第4話 川辺の水兵

 竜哭峠を越えて、麓の村で一泊したマイクロフトたち一行。

 既に邦を越えてここは辺境伯の領地である。大公さまとの所縁の遠い地であるとはいえ、騎士と聞こえればそこいらの人々は放っておきません。普通このような旅では、身分を偽るものであるが、そこはマイクロフト。開口一番、村人たちを安心させるべく、大公の騎士であると名乗ったのが運の尽きでした。


 さぁ、その言葉に色めきだったのは、村に住む妙齢の女性たち。

 騎士の妻になれば将来は安泰だと黄色い声をあげます。

 かくして村娘たちに言い寄られ、色目を使われ、夜這いをかけられるのを、なんとかして逃げ切った三人の騎士は、一番鶏が鳴く前に村を後にすると、すぐさま竜哭峠の山裾から端を発する川へと向かったのでした。


 途中、それでも追ってきた村娘たちから走って逃げた三人は、これではちっとも身が休まらない、とんだ嫁とりの旅であると、苦笑い。


 また、そんな追手もなんとか巻いた後のこと。

 マイクロフトとオリヴァーは、これまでの人生を女色に溺れて生きてきたと言っていたジョナスが、たじたじと村娘相手に戸惑っていたのをからかいました。人生経験が豊富と彼は言いましたが、女あしらいはてんで素人。まるで箱入り息子ではないかと笑う青年騎士たちに、いやはや、どうも村娘の相手は勝手が分からず困るのだと、山賊騎士は憤慨するでもなく怒るでもなく、あごひげを撫でつけながら、なんとも可笑しな言い訳をするのでした。

 どういう経緯があれば、そのようになるのでしょうか。ただ、なんにしても、マイクロフトもオリヴァーも、ジョナスが見せた村娘への気遣いは、まさしく騎士の規範たるものだと感じていたので、からかいながらも内心でこの男のことを尊敬しました。


 はてさて、川にたどり着いた三人。普段なら川を対岸まで渡す船頭にかけあって、川の下流――王国一の内海まで連れて行ってはくれまいかと掛け合います。

 大公さまから、旅の路銀はそこそこに預かっております。マイクロフトは金勘定はからっきしでしたが、オリヴァーは騎士団を任されるだけあって、その手の交渉事には長けていました。ですので、船頭に、うん、と、言わせるのには、二・三の言葉を交わしただけで十分でした。


 しかしながら、船頭。

 一つ条件をつけてきます。


 ここの渡し守はオラしか居ぬ。オラがここを離れると、荷渡しができなくて困る。船なら予備があるからそれを使って構わぬが、船頭は別に用意立ててくれ。


 さて、困ったマイクロフトとオリヴァーとジョナス。

 三人は旅慣れてはいますが、川を渡る経験はなかったし、船頭をやれるなどという大口はとてもではないが叩けませんでした。真面目な自由騎士に、誠の騎士に、不器用な山賊騎士です。加えて、彼らが今から下ろうとしている川は、内海に近づくにつれて大河となって、水平線が見えるほどの川幅がありました。

 そのような川に、素人船頭が太刀打ちできるはずもありません。おまけに、川守の用意してくれた船は、五人も乗れば身動きも取れない小さいものでした。流れに乗って下るは容易いですが、流れを読み間違えれば、たちまち内海の沖へと流され、戻ってこれぬのは素人の彼らにもわかります。


 どうにかならぬだろうか。

 再び、村に戻って船頭の経験がある者を雇うというのも考えましたが、今度あの村に戻れば、縛り上げられて嫁を娶らされるのではないかと、マイクロフトもオリヴァーもとても首を縦に振ることはできません。ならば、他の村に向かおうかとも考えますが、どうにもこのあたりの地理には三人とも詳しくない。


