有限のstella

真黒麟

第1話

「先輩、変な話をしてもいいですか?」

文芸部のドアノブを今まで以上にギュっと握りしめているせいか、手汗が止めどなく溢れ出てしまう。

「うん、いいよ。『実は誰も泳いだことの無いような色をした川を泳ぎました』みたいな面白い話期待してる。」

先輩の適当な返事が遠く聞こえるから、きっと先輩も背を向けて喋っているのだろう

「俺、タイムリープしてるかもしんないんすよ。どちらかというと無限ループに近くて。扉を開けても開けても文芸部に入り直しちゃう感じなんですが」

「いやいや、8週間同じ内容繰り返すテレビ番組じゃあるまいし。」と一笑に付されてしまった。笑い事じゃないのだが。

こちらは真面目に話しているのだが、やはり真剣に取り入って貰えない。この流れも流石に飽きてきたので今回は鎌を掛けてみることにする

「これ原因、センパイですよね。」

時計の針が指すは15時15分。この部室に入ってから1秒足りとも動いていない



「なんで私だと思うのかなあ?自分にも原因があるとか思わない?」

握りしめていたドアノブから手を離すと手汗がひんやりと空気に触れて、ありもしない寒気を感じる。3月末日だが寒さが残っているからだろう。そういえばここに来るまでも不思議なことに雪が降っていたっけ。滅多に雪なんて降らないのに。

「いや、消去法で考えたらセンパイしか居ないんです。

で、何が目的なんですか?」

振り向くと、机の上で腕を組んで如何にも『悪の親玉』みたいなポーズを取ってこっちを見つめてくるセンパイがいる。窓から差し込む夕日だけは、変わらず眩しい。しかし、繰り返せば繰り返すほど日は沈んで来ている。そんな気がしてならない。

「単刀直入に言おう。キミ、ここに残らない?」

ここ、と言うのが、過去に先輩が生徒会に圧をかけたて部員たった2名の過疎状態でも部活として認められたこの文芸部のことなのか、それともこの扉を開けても開けても「15:15の文芸部」を繰り返す今の状況のことなのか。

「そういえば、先輩受験どうだったんですか?」

「質問を質問で返すな、と言いたいところだけど私も質問を質問で返したからね、トクベツに教えてあげる。晴れて春から浪人生だよ☆」

「でしょうね」

自分でも思っていた以上に大きい音で溜息が出てしまう。この人、三年なのに部室入り浸ってたし、何気ない顔で秋の文集にも作品出してたし。

「そういうキミは、この二年間に後悔はないの?」

味気ないガムを吐き出すように、質問を投げかけてきた。思いがけず投げかけられた“後悔”という単語が腹のなかでぐるぐると回って回って感情をかき乱す。

「後悔って、そんな。人間、今日は今日しか生きられないですし、昔のこと引きずってたって時間の無駄ですよ。」

「生きていればそれでいいの?その胸の中に宿る声にならない夢をカタチにしないで生きていていいの?」

声のトーンが徐々に下がって、微かな怒気を感じ取ってドキドキしてしまう。

「何ムキになってるんですか?生きているだけで上等。人間、生きているだけで十分偉いですよ。」

「生命活動なんてエゴの塊。偉いわけ無いじゃん。明日死のうが今日死のうが、何も成せなきな一緒でしょ?」

どうやら地雷を踏み抜いてしまったらしい。未来の私を共に作りましょうとかアルカイックスマイルで平気で言っちゃう系の人だから、本気で怒らせると正直言って怖い。

少し黙って、目線を文芸部の部室に泳がせる。本棚はOBのトンチキな蔵書に溢れている。国木田独歩とか、モーツァルト毒殺伝説とか読みたいものは沢山あったのだが、結局この部室に置かれてる本を全て読み切れないまま引退することになるのか。

「ここに来るまでで、何回もセンパイと話してきたんですけど、必ず『後悔はない?』って聞かれんたんですよね。

でも、後悔してるって言葉自体、先輩自身に投げかけられてる言葉じゃないですか?」

先輩は俯いたままで何も答えない。

先輩が喋らないとこの世界は本当に時間が止まってしまったようで、何か取り返しがつかないんじゃないかって不安に襲われる

「もう一度だけ聴かせて。私と一緒にここで終わらない物語を描かない?」

「なんですか、そのキザな台詞。お断りですよそんなの」

回転椅子をクルッと回して先輩は夕焼けに目を背ける。返事はない

「生きながら死ぬか、死にながら生きるかって言ったら、死にながら生きる方を選ぶもんでしょ。

それにセンパイ。終わらない物語なんてモノは在りませんよ。物語に終わりが無いだけです。」

きっとここで描かれるのは永遠と言う名のお飾りの楽園(ユートピア)で迎える緩やかな終末。矛盾に矛盾を積み重ねて抜け出せなくなった正当化という螺旋。

生者は有限の中で生きられるが、死者は永遠の中でしか生きられない。きっと、そういうことなのだ





「キミはさ、キミはさ、夢も無いまま社会に出て何をするの?這い蹲って泥水でも啜りに行くの?」

枯れた声で先輩は窓に話しかける

「夕飯にならないような夢を抱えて死んでそれでいいなんて俺は思わないですけどね」

「夢を見ずに生きてる方がよっぽど生き地獄だと思うよワタシは。」

センパイは立ち上がって窓に手を触れる。差し込む夕焼けが彼女の瞳を光らせる

「手を伸ばせば届くものがあるのに、手を伸ばさないなんてズルじゃない?

