第五章② 紅白蓮華の姉妹と 罪なる無知。



何が、誰が いけなかったのか…?

…そんな事は、分かり切っている。


でも何故? 彼女は…。



…『あの時』の、彼女の顔は……。






「よっ、っと♪…」


容易に腕を取られ…。

…実に 簡単に、土の地面に投げ出される。


「…ォあ?!……ひゥ⁉……!……」


比較的柔らかいとは言え 自らの突進と速度そのままに、地面に叩き付けられては 瞬間的に横隔膜が痙攣し、声無き声が肺の中を 破裂寸前まで充填し尽くす。


ケンカ? 幼児虐待? イジメ?

被害者本人にしてみれば どれも堪ったものではないのだろうが、まだまだ混迷を極めていた当時の世情で そんな平和で暇な事をやっていられる余裕など、皇国の何処にも無い そんな ご時世だった。



私達『天壇てんだんの民』は、一所ひとところに定住せず 移動する事が多かった。

母は、かつて 厄の英雄達と一時 旅をした隠れた英雄の一人だったそうだが、大戦後……〈灰教〉なるマイナー宗教の教主となり、多くの供連れ 100名ほどの信徒らを引き連れて、皇国北部を 転々としていた。


多い時には、月に5度も地域を移転したりもした。

今 思えば、母は 何かから逃げているようにも…。


…または、何かを捜しているようでもあった。




私を、遠慮の欠片もなく『比較的柔らかい』地面に投げ出してくれたのはモラ…。

…モラ=エルローゼ、32歳。


皇国最南端のミナカタ要塞。

その向こう側にあるという『西の妖精郷』出身である、若きダークエルフの女錬金 銃士。

物心つく前に、彼女は もう 私の姉で……母 銀杏の娘にして、秘教〈マンダラ解〉系一派である〈灰教〉信者の一人でもあった。

いつの頃からか…。


…〈紅蓮こうれん〉のモラと呼ばれ、『天壇』唯一にして 強力無比な戦闘者として名が知られるようになっていた。


そんな彼女に、私は 戦闘訓練を受けていた。



「うむ♪ 今日は この辺にしておくか、愚妹よ」

可愛い妹を 約 2 時間に渡って可愛がった姉は、満足そうに言った。


未だ 満足な呼吸も出来ない私を、いつも裸である足で ゾンザイにうつ伏せにしてから 分厚い表皮に覆われた足裏で軽く小突いた途端…。


「…グ、ブハアアァッ?! ハァッ!ハァ! ハァッ! ケハァ…!…ッゼエ! ゼエェ、ゼヘエェ……」

30秒ぶりの まともな呼吸運動を再開した私は、掻き抱くように 必死に新鮮な空気を貪った。


暫くして 気付いた時には、姉の姿は無くなっていた。

大体 いつも、こんな感じだった。


居留地北にある森の中での、いつもの日常。

普段なら、息を整えてから居留地に戻るところだったが…。


…『あの日』 何故か、『アレ』が見たくなった。



『アレ』は、森を抜けた所にある 丘の先にあった。


その丘を越え、皇国北部山岳地帯の山間に現れた結界柱……巨大な朱色のオリハルコンでコーテイングされた赤方偏移光性ミスリル銀カグツチ製の鳥居をくぐった瞬間。


唐突に出現した広大な盆地と、その中央に存する湖…。


…その湖の やはり中心に、周囲の山岳より一段 低い 霊峰 カグツチ島が見え、その広いカルデラ型火口の上空に陣取るは 鈍色の巨大 山脈、のような何かがあった。


ソレは、かの『西方戦役』時に侵入したとされる 超大型浮遊移動要塞……〈鐵塊〉と呼ばれるモノであり、当時の私にとって 大鳥居の麓から眺める その景色は一番のお気に入りだった。


歴史的に、そして 軍事的にも 資源経済的にも重要極まるソレは、大鳥居が形成する戦略級不通結界魔術の効果によって、何人もくぐる事は出来なかった…。


…陛下と、一部の政府高官やコレを施した術者を含む少数の被許可者と、私だけだった。



そう、誰も知らなかった。


私が結界を通れる事実を…。


…この地方、北部辺境領を統治する領主 下瀬エイジロウ男爵でさえも。



当時 8歳の 私も知らなかった。



知らなかった…。



…この状況がどれ程 恐ろしい事か、どれ程の災禍を招くモノなのか。


その罪業を、無智の罪の大きさを。

その余りの重さを…。



…無知の無知、その謙虚なるの尊さを識る賢者の、真なる智慧の偉大さを。

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