 ほとほと困りかけていると――馬の嘶きが向こうの岸で聞こえました。


 川を挟んで向こう側はまた違う辺境伯の領地です。そこから早馬を駆って駆けてきた男は、青色の服に身を包んだ、騎士とは少し違う風体をしていました。髪は美しい金髪で、頬は少しばかりこけています。どこぞの商会の勘定役かという感じの男です。しかし、腰にはしっかりと細身の剣を携えています。それはサーベルと呼ばれるもので、東の国から輸入された武器を元に作られた、王国では最新式の剣でした。


 あれは王立海軍の制服だ。そう言ったのは、経験豊富な山賊騎士ジョナス。

 内地戦ばかりで海を渡ったことがなく、また、旅慣れしているといっても、海軍が常駐するような港町には寄ったことのない青年騎士二人には、とても分からぬことです。

 流石はジョナス、世の中のことを知っていると、若い騎士二人は伊達男をまた心の中で尊敬しました。そんな彼らの心の内などつゆ知らず、ジョナスは言います。


 彼ならば、船を操ることができるかもしれない。


 そんなやり取りをしている内に、向こうの岸に止まっていた川守が、青色の服を着た海兵を連れてこちらに向かってきます。黄金の髪を持つ青年兵は、ほっと嘆息してそれから船の中に身を隠すように倒れこみました。

 少し遅れて。

 川岸には黒い服を着た男たちが駆けつけました。彼らは、軽装ですが腰に諸刃の剣を吊るして、悔しそうに青い服の男が乗り込んだ船を眺めています。すぐに川守が詰めている小屋に押し入った彼らでしたが、不幸なことに、あちらの岸には既に船頭が居ないらしく、地団太を踏んでこちらを睨んでいました。


 ふむ、どうやら、あの青年兵は厄介ごとに巻き込まれているらしい。

 この厄介ごとを抱き込んで――内海への船頭を頼むかどうか。


 誠の騎士ではありますが、清濁を併せのむ思慮を持つオリヴァーは考えました。

 同じく、経験豊かなジョナスも、頭の中で損得の勘定をしました。

 ただ一人、マイクロフトだけが――。


 王立海軍ということは彼こそ国に忠義を尽くす男だろう。これも何かの巡りあわせ、ひとつ声をかけてみようではないか。


 こともなげにそんなことを言うのでした。

 誠の騎士も、山賊騎士もそれで腹を括ります。なるほど、忠義の男を放っておくことなどできるはずもない。それでなくても、川向こうの辺境伯は、先の大戦でも真っ先に戦列を離れて、味方を危機に陥れた伯爵でした。大公さまが流れ矢を受けたのも、辺境伯が戦列を乱したからであり、そこに義理立てする必要はありませんでした。


 ゆるゆると近づいてくる船。

 それと入れ替わりに、向こうに待っている黒衣の兵たちを迎えようと、こちらの川守が船を出します。川の三分の一くらいの場所ですれ違ったそれを眺めながら、マイクロフトたちはしばし、金髪の海兵がこちらの岸にたどり着くのを待ちました。


 マイクロフト達の居る岸に船がたどり着いたときのことです。

 ひょいと金髪の青年は身を起こして、背嚢を手にして船から岸へと飛び乗りました。そしてすぐさま川に向かいます。何をいったいするのかと思えば、腰に差していたのとは別――背嚢から彼はクロスボウを取り出すと、慣れた手つきで弦を張り、矢をその先につがえたのです。

 それからは早いもので、膝をついて構えると、彼は今しがた渡って来た川向こうにその先を向けました。すぅと深呼吸。その息遣いは、少し離れた所にいる、マイクロフト達にも聞こえてきました。


 距離にして30間はある川幅です。

 普通のクロスボウならば、15間も飛べばいいものです。とてもとても、彼の弓が対岸で未だに船を待っている、黒衣の騎士たちに届くとは思えません。しかし――。

 神への祈りを呟いて、青色の軍服を着た兵が、クロスボウの引き金を引けば、すわ、それはひゅんと風を切って飛び、あっとマイクロフトたちが声を上げたときには、対岸の黒衣の岸の側頭部を打ちぬいていたのでした。

