3(雨粒の物語)

 エントは昼の平原を歩いていた。その平原は、はるか彼方に浮かぶ雲の平面にまで続いていた。風を遮るものはなく、広大な海原がそのまま固くなって地面となってしまったかのようだった。

 絵の具を乱雑に塗りたくったような緑の中を、一本の土色の道がずっと向こうまで続いている。天まで続くようなその道は、地平の果てで誰かが断ち切ったように途切れていた。じっと見ていると、その向こうから巨人でも顔をのぞかせそうに見える。

 一寸も進んでいないように見えるその景色の中を、エントはただひたすらに歩き続けていた。ひどく喉が渇いたが、水はもうとっくに尽きていた。この先に何があるのかさえ、エントは知らない。彼はただ東へ、東へと進んでいるだけだった。

 もしかしたら、この先には渺茫とした海があるだけで、もうその先へは進めないのかもしれない。あるいは熱に焼かれた砂漠が、人の手の入らない密林が、剣のように鋭い山嶺が待っているのかもしれない。

 うつむきながら、ただ機械のように足を動かすエントの心に、様々な疑惑が去来した。彼は努めてものを考えないことにした。迷いは足を鈍らせ、何より心を弱めた。

 そうして歩き続けるうち、エントの心にはふと、僧院での日々のことが浮かんでは消えた。毎日の勤行や、日課、様々な作法、兄弟子たちとの団欒や、尊い教えのこと。

 その中でエントは、ある老師のことに思いを馳せた。それは僧院の副院長である、オノル師についで年ふりた老人だった。

 ウィタキアたちは、フィージョを心待ちにしている。それは彼らにとって、恐れであり、名誉であり、何より一人前となるために必要な試練でもあった。フィージョを迎えないうちは、ウィタキアたちはいつまでもその場に留まり続けなければならない。そこには変化もなく、成長もなかった。

 副院長であるその老人は、いまだにフィージョを迎えていない身だった。

 僧院の若者たちのあいだには、そのことで老人を軽んじる者もあった。同輩との談話で、わざと老人に聞かすように声高にフィージョについて話をする者もいた。

 だがそんな時も、老人はただ穏やかに、まるで何も聞いていなかったかのようなふりをするだけだった。

 エントは余のこととは知りつつ、老人に尋ねてみたことがあった。あなたがまだフィージョを受けていないというのは、本当のことなのですか?

「その通りです」

 老人はいとも易く答えた。例えどれほどの若輩に対しても、丁寧に話すのが彼の特徴だった。

「しかし――」

 と、エントはかすかに言いよどんでから、言葉を続けた。

「ウィタキアとして、フィージョを受けられないのは、辛いことではありませんか?」

 老人はすぐには答えなかった。彼はまるで、時間が雪のように地面に積み重なるのを見ているかのようだった。

「決して、そのようなことはありません」

 彼は微笑をさえ含んだ穏やかさで言った。

「しかしそれでは、この時の中でいつまでも同じ場所に停滞していることになるのではないですか?」

 と、エントは食い下がった。

 老人はまた、すぐには答えなかった。籠から放した鳥の行方を追うような、そんな間があった。

「私はこう思うのですよ」

 老人は葉が風に揺れるよりも静かに言った。

「確かに、私にはフィージョが訪れていない。私には私を変えるべき機会が、それを望みながら与えられていない。しかし、私は思うのです。もしかしたらこれこそ、私に与えられたフィージョではないのか、と」

 エントはその言葉を聞いて、決して虚勢や欺瞞、弁明ではない老人の言葉を聞いて、ひどく感情を打たれたのを覚えている。フィージョとは決して、胸を飾る勲章や、頭に載せるべき冠ではない。それは心の内にあって、その人物を変えるものなのだ。

 老人の無私なる態度、悠揚たる落ち着きは、それを何よりも雄弁に教えている気がした。

 ――次第に重さを増す足や、痛みを強める渇きの中で、エントはその老人のことを思っていた。決して終わることのない、はじまりでさえないフィージョの中にいる老人のことを。彼の誠実と、不屈を。

