第5話 内海の港
ウィリアムの櫂さばきがたいしたものだったのか。それとも川の流れが速かったのか。
東の海に太陽が沈むより前に、マイクロフトたちは内海の港にたどり着きました。
内海に川が流入するちょうど入り口。船を係留する桟橋が何本かあり、そこに買った船を留めると、そのままマイクロフト達は街へと上がります。
彼らが下って来た川。幾重の川と合流して大河となったそれの中州にできた街は、全体が大きな石垣で囲まれた要塞になっており、桟橋から少し歩いたところに門があります。彼らが上がったところからは見えませんが、内海側には大きな港が整備されており、そこから王都に向かっての船が毎日というほど出ていました。
街に入る金を門前で払おうとするマイクロフト達。そんな彼らを制して、ウィリアムが門兵の前に立ちました。なんといってもウィリアムは海兵です。しかも、地方領主の私兵ではなく、歴とした王立海軍の海兵です。彼の制服を見るだけで、門兵はすくみ上り、そして少し言葉を交わしただけで、彼は街の門を開けたのでした。
さぁ、入ろう。
ウィリアムが訥々と言います。彼が王立海軍の威光を笠に着て、門兵に金を出すのをあきらめさせたのは間違いありません。どうしようかと、真面目な自由騎士、誠の騎士、盗賊騎士は顔を見合わせました。
まず、口を開いたのは盗賊騎士です。
まぁ、路銀が減るのは避けたいところだ。ここは王立海軍の威光を笠に着よう。
待ったと続いて声を上げたのは誠の騎士であるオリヴァーです。
ウィリアムは公務故にいいかもしれないが、我々はただの旅人だ。街に入るのに税を納めるのは当然だし、ウィリアムが一緒だからとそれに甘える訳にはいかない。
融通の利かないことを言うなオリヴァー。
ジョナスが誠の騎士を笑います。
オリヴァーは、今一度この調子のよい、どこか世慣れした放蕩騎士に、騎士が持つべき誠実さとはどういうものか教えてやろうかと、剣の柄に手をかけました。それを見るや否や、待った待った、それは待ったと、ジョナスはすぐさまオリヴァーに頭を下げます。
マイクロフトにさんざ実力を思い知らされた盗賊騎士です。彼は、マイクロフトの親友であるオリヴァーの実力も推して測っておりました。ですので、さっそく彼は前言を撤回し、彼に頭を下げたのでした。なんともその卑屈な態度にオリヴァー、騎士としてより武人として腹を立てました。もしこれが、マイクロフトが認めた男でなければ、迷わず斬っていたのではないかと、そんなことさえ思ったものです。
ですが、なんだかんだと言いながらも、彼の言うことは一理がありました。実際、船を買ったことで路銀は減っておりましたし、街に入る税もそう安くはありません。これから王都に向かう船にも乗らねばならないことを考えると、節約できるところは節約したい。そういうことを考える自分がいないでもありませんでした。
ですから少しオリヴァーは悩みました。
悩んだすきにマイクロフト。彼はオリヴァーの背嚢から、大公さまから預かった、路銀の詰まった麻袋を取り出して、さっさと門兵に税を払ってしまいました。
あっけにとられるほど、それは淡々とした行われました。オリヴァーも、ジョナスも、そしてウィリアムも、それがあんまり自然過ぎて、止めるのが戸惑われました。
オリヴァーに少し目減りした麻袋を渡し、さぁ行こうかと言うマイクロフト。
目をしばたたかせるオリヴァーとジョナス。迷うことなく税を払った彼の真面目さに、今更二人は驚いていました。ただ、ただ一人だけ、目を見開いたまま身じろぎもせずウィリアムが、マイクロフトを見て言いました。
どうして税を払った。
ウィリアムがマイクロフトに問います。
すると、マイクロフト、さも当然というように。
街に入るのだ、税を払うのは当然だろう。
当たり前の言葉を返します。そして、私がいいと言ったのにかと、続けようとしたウィリアムの言葉を遮って、マイクロフトは続けます。
世話を焼いて貰ったのは素直にうれしい。うれしいが、船を漕げない俺たちは、貴殿にここまで連れてきて貰っている。気を悪くしないで欲しいのだが、恩を受けっぱなしというのはいささか居心地が悪い。なので、この好意は受け取れない。なにより、街に迷惑のかかる行いだ。
なるほど、道理は通っている。
納得した感じにウィリアムは頷いた。
オリヴァーとジョナスも、マイクロフトの言葉に納得して、お前がそう言うのならばと、彼の意向を尊重した。
しかし、と、ウィリアム。感情を感じさせない顔を向けて、彼は金色の髪を夕日に輝かせながらマイクロフトの方を見た。
私は船を出してもらった。川を下ることで追手を撒けたことは素直にうれしい。お前たちが私に恩を感じているように、私もお前たちに恩を感じている。
では、船に乗せてもらったのと、乗ったのとで、お相子ではないか。なおさら、貴殿から好意を受ける理由がない。
命を救ってもらった義理がある。
そう言って、ちらりとウィリアムが見たのはジョナスである。なるほど確かに、あの場面で、マイクロフトがジョナスを止めなければ、ウィリアムの命は危うかったかもしれない。
しかし、それを恩と感じるか。そもそも、こちらの不調法で、迷惑をかけたことである。
気にしてくれなくていい。
いや気にする。
こちらが先に迷惑をかけた。
いやそれでも救われたことに違いはない。
真面目な自由騎士マイクロフトと王立海軍の水兵ウィリアム。互いに一歩も譲らぬ押し問答である。なるほど、これで合点がいったと、オリヴァーが一人頷いた。どうしてウィリアムがマイクロフトの言葉に乗ったのか。船頭を引き受けてくれたのか。なんということはない、二人は似た者同士なのだ。おそらく、ウィリアムはマイクロフトに、親近感を感じて協力を申し出たのだろう。
であれば、二人の譲り合いが仲裁なしに解決するとは思えない。
やれやれとかぶりを振って、オリヴァーは二人の間に割って入った。誠の騎士は、真面目な自由騎士との付き合いにより、このような際の始末のつけ方を、よくよく心得ていたのだった。
では、こうしよう。ウィリアム、王都へと向かう船の都合をつけてくれまいか。王立海軍に所属している貴殿ならば、きっといい伝手があるだろう。それで、マイクロフトへの借りはチャラということにしよう。
上手く話に落としどころを付けたオリヴァー。彼の提案に、それならばとウィリアムは納得し、マイクロフトも、流石はオリヴァー良き提案だと頷いた。本当に、よくこの騎士のことを見ているものだと、ひとり蚊帳の外のジョナスは、オリヴァーのことをなんとも頭の切れる男だと見直したのであった。
さて。
そんな訳でこの三人の騎士と一人の水兵は港町の中へと入った。もう日が暮れようとしている刻限である。港に人の姿はなく、仕事を終えた水夫たちが、港から少し入った所にある酒場で、蒸留酒を手にして騒いでいた。
あの騒ぎに混じる気にはなれないなとオリヴァー。
なんだい面白そうじゃないかとジョナス。
宿屋を探そうとマイクロフトとウィリアム。
三対一では分が悪い。男三人、酒場で飲み明かそうというジョナスの提案は却下されて、四人はすぐに宿屋へと入った。村と違って、男に苦労しない街である。騎士も兵もあぶれていれば、色仕掛けをしてくる女もいない。
一部屋貸切って宿を取った四人。旅の疲れを癒すために皮鎧を脱ぐと、筵をひいた部屋で車座になった。店主に頼んで、温めた蜜酒を壺に入れて持ってきてもらうと、彼らはそれを柄が付いていない陶器の器に注いで飲み始めました。
すぐに目が据わったのはマイクロフト。
この堅物の騎士は、戦には強いが、酒にはめっぽう弱かったのでした。
なんだいマイクロフト、酒に弱いのかとジョナスが笑います。命を救ってもらった相手に向かって、その口ぶりはどうなのだと、オリヴァーが一喝しましたが、そういう彼も顔が赤くなっておりました。
まったく白い顔をしているのは、ジョナスとウィリアムの二人だけです。
若い騎士二人は、まだまだ酒というものに慣れておりませんでしたし、そもそも、二人は日ごろ軍務に忙しく、浴びるように酒を飲むようなことなどしていませんでした。それこそ、喉を潤すために薄めた酒を飲む程度です。
ですので、すぐに二人はぐってりと体勢を崩して、壁にもたれるようにして、胡乱な目をし始めました。ウィリアムも、飲むことには呑みますが、こちらは呑めども呑めども顔色を変えません。よほど酒が強いのか、あるいは、そういう訓練をしているということでしょう。そして、どれだけ呑んでもその寡黙さは変わりませんでした。
となると、この四人の中で、もっとも饒舌になるのは自ずと定まります。
さてもさても、嫁とりの旅とはまた酔狂なことをするものだ。マイクロフトよ、いったい誰を嫁にしに行く――と、ジョナスがそんな話をし始めたのです。
オリヴァー、ここで考えます。そういえば、嫁とりの旅をしていることを、ジョナスにもウィリアムにも告げてはいたが、仔細についてはまだであったと。さて、王都に赴き、王女に謁見して振られようなどということを、彼らに告げていいものか。
もののはずみというもので、こうして一緒に旅をすることになった四人です。
それはもちろん、この後から加わった盗賊騎士と水兵が、決して人心の卑しい人間であるとは、オリヴァーも思ってはいませんでしたが、なかなか、それを口にするのは勇気のいることでした。
しかし、マイクロフトにそのような勇気は必要ありません。彼はいつだって、そして誰に対しても、誠実であり、そして、真摯でありましたから、旅の仲間と認めた二人に対して、それを隠すようなことはしませんでした。
実は私が仕える大公さまにはお世継ぎがいらっしゃらぬ。王さまに相談したところ、姫をくださるというので、その夫とする男を立てよと申し付けられた。そうして姫さまの夫として、今、大公さまに指名されたのが、俺とオリヴァーなのだと。
あぁ、どうしてそれを言ってしまうのかとオリヴァー頭を抱えます。
おう、それは面白い話ではないかと、ジョナスが床を叩きます。
ウィリアム、何も言わずに酒をちびりと舐めました。
反応は三者三様ですが、あまり気にしていない二人の新たな仲間の素振りが、オリヴァーを少しだけ安堵させました。
するとマイクロフト。お前は将来の大公さまか。あるいはオリヴァー。お前かもしれぬという訳か。いやはや、なんとも面白い旅に同行することになったものだ。
ジョナスは心底楽し気に言います。ここで、心根の卑しい者であれば、へりくだって、おべっかなど言い出すものですが、そのようなことは彼はいたしません。心底、目の前の生真面目な青年騎士たちのことをおかしく思って、酒をぐいっと煽るだけです。
そんな様子ですから、もうオリヴァーは救われた心地です。
対して、ウィリアムもまた、そのような話があったとは知らなかったと、なんだかどうでもいいような感じで、酒を飲み干し、また新しく壺の中から蜜酒を注ぐのでした。
彼などは、王族の姫が大公に嫁ぐとなれば、それこそ立場として彼らとは主従に近い立場になるというのに、まるでどうでもいいという感じです。本当に、王立海軍の兵なのかと、少しオリヴァーも怪しんだくらいなものでした。
オリヴァー気付けとばかりに酒を煽ります。しかしその途中。
しかし我らは揃いも揃って、姫に振られにいくつもりなのだ。
と、マイクロフトが言ったものですから、気管に酒を入れてしまい大きくえずくことになってしまったのでした。まったくマイクロフトときたら、容赦のないものです。しかしながら、もう既に、蜜酒の一杯ですっかりと酔っぱらってしまった彼には、普段はかけら程度は残っている恥じらいだとか戸惑いだとかいうものが、すっかり消失していたのでした。
間髪入れずにはははと笑い飛ばすジョナス。
ウィリアムは相変わらず酒を舐めています。
二人は、王の姫に振られに行くという、青年騎士たち二人の話を、決して馬鹿にすることはありませんでした。むしろ。そうかそうかと言葉こそないですが、その話をすんなりと受け入れたのです。
オリヴァー、流石に不安になって問います。
不敬だとは思わないのか。
するとジョナスとウィリアム顔を突き合わせて。よいのではないかと、同じ答えを、青年騎士に返しました。二人は歳も顔つきも、背丈も性格も格好も、まるで違っていましたが、まったく同じ声の調子でそうオリヴァーに言いました。
そこから、寡黙なウィリアムは黙りましたが、ジョナスが言葉を続けます。
無理に結婚する必要などないではないか。姫がどうしてもというのならば断われまいが、あちらとて人だ、よほどのことでもない限り初対面の人間を好いたりはしないだろう。むしろ、政略のために結婚させられるなど、迷惑千番な話である。お前たちにも、姫にとっても、それはそうであろうよ。
ジョナスの言葉にオリヴァーは、少し救われた気持ちでした。
というのも、この旅の果てに、もし、姫に万が一にも気に入られ、求婚されることなどあろうものなら、どうしようかと密かに彼は悩んでいたのです。
彼には思う女性があり、そして、顔も知らねば性格も分からぬ姫のことを、愛せる自信など少しもなかったからです。
だから、ジョナスがそんなことは迷惑だと言ってくれたことが、途方もなくうれしくて、少し涙ぐんでしまうのでした。
そんな融通の利かない誠の騎士に、黄色い盗賊騎士は陽気に声をかけます。
オリヴァー。貴殿の大公さまへの忠義には恐れ入る。しかしな、人間、自分の心に従って生きることの方が大切だ。真に自分にとって大切なものがなんなのか。それを守るために自分に何ができるのか。まだ、旅路は長いのだから、それをよく考えてみることだ。
いい加減な盗賊騎士の言葉に思わず考えさせられるオリヴァー。そんな盗賊騎士の隣で酒を飲んでいたウィリアムは、いつの間にか静かに目を閉じ寝息を立てていました。どうやら、顔に出ないだけで、彼も相当酒には弱いようでした。
さて、そんな所まで似ているのか、マイクロフトもまた、いつの間にやらこっくりこっくりと、首をふらつかせて眠りこけておりました。残されたオリヴァーとジョナスは、膝を突き合わせて酒を飲みかわします。といっても、オリヴァーもまた、もう少しで、夢心地の中へと足を踏み入れようという状態でしたが。
ジョナス。そのような生き方が許されるだろうか。私は、人である前に騎士だ。
違うオリヴァー。なんである前に人は人なのだ。自由に自分の信じるままに生きよ。
できるだろうか。
私はできた。そしてしている。
そうか、貴殿はそうだったなと、そう言って蜜酒を煽るオリヴァー。それが最後の一杯となって、彼はそのまま、ジョナスによりかかるように眠りこけたのだった。
やれやれ世話のかかる騎士殿だと、ジョナスが甘いため息を吐き出して、彼をゆっくりと筵の上に寝かせる。この中で、最も年長で、最も世間を知り、最も逞しい男はそして、若い騎士たちを三人床に寝かせると、優しく布をかけて、それから――月を相手に酒宴の続きをはじめたのでした。
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