第17話 顕現せし暴虐の玲瓏

 集合住宅の影に、隠れるように存在する一つの空き地。草が生い茂り、錆びだらけになって朽ちた何らかの缶や、印刷された文字や絵が、すっかり薄くなってしまって、最早何が書いてあったのか判別できないような菓子の袋などが散らかり、ろくに管理などされていないのが一目でわかる。


 さらにいえば、その空き地を隠している住宅自体が、そこらに転がる空き缶もかくやというほどに錆び付き、人が住んでいるのか怪しいような代物であった。


 近所の子供の遊び場……といえば聞こえは良いが、つまるところ悪ガキの溜まり場となっている。


 とはいえ最早草っ原と言っても過言ではないような場所。ここまでになると、集まるのは泥まみれ、虫まみれになっても意に介さないようなやんちゃ坊主程度のものであった。


 そんな草っ原に、これまたいかにもやんちゃ坊主といった具合の、大柄で小太りの少年とその取り巻きらしき少年二人の計三人、それらに対して、番犬のように険しい表情を浮かべる小柄な少女が一人対峙していた。


 側頭部で結った白くてふわふわの髪、透明感のある大きな瞳、幼さを感じさせる丸い顔の輪郭。普段はそれは穏やかで優しいのだろう。眉間にしわを寄せて唸っている今でさえそう感じさせる少女だった。


 「いい加減にしなさい! そのボールをあの子に返すのです!」

小太りの少年は、頭と同じくらいの大きさのボールを片手で掴み、軽く真上に放り投げてはまた掴み、ニタニタと薄ら笑いを浮かべていた。

「そんなに返してほしけりゃ返してやんよ! おらよ!」

ボールは少女に向かって一直線に、凄まじい速度で向かっていき、乾いた音を辺りに響かせた。


 「イエーイッ! 大命中!」

「おっ? 泣くか? 泣くかぁ?」

少女はうずくまって顔を押さえている。だがしかし、少年らの期待に応えることはなく、むしろ毅然とした態度で立ちあがり、彼らを睨み付けた。その目に涙はなく、あるのは真っ直ぐで力強い輝きだった。


 「こんな……こんなこと……許さない! いや、許してはいけない!」

「へっ! なんだ、ボールをぶつけられて、痛くて頭にきたか!」

「違う! 許せないのは痛みじゃない! 人のものを奪い、人を痛めつけて喜ぶ、その歪んだ心です! あなた方のような者を、『悪』と呼ぶのです! 私は悪を許さない! 善良な人々のために、そして、あなた方自身のために!!」

小さな体に見合わない膨大な情熱が、叫びとなって大気を揺らす。しかし、『悪』とは頑強なものなのか、少年らの心を揺り動かす事はなかった。


 「正義の味方気取りか? 馬鹿馬鹿しい! 許さなかったらどうなるんだよ?」

取り巻きの二人が、そうだそうだ! と、後に続き、少女を挑発する。

「許さなかったら……! こうです!」

少女が手を前につき出すと、手に眩い光が集まり、周囲を強く照らし始めた。


 それを見るや否や、ついさっきまで大将に乗っかって調子の良かった取り巻き達が狼狽えだした。

「あ、あれはまさか、オーバースペック!?」

「あんなちっちゃい女子に使えるのかよぉ!」

「お前ら、あんなちんちくりんの目眩ましにびびってんじゃねえよ!」

リーダーの小太りの少年は、取り巻きとは違って堂々としていたが、その顔には若干の汗が見えた。


 「はあああああああああ!!」

およそ少女のものとは思えない、大地がめくれ上がるのではないかというほどの凄まじい咆哮と共に、掌から一筋の光が放たれた。

「う……うわああああああ……あ?」

少年らは丸くなって防御姿勢を取っていた。しかし結果としてそれに意味は無かった。光線は少年らとは全く関係ない、明後日の方向に飛んでいったからだ。

「……っ!」


 きょとんとしている三人に対し、二発三発と再び光線を放つ少女。しかしその全てが命中することなく、あらぬ方向へ飛んでいく。手はしっかりと前へと向いているにもかかわらず、地面へ、横へ、そして空へ。

「ぎゃははははは! なんだよそのへなちょこビームは!」

「お、脅かしやがって……!」


 リーダーの指示により、取り巻き達は二人がかりで少女の両腕を掴んで拘束する。当然少女は抵抗するが、体格で劣る相手二人から逃れることが出来ない。

「な、何をするつもりですか!」

「お前に本当のオーバースペックってやつを見せてやるよ! ウエイト倍加!」

数歩後ろに下がり、助走をつけて拘束した少女に向かって突撃する。

「必殺ぅ~……百キロタックゥル!!」

多少大柄なだけの少年の体とはいえ、か細い少女からしてみれば凄まじい巨体が仕掛ける体当たり、それもウエイト倍加なる力を使っている。見た目こそ変化は無いが、恐らく体の重量を一時的に増加させるといった能力であろう。それを受けた少女は紙を息で吹いたかのように飛ばされ、倒れ伏してしまった。

「ビクトリー!」

右手を掲げて高らかに勝利を宣言する少年。満面の笑みを浮かべ、小走りで喜びを表現する。


 だがそれも長くは続かなかった。彼らの表情はみるみる険しくなり、笑顔は焦りの表情へと変わった。

「お、おい! お前、卑怯だぞ! 大人を呼ぶなんて!」

少女は大人に助けを求めた覚えなど無かった。しかし彼らの慌てようを聞いて、力を振り絞って体を起こし、回りを確認した。


 すると、背後に誰か立っているのがわかった。自分を痛めつけた少年より、さらに大きな体をした、大人の女性だった。


 研がれた剣のような鋭い眼光、美しくも逞しい四肢、その出で立ちは見るものを圧倒する。そう、この場に現れたのはミントだった。

「まさか、文字通り子供の喧嘩だったとは……おい、さっき空に向かって光線を出したのはキミか? 名前は?」

「は、はい! ゼラです……私の名前はゼラと言います。ビームを撃ったのは間違いなく私です……でも、うまく扱えなくて……こんな……」

ゼラの目には涙が滲んでいた。痛みに屈したのではなく、自分の非力さを悔やむ気持ちが、彼女の涙を押し上げる。

「状況がよくわからないが……とにかく、私はキミと話がしたい。立てるか?」

そう言ってミントがゼラに手を差しのべたその時だった。


 突如舞う大量の砂と土。やんちゃ坊主三人による目潰しがミントを襲う。さらに怯むミントに追撃と言わんばかりに、石やらゴミやらを手当たり次第に投げつける。

「へへっ!大人が来たって俺は負けねえぞ! これでも食らえ!」

ゼラをボールで痛めつけた強肩から放たれたのは、空き缶だった。朽ちて錆びだらけで、泥にまみれ、水が溜まった空き缶が、ミントの頬を掠めて飛んでいく。


 ミントの顔に痛みが走った。しゃがみ込み、頬を擦ると、泥と水、そしてそれとは別の赤い液体がべっとり手袋に付いた。

「よし怯んだぞ! ここで必殺ぅ……!?」

少年らは何かを察した。自分達は、何かとてつもない過ちを犯したのではないか。罪悪感は感じない。感じたことなどない。だからこそ、平然と悪事を行えるのだから。今感じているのは罪悪感などではない。もっと違う何かだった。



 ミントは自分の手を見て、その身に起こったことを理解した。あの子供達が投げつけた、泥まみれの汚物と言い換えて差し支えないものによって頬が切れ、血が出ている。ズキズキと痛む。体が震える。腕を見ると、仄かに虹色の光を纏っているのがわかった。ここでようやく理解した。自分は怒っていると。理解が感情に追い付かないほどの状態。敵は定まった。あれは子供ではない。人間ではない。敵だ。自分を傷付ける、この世で最も存在してはならないもの。いったいどうしてくれようか。


 「なあ。お前ら。いくつだ? 歳はいくつだ? 十一か、十二かそこらか? ええ? そのわりには随分脳の発達が遅れているようじゃないか? ちゃんと学校には行ってるか? 人に物を―よりによってこんな汚物を投げつけろと教えられたか? ……一つ教えておくとな、土とか泥っていうのはな、汚いんだよ。雑菌がいて、感染症の原因になったりするんだ。傷口から入ってくるんだよなあこれが……病気になったらどうしてくれるつもりだ?」


 一歩、また一歩と、ミントは三人の少年に歩み寄る。その目には、眼前の全てを撃滅せんとする殺意が宿っている。

「や……やろうってのか!? こ、ここ、子供相手に、お、大人げないと思わないのかよぉ!」

取り巻きの一人が、足をガタガタと震わせながら、全霊の怒りを剥き出しにしたミントに食って掛かる。

「おおー。大人げない……か。よくそんな言葉を知っていたな。褒めてやろう。だが一点減点だ。お前は一つその言葉について重大な勘違いをしている。それは……」

次の瞬間、一瞬何かが光ったと思うと、ミントは取り巻きの少年の目の前まで迫っていた。一瞬前まで十メートルほどは離れていたはずのミントが何故目の前にいるのか。そんなことを考える間は与えられなかった。

「人に腐った缶を投げるお前のようなクソガキが言い逃れに使うための言葉じゃないってことだ!!」


 憤激と輝きを纏う拳の一撃が、頬を撃ち抜いた。


 あの夜と同じように―

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