリープに気付ける人間とタイムリープ能力を持った人間が全く見ず知らずの関係性なんて可能性は、まずない。

というより、そう強引に考えないと巡は永遠にタイムリープの犯人を突き止めることができそうにない。


タイムリープの犯人は巡の周囲にいる人間。

そう考えないと話が進まないのだ。


では、具体的に誰が犯人なのか。

コーヒーをすすりながら、周囲をみわたす。


フロアの奥のデスクで難しい顔をしている部長。

人を外見で判断してはいけないというけれど。

でっぷりと脂肪を蓄えたお腹。

てかてかと油光りする顔。

寂しげな頭。

とても世界を救ったり好きな子の命救う主人公には見えない。

むしろタイムリープの能力を持っていたら、悪用しそうである。不倫とか。

よく奥さんの不満を漏らしてたっけ、と飲み会の席での言葉を思い出し、彼はないな、と巡は容疑者から外した。


先輩や同僚。

新人のころはたくさん手を貸してもらったし、今でも目にかけてもらっている。

親切な先輩達。

同期として切磋琢磨していった同僚達。

皆いい人ではあるけれど、主人公か?という視点でみると、正直あまりぱっとしない。


後輩。

新人の新田は今年度から1日の大半の時間をずっと一緒に過ごしている。

直近でいうと、社内で一番巡と関わりの深い人物だ。

身長はモデル並みに高いし、愛嬌のある顔をしている。

へらっと笑って先輩社員達の会話に混ざっていく姿は、人懐っこい子犬のようで微笑ましい。

巡に対して余計な一言を遠慮なく発するところも、ギャップという単語で許容できるだろう。


巡はちらりと横を見た。

彼女のデスクの隣が新田の席である。教育係としていつでも指導・手助けができるようにと昨年度の三月末に配置されたのだ。


「…何ですか?」


巡の視線に気付いた新田が手をとめて、きょとんと首を傾げた。


「ううん、何でもない。特に意味はないの」

「そうですか」


ふぅん、と相槌をうった新田が一拍おいてニヤァッと笑う。

彼がこの笑顔をつくった時は、大概余計な一言を言うときだ。半年以上傍にいて教育してきた巡はそう予測した。


「ところで時枝さん。いらつきはおさまったんですかぁ?」


案の定である。

普通上司が機嫌悪そうにしていたら触れないのが常識だろう。

イジるところが彼の神経の図太さが伺いしれるところである。

おそらく、これが部長だったら彼は見て見ぬふりをしていただろう。こういうラインの見極めがあざといところでもある。


「別にイライラなんてしてなかったけど…」

「キーボードめっちゃターンッって力強く叩いてたじゃないですかぁ」

「力作な注文書作ってたから、すこーし力入っちゃってのかもね」


4度も作り直した力作な注文書だ。内容は一切変わっていないが。


力作な注文書ってなんすか、とけらけら笑う新田に巡はバツをつけた。


新田は犯人ではない。

こんな煽ってくる主人公はいやだ。


笑っている新田を見て、少し前に彼から聞いた話をついでに思い出した。

「学生時代、お互いどれだけ我慢できるかくすぐりあいっこしたんですよね。限界突破チャレンジってかんじで。そしたら笑いすぎて呼吸困難になりかけてマジ死ぬかと思いましたよ~。涙は止まんないし鼻水は出るし息は苦しいし。横隔膜バキバキになりました」と、大変しようもない話だ。

