第四章⑨ 飛べない〈天馬〉と置き去りの〈少年スライム〉。



 帝人…。

…そう呼称される〈帝政ミネルバ人民会議領〉は、かつて 連邦制を名乗ってはいるが、皇国に比べるべくもない 小さな貧しい共和国鬼人国家であった。


 強力な帝室が擁立される以前、軍閥化した様々なホモ族が 領内の至る所に乱立し、年中争い合っている 領土全域がほぼ無政府状態だった。

 そんな中、共和国政府を細々と運営し 奔走していた角無ナンデルタ族内から突如発生した〈聖帝〉親政と、それらが推し進めた青鬼ゴブリン族・犬頭鬼コボルト族擁護政策を 西大陸で初めて執り行ったという経緯が存在する、極めて特殊な行政運営でも有名な国家だった。


 そして、二大部族擁護政策の一環として 部族主力が、帝人領正規軍 先鋭陸戦団〈鈴生り〉として組み込まれ、重装機械化兵団〈聖騎士団パラダインズ〉と並ぶ 帝人領二大戦闘群の一翼となる。




「……これは、返還交渉が決裂したという理解で宜しいか?…」

 土壁と暗闇の空間に、ヒマワリの声が小さく木霊した。


「…御前様の……三年前の〈帝人〉側との最終交渉後に 摂政宮殿下が下された御聖断であり、先日 陛下が最終的な御裁可を下された作戦です」

 地下壕の暗がりから、木霊も寄せ付けない酷薄な声が返される。


「成程、陛下と剣姫殿下の御勅旨か。ならば、皇国臣民として否も応も無いな…。…ただ…」

 ヒマワリは、首を傾げながら思案顔で 暗がりに問う。


「…ただ?」


「三年前に〈盗み地〉の返還請求交渉が決裂したのなら……事実上の宣戦布告でしょう? 当時 国状が未だ不安定という事で即奪還作戦としなかった事は理解出来ますが…」


「……」


「…何故、『船』……とまでは行かなくとも、〈八咫〉の『神騎じんき』三頭…。…最大でも五頭立て一個編隊の航空支援さえ無いのは、どういう事態なのですか?」


「……それは、南部と皇都の防空と航空監視に」


「勿論、ミナカタと皇都の防衛が最優先なのは承知しております。……が、否 だからこそ〈八咫〉ではなく… …陛下の盾たる庭番衆〈紫〉がよこされているのは、腑に落ちないですな。〈帝人〉の海軍展開力が如何ほどかは知りませんが、最悪 三正面以上での戦闘を 国内で強いられる事態に為りはしませんか…? …まあ最悪、陛下のおわす皇都には『たまたま』皇国を訪れておられたゲンジ卿を始め 英雄揃いの〈連団〉の方々に頼る術が、無い訳では無いですが…」

 一応、臨時とは言え 上官である暗がり……『紅』の言葉を遮り、先程とは反対方向に首を傾げつつ 様々な疑義を呈するヒマワリ。


「……」

 ヒマワリ専用の腰掛けと化し 微動だにしないロクロの方を、ただ黙したまま見詰めるのみの〈紫〉の生き残り。


「…〈神騎隊〉。 対地攻勢装備天馬種ペガサスの一編隊程度さえ こちらに遣せない、という事ですか?…」


「!?……」

 薄紫にけぶる暗がりが息を吞む。


「……あのさ、姉さん」

 隻腕を挙げ、アユミがオズオズと聞いて来る。


「何だ、愚妹よ…」


「…いや、アタシが冒険業者なり立て頃ぐらいからズッと噂になってた、軍の…。… 落馬事故って、聞いた事ない?勿論……天馬種の…」


「…あ。」

 極めて珍しい事であるが、聞いた覚えがあったのかヒマワリが口元に小さな掌をあて赤面しながら、凄まじい勢いで暗がりに振り返る。


「ま、まだ続いていたのですか、あの事故?!」


「い、いや。一月ほど前に、事故は 無くなりました…。…ただ、その…」

 暗がりは言い淀む。


「…ただ、何ですか?…」

 訝しみつつも、先を促すヒマワリ。


「…完全に、我が国の天馬種達は……飛べなくなりました」


「「……な、何だってえ……って、イタい!」って、オゴス!」

 アユミと黒服……白水アタルは同時に驚愕し、同時に 超速で動いたヒマワリの手にするメイスによって 尻とド頭に各々、クリティカルヒットを頂いた。


「ふん。潜伏中につき、静かに驚け 愚妹共」


「こんな腐れスライムと一緒にしないでよ!」

「俺様は男だ、あねさん!」

 余程 腹に据えかねるのか、即復活しダメージ箇所を撫でさすりながら 尚、ブウ垂れ抗議する約二名。


「いや マジな話さ、物理空爆無しじゃ無理ゲーじゃねえのか? 聖騎兵ってな 戦車タンクの事なんだろ?…。…コッチじゃ鋼鉄製兵器って魔術効き難いんだろ? 四、五輌の撃破や擱座とかなら ともかく、この人数で 不当占領軍エンチョーヤロー共の駆逐や北部軍港の奪還が目的の作戦だろ…?」

 黒服少年は そう述べながらも、暗がりから目を離さない。


「人員数が、問題なら…」

 暗がりから 携帯ランタンの緩い灯明の元に出て来た 紅は、ヒマワリを見てから…。


「…この先の村で、多少の増援が期待出来るはずです」

…一度、立ちはだかる様に見下ろしてから 返事も聞かず、奥にある扉をくぐり 通路の闇に溶け消えた。


「ちょ チョット、またあ?……イキナリ何なのよ! 紅さーん?!」

 慌てて、開けっ放しの扉から 紅を追おうとするアユミ。


 そんなアユミを、虚ろに見詰めていたヒマワリは…。


「行くぞ……」

…ただ、それだけを告げて通路に向かう。

 勿論、ロクロに否も応も無く 付き従い。



 揺れるランタンの明かりと供に、広々とした空間に残された黒服の天魔少年アタル氏は、一人 呟く。



「……ランタン 持ってけ」

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