第3話 竜哭峠の独眼竜

 竜哭峠とは、大公さまの領地と、その隣にある伯爵領との境にある峠です。

 そこは竜の生息地の伝説がある場所――という訳ではなく、竜さえも哭く峻険な山ということで、王国内でも知られた険しい峠でありました。

 あまりに険しい道ですので、大公さまが治める土地に向かうには、峠のある街道ではなく、別の街道を使って大回りすることが一般的です。


 しかしながら、騎士二人は王都への旅を急いでおりました。なにせ、やんごとなきお姫さまへと謁見し、場合によっては大公さまのご領地にお迎えせねばならないのですから、粗相があってはなりません。彼らはお姫さまのお婿さま候補であると同時に、大公さまの意向を伝える使者でもあったのです。


 二人は身軽なレザーメイルを身に着けて、徒歩にて道を急いでおりました。馬に乗ればなお早かろうとは思うでしょうが、なにせ領地の端から端へ、山をいくつも越えての大移動です、早馬を使うにも莫大な金がかかってしまいます。また、むやみやたらと早馬を使えば、何かあったのかと通った土地の領主に誤解を与えかねません。

 ですから二人はなるべく駆け足で、そしてなるべく穏便に、道中を急ぐのでした。


 そんな調子で、竜哭峠に彼らが到着したのは、大公さまのお屋敷を出てから四日後の昼のことでした。


 マイクロフトもオリヴァーも息の一つもあげずに峻険な竜哭峠を登っていきます。目線の先に坂があり、岩がある、そんな道を武器を携え歩くのは、普通の人にも難しければ訓練している騎士にも難しいものがあります。なるほど、これは竜も哭く、二人は顔色こそ変えませんでしたが、当地につけられた名に納得した次第でありました。


 さて、竜哭峠の頂上にたどり着いた頃です。そこから今まで歩んできた道のりを眺め、あぁ、よくぞここまで登ったものだなと息を吐く間もなく、二人の騎士はその山頂に転がっている大岩の上に寝転がり、大の字になって寝ている男に目を奪われました。

 サフランで染めたような黄色い布の服に白いズボン。胸まで伸びる長い髭は頭と同じ栗毛色。顔には茶色い眼帯がぶら下がり、右目が隠されています。はて、赤と緑とまたしても黄色の三色の丸い帽子を被った彼は、大きないびきを上げて、岩の上で眠っていました。


 はて、こんな所に人が何故寝ているのか。

 しかものんびりと、まるでここが自分のねぐらという感じで。

 竜哭峠は峻険な山ですが標高はそれほど高くありません。人が暮らせなくはないことは知っていましたが、このように、峠の上で実際に人が暮らしている姿を目の当たりにすると、二人はしばし言葉を失って顔を見合わせました。


 うん、おう、なんだい、お客さんかい。ぱちりと隻眼の男の左目が開きます。緑色をしたその瞳は開かれればなんとも眉目秀麗で、ともすると野盗にしか見えぬ男が、その瞳一つで何かとてもすばらしい人物のように見えるほどでした。そんな瞳に射すくめられて、騎士二人はぎょっと半歩後ろに下がります。


 さて、こんな険しい山の峠にねぐらを構えるなど、目の前の男が常人でないことは、二人にもよくわかります。この手の峠に巣食う者というのはたいてい、実家を追い出された王侯貴族の三男坊――領地の継承権がないぼんぼんだったり、あるいは、戦がないのにかまけて野盗に鞍替えした傭兵と相場が決まっているからです。

 追いはぎという奴に違いない。二人はすぐに自分の得物――マイクロフトは白樺の槍に、オリヴァーはショートソード――に手をかけて、目の前の男を睨みました。


 しかしながら、一つ腑に落ちない所があります。

 竜哭峠は険しい峠。前にも申した通り、商人たちは隣の国へ行くために、ここを通るのではなく大回りして違う街道を使います。馬を引いて通るのも難儀するような、険しい険しい街道であれば、そう、とても野盗の上りがいいとは思えない。

