第3話 アンドロイド・ミーツ・ヒーロー!

 ナナコが有り合わせの食材で作ったチャーハンと野菜炒めは、思いの外に美味であり、瑛士は微妙に悔しい気持ちで箸を口に運んだ。その後、大学に行くために家を出ようとした瑛士に、ナナコは着いていくと宣言して彼を困惑させたのだが--。


 瑛士は首都圏郊外の敷地に巨大なキャンパスを構える総合私大・玄武大学の学生だった。いつもどおりに下宿先アパートから坂と階段の続く道を上りキャンパスに辿り着いたものの、彼は深い溜息をついていた。


「何なんだ、その出来損ないの探偵みたいな下手な尾行は」

「ナナコは瑛士さんの家政婦なので、常に端っこから覗いてご様子を窺うのが礼儀かと思いまして!」


 ナナコはキャンパスのメイン通りに植えられた街路樹の影から出てくると、さも当たり前であるかのように言った。ここまでの道でも、ナナコは道の角や電柱の影に隠れながら瑛士を追っていたのだ。


「ナナコが電子ネットを辿って集積したデータベースを解析した結果、家政婦は常にドアや柱の影から主人を覗くべし! そして事件発生に備えるべし! との訓示を得ました。何か違うのでしょうか?」

「君のデータベースはどんな情報を拾って作られているんだ?」

「え~? 違うんですかぁ?」


 どこかの二時間ドラマや関連ドラマのデータしか頭に入っていないらしいナナコは、瑛士の非難にもにこにこ笑いながら小首を傾げるだけだった。


「それに、その格好は何なんだ」


 瑛士の冷たい視線の先にいるナナコは、彼のアパートに尋ねてきた時のピンク髪ツインテールではなく、茶色のセミロングの髪を垂らした姿になっていた。


「いわゆる量産型女子大生の形態です! 大学のミスコンに応募して十位くらいに収まるイメージの顔とプロポーションなんですが、どうでしょう?」


 茶髪ナナコは両腕を広げて、パステルカラーのカットソーに膝丈の白のスカートを瑛士に見せながら、くるりと一回りし、元のライトブルーから変えた茶色の瞳で彼を見つめる。しかし、瑛士の視線は凍えたままだった。ナナコは残念そうに口を尖らせる。


「コンサバ系女子にも瑛士さんの食指は動かないですか……」


 瑛士はナナコの言葉を黙殺して話題を変えることにした。


「それにしても、君自身の体の変化もすごい技術だが、服まで変化するのは驚きだな」

「うふふ! なにしろ、ナナコ達は超すごいアンドロイドですから! ナナコはこんな格好をしたいっていうイメージを思い描くだけで、体も服も自由に変えられるんです」

「まるでファンタジーだな。しかし、服を自在に変える技術があるなら、衣料品のマーケットで売り出した方が需要があるんじゃないのか。君みたいなよくわからないアンドロイドが使うよりも」

「よくわからないアンドロイド……瑛士さん、酷い!」

「ウソ泣きはやめなさい」


 目をウルウルと潤ませていたナナコは、ぴしゃりとシャットアウトさせる瑛士の言葉に、舌を出しながら笑う。


「えへへ、すみません! まあ、現実的な話をすると、形態変化時、ナナコは頭部や胸部に収めてある情報処理装置の能力の何割かを割いて形態制御をしているのです。ですから……」

「なるほど。服を変えるためだけに大きいパソコンを持ち歩くなんてナンセンスか」

「そうなんです。一般人向けのマーケットで実用化するとしたら、脳神経の改造とかでヒトの脳に被服形状変化プログラムをインストールして……あと、命令を可変型被服に伝えられるように無線通信装置も体内に埋め込むみたいなことができれば、あるいは可能かもしれません」

