第三章⑳ 代償と〈魔法騎士〉。



どうやら 賭けには、勝ったみたいね…。

…でも。


「………………」



兜の頭頂部から引き出されている、白く緩い三つ編みが 全て解け…。

…濡れているからか、融け出した雪のように川原の一部を 染め上げている。


小さな川原に打ち上げられた、そのヒト型の甲冑は…微動だにしない。


「………………………」


術は 発動した…確かに。


場違いに華やかな、桜色に艶めく自らの全身鎧を見回しながら アタシは 認識する。


金色…というより黄色に『染めて』いた髪色が『黄緑色』に戻っている。

うん、発動している。


確かに 彼女の…轆轤の〈願い〉は〈成就〉されているみたい…。

…ちゃんと〈贄〉は〈歓喜天アレ〉に、『喰わせ』られた。



つまり、右肩から先の感覚が…完全に失せていた。


右腕に触れようと、左手を差し向けると…。


カシャン!!

…カランッ…。


虚しき残響を余韻に、川原の石で跳ねて転がった右肩の暗い顔からは 尚 青黒い〈灰〉が零れ出し…。

…川縁と、川面にまで広がり 散った。



その様子を、アタシが…どんな表情で見送ったのかは 分からない…。


ただ、一部始終を傍らで見る羽目になった姉 ヒマワリの顔には…何とも表現しようの無い、感情の変遷があり…。

…その果てに 彼女が見せたのは、憤怒の相 そのものだった。


姉の その表情…いや 隻眼に宿る感情には、覚えがある。

母の容態を知った日…あの時 アタシは酷く姉を罵倒した。

母がもう助からない…その事実のみを超越者の如く、ただ 淡々と諭して来た時のあの〈眼〉だ…。


より高品質の苦痛を個別に提供するとされる極めてオートクチュールな地獄…〈辺地獄〉。

そんな地獄の奥底で 独り…必死に何かに耐え続けている者の、氷炎みたいな眼光…。


…初めて知った。

現れる表情と 瞳に映る〈想い〉とは、これ程 乖離し得るモノなのだと…。

…あの時の、姉の心情が様々なモノに対する怒りだったという事を…まあ、姉は 認めないだろうが…。



両膝を 川原に着いていた姉は、表情をいつもの調子に戻し…。


「………馬鹿が」

立ち上りながら、それだけを言った。


今のアタシには…。

…姉が発した『馬鹿』の向け先が、アタシなのか、術を受け入れた虫女なのか…。

…それとも 自分を含めた三千世界全てに対してなのかは…分からない。


「…うん。そうだね…」

随分と軽い 元右腕を拾い上げながら、姉の方を見詰めて アタシは答える。


「!?」

緑色の隻眼が、一瞬泣きそうに歪み…歯を食い縛った褐色の肌の残像を残し、背けられる。


こんな事をしておいて何だけど、別段 怖くなかった訳じゃないし…。

…勿論、奪われる事に慣れた訳でもない。


いくら〈大慈〉の女勇者たるアタシでも、これが他者の目に どれ程 無謀に映るのか、想像に難くない。


でも…師や あの女の哀れさから、目を背けられないのだから 仕方ない。


そう、この時から姉とアタシは 本当の姉妹になれたのかも 知れない。





晴れ渡った夏空を見上げてみると、お日様は 中天に達しようとしていた。


色んな やり取りが終わり、一旦 虫女を背負って ミナコ達の居るはずの 街道近くまで戻って来た…。


…けど、もう 限界だわ。


『…ぐぅ~~♪ぐぅ!…ぐぅ!…ぐぐぅ、ぐぐぅぐぅ…~♪…』


もう、爆音と言って差し支えないボリューム感タップリの 腹の虫…。

…それらからの催促が、周囲の木々に木霊する。


「……うういうぅ~…も、もう…もう限界…もう限界…もう、限界なの よ……ぬぅう、もう!…ゲ! ン! カ! イ! なんだけど!?」


そう叫び倒して、振り向いた先の姉は…。


「さっきから 五月蠅いぞ? 全く、口も腹も忙しい愚妹だな…何だ? 腹の具合いが悪いなら、奇声を上げてないで とっとと その辺の草むらで済ませて来れば良かろう。ふ」