 こんな所にねぐらを置いて生活できるのかというものです。ですから、二人、武器を構えたはいいものの、すぐさま斬りかかるには迷ってしまいました。


 そんな彼らをくつくつと笑う黄色い男。

 髭を揺らした怪しき男は、ひょいと岩の上に立ち上がると、その陰になっている所から、一本――長い長い大の男の背丈ほどある柄のついた斧を取り出すと、頭の上で江頭を持って、くるりくるりと回して見せました。それから、あっけにとられている騎士二人に向かって、やぁやぁと名乗りを上げたのです。


 我が名はジョナス。王国を流れ歩いて武者修行をする者なり。お主たちのような名のある騎士と果し合い、身ぐるみと栄誉を奪うのが我がなりわいなり。さぁさぁ、今日は二人も騎士が来るとはよい日である。早速、我がハルバートでその肩を、その頭を、その胸を打ち砕き、名誉と金と食料をもらい受けるとしよう。


 なんと黄色い男は山賊。しかしながら、弱き人々を凌辱し、強き相手からはすたこらと逃げる、卑怯千番な輩とは違う、なかなか気骨のある男でありました。

 なにせ、金より、食料より、名誉が欲しいと彼は申すのです。

 名誉を欲するのは騎士の在り方なれば、彼は山賊というよりも騎士のよう。

 その身なりはどうあれ山賊騎士でありました。


 はて、こんな変な男が世の中には居るのだなと、マイクロフトが思わずオリヴァーの方を見ます。するとオリヴァー、お前も私もたいそうな変人であるとばかりに、可笑しそうに笑いました。


 なんだその反応はと、黄色い山賊騎士――ジョナスは岩の上から飛び降りました。そして、腰をためてハルバートを構えると、さぁどちからとその斧が取り付けられた先を向けて、二人の騎士に問うたのです。高貴なる一つ目が、二人の騎士をねめつけます。


 しかし、騎士二人。どちらからでもと、そんな山賊騎士の言葉に、魂の抜けたような返事をしました。これには山賊騎士。流石にいい気がしません。馬鹿にされたかと思ったか、黄色い衣服の中にくつくつと憤怒の赤い顔を混じらせて、ならば、後悔する間も与えぬぞと、えいやとハルバートを振り上げたのです。

 その大上段から振り下ろされる一撃は早く、気が付けば並みの兵士ならば、頭を熟れた果物の如く潰されて、絶命していたことでしょう。


 しかし、相手が悪かった。


 斧が振り下ろされた先はマイクロフト。彼は、半身、その身を躱して左にそれをよければ、すぐに槍を繰り出しました。ただし、穂先を逆に持って、柄を男の顎に向けて。槍の石突がこんと男の顎を叩きます。はっとした顔をして、ジョナスは思わず手にしたハルバートから手を放していました。


 もはや一騎打ちの結果について詳しく述べることはあるますまい。マイクロフト、一瞬にして彼我の力を見抜いた彼は、黄色い山賊騎士の心意気やよしとして、殺すは惜しいと、手加減のひと槍を彼に向かって繰り出したのです。

 その時、山賊騎士の名誉は地に落ちました。

 地に落ち、そして、自分がこの二人と比べるもおこがましい、浅はかな男であるということに気がついたのです。ほろり、涙が目の端からこぼれるのを、マイクロフトとオリヴァーは、なんとも言えぬ表情で見つめました。


 ここで、真に彼が山賊なれば、なりふりも構わずハルバートを振り回し、一合二合とマイクロフトに長柄のその武器を打ち込んでくるところです。しかしながら、山賊騎士は道理を知る男だったらしく、そんな不毛なことはしませんでした。代わりに、彼は頭の帽子を脱いで、すぐに彼らから身を引くと、最敬礼、腰をこれでもかと曲げてつむじを二人の青年騎士へと向けたのでした。


 お若いのになんと慈悲深いこと、そしてお強いこと。このジョナス、この歳になるまで諸国を漫遊し、女色に喧嘩にと際限のない放蕩に耽り、いよいよ世をはかなんではこのような野盗に身をやつしておりました。今ここで、貴方に顎の先を打ちぬかれて、目が覚めた心地でございます。


 これまでの傲岸不遜な態度がどこへやら。ジョナスが口調を正してそういうものですから、マイクロフトとオリヴァーはすっかりと毒気を抜かれてしまいました。もちろん、彼が二人を油断させるためにそんな言葉を言っているかどうかなど、戦慣れし、旅慣れした二人にはよくわかっておりました。ですから、ジョナスが本心から改心し、ハルバートを放り出したのを降伏とみて、二人は穏やかに語りかけたのです。


 いや、そのように頭を下げられるようなことはしていない。

 この男はこれこの通り、真面目一辺倒の男である。その男が、名誉を欲する騎士とみて、貴殿の心意気を買ったのだ。ジョナスとやら、何故、そこまで名誉を欲する。


 二人の青年騎士もまた得物を下げて山賊騎士に尋ねます。

 ハルバートの腕は一等彼らに劣るとはいえ、彼もまた確かに達人。そして、自分たちよりも幾らか人生経験のありそうな山賊騎士に、彼らもまた口調を正しました。


 それはもう山賊と旅人の会話ではありません。

 騎士と騎士の会話でありました。


 ジョナスは顔を上げて涙で晴らした顔を二人に向けました。髭までしとどに涙で濡らした彼は、ただ一言――我が父祖の汚名を雪ぐためにと短く答えます。詳しいことはそれ以上語ろうとはしませんでしたが、どうやらこの山賊騎士には、なにかしらかかる事情があるようだと、二人の青年騎士は納得したようでした。


 マイクロフト、憐れむでもなく、蔑むでもなく、ジョナスに言います。


 もし父祖の汚名を雪ぎたいならば、戦場にて武功を立てられよ。その斧、戦場にあっては多くの首級を上げるだろう。ならば、私のように、大公に取り立てられて騎士となることも難しくないやもしれぬ。


 付け加えるように、オリヴァーも言う。


 この男、かつての大戦にして、ここより南の邦を治める大公さまをお助けし、一代限りの名誉として騎士の位を授かった男である。そして今、嫁とりのために、王都に向かっている途中である。このように、武辺と真面目一徹の男でも、運に恵まれ世に出ることもかなうのだ。貴殿ほどの腕前と意思がおありなら、きっと難しくないに違いない。


 なんと、嫁とりの旅ですか、それは酔狂な。と、ジョナス。

 はげましていたはずがどうしたことだろう。一転して酔狂と称されてマイクロフトとオリヴァー。なるほど、確かに他人から見れば、それは酔狂かもしれぬと、顔を合わせて笑い出した。そして、ジョナス。そのように言っておいた張本人も、なんだかこの二人の明るい性根にほだされて、はっはっはと笑い出したのだった。


 竜哭峠に男三人の陽気な笑い声が響き渡る。

 人通りのないその街道。晴天のみがそれを黙って聞いていた。


 三人の騎士、ひとしきり笑い終えると、再び顔を見合わせる。既に三人の顔から険は消え去って、なにやら不思議と気持ちが通い合っていた。だからジョナス、彼が再び頭を下げると、マイクロフトとオリヴァーはその言葉を待った。


 どうだろう、マイクロフトどの、オリヴァーどの、私もその旅の仲間に加えてくださらぬか。この通り、武の腕前は貴殿らに劣るとも、私には諸国漫遊の知識がある。きっとお役に立てるだろう。


 二人の青年騎士、山賊騎士を旅の仲間に加えるのに、もはやなんの抵抗もなかった。


 是非そうしよう。

 そうマイクロフトが頷いて、すぐさま三人は握手を交わした。


 かくして二人の青年騎士に一人の隻眼の騎士が加わったのでした。

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