第五章③『笑顔』の謎と 30%の拳打。



モノがモノだけに、皇国国内法は元より〈超大陸憲章機構〉連盟各国による満場一致の取り決めで 大鳥居の内側への侵入及び一切の資源採掘は、最優先の禁止事項とされていた。


だが『あの日』、あの時には先客がいた。

愚かな私は、普段とは違う状況に興味を持ち その先客達の素性を探ろうと近付き過ぎ…。


…『あの夜』が 引き起こされた。




私設軍の保有、年貢、地代の徴収権等と並ぶ 貴族特権の一つに領主裁判権というものがある。

北部辺境男爵領に於ける刑民両法の捜査、起訴、司法判断、執行等 その全ての権限は領主である北部辺境男爵、下瀬エイジロウにあった。


幼い私でも分かっていた。

皇国では 親族に類が及ぶ連座制は禁止であるが、当てに出来ないご時世だった。

下瀬男爵領の外へ…。

…他の領主司法圏での、捕縛とならなければならない。


他領の特権者達の政争の具にされても、正当な裁きが欲しかった。

自分はともかく、母や姉 〈天壇〉の皆にまで割を食わせたくなかった。


余程 後ろ暗い事が、あの男にはあったはずだった。


そう、あの場にいたのは 大量の武装した青鬼や犬頭鬼、赤鬼共……そして。

北部辺境男爵 下瀬エイジロウ本人と北部辺境領軍らもいて、あれ程 執拗に追い回して来たのだから。



何とか追跡を振り切り、居留地には戻らず 森や坑道等を転々しながら時間を潰し、何だか分からない恐怖心のほとぼりを 私は必死に冷ましていた。

空腹も感じない程 混乱した精神を。


そんな中、次の隠れ家候補に向かおうと とある坑道通用口から出て 既に月が真上を回っている事を確認した私は、居留地の方が明るくなっている事に気付いた。


皇国のみに留まらず大陸各地を巡って来た経験が、私に後悔と絶望を教えてくれた。

だが その後悔や絶望は、私を救おうとはしなかった。

それでも逃げて 何かを為す、という建設的思考など 愚かな私には無かった。


母や姉と共に、この世から消える事しか頭に無かった。



自分でも、どうやって軍の攻囲を仕掛けられているはずの居留地に入り込めたのか分からないが…。

…私が 初めに目にしたのは、水死体のように醜く腫れ爛れた沢山の 鉱山村ドワーフ達と居留地民の死体だった。

そして、その数倍の 敵遺体が山のように 積み上げられていた。


誰の仕業かは すぐに知れた。


姉には まだ、息があった…。


「…か、ぁ様……りが、と…。…これ、で…」


「…姉、さん」

震えが止まらない手で、砕かれ過ぎて原形を留めない姉の手を取る。


「ィマワ、リ?!……良か、た、生きて?、た?」

姉は 潰れた眼球で、私の姿を追った。


私は、強く手を握り返すしか出来ない。


息があるのが不思議なくらいの、酷い惨状だった。

余程の脅威と見做されたのだろう 四肢の骨格という骨格が念入りに砕かれ、かつ かなりの人数の相手をさせられたのだろう…。

…背骨や腰、股関節も全て無残に外れ 一部は皮膚を突き破っていた。


「……ヒマ、ぁリ。母さ、ま。ぁは上様、あは、あっちに……伝、て、……ありが、とぉ、て…」

…そう指差しながら、私の姉は 笑いながら逝った。

間違いなく、笑っていた…。


…嬉しそうに、幸せそうに。



分からない。


世間から 賢者などと持て囃されても、分からないモノは分からないままだ。



私以外で唯一 生き残った母は、私の失態を責めなかった。


姉、モラも責めなかった。



私は 母に モラの素性を尋ねたが、結局 母は答えてくれなかった。


母に対する不信を、一時 募らせた事さえあった。



しかし、その母も 居なくなった。



分からない。




目の前で、ユキナ姉やユージンの心臓を喰らった妖物が 本物のモラなのか…。


…猛烈な勢いで 私に迫る、赤い肌の男が モラなのか さえも 私には分からない。



「30% カミナリパーンチ!!」

横合いからアユミの……いや 愚妹の、そう 愚妹の調子外れの声が聞こえ。


目前まで迫っていた赤い男へ向けて、愚妹が 稲妻を纏わせた拳を繰り出した。


しかし、流石は愚妹。

片腕の上、モーションの大きい突きは あっさり躱され、男は余裕でステップを…。



ガオオオオオォォォ……ン!!!



…ステップを踏んだ途端、白く巨大な滝に撃たれ 男の赤い肌が見えなくなった。

芳醇な焼肉の芳しさが周囲に満ちる。


だが、赤い男は只者ではない。

あれだけの雷撃に耐えた男は炭化し 黒い男となっても、 そして 一瞬 停滞はしたものの 速度を落とす事なく ステップを開始し、間合いを稼ぎ続けようとする。


それを、愚妹が追い掛けようとする様を見た瞬間。

私の 中の、何かが啓かれた。


いつの間にか握り締めていた護符が、掌から零れ…。


ベジンッ!!


「…デゥワ痛ッ……アアアアッ!? 痛タタタ!イタイいたイタイ。な、何コレイタタタタタ!イタイいたイタイイタイいたイタイ‼」

尻と、恐らくは肩を庇いたいのだろうが、我が愚妹ながら奇妙で複雑そうな体勢で尻を押さえ、急にもんどり打って悶え苦しみ出した。


「ふ。あれ程 10%までと言い置いたにも関わらず、実力以上の打撃を行使するからだ 無様な愚妹よ」


何も分からなくても、躊躇いなく敵に突っ掛かろうとした愚妹。

怪訝そうに 私を見上げて来る、その表情が見える。


戦える。



そうだ。

姉の あの笑顔の理由が分からなくても、私は まだ 戦えるのだ。

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