「いや、スマホとかにインストールできるレベルな手軽さにならない限り、無理だろう」

「わはは! そうですね。あ、ナナコはここでお待ちしてますので、瑛士さん、授業いってらっしゃいませ~!」


 手を振って見送られた瑛士は、午後三コマ分ぎっちり授業を受けたのだが、その間、ナナコはキャンパス内にあるベンチにずっと座っていたようだ。

 ベンチから立ち上がったナナコは、大きく手を振りながら瑛士を迎えた。


「瑛士さん、お勉強お疲れ様です!」

「ずっとここで待っていたのか?」

「ナナコ、瑛士さんのこと待つの、ちっとも苦痛じゃありません。いつまでもいつまでも待ってます……。ナナコ、瑛士さんのこと好きだから……瑛士さんも、ナナコのこと好きですもんね? ねえ、好きだよね? ナナコのこと、好きだよね、瑛士さん? ふふ、ふふふ……」


 ナナコはキラキラ笑顔の量産型女子大生から変化し、瞳のハイライトを失ったヤンデレ女子風に笑い続ける。


「ねえ、瑛士さん……瑛士さんはナナコのものだもんね……? ふふ、あははは!」

「そういうのも嫌いだよ、僕は」

「ナナコこのこと、好きにならない瑛士さんなんて、本当の瑛士さんじゃない……。ナナコのこと好きにならない瑛士さんなんて……死んじゃえ!」


 ナナコは刃物を取り出しそうな顔をしたが、さらに冷え込んだ瑛士の顔を見て諦めたのか、キラキラ系女子大生の顔に戻った。


「ところで、瑛士さんはサークル活動とかはされないんですか? 大学生と言えば、チャラいテニサー! たいして必要性も感じない夏合宿! 下心満載の飲み会! 酔った勢いでサークルの女の子と……デュフフフフフ!」


 顔の作画が変化したかのように、気持ちの悪い顔で下卑た笑みを浮かべるナナコに、瑛士は溜め息を漏らす。


「興味がない。人付き合いに時間をとるくらいなら、勉強か読書にあてた方が有益だ」

「そういうものですかねえ? あ、でも、確かに瑛士さんのお部屋、難しそうなご本がたくさんありましたね。あ、ナナコ、瑛士さんの蔵書を分析してお薦め本リストを作って差し上げましょうか?」

「そんなものはいらない。君に僕の読書歴を把握されるのは気持ちが悪いから、今後は本でしか手に入らないもの以外は電子書籍に移行することにしよう」

「うふふ! 無駄ですよ~。ナナコはハッキングも得意ですから、すぐに購入リストを把握して、お薦め本リストも作っちゃいます! ネットショップ密林さんのお薦め機能以上の精度を保証しますよ」

「やめなさい……」

「あ、もしや、女の子に見られたくないご本は電子書籍で買う派でしたかぁ? でも、その方面もナナコにお任せください! ナナコの持つ膨大な解析データの中から、最適なご本を……デュフフ!」

「だから、やめなさいと言っているだろう!」

「きゃあ! 瑛士おにーちゃんに怒られた~」


 いつの間にか、小学校入学前後の年齢のポニーテール幼女となったナナコがキャンパス内をとてとてと危なっかしい足取りで駆けていく。身長を縮めたうえ、赤いランドセルに黄色い帽子というベタな格好を見た瑛士は、なんでこんなことにそんな最先端技術を使う必要があるのかと呆れる。


「瑛士おにーちゃん、追いかけっこしましょうよー」

「言っておくが、僕はロリータコンプレックスでも、ペドフィリアでもないからな」

「チッ……違ったか。でも、瑛士おにーちゃん、広~いキャンパスで鬼ごっこ、楽しいですよ~」


 ナナコは調子に乗ってデコボコした石畳の歩道を走り抜けようとして、みごとにひっくり返って転んだ。


「うわ~ん! 瑛士おにーちゃ~ん!」


 歩道にぺたんと座り込んで本気で泣くナナコを、無視してやろうかとも瑛士は思ったのだが、通り過ぎる玄武大生が心配そうに見ていくため、世間体がその非道を許さなかった。


「なんという面倒臭さだ……」


 瑛士は仕方なくナナコを助け起こそうと重い腰を上げたが、その時、瑛士よりも先に彼女に手を差し伸べた者がいた。


「大丈夫かい、そこの少女よ! 転んだのかな? しかし、私が駆けつけたからにはもう大丈夫だ!」


 ナナコを立ち上がらせたのは、頭のてっぺんから足の先まで、青のメタリックな光沢の装甲を身に着けた男だった。男は手に犬用リードを握っており、その先にいるボーダーコリーと思われる犬も、ハーネスと共にメタリックな黄色の装甲を身に着けている。彼らの姿は、八十年代から九十年代まで放映されたメタリックなデザインのヒーローを思わせた。