 狼狽える黒衣の騎士たち。その間に、男はさらに弦を引いて矢をつがえます。逃げる時間も与えずに、もう一矢。神に祈りを捧げて放てば、また、クロスボウから放たれた矢は、対岸の黒衣の騎士の耳の穴へと突き刺さり、絶命せしめたのでした。


 もうあっという間のことでした。

 青色の軍服を着た金髪の男は対岸の黒衣の騎士たちを、次々に恐ろしいまでの腕前で射殺すと、ただの肉の塊に変えてしまったのです。すわ恐ろしい。マイクロフトも、オリヴァーも、目の前の男の弓の腕前に、言葉を失いました。ただ、ジョナスだけが、なんと大した腕だろうと、感心した様子でその顎髭を撫でていました。


 神への祈りの代わりに嘆息が漏れた次の瞬間のことです。


 君たち、悪いが見世物ではないんだ、そのようにじろじろと、私を見るのはやめてくれないか。


 金髪の水兵はマイクロフト達を睨んで言います。怒ってはおりませんが、口ぶりははっきりと不満を告げていました。おそらく、何か大切な任務の途中なのでしょう。でなければ、追手を殺すようなことは彼もするはずありません。

 しかしながら、彼は粗野なだけの兵ではありません。思慮分別もあれば、騎士道も心得ている兵でした。というのも、船の上での私闘は禁止されており、たとえ片方が岸に居たとしても射殺すことはできません。また関係のない船頭を射殺せばそれだけで犯罪です。王立海軍の兵だからと言って、許されることではありません。


 それを知っていて、この男は、対岸の騎士を次々に、船に乗る前に射殺したのです。

 そしてそれが分かるからこそ、尚のことマイクロフトには彼のことが恐ろしい。

 金髪の髪をしたやつれた顔の優男。力勝負ならば絶対に負けないだろうその相手を前にして、マイクロフトは一瞬だけ、恐怖に自分を忘れたのでした。


 そんな様子でしたから、金色の髪の男は背嚢にクロスボウを突っ込むと、立ち尽くす青年騎士たちに背中を向けました。そしてさっさと、彼らを置いて、どこかへ行ってしまおうとしたのです。


 仲間にしようと言い出したのはマイクロフトです。

 彼が、声をかけるのが筋が通っています。

 しかしながら。


 待ちたまえ。


 そう、海兵に声をかけたのは、彼の友たるオリヴァーでした。おそらく、彼もまた、マイクロフトと同じく、目の前の男の弓の腕前の恐ろしさに、内心震えていたのでしょうが、何も言えない友のために、なんとか声を絞り出したようでした。

 はて、なにようか。今度は逆に、言葉に出さず、不満を表情で表して、射殺すような視線を海兵がマイクロフト達に向けました。


 実はこの通り――オリヴァーは金髪の水兵に、ことの次第を説明しました。王都に向かう途上であること。この川を下って、内海へと出ようと思っていること。そのために、船を船頭から買ったこと。しかしながら、川を下る船頭がおらず困っていること。


 どうか、船頭をしてくれないだろうか。見れば海兵と見える。船を操る心得はあるだろう。そしてなにより貴殿は追われている身と見た。この川を下れば、追手を撒くことはたやすいと思うがどうだろうか。


 流石はオリヴァー。船頭を言いくるめた弁舌を振るって、水兵に交渉を試みました。しかしながら水兵は猜疑心の塊のような光のない目を三人に向けて、冷たく言い放ちます。残念ながらそんなものは私は求めていない、と。


 話はそれだけか。ならば私は去らせてもらおう。


 そう言って立ち去ろうとした水兵に、待ったと声をかけたのはジョナスです。オリヴァーでも太刀打ちできなかった相手に何を言い出すかと思えば、彼はどうしたことか、ハルバートを抜いて、水兵の喉仏にそれを突き立てたのです。


