第五章⑤ 伝説の戦神……〈幻神災〉。



母とは。



距離があった。


母から𠮟られた事はないが、褒められた覚えも、ない。

信頼し、敬愛の情はあったが 互いに何故か、濃密な関係というモノを築けずにいた。


だから、アユミを猫可愛がる母の姿を目にした時、間接的ではあるが 初めて母 独自の母性を感じ、驚いた事を 覚えている。


翻って、モラ。

姉は、非常に積極的な人だった。


私が私人として、軍人として他者から受ける評価全般。

特に、体捌き……体術や戦闘心得、料理を含む生存技術等の基礎は 姉に叩き込まれたモノだった…。

…そう、とても積極的に 叩き込まれた。


彼女は 母に、心底 心酔し いつも体を張って護衛していたが、娘として必要以上に甘えるという事はなく、それ故だろうか…。


…とにかく 何かに付けて 私に、構おうとして来た。


毎日、毎夜 しっかりした食事にありつけるような幸運などなく、人買いや丁稚奉公などが当たり前に横行し、戦力にも 人足の足しにも為らない児童に 一定以上の教育を施す意義が薄い時期だった。

正直、口減らしに 二束三文で叩き売りされても何も言えない程、人の命よりもモノの価値が数段高い時代だったのだ。


しかし 姉は、私を……私だけを 構い、鍛え上げようとした。

いや、育てようとしたのだ。


それに対して『自然、運命』を尊ぶ〈天壇〉内で、幾度も論争があったのを 幼い私でさえ知っていた。

だが 姉は、素知らぬ顔で 私の育児に精を出し続け、母も見て見ぬフリをしていた。

私の存在が、組織を割る可能性を 大いに孕んでいたにも関わらずだ。


分からなかった。


姉は 狩猟民であるダークエルフ、つまりは〈勇者の一族〉の出身で、その出自に恥じぬ当代きっての戦闘者だ。

そんな彼女が、幾ら母の実子とは言え このご時世に、何らの実績もない子供を構う理由が 全く理解出来なかった。


森や自然との共存を『種の保存』の第一義とする狩猟民では、余程優秀な子供以外は早々に摘果の対象となるし、当然ながら 有望な森資源でも発見されない限り、子作りもしない と聞く。

非常に合理的に、作業として 労力にならない女子供を間引くのだという。

そんな…。


…『極限まで無駄を削ぎ落とす』を 信条とする文化圏から来たはずの姉は、しかし私を構い続け。

幼き 愚かな私は、母以上に慈しんでくれた姉と〈天壇〉を滅ぼす という最悪の災禍を 招いた。


姉は 私に何かを期待したのかも知れないが、今でも それが何なのかは 分からない。

ただ 全てが掌から零れ、霧散したかのような私にも、新たな出会いと 生きて戦い続ける理由は出来た…。


…あった。




「……!?」

何かに担がれ、高速で運ばれている。


ロクだ。

あの凄まじい爆発の衝撃で、私は 一時的に気を失っていたのだろう。


かの『存在』……〈毘沙門クベーラ〉との戦闘でも 彼女の願いは成就されなかった、という事なのだろう。


かの『存在』の 実在はともかく、この世界での〈毘沙門〉という名は、とても有名で特別なモノだった。


『口述 竜討聖欲伝。:偽金の翼竜帝編』……その、古からある童話集の 一節に登場する『橙褐色の狂獣』達の主にして、伝説の戦闘神〈あけの銅〉の真名がそれであったから、という事情もあるが…。


…それより もっと身近で、切実な意味での著名さが 際立つ名称だった。



旧 魔術帝国期。

もしかしたら、それより古い時代からあったのかも知れないが、とある『現象』の発生とそれによる被害が観測されるようになったと、伝えられている。


当初 それは、一見 無作為に発生するとされていた…。

…というよりも、発生条件等の一切が 当時から現在に至るまで 不明のままだった。

他に 発生した事例同士を比較しても、発生のメカニズムを解明する事は出来なかった。


一つだけ確かな事があるとすれば、それを放置すると被害が拡大するという事実のみだった。


それは、かの千年忌戦〈厄〉と並び この世界を苛む最大級の脅威として〈超大陸憲章機構〉最優先の対策対象とされる特殊存在であり、一般には…。


「……〈幻神災レイド〉」


…と呼ばれていた。

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