…復活した いつもの厨二スタイルで返して来る。


「はあ? 何言ってんの?! アタシ〈女勇者〉がトイレなんかする訳ないじゃん!!…って、違うわよ!?! んな事で 声を上げる訳ないでしょ?! いや 何で、コレの主人である姉さんが手ブラで! 片手の主人でもないアタシがヒイコラ言いながら担がなきゃ為らないのよ!? オカシイでしょ 絶対?!…あと、愚妹言うな !!」


「ふ。何を言うかと思えば…流石は浅慮一番の愚妹。浅い…浅いな? 先程の川の水位よりも浅い、浅過ぎるぞ!? 浅はかな愚妹よ…」


「ただ……『浅い』って、言いたいだけでしょ アンタは!!?」

言いながら アタシは… 空かさず、後ろ廻し蹴りを放つ。


往なされた感覚も無く、空振り…。

…勿論、今のは牽制。


見付けた…。

…既に アタシの右側面に回り込んでいる。


アタシは 虫女を支える左手を外し、本命の…コンパクトな左膝を姉のこめかみに、最短で合わせる。


ドゴ…!


姉は、吹っ飛ばされ…。


「…?!」

…て、いない?

右掌のみで受け止められた?!


「…ふむ。昨夜よりはマシになったか…」


「当然でしょ! この女勇s…」

珍しく 感心した様子の、姉の姿が瞬間 掻き消え…。


…ズ、ビジンッ…!!!


「……!!?…ぃい、痛ああぁあ !!!」

アタシは また…尻を抱えて轟沈する事となった。


「ふ。多少 ヤるようになっても、やはり愚妹は愚妹だな?…倒してもいない、間合いを稼いだ訳でもないのに 油断するからだ」

そんな…背後から、家族とは思えぬ酷薄な碧眼で睥睨している姉の手には、白銀に煌めく 片手持ちの極太六角棍メイスがあった。


「…うぅ。何よ その、撲殺器具は…うぐぐぐ…イッ タ。…ううぅ痛ぁい…」


「日々、胸に 反比例して硬くなる 尻と脳ミソを有する愚妹への『愛の鞭』で、我の手が痛まない為の まあ、当然の処置だ…ふ」

最初から 家族愛という名のオブラートに包む気なんてサラサラ無い、いっそ清々しい侮辱が飛んで来る。


「お、お尻が硬いのは この鎧のせいだから!? 別にアタシのお尻が硬い訳じゃないから!」

女としての 最低限度の沽券を堅守する為 アタシは正当な評価を姉に求める。


「…ふ」

しかし 姉は、前言を撤回する積もりは無いようで…小さく失笑するだけで、完全無視という蛮族も赤面する暴挙に訴えたのだった。


「…そう。…また、ヤルの? …昨夜みたい二、ネエ?…姉サン?」

そう言うアタシの 足元に、白い稲光りが走り始め…。


「…ハッ。〈神〉たる姉に対し、何カ意見デモ?…硬キ尻ノ愚妹ヨ…」


果たせるかな、姉妹双方が構えを取った時…。


「お主ら…また、喧嘩しておるのか?」

突然…その場を支配していた殺伐とした雰囲気とは違う、異質で かつ新たな問い掛けが 溜息と共に混じる。





北部三叉…。


…その近くの、岩場の辺りに戻って来ると…何か青い物体が 広がっている。

ん? 何か、前にも こんな場面を見た記憶が…。


「…済まぬ、アユミ!…と、飛んでもない事態に 巻き込んでしもうた! 」

その青い何か…ミナコは、ひたすらに突っ伏したまま謝罪して来る。


「いやっ…止めてよ ミナコ?! ミナコから借りたこの鎧のお蔭で、結局 無傷なんだから!?」


「…む、無傷って!?…腕は、その右腕は如何がした?!」


「…う! コレは、その……術の制御に、失敗しちゃった~ん♪ てふん♡」

厳しいかも知れないけど…ちょっと、シナを作って誤魔化してみる。


ミナコは、通称〈連団〉と呼ばれる超法規的な戦闘群の構成員だ…。

…〈異界〉からの侵入者を、極端な武断主義で取り締まる〈超大陸憲章機構〉連盟軍 第一軍団 第一師団所属の教導特務連隊…〈『厄』の審問団アウターシーカーズ〉の。


そんな ミナコに、使用の度 身体の何処かを遠慮無く持って行くという 明らかに禁忌級で、かつ正体不明の〈神霊〉に基づく術法を使ったと知られたら…。


「…てふん♡って… いや 利き腕なのじゃろう!?…日常生活は元より、その様子じゃと冒険業者も続ける積もりのみたいじゃが、かなりの不利じゃぞ?!」


「ああ 大丈夫よ、ミナコ。…アタシ、元々〈双剣〉使いとして 左右均等化スイッチ訓練受けてたから利き腕とか無いし…」

未だに目覚めない虫女を 左一本背負いでスマートに降ろしつつ、そう豪語する。


「ぬう。…じゃが 体の重心は確実にズレておるし、両手で行えた事全てを 以降は片手で熟さなければならぬ。当然…〈双剣〉も〈棒状武器ポールウェポン〉も使えんのじゃぞ?…」


「…重心の違和感は、まあ慣らして行けば何とか…それに〈雷霊〉の真名も得たから、これで何とか戦えるわ」

アタシの周囲を同心円で ゆっくり漂う〈金剛杵〉を眺め遣りながら、わざと気楽そうに答える。


「…な?! アユミ、お主!?…真名も知らずに〈霊震〉を使用しておったのか!?」

変な所で 戦くミナコ。


「…へ? いや、まあ…」


「……そうか。仙気は練れているのに 雑兵らと同様の戦い方しか出来なんだのは…そういう…」


「あの~。もしもし?…ミナコさ~ん?」


「…しかし、アユミよ。 あの外法…〈隻牙の象神〉の禍々しき力、今後 絶対…使うでない。良いな…?」

そう言いながら…ミナコは 力無く笑いつつも、アタシと 右肩を 交互に見詰めて来る。


ギクッ!


「…ふん。あれは 早々に 制御に失敗して、我の術で ロクの奴を捩じ伏せたわ!」

空かさず 姉のフォローが入り…。


「………そうか。血相を変えてアユミに追い縋った〈黒き王〉…お主がそう言うのなら、そうなのじゃろう…。まあ、何にしても 今回の件は 済まなんだ」

〈黄金の遺骸〉を たすき掛けに背負ったまま…再び 謝罪する、美しきエルフの女騎士。

かなり…シュールな構図だ。




「ふん。という事で 残る問題は、貴様だ…〈自由皇帝〉」

憎悪…先程まで アタシに向けていたモノとは全く違う、殺意と侮蔑のみで仕上げた切っ先を ミナコに向ける姉。


「…ちょっ、姉さん?!」

無視されんのは 分かってるけど…それでも 友人が、不当に非難されるかも知れない事態を ただ座して待つアタシじゃ…。


…カシャシャ…。


「!?」


姉が 徐に、懐から取り出し…ミナコの前に放り出したのは…。

…〈黄金遺骸〉ゴータミィの手足。


「…この、飛んでもなく未熟で お人好し過ぎる 我が愚妹は、まあ愚妹らしく 何の関わりも無い! それも楯奴隷の! 『一部』とは言え『罪を拭った』!!」

……誉め、てないわよね? 絶対。


「………さて、貴様は 戻らんのか? 主人ラージャに…ゴータミィの〈解放者皇帝〉に……なあ?〈魔法騎士〉」


「………え?…………ええ、え?!…ええええ!?!!」

アタシは、姉とミナコとを交互に 視線を高速移動させる。


「………………………………」

ミナコは 黙したまま、顔を伏せ…微動だにしない。


「…『精霊魔術帝国 土偶王朝』。その〈初代〉にして〈永代〉の〈魔法皇帝〉…ミナコ=H=レイナースよ…」

灰色の断罪者…姉は、一切の曖昧さを許容しない 碧く燃える隻眼で…。



…ミナコに、そう 告げたのだった。

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