第2話 誠の騎士オリヴァー

 オリヴァーは誠の騎士でありました。しかしながら、清濁を併せ飲むことができる胆も持ち合わせている傑物でした。


 ある時、騎士団の老兵が酒に呑まれて村の娘に悪戯した時のことです。

 その老兵は、騎士団内でも名の知られた剣の名手でした。また同時に、酒癖の悪さも有名でした。しかしながら、大公さまの覚えがよく、悪い男ではないだろうと思われていました。

 ですから、娘とその家族が大公さまに泣きついても、きっとなにかの間違い、あるいは娘の狂言だと庇いだてされることは間違いありませんでした。


 また、オリヴァーの父を含めて、多くの騎士団の兵もまた、老兵の剣が怖くてその酒癖の悪さを見て見ぬふりをしました。


 しかしながら、オリヴァーだけは違いました。泣いて請願する村の娘とその家族を前に憤慨し、任せよ私がなんとかしようと、請け負ったのです。

 かの赤い髪が鮮やかな美男子は、村の娘とその家族を村まで送り届けると、そのままそこに逗留しました。そして、気心の知れた女中より譲り受けた椿油で髪を梳かし、白粉を塗って日に焼けた肌を隠すと、村娘に頼んで彼女が着ている襤褸の服を身にまとってそっと村の外に出たのです。


 その夜のことです。

 いつものように酒に酔った老兵が、村娘に悪戯をしようと徘徊しているところにオリヴァーはその姿で現れました。ぎょっとするような美女が現れて、老兵はたいへん驚きましたが、そこは酒癖の悪い彼。理性よりも手が動くのが早かった。すかさず変装したオリヴァーに手を伸ばすと、有無を言わさぬ膂力によって、身を戒めようとしたのです。


 しかしオリヴァー、誠の騎士。

 彼は咄嗟に服の中から隠した剣を抜き放つと、襤褸の服を切り裂いて、ついでに老兵の手首を跳ね飛ばしたのです。ぎぇと叫ぶや、老兵、気が付けば、次に瞬きをするまでの間に肩を砕かれ、顎の先を剣で切り裂かれておりました。

 そうしてようやく自分が抱き着いたのが、あぁ、騎士団長の大切なご子息であったのかと気が付いたのです。


 すかさず平伏する老兵にオリヴァーは、お前のような恥知らず今ここで切り捨てるのも容易い。だが、長年の大公さまへの忠功に免じて、命だけは助けてやろう、どこへなりとも去るがよいと言い放ちます。


 老兵は命が助かるだけでも儲けものと、切られた右手を襤褸布できつく縛り上げると、ひぃひぃと息を切らして野を駆けて、その日のうちに大公さまの邦から姿を消したのです。


 かくして老兵は行方をくらまし、村娘とその家族は大いに喜びました。

 オリヴァーは礼を言う彼女たちに、当然のことをしたまでだと言いました。そして、頑なに礼の品を受け取るの拒みました。どころか、若輩なれども誠の騎士は、大切な服を汚してしまったと、真新しく着心地の良い綿の服を村娘のために用意しました。そして、幾らかの金銀宝石と共に、それを彼女に贈ったのです。


 助けられた者がさらに贈り物をもらう。こんなことがありましょうや。

 これにはたいそう村娘も、その家族も驚きました。

 しかし、誠の騎士が言うには。


 傷つけられた貴方の名誉がこれで回復するというものではありません。けれども、清く正しい心根を持ち、慎ましやかに暮らしていれば、きっと貴方を必要とする人が現れることでしょう。どうかその時までのためにこれをお使いになってください。

 と、やさしい声色で諭したのです。


 さて、このことを知っているのは、ごく限られております。

 彼に助けてもらった村娘の家族、それから彼を幼いころから支える女中と、彼の無二の友にしてこの頃はまだ農奴であったマイクロフトの数名です。老兵が消えたことは、大公さまはさして気にはしませんでしたし、同僚の騎士たちも厄介者が消えたと喜んだものです。また、騎士団長である彼の父などは、去ってしまった老兵について、お前は何か知っているかとオリヴァーに尋ねたのですが、いいえちっとも、逃亡兵などにかまけている時間はありませんでしょうなんてそっけなく言うものですから、それっきり深くは追及しなかったのです。