どうでもいい話を思い出した巡は、やはり新田は犯人ではない、と再度思った。

そんなアホなことをしている暢気な人が世界を救うだの人の命を救う主人公のわけがない。


うんうんと自身の仮説に納得していると、また視界にノイズがはしる。

今度は何回遡るのだろうか。


少なくとも今後はキーボードを丁寧に扱おう。

後輩にイライラしてるとバレたくない。

本当の性格はともかく、外では「サバサバ系の頼れるおねえさん」キャラを突き通しているのだ。間違ってもイライラしてモノにあたる短気キャラではない。

2度目の11時を時計で確認した巡は、1人決意した。


◆◆◆◆


「ただいまぁ~」


干からびたミイラみたいな声で帰宅を告げた巡は、リビングのソファにぐでっと寝そべった。

タイムリープの力で伸びた体感時間は、巡をひどく疲れさせる。

さばく業務量が増えるよりも、終わりの見えないループの中でひたすら同じ業務をこなす方がよほど心身ともにクるものがある。


「こら、スーツ皺になるでしょう。はやく着替えてらっしゃい」


顔をしかめた母親に注意され、鈍い動きで巡は起き上がった。

母に逆らうと、今夜の夕ご飯がなくなってしまうので素直に従うが吉だ。


自室に戻ってのろのろと部屋着に着替えた巡は、重いため息をつく。


結局、社内には怪しい犯人がいなかったのだ。


いったい誰が犯人なんだろう、と頭をかかえながら階段をおりるとふんふんと歌声が漏れ聞こえてきた。

父親の声だ。

リビングにはいなかったから浴槽で鼻歌を歌っているのだろう。

忘年会のカラオケで歌う歌でも練習しているのかもしれない。まだ大分先の話だが。


お父さんがタイムリープの能力者…。

ないな。


ふんふふんと流行のアイドルの曲を練習する声を聞いて、巡は一瞬で結論を出した。


「食べたら食器洗っといて。食べてないのもう巡だけだから」

「はーいわかった」


リビングに入り食卓についた巡は遅めの夕ご飯を口にする。


しめじと舞茸のとろーり餡かけオムレツ。卵とひき肉と千切りされた玉ねぎ人参が、お出汁の利いた餡と口の中で溶け合う。

小鉢にはひじきとお酢の物。

合わせ味噌のお味噌汁。滑らかな絹ごし豆腐となめこ入り。

そしてつやつや輝く白米。

疲れた社会人には優しく胃に栄養が行き渡る夕ご飯だ。


ゆっくり噛み締めて食べる巡の近くで、母親はアイロン掛けをしている。

シューッともくもくと白い煙をあげるアイロンをすいすいと動かして、皺くちゃだったワイシャツを伸ばしている。

熟練の主婦の技。

卓越した技術を持っているけれども、世界を救う主人公かと言われると、頷けない。どうみても平凡な家庭にいる主婦だ。

巡は容疑者から母を外した。


夕飯を食べ終えた巡は、食器を洗う前にデザートでも食べようと冷蔵庫を開けた。


「何かないかな。…あ、プリンあるじゃん。ラッキー」


滑らか牛乳プリン。

プリンはとろとろクリーミー派な巡は冷蔵庫から取り出した。

1個しか入ってなかったのもレア感があっていい。


ペリペリと蓋を開けひと口食べたところで、弟の進がリビングに入ってきた。

食卓に座っている巡の姿を見た途端に走りよってくる。


「姉ちゃん、それ…」

「滑らか牛乳プリン?」

「それ僕が食べようと思って今日学校帰りに買ってきたプリン!そろそろ冷えたと思って食べに来たのに!」

「はぁー?知らないわよそんなこと。そんなに食べたかったんなら名前でも書いとけばよかったじゃない」

「書いてたもん!!」


半泣きで抗議する進に、半信半疑な気持ちで容器を眺めた。

よく観察してみると、確かに名前は書いてあった。


「バカね、わかりやすく蓋に書きなさいよ。側面に書かれても気付かないわ」

「蓋はパッケージがごちゃごちゃしてて見えにくいと思ったんだよぉ」

「価値観の相違ってやつね。ま、食べちゃったものは仕方ないでしょ。次からは気をつけなさい」


悪びれもなく言う巡にじとっとした視線を送った進は、やがて諦めたようなため息をついた。


「…姉ちゃんに盗られることは想定内だったし。プリンは2個買ってきたから、もうそれ食べられればいいや」


そう言って冷蔵庫を開ける進に、はてと巡は思い返した。

確か冷蔵庫にはプリンは1個しかなかったはずだ。

だからラッキーと思っていたんだけど、と疑問に思う視界の先で進が絶望した声を発した。


「プリンが!ない!!2個買ったはずなのに!!」

「あら、あれ進のだったの?やだぁ~、お母さん、忘れてるだけで自分が買ってきたものだと思ってさっき食べちゃったわ。ごめんなさいね」


悪意なく笑う母親に、今度こそ打ちのめされた進は崩れ落ちた。

我が弟ながら不運である。

そんな弟が、主人公…。

ありえないだろう。

進が主人公なら不運とドジのコラボレーションで、あっという間に世界は滅びるだろう。


巡は泣き崩れる弟の肩に手を置いて、そっと声をかけた。


「夕ご飯の食器、洗っておいてね」




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