第2話 安静とつわり

大人しくしてててね。と先生は軽い口調で言った(いつでも軽い感じの先生なのだ。親しみやすくて私は好き)。軽すぎない?どうすればいいの?と思いつつもその場では質問できなかった(だいたい先生の前に行くと質問したかったことを忘れる)。仕方がないから、切迫流産と安静で検索。寝てろ。寝てても意味ない。初期流産。とりあえず後悔したくなければ寝てろ。血の気が引いていくのを感じスマホを伏せた。ハッピーマタニティライフなんてなかったんだ。産む直前までは仕事もしたかったのに。お腹撫でながらうふふって笑いつつ、いらっしゃいませって言ってみたかった。そんなことを思う反面、よっしゃ仕事休めるー!とも思いつつ。けど、それはどちらも、妊娠継続できるの?という、考えたくないことを覆い隠すためだったように思う。

次の健診までの二週間はとても長く息の詰まるものだった。少し動けばお腹が痛くなってみたり出血してみたり。


けれどそれを超えるモノがやってきた。


つわりだ。酷い人だと悪阻(おそ)といって入院騒ぎらしい。私は幸いにもそこまでではなかった。

"つわり"と聞けば、うっとなってシンクにゲェっとやる。みたいなイメージが多いと思う(私はそのイメージだったし実際キッチンは匂いがキツくてしんどかった)。

けれど世の中には妊婦の数だけつわりがあるようで、イメージが強いのは吐きつわり(兎にも角にも吐く)というヤツらしい。私も最初はコレだと思っていた。寝転がろうが座ろうが立っていようが、右を向こうが左を向こうが(やっていないが多分逆立ちしようが)、気持ちが悪い。いっそ吐けば楽になるのかと思いトイレに行くも、何も出ないし、トイレが臭くて(汚くなくてもなんとなく臭かったの!決して汚かったわけではなく!)余計に気持ち悪くなる。という始末。何も食べたくなくて、食べられるものを探してはちょっとずつつまみ食いし、もう要らないなんてことも多々あり、マリーアントワネットもビックリの我儘っぷりを発揮していた。

そして得意の検索。つわり、いつまで。16週頃には落ち着きます。個人差があります。などなど。それくらいわかってるよ!泣きそうになりながらもつわりについて調べた。なんとか対処せねばという気持ちだけのことだった。

調べていると、つわりの種類について書いてあるページにたどり着いた。何コレ、誰も教えてくれなかったじゃん。という気持ちでいっぱいだった。吐きつわり、食べつわり、匂いつわり、よだれつわり眠りつわり頭痛つわり(見てるだけで気持ち悪くなってきた)。吐くだけじゃないんかーい。が素直な気持ちだった。と同時によだれって何?とか、あーだから寝ても寝ても寝ても眠いのね。とか、匂いつわりっていわゆるご飯炊ける匂い無理になるヤツだな?などと思った。そして私のメインつわり(?)は、食べつわりだった。


朝イチ空腹で胃は空っぽなのに何か吐こうとする身体。食べ物を口に入れたいのに上体を起こすと吐き気を催すから、這って冷蔵庫に向かったことも何度もある。冷蔵庫をあけても食べられそうなものがなくて絶望したり(食べ物は入ってるけどどれも食べたくなかった)、朝イチ食欲はないけど気持ち悪いから仕方なく食べ物を口にしながら、もう食べたくないと泣いたりした。

よく食べていたのは、菓子パン、惣菜パン、ファストフードチェーンのフライドポテト、コンビニのおにぎり、グミ(酸っぱい)、カリカリ梅(酸っぱい)、ゼリー、その他炭酸ジュース、ほうじ茶。


鮮烈に覚えているのは、つわりのピークだったと思われるある朝のこと。起きた時に既に気持ち悪くなっていて1ミリでも動いたら吐く、と思いながら冷蔵庫の前まで這った。中にみかんの缶詰を見つけて、これなら食べられると思った(プルタブ式の缶詰バンザイ。これがあのギコギコするタイプだったらと思うとゾッとしない)。大きい器にバシャッと出したみかんの缶詰を泣きながら食べる25歳の女(ひどい絵面)。そして食べ終わって激しい吐き気から解放されて、ホッとしてもいられず、断続的な吐き気。こうして文字に起こすと壮絶すぎやしないかと思うが、割とそのまんま書いているつもりである。


とまあ、こんな具合につわりはキツかった。もちろんと言ってはなんだが歯ブラシを口に突っ込んではオエッといい、シャンプーやボディーソープの匂いでオエッといい、ご飯の炊ける匂いでもオエオエしていた。言わずもがな煙草も無理。禁煙しなきゃ!なんて思うことも無く、煙草とは縁が切れた。これに関してはラッキーだったと思う。


つわりに苦しみつつも、初期流産の壁は乗り越えた。けれど少し動けば腹痛や出血。もちろん家事なんてできる訳もなく、ただただひとりぼっちで転がっているのは苦しくて仕方なかった。今からこんな気持ちでいっぱいなのに、産まれたらどうしよう、と不安になった。今思えば、体調が悪い故に気持ちも沈んでいたんだろう。夫氏には言えなかった。なんて言えば上手く伝わるのか分からなかったし、分かってよ!という気持ちが強かったんだと思う(今だに、そのせいで私がキレる)。


そして、この微妙なすれ違い(というか私のわがまま)が、後々大喧嘩に繋がるのだった。

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