夢には行動が伴うって言うのに、さっ。」

突然先輩は胸を押さえて倒れた。

「センパイ!?」

呼吸が正常に出来ていないようだ。駆けよって気休めでもと背中をさする。

近寄ったことで気が付いたが先輩がこんなにも小さかったとは思わなかった

「苦しいなぁ。誰からも理解されない。評価されない。分かってもらえないんだ、私の文章(コト)を。」

きっと、未だに妬んでいるんだ。あの時のことを。去年の秋の文集のことを

「そんなお金にならない夢なら捨てればいいじゃないですか。死ぬ訳じゃないですし?」

「ううん。死ぬよ。ってもうこの時間には私は川に身投げしてるんだけど」






非生産的なことをしているなんて思わなかった。だって大好きだったから。周りがちょっとばかり生産的なだけだと思っていた。だからいつの間にか生きる速度がズレてしまったんだなと思う。

エゴでしか生きれなかった私は、何も成せず何者にもなれなかった。結局そこまでの人間だったのだ。救われない誰かに為り下がるくらいならと人生をそこで辞めてしまったのだ。

「ここにいる私は、いわば幽霊なの」

「死ぬに死に切れなかった、ってことですか」

「そう、『終わってしまった人生にわざわざ生きる価値は無い』って一時の感情で切り捨てられた『もっと人生に意味を成したい』『もっと認められたい』という私の後悔だけがこうやって世界の癌となって現れているだけなんだよ」

先輩の顔はどこか吹っ切れたように、少し笑みが戻ってきている。吐き出すべきものを吐き出したような。そんな雰囲気だった。

「つまりセンパイは僕の集合認知と、理想を抱いたまま溺死した先輩の亡霊。」

センパイは斜に構えてこちらを振り向いて言った

「そう、概ね正解。キミの後悔であり、ワタシの後悔でもあるってこと。集合認知っていうより、キミの『甘え』だと思うけどな。」

先輩はもう一度立ち上がり、後ろに手を回して意味もなく歩き回る。靴の音だけが規則的に時を刻む

「言っておくけど、私は生き返らないよ。だってもう亡霊なんだから。死んじゃってるんだからね」

こんなにも生気に満ちた幽霊というのも滅多にいないだろう。本当はこんなところで死ななくたって良かったんじゃないのか?




ほんとに一瞬の気の迷いでさ、とセンパイは言い直した。

後期受験の日のこと。ここはあんまり雪が降らないからさ。受験会場は雪が降る地域だったの。前期も私立も落ちちゃったのが結構キてて、そもそも後期までのメンタルもやばかったんだけど、当日雪で電車が遅延したのにびっくりして、ほんとにパニックになっちゃってさ。諦めなければ間に合ったんだろうけどね

うん。受けずに帰って来ちゃったよ。それからずっと自分の部屋に篭ってた。

今日、ほんとに久々に陽の光を浴びて、こっから浪人生としてやり直せばいいって思えるように、この学校に来ようとか思っちゃって。

学校の近くまで来たらさ、今まであったこと。やりたかったこと。できなかったこと。何してたんだろう今までって後悔とか後悔とか後悔が溢れちゃってさ、気が付いたらあの近所の橋の上。

ほんと、気の迷いだよね。


そんな一歩。踏み出さなくて良かったのに。





「そういえば義務教育って凄いよねぇ。どんな高校だろうと水泳のカリキュラムが必ず組み込まれる。不思議だったんだけど、アレ三途の川で溺れないようにする為の配慮ってことなんだよね、きっと。死んでから分かったよ」