 いつのまにか、風は強さを増し、かすかな湿り気を含んでいた。見ると、平原の向こうに濃い緑色の雲が迫りつつあった。空気には先ほどまでとは違った匂いが混じっていた。雨が来るのだ。

 やがて雷鳴と、古の皇帝の到来を告げるファンファーレのような強い風が吹き荒れると、地を穿つ大粒の雨が降りはじめた。

 エントは外套を強く羽織り、フードを深くかぶった。

 雨たちはただの草のように、ただの石のようにエントを打った。長い旅の終わりを、雨粒たちは迎えようとしていた。

「はるか遠い地のことを」「遠い西の国」「南の砂漠」「北の巷間」「私たちが旅したところ」「その旅したところを語ろう」

 雨粒たちはエントに向かって語りはじめた。


 …………


 「私たちはずっと旅をしてきた」「旅をしてきた」「長い時間」「遠い距離」「ずいぶんいろいろなところを旅した」「蟻の群れのような動物たちの大群」「何ものも止めることのできない氷の河」「地に光届かぬ昼なお暗い森」「そして今」「こうしてようやく地面へと帰ろうとしている」「朝露の欠片から」「滔々と流れる大河から」「水汲み女の手にある壷の中から」「私たちは生まれ」「形を成し」「そして一群れの雲となった」「空を旅してきた」「そのあいだには多くの出会いがあり」「そして別れがあった」「私たちは何度も生まれ」「何度も死ぬ」「だが決して」「尽きることはない」「私たちは終わりのない旅を続ける」

 「西の地では」「太陽の沈む先では」「美しい湖に出会った」「そこでは鳥たちが歌い」「喧しく歌い」「多くの獣が水と平和を」「生命の糧を求めた」「湖面は常に」「水面は常に」「鏡のように鎮まり」「まっすぐに凪ぎ」「水は深い底まで」「青く澄んでいた」

 「湖には」「いくつもの渡り鳥たちの」「様々な姿形の」「群れがあった」「彼らは遠い南の地」「はるかな地」「その生まれ故郷を目指して」「旅する途中だった」「湖で羽を休め」「一時の安息を求め」「これからの旅路のために」「英気を養っているところだった」

 「そんな鳥たちの中に」「翼持つものたちのうちに」「一羽の雁がいた」「彼は仲間たちとともに」「同郷のものたちとともに」「南へと帰るところだったが」「その羽を痛めてしまい」「うまく飛ぶことのできない状態にあった」「その傷は」「翼の痛々しい破れは」「ある獰猛な山猫によって」「凶暴な山猫によって」「無残に引き裂かれた」「ものだった」

 「彼は不倶となった」「飛ぶことができなかった」「その羽を使って」「破れた翼を使って」「何とかまた空を飛ぼうと」「報いのない努力を重ねた」「だが」「しかしながら」「いまだ傷さえ癒えぬその羽は」「決して元のように」「彼を空高く」「空遠く」「自由に舞わせてくれることは」「なかった」

 「時がたつにつれて」「季節が移ろうにつれて」「出発の刻限は迫った」「彼の痛んだ羽は」「無残な翼は」「いっこうに彼の意に従うことはなかった」「仲間たちは」「長の友たちは」「そんな彼をただ見守ることしか」「できなかった」

 「やがて」「ついに」「決断の時は来た」「古参であるその群れのリーダーは」「賢い長は」「彼をその湖に」「一時の避難所に」「置いていくことに決めた」「一人傷ついた彼のために」「飛ぶことのできない彼のために」「群れの全体を危険に」「危うい賭けに」「さらすわけにはいかないと」「苦渋の決断を」「必然の選択を」「したのである」

 「これ以上待つことは」「時を漫然することは」「できないという時になって」「群れは彼一人を」「湖に残して」「美しい湖に残して」「再び南へと頭を向け」「故郷の地へ向け」「飛びたった」「ただ一羽」「湖に残された彼は」「孤独に蝕まれた彼は」「しばし虚しく」「意思なく」「羽を上下させ」「力ない声で」「悲しく泣き叫んだ」

 「孤独は」「寂寥は」「彼を弱くし」「生きる力を萎縮させた」「その体を養うことさえ」「空腹に身を焦がすことさえ」「忘れ」「ただ悲痛な泣き声だけが」「悲愴な泣き声だけが」「喉の奥から湧きあがった」「彼は終日」「誰もいない美しい湖の中で」「鏡のような湖の中で」「ただひたすらに」「ただじっと」「打ちよせる寂寞に」「耐え続けた」

 「時がたち」「日が巡り」「彼の傷も形ばかりは癒着し」「治癒し」「少しならまた」「飛べるようにもなった」「彼は悲愴な決意を」「望みのない決意を」「胸にして」「そのままならぬ翼を」「ぎこちない翼を」「打ち振るった」「風は彼を優しく」「悲しく」「持ちあげ」「再び彼を空の上へと」「誘った」

 「久しぶりの空の上の」「そのなじみの場所の」「何と心地よかったことか」「彼は嬉しさに甲高く」「大きく」「一声鳴き」「強く羽を搏った」「速度はうんと上がり」「体は前へと進み」「景色は融けて流れた」

 「だが」「だが」「彼の肉体は次第に」「徐々に」「確実に」「力を失った」「弱った体は」「細く痩せた体は」「必要なだけのエネルギーを」「もう所持しては」「蓄積しては」「いなかった」「傷ついた羽は」「癒えきらぬ翼は」「旅の終わりへと向かって」「ただ力なく」「空しく」「上下するだけだった」

 「彼の体は」「やがて」「避けられぬ結末として」「大地へと向かって」「すべてのものが還るその場所へと向かって」「落ちていった」「彼の体は」「定命のその体は」「静かに」「重さのないもののように」「地へと打ちつけられた」

 「だが」「彼の魂はなお」「不死なる魂はなお」「空を飛び続けていた」「それは」「はるかな距離を」「遠い時間を」「すぐに飛びこえ」「仲間たちの元へと」「親しい友人たちの元へと」「たどり着いた」「仲間たちは」「長年の知己は」「彼の到着を知って」「その魂の来着を知って」「喜びに鳴き」「また悲しみに鳴いた」「――」

 「西の地にある」「太陽の沈む先にある」「美しい湖の」「鏡のような湖の」「それが私たちの見た」「聞いた」「物語である」

 「それから私たちは」「私たちは」「南の地で」「雲の生まれる場所で」「砂に埋もれた」「没した」「古い都を見た」「かつてそれは」「昔日にはそれは」「世にまたとない」「二つとない」「美しい都だった」

 「その都では」「夜毎に」「王宮での」「宮城での」「華やかな舞踏会が」「雅やかな宴が」「開かれ」「美しく着飾った」「貴族たち」「宦官」「淑女たち」「楽士」「踊り子」「道化師が」「いつまでも咲き誇る」「花のように」「舞い続ける」「蝶のように」「その贅を」「競いあった」

 「若者たちは」「命と熱にあふれた者たちは」「意中の相手を射とめようと」「その瞳を太陽のように」「燃える石炭のように」「輝かせた」「その心の火を」「血の中の炎を」「相手にも」「燃え移らせようとした」

 「娘たちは」「恋と夢にあくがれる者たちは」「そんな若者たちを見て」「内心を」「その美しい小箱を」「胸の奥深くに秘めたまま」「あるいは拍手喝采し」「あるいはすげなく冷笑し」「彼らの情熱に」「血潮に」「新たな火種を」「投じるのだった」

 「舞踏会は」「いつ果てるともなく続き」「虹のような幻燈は」「宝石のような光線は」「夜の時間さえ支配せんと」「煌々と」「輝きを放った」「楽士たちの奏でる」「音楽は」「軽快な音階を響かせ」「天国まで届く」「天上まで達する」「階段をさえ」「作りださんばかりだった」「薄衣をまとった」「ヴェールをかぶった」「踊り子たちは」「まるで重さを持たない」「空気のように」「風のように」「舞った」「その手は優美な」「強力な」「軌跡を描き」「その足は」「たおやかな下肢は」「地面と接することさえ」「触れることさえ」「ないかのようだった」

 「テーブルