初練習にて
ペンが紙面上を滑っていき、彼の契約は締結された。一旦は留学という扱いでイギリスへと飛ぶことになった。母もこれに同意した。
契約内容は1年契約で寮での衣食住はマージーサイドレッド持ちで遠征や交通費などもマージーサイドレッド持ちというものだ。
この話をしたとき、母親は案外ケロッとして「あら、そうなの?頑張ってらっしゃい!」などと言っていたのが印象的であったと、行きの飛行機に乗る将翔は思い返した。
考えてみればあれから弾丸的スケジュールで物事が進んだ。服や荷物の準備、ビザの取得など時間が一気に流れ始めるかのような出来事の連続だった。
その中で中々サッカーも出来ないがゆえに改めて、自分のサッカー愛を感じる期間にもなった。
たったの一週間半の出来事ではあるのだが。
「ふふ、楽しみかね?」
飛行機の旅路も中盤に差し掛かると、スケルディングは尋ねた。
「はい…、でも正直、不安半分です。」
そうやって将翔は答えた。
「誰でもそういう時期はあるよ。だが、せっかくのチャンスなんだ。そういった感情も乗り越えて生かさないとならないよ。」
スケルディングは勇気付けようとした。
しかし、
「はい。大丈夫です。僕は僕と父で作り上げた、このサッカーを信じていますから。」
と将翔は答えた。どうやら不要な心配であったようだ。
この後、到着したリヴァプールは大河に臨む、非常に美しい都市であった。
「ここがリヴァプール…!」
将翔は息を呑んだ。ようやく実感が湧いてきたのもあるだろう。
「あぁ、そうだ。ここが俺達のホームタウンだ。」
スケルディングは答えた。
そんな感情にいつまでも浸ることは許されず、スケルディングの先導の元、将翔はマージーサイドレッドのクラブハウスへと足を運んだ。
ホームスタジアムである、アットフィールドの近くにあるその施設内には事務所、選手育成所、トレーニング施設、サッカーグラウンドが併設されている。
彼らが向かったのはその中の事務所である。
スケルディングはマージーサイドレッドのスカウトマンの中でも、相当実績あるスカウトマンらしく、だからこそ、この独断での将翔の獲得も許可が出たのだった。
そして今から監督と会う予定らしい。
綺麗なホームカラーの赤でデザインされた事務所に入ると、わざわざ監督はお出迎えまでしてくれた。
「やぁ、ユーリー・クラップスだ。よろしく。」
≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈≈
「そうか、そうか。それは急な話だったよなぁ。わざわざありがとうな。」
ユーリー・クラップスはとても温厚で雰囲気は優しい人物であった。彼はFCドルトなどで監督を務め、同じ日本人選手の香取をFCドルトに迎え入れて活躍させた監督でもある。
「いえ、こちらこそよろしくお願いします。」
将翔は緊張気味に答えた。
「香取もそうだったが、日本人はとても礼儀がいいし、ピッチの内外で素晴らしい言動をする。」
「お褒め頂きありがとうございます。」
「うん。だけどね、それはときに遠慮がちであったりとか、停滞的サッカーを生み出すと思うんだ。エゴがある選手は扱いにくいが、火がつけばチーム全体に良い風を吹かせ、良いサッカーを創り出せる。君のことは話でしか知らないが、僕はそんな選手に是非なってほしい。多分、日本もそういった選手を欲しているだろうしね。」
「なるほど…。」
「まあ、とにかく早くトップチームに入ってくれ。スケルディングさんが褒める、君のプレーを是非見たいんだ。」
監督との対面後、育成所に連れられて来た。
屋内とグラウンドに分かれている練習場では、その時には屋内の練習場での練習が行われていた。着いたのが早朝だったこともあり、現在時間は午前11時だ。
「どうだ?準備が済んだら練習に参加してみないか?」
スケルディングは彼に訊いた。
「よろこんで!」
将翔は言った。
部屋の紹介も終わり、昼食も軽く摂った後に将翔は紹介された。
「彼は日本から来た16歳の立花将翔だ。ポジションは…ミッドフィルダーとフォワードかな…?まあよろしく頼むよ。」
と言った具合だった。
そこにいた選手は30名ほどで、共通して言えるのは「背が高い」ということだった。
軽く準備運動をしてから練習に加わった。