「センパイ、三途の川泳げなかったんですか?」

「うん。生まれてこの方お風呂以外で水に浸かった試しがないんだな。ここまで上手く義務教育の網を潜り抜けたのです」

地獄でカナヅチかまして三途の川で溺れて幽霊になる奴が何処にいるというんだ。

「泳ぐのは本当才能なかったんだよねー。」

「才能で、片付けるんですか?」

「まぁ『無い胸は揺れない』って言うでしょ?」

「その無い胸を揺らすのが男の役目ですよ?」

厳密には『無い袖は振れない』なのだが、先輩がネジが飛んだみたいに笑ってるから良しとする。この人が普通に笑ってるのを見たのはいつぶりだろうか。





「私みたいになれとは絶対に言わない。でも、夢だけは死ぬ気で追いかけて。夢も目標もなく今日を消費するなんて、ニンゲンじゃないよ」

センパイはいつの間にか、いつもの部長として小言の多い時の先輩の顔をしていた。

「どうか私みたいにはならないでくれ。私の百倍くらい青い春を謳歌してくれ」

まだ一年ある訳だし。とわざとらしく付け足す。無責任なことを平気で言う。自殺した癖に。

「そしてこんな誰にもなれなかった無様な私を一つの物語として紡ぎ、キミの本棚の片隅にでも置いて欲しい」

これでも文芸部員だったんだからさ、と小言を加える。それはそれは骨の折れる苦行になりそうだ。

「これ以上、野垂れ死んだ負け犬のお説教なんて聞きたかないんで帰りますよ」

堪らなくなって毒を吐いた。帰る準備をしよう。


「あ、ちなみにこの扉n=2k(k€N)の時に部室α(実数空間)と、n=2k+1の時に部室β(虚数空間)に入るようになってて、現実世界(実数空間)に戻りたいなら部室αから、行き止まりの人類史を歩みたいなら部室βから出てね。部室αのドアノブを回す時に『シュレディンガーの猫箱』チェックコマンドが入って同様に確からしい確率で世界(テクスチャ)が切り替わるの。」

「最後の最後で、“文系脳の癖に何でもできるからって理系に行ったら失敗した”って伏線回収しなくていいっすよ」

「あと、ちゃんと家に帰ったら手洗いうがいするんだよ。体調管理には気をつけるんだ。キミも私と同じ体調悪化から精神が弱くなるタイプだろう?」

「あぁ、最後までウザ絡みせんでください。もうやかましいっす」

こんないつも通りの他愛もないはずの会話なのに、一言一言の重みが、心にずしりと響いて今にも涙が溢れてしまいそうになる。そうだ。とっくに死んでるんだぞこの馬鹿(ひと)は。

頭ではとっくに理解してても、心ではいつまでも理解出来ない。

幾度となく拝んだ文芸部の扉と向き合うと心がより一層引き締められる。

「ねぇ、あのさ」

きっとセンパイのことだから。

「本当にここに残る気はない?」

って言うに違いない。それでもこの繰り返しの中でちゃんと答えを見出したから返す言葉は変わらない。だって届かないと諦めた空に瞬く星に、もう一度手を伸ばしてみたくなってしまったのだから。自分の為なのかもしれないし、誰かの為なのかもしれないが。

時間というのは残酷で、楽しかったことも嬉しかったことも、今を過ぎ去ってしまえば全て過去になる。ずっと楽しいままでは居られない。でもずっと苦しい訳でもない。

止まらない限り何かに近付けるというなら、永遠に停滞なんてしていられない。その先に待つのが挫折という名の死であっても歩むことを止めてはならない。

「くどいですセンパイ。もう帰りますよ」

センパイは本当にここに残って欲しいのだろう。でも先輩は止まることをきっと肯定しない。

「そっか」

哀しげな先輩の声が部室に残る。

本当に別れてしまうんだな、これで。これから葬式で死んだ先輩の顔を見るのもおかしな感じだ。そうだ、言いたいことは全部言っておくか、伝わるかは知らないけれど。

「先輩。ここで過ごした二年間は、ちゃんと俺の中で“永遠”でしたよ」

ずっと心残りだった、言いたかったことを言えた。多分間違っていない。

「忘れ物しないでね」

言われなくたって分かってる。ドアノブを回すと時計の針がカチリと動く音が聞こえた




カチャリ、と鍵の閉まる音がした。

外はすっかり真っ暗で、結局あの中でも外の時間は進んでいたことにがっかりした。それでも雪雲は晴れて、月も星も綺麗だった。こういうのは何て言うんだっけ。“浦島太郎”現象とでも言うのだろうか。

歩き出してふと、思い出した。

今日初めて部室に入った時、部室の鍵を職員室から持ってきたのは自分であったこと。それなのに、先輩が先に部室にいたこと。

ポケットの中に手を入れると、銀の鍵が無くなっていた。

気が付けばポケットは空っぽだった。







この本もきっとそう永くは持たない

大半は火に焼べられて、灰になるのが関の山。だって永遠に残るものなんてこの世にないのだから。万物は忘却と言う名の永久の死を迎える定めなのだ。

大切に取っておいてくれる人はそのまま本棚の隅にでも、引き出しの中にでもそっと置いておいてほしい。忘れてしまわないように。

これは、きっと誰かに為り得る貴方に捧げる、誰にもなれなかったものを悼む詩(うた)だ

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