 この通りだ。聞いてはくれないか。


 口ぶりこそ丁寧ですが、命を交渉材料にした恫喝に他なりません。これには青年騎士二人、いくらなんでもそれはどうなのかと顔を顰めました。ジョナスの粗っぽさは、峠での出会いからよく知っていましたが、こんなことに及ぶとは思っていなかったのです。

 しかも相手は30間先の騎士を射殺す弓矢の達人。


 待て待て、よさないかとマイクロフト、すかさず二人の間に割って入りました。


 ジョナス。いくらなんでも恐喝するようなことではない。彼には彼の意志があるのだ。それを尊重するべきだろう。すまなかった、先を急いでいるようだったので、よければと思って声をかけたのだ。それならそれでこちらは他に船頭を探そう。どうか気を悪くしないでくれ。


 マイクロフトは熱心に頭を下げました。それは、金髪の水兵の腕が恐ろしいからではありません。彼は心の底からジョナスの行いを申し訳なく思っていたし、水兵に対して余計なことをしたと思っていたのです。


 氷のような顔つきをしていた水兵ですが、そのマイクロフトの誠意の籠った弁に、少しだけ顔色が変わりました。それでもほんの少しだけ、上瞼と下瞼がちょっと開かれた程度でしたが、何やら殺気立った気配は彼の背中から消えました。

 ふむ、と、水兵が反り上げられた綺麗な顎先を撫でます。

 彼は再び目を細めると、真面目な自由騎士をまじまじと見つめたのです。


 その男の斧は私がサーベルを抜くよりも早くこの喉を裂いただろう。どうしてかばう必要があるのか理解に苦しむ。そのまま恫喝して私に船を漕がせればよかろう。


 船の船頭を任せるということは、自分たちの命を預けるということ。そんな相手を恫喝して調達するなどおかしな話だ。船を操れるのが自分だけなのをいいことに、ふっかけられるかもしれないし、沖の岩礁に置いて行かれるかもしれない。なにより、貴殿の意思を、俺は尊重したいと思う。


 また、少しだけ水兵が目を見開いた。それから、彼はぼりぼりとその整った金色の髪を掻いてから、マイクロフトに背中を向けて――彼らが買った船の方へと歩み出した。


 毒気が抜かれた。分かった、船頭をしてやろう。


 水兵は振り返らずにマイクロフトに言われます。マイクロフトの生真面目さは、大公さまも、誠の騎士も、盗賊騎士も絆したものですが、どうやらこの氷のような心を持った水兵の心も溶かすことに成功したようです。ただ、あまりに急の申し出だったので、マイクロフト、どうしていいかわかりません。


 どうした行かないのか、と、船に乗って水兵が言います。

 あぁ、行く、と、それに応えるマイクロフト達。彼らが全員船に乗ると、水兵は本当に手慣れた感じで、船を岸から出したのでした。


 とことこと川の流れに乗って下流――内海のある方――へと流れていく船。

 その途上で、マイクロフトは金色の髪をした水兵の背中に声をかけました。


 そういえば、貴殿は名をなんというのか。


 水兵は振り返らず答えます。


 さぁな。まぁ、仮にウィリアムとでも呼んでくれ。


 ウィリアムか。あい分かった。


 それ以上は、真面目な自由騎士も、誠の騎士も、山賊騎士も、深いことを水兵――ウィリアムに聞きはしませんでした。


 かくして船に乗り、ぶっきらぼうな水兵を仲間に加えて、マイクロフトの嫁とりの旅は続きます。川の流れは、下るにつれて早くなり、揺れは激しくなります。しかしながらウィリアムは、マイクロフト達に背中以外を向けることなく、そして、少しも座礁や転覆の心配をさせることなく、櫂を手際よくさばいて北へ北へと、内海へと川を下っていくのでした。

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