 オリヴァーはそのように正義を成すための胆力と、人を哀れみ愛する思いやり、そして秘密を守る堅固な意思、最後にすわいざとなれば手段を択ばぬ残酷さを備えた、騎士の中の騎士たる男でありました。


 そんな男が、姫に会いに王都へ向かうと言い出したのです。その言葉に裏があるのは間違いのないことです。そして、今回、マイクロフトを救うために、オリヴァーがそれを言い出したことから、察しの良い真面目な自由騎士は彼がどういうつもりかすっかりと分かっておりました。

 大公さまの館を出て、さぁ、すぐにでも王都へ向かう旅に出ようかというオリヴァーに、彼はおくびもせずに言いました。


 オリヴァー、お前は、旅の途中で私を逃すつもりだろう。


 すると誠の騎士。これ、そのようなことを、こんな場所で言うものではないと、真面目な自由騎士をたしなめました。彼とマイクロフトは同い年でしたが、清濁併せ呑んできた誠の騎士の方が、この際は少しばかり上手でした。


 お前の言うとおりだマイクロフト。旅の途中で、お前は好きな人ができたということにして、どこへなりと消えてしまうがいい。大公さまの跡継ぎだなどと、そこまで義理立てする必要は、お前にはないのだから。


 誠の騎士は言います。

 しかし、それに彼の友人は、馬鹿と、分かりやすく激高して反論しました。

 これには冷静沈着なオリヴァーも目を見開いて唇を一文字に結びます。憤慨はしません。彼の真面目な自由騎士の自由奔放さを、彼はよくよく知っており、そしてその在り方を愛していたからです。そして、きっと彼ならそういうだろうと、オリヴァーも覚悟していたからです。


 真面目な自由騎士は涙を浮かべて言いました。


 それではお前はどうなるのだ。俺は自分だけが助かるような、そんなことは御免こうむる。オリヴァー、お前が本当に、大公さまの跡取りになりたいのであれば、俺は何も言わずにここから去るが、お前はそうではないだろう。


 まさしく親友マイクロフト。彼はよく、オリヴァーの気持ちを理解しておりました。

 彼の心は、幼き頃より共に過ごす、女中へと傾いており、そのことは彼をよく知る身近な人々たちは知っておりました。ただ、女中と面識のない大公さまとお妃さまは、ご存じありませんでした。身分違いの恋です。また女ですからマイクロフトのように一代限りの名誉を授かることも難しい。ですから、もちろん、公の結婚というのは絶望的でした。けれどもオリヴァーは、それでも彼女と添い遂げようと、彼女への愛を貫こうと、硬く決意していたのです。それを親友のマイクロフトが知らないはずはありません。


 しかしオリヴァー。

 大公さまの仰ることだ逆らうことにはいくまいよと親友に答えます。馬鹿と、マイクロフト。本心を隠して耐え忍ぶ、このいじらしい共に対して、心にもない言葉を浴びせました。


 マイクロフトは決意しました。


 であれば答えは簡単だ。俺は逃げぬし、お前も逃さぬ。こうなれば、王都に行って、姫さまにお目通りの末に二人そろって門前払いを喰らおうではないか。

 なるほど、その手があったかとオリヴァー。美しき赤髪の美男子は手を叩き、なるほどマイクロフトお前にしてはよいことを言うと、黒い髪をした精悍な青年を褒めたのです。


 いざゆかん、王都へ。

 姫さまをお迎えに。そして振られるために。

 二人の騎士はそう言って、肩を並べて歩き出したのです。


 女中に別れを告げなくてもよいのかと、マイクロフトはオリヴァーに尋ねました。なに大丈夫だとオリヴァー、よほど彼女を深く信頼しているのか、隣を歩く親友に爛爛たる笑顔を向けて、彼は歯切れよく応えるのでした。

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