 ただし、装甲にかけられる費用に限界があるのか、多少部材や作り込みに素人っぽさと安っぽさを感じさせる見た目ではある。


 幼女ナナコは泣きやみ、目を見開きながら一人と一匹を交互に見つめた。


「お兄さんとわんちゃん、だぁれ……?」

「私達かい? 私達は……」


 そう言いながら、青のメタリックな人物は脚を広げ、腕を斜めに構える。


「子供達の笑顔と玄武大学の平和を守る! 特救戦士ゲンブレイン、リーダーのゲンブレイヴ! そして、サポートドッグのゲンブースターだ!」

「わふ!」


 青いヒーローと黄色い犬は手慣れた調子でポーズをとった。かなりキレのある動きで、膨大な練習量を感じさせる。


「さあ、少女よ、早く傷口を洗浄しなければ。お兄さんも一緒に行きましょう!」


 謎のメタリックヒーローは幼女ナナコをお姫様抱っこの状態で抱え上げ、犬を伴い駆け出していく。

 瑛士はしばらくは呆気にとられてその様子を眺めていたが、溜息と共にその後を追いかけた。



 ゲンブレイヴと名乗った青いメタリックなヒーローは、近くのテニスコートに設けられた水場でナナコの傷の汚れを注いだ。


「水が少し沁みるかもしれないが、我慢するんだぞ!」


 メタリックな黄色い犬も、応援するように「わふん、わふん」と鳴く。


「ちょっと痛いけどだいじょーぶですぅ!」


 目を瞑って傷の刺激に耐えるふりをする幼女形態のナナコに、瑛士は呆れを超え、妙に感心した気持ちになっていた。転んで汚れた膝にきちんと擦り傷らしい模様を浮かび上がらせているあたり、なかなか芸が細かいと彼は評価する。


 それよりも、瑛士の中では現時点でナナコの存在以上に訝しく思っているのは、このメタリックな青いヒーローの方だった。

 そのヒーローはというと、今度は自らの装甲の胸元の一部をパカリと開き、その中から絆創膏の箱を取り出した。


「最近は消毒液を使わず、傷を乾かさずに治す湿潤療法が推されているのだ! それに対応した絆創膏だぞ!」


 そう言いながら、ヒーローはナナコの傷模様の上に絆創膏を優しく貼り付けた。


「ゲンブレイヴ、ありがと~! ゲンブースターも~」

「礼には及ばない! 私達はヒーローとして当たり前のことをしたまでだ」

「わふん!」


 青と黄色のヒーローは向かい合い、再びポーズを取り始める。


「子供達の笑顔と玄武大学の平和を守る! 特救戦士ゲンブレイン、リーダーのゲンブレイヴ! そして、サポートドッグのゲンブースター!」

「わふ!」


 キメキメのポーズが決まったところで、一人と一匹は不審の目を向けてくる瑛士の存在にようやく気が付いたようだった。


「ああ、お兄さん! 不安にさせてしまっていたとしたら、すまない。私はこの組織に所属しているヒーロー隊員なのだ!」


 青いヒーローはそう言って、胸元の装甲をもう一度開き、今度は名刺を取り出した。瑛士が受け取ったそれには「玄武大学ヒーロー研究会所属ヒーロー 特救戦士ゲンブレイン リーダー・ゲンブレイヴ」と記載されていた。