練習は今はパスやドリブルの練習に入っており、将翔はパスの練習に加わった。
相手をしたのは同学年のジム・ヒックスだった。
「よろしくな!」
彼はとてもフレンドリーに挨拶してくれた。
パスのやり取りというのは中々ない体験で、ジムのパスの仕方を学び、パスの基本を知った気がした。いや、勿論人よりパスは上手いし、多少は彼の父から教わったものがあったのだが、にしてもの話である。
ジムからの視点はさらに面白いものであった。
自分と同じ割と小柄な体型だったので、声を掛けてみると、中々親しみやすそうだったのでパス練習に誘ってみたら、そのパスはぎこちなさをまとっていたのだ。なんというか、モーションがぎこちないというのか、とにかく違和感さえ覚えた。
しかし、ものの20分ほどのパス練習で既に自分ほどうまくなっている。パスの精度はこの育成所でも5本の指に入る自分と、である。単純に彼は驚きを隠せなかった。これが今習得していようが、そもそもの実力であろうが、である。
1時間ほど経つと実戦形式の練習試合が行われた。チームはランダムのようだ。
たまたま、そのチームではジムと同じチームであった。
試合開始の際には将翔はベンチにいて観戦していた。育成所とはいえ、マージーサイドレッドは強かった。
体の当たり、空中戦、パスなど豪快さと繊細さのマッチと言えるようなサッカーが紡がれていたのだった。
前半終了後には2-0で将翔のチームは負けており、形式逆転の必要があった。
ハーフタイムで、選手間では彼らのチームはパスサッカーに転じていて、中々ゴールへと踏み出せないとの結論には至った。
確かにパスサッカーは時に有効だが、あくまでフィニッシャーが必要なのだ。
そして、どうしようかと選手の中でも考えが纏まらなかったその時、その場にいたスケルディングが言った。
「彼を出してみてくれ。」
もちろん将翔のことだ。彼はまるで「え?俺のこと?」と言いたげな顔だったが。
後半開始時、将翔は4-4-2のミッドフィルダーに当たる4の右ウイングに入った。
開始するとボールを保持したのは味方チームだったが、スペースを潰して、その場でパスをするプレーが目立った。
そして、カウンターを喰らって追加点まで取られた。
後半15分、ボールを持ちながらジムは打開策を考えた。しかし、一向に有効な手段がない。頭を抱えたい気分だった。しかし、視界の右手に将翔の姿が見えた時、彼に賭けようと決めた。
新入り、特にまだ実力のしれない者にはボールは来ない。ましてやスケルディングに出してもらったようなものなのだ。誰も期待してなかったし、誰も意識もしてなかった。
しかし、パスが渡った瞬間、選手、コーチはFC名古屋の時ように度肝を抜かされた。
キツいスルーパスにも関わらず追いつき、足元に収め、ディフェンダーを距離を詰めた。
将翔のピンと伸びた背筋を皆が眺める中、その姿が左に倒れたかと思うと、次の瞬間には右へ爆発的な加速で1人を抜き去った。
2人目のディフェンダーは近づかれると、切り返しとルーレットを応用した併用技で抜き、ゴール前の味方にグラウンダーパスを繰り出した。
そのパスをもらった選手はあとは足で小突くだけの作業を与えられた。
結局、試合には2-3で負けたのだが、将翔のたった一度のボールタッチは他のメンバーの勢いとなり、自身のボールタッチはその後マークがキツくついたため、無かったものの、非常に高く評価された。
そんな将翔は練習後、コーチからこう告げられた。
「3ヶ月後に、トップチーム行きのメンバーが決まる。この中で1人か2人いるかいないかの話だがな。つまりそこまでの期間で活躍出来るかが肝になるんだ。」
マージーサイドレッドはイングランドの強豪。日本人なら入団経験はないし、是非早く入りたかった。また、母親のため、父親のためにも早く結果を残したかった。
「よし、ぜったいに入ってやるぞ。」
将翔は心に決めた。
「そういうプレーだよ、将翔。」
その様子を遠目で見ていたクラップス監督も彼を、彼のプレーをもっと見たいと思ったのだった。
年俸100億円の男 龍撃槍 @DANJOIN6790
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