第三章① 夢からの覚醒と〈赤きモノ〉。



何か、くすぐったい…。




ほの暗く優しい…灰の中に埋もれている様な、甘美な温もりが、段々 薄れていく…。



……………ぅ…。

……?……微かな 血鉱石ブラッダイトの、香りに混じる…。


…鼻孔が、口の中が…くすぐったいな。

…………………何?…これ。


………!…甘、く…薫る?

…………麝香?



そう、これは楽園の…そして 悪夢の終わりをも 告げる…。


…目覚めの、薫り。





四つの影が、アタシを見下ろしている…。



そして、最も大きな影が…。

「おう、目が覚めたようだな?愚妹よ。フフフ」

偉そうに、そう宣う。


始めに 目に入ったのは、眼前に垂れて来ていた 小さな護符入れ だった…。

それを見たアタシは、思わず 胸元を確認する。


そして 勿論、偉そうなのは 姉………ヒマワリの声なのは 言うまでもない。


「……………」

小面憎いと言うか…その声と内容のお蔭で 体温が高まったのか、急速に視力と意識が戻り始めた。

後頭部に、柔らかさと生暖っかさを感じ…。

…耳の辺りが熱くなる。


…アタシは、何かを誤魔化さなければ という正体不明の焦燥に駆られて、即座に 姉…から顔を背けつつ、他の影を見上げる。

姉の すぐ後ろに見えたのは、まあ……虫女だわね。

それから…姉の正面側から アタシを覗き込んでいたのは、桜色の自由皇帝ミナコだった…。


……って…ミナコ ?!


アタシは、腹筋のみで上体を起こし。

「…ミナコ!…ぶ、無事だったの?!」

と、尋ねる。


「うむ、其方と黒き王…いやさ、ヒマワリ殿のお蔭で 大事ない。しかし、大したものじゃの?…其方の姉君の聖学式治療技術は。」

紫眼を細めながらも…相変わらず、鷹揚に答えるミナコだった。


「良かった…」

自らを 王だの皇帝だの宣ってはばからない、豪胆さ溢るる各々の言と 無事な様子に 心底、アタシは安堵したのだった。


…だったのだけど。


「………?」

……何かを、忘れてる…様な。



「オイ。牛乳うしちちって、何か呼びづれえーな。なら、単に ちちで良いか。あと…あ~オレ様の名前は…」

そう、話し掛けて来た 四つ目の影は…。

…あの男、黒服の青年だった!


「…!?」

アタシは 即座に姉の膝から飛び起き、無詠唱で〈迅雷功〉を起動し…男に飛び掛かる。

しかし、その時…。


アタシの側を、鈍色の疾風が 駆け抜け…。


ドゴオォスッ !!!

銃砲の…炸裂に似た 凄まじい打撃音と共に撃ち出された 弾丸 さながらの初速で、その黒服青年は…吹っ飛ばされた。


優に…10m以上は 俯角の少ない弾道小旅行を強いられた黒服は、キリモミ気味の強硬な弾着後…。

…それでも相殺され難い運動エネルギーとベクトルと重力の摂理によって…何度もバウンドして、ようやく停止した。


まばたき二回分程の わずかな時間に、銃弾とか砲弾とかと同じ扱いを受けるという、虐待…いや、最早 死刑執行と言っても差し支えない極刑を行使された黒服は…。


…やっぱり、生きていた。


そして…。

「…うぐ、おォぅオォォォ…クソ痛てぇ。テメェ…やっぱ〈地獄種ヘルズ〉か…マジかよ?…へッ。ヒ、ヒャハハ ! …んで、一体 何ヤらかしたんだ?……なあ、どんだけ…」

…更に 何かを言い募ろうとした黒服の口元を、容赦なく硬いグリーブの先で蹴り付ける虫女。


「…アギャ!…ギ、ヒャハ!…何!…ヤった、か!…し、知ら!ねえ!…ぅが!ハヒャ!…ふぉレ、ヒャま!…ヒャラ!ヒュクェ…るゼ…」

そこで一旦、颶風の如き連続ヤクザキックが止まり…。

…虫女は、姉を振り返った。


姉は……何かを言うでも無く、黙って 胸の前で腕を組んだ姿勢のまま、鈍色の従僕を見つめ返すのみだった。



呵責かしゃく無き制裁により、ここまで数瞬も掛からずに 判別不能な程 元顔が変形し、前歯が…無惨にも全滅していた。

まあ、多少 やり過ぎの感はあるけど…アタシやミナコに深手を負わせ、恐らく…いや、確実に姉や虫女にも危害を加えたであろう 見たままのゲス男だ。

だから 別段、この黒服男を許す気も虐待も止める積りは無かった…けど。


ただ…そこでアタシは、『ある事』に気付いたのだ。


「……え?!」

そして、アタシは 目を見張る。


その、暴行され過ぎて腫れ上がった黒服青年の、顔面…下半分を覆う…。


………〈赤い色〉の、体液の存在を。

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