「ヒーロー研究会……? 聞いたことのないサークルだな」

「ハハハ! 実は玄武大学の非公認サークルで、残念ながら正式メンバーは私だけだ」


 ゲンブレイヴがそう言うと、ゲンブースターが不満そうに「わふわふ!」と騒ぐ。


「おっと、すまない! 大切なパートナーであるお前がいたな! メンバーは一人と一匹の弱小サークルだ。しかし、熱いハートだけは誰にも負けないぜ!」


 爽やかに言い切ったゲンブレイヴだったが、瑛士の冷ややかな表情は変わらなかった。幼女ナナコだけが手を叩いて喜んでいる。


「さーくる活動楽しそうですぅ! ゲンブレインかっこいい~!」

「楽しくも厳しい活動だ! ヒーロー活動のため、日々の鍛錬は欠かせないからな! だが、残念ながら、活動機会はなかなかない」

「どーして~?」

「玄武大学が平和で事件が起きないのだ」

「外に行って子供達の見守り活動でもすればいいじゃないか」


 瑛士の指摘に、ゲンブレイヴは大きく頭を横に振る。


「そうしたいのはやまやまだが、実は私達には活動限界があるのだ。私達は玄武大学敷地内地下に張り巡らされたゲンブレインネットから玄武エナジーを供給されることで戦士フォームを維持し、ヒーロー活動をすることが出来る」

「という設定か」

「設定という言葉は使わないで頂きたい!」


 瑛士のツッコミに、これ以上ないくらいの反射速度でゲンブレイヴは反論した。


「つまり、私は学内でしか活動できないのだ!」


 瑛士は面倒臭そうな表情を浮かべる。


「そのゲンブレインネットとやらを外に拡張したということにすればいいだろう」

「特段の事件や成長イベントもなく、最初の設定を覆すのは私の美学に反する。そんな軟弱さでは子供達の笑顔を守ることはできないのだ!」

「君も設定という言葉を使っているじゃないか」

「しまった!」


 ゲンブレイヴはハッとしたように飛びのき、表情は見えないものの酷く動揺しているのが見て取れた。それを取り繕うように瑛士に向かって叫ぶ。


「お、お兄さん! そ、そんなことはとにかくとして! もうこの子が転んだりしないよう、ここからは二人、ちゃんと手をつないで帰るんだぞ!」

「わふわふ!」

「は……?」

「瑛士おにーちゃん、ゲンブレイヴとゲンブースターがそー言ってますよぉ。お手てつなぎましょ~!」


 幼女ナナコは、最高ににこにこな笑顔で瑛士を見上げ、子供らしいぷくぷくした手を瑛士に向かって差し出す。


「さあ! 何を照れてるんだ、お兄さん! あなたはこの子の保護者だろう?」


 保護者ではないのだが、と反論する間もなく、ゲンブレイヴが瑛士の手を引っ張り、無理やりナナコと手をつながせる。


 やわやわとして暖かい感触が瑛士の手に触れた。にんまりと笑うナナコに対し、瑛士はげんなりとした表情なる。


「これで安心だな! では、何か事件が起きたら、すぐに私を呼んでくれ! それでは!」


 ゲンブレイヴはリードを引き、ゲンブースターと共に走り出す。


「今日も明日のヒーロー活動に備えて特訓だ! 行くぞ、ゲンブースター!」

「わふん!」


 一人と一匹は、玄武大学名物、玄武記念会館へと続く平均傾斜三十度の「玄武地獄坂」を軽々と駆けあがっていった。


 瑛士はナナコと手をつないだまま、その様子を呆れるやら、それを通り越して感心するやらの気持ちで見つめていた。幼女ナナコがにんまりと笑いながら瑛士を見上げる。


「それじゃー、瑛士おにーちゃん、お手てつないで、一緒に帰りましょーねー?」

「断る」

「無駄ですよ~!」

「クッ……手が離れない。なんで君はこんなに怪力なんだ!」

「それは乙女の秘密です~」


 バカみたいな握力で瑛士の手を掴んだナナコは、そのまま瑛士を引き摺るようにして大学の正門を抜け、アパートへの道を歩いていく。


「というか、この絵面、まるで僕が幼女を自分の家に誘拐したみたいに見えないか?」

「だいじょーぶですよぉ。通報されても、ナナコは瑛士さんのお姉ちゃんの子供だとか、テキトーに話を合わせますからぁ。ずっとお手てつない帰りましょうねー、瑛士おにーちゃん! きゃはははは!」


 茶色の瞳をキラキラさせながら、ひどく楽しそうに笑うナナコ。道々、嬉しそうに瑛士の腕に自分の腕を絡めたり、引っ張ったりする。

 いったい何がそんなに楽しいのかと、瑛士はただただ不可解に思いながらも、怪力なアンドロイドのなすがままに帰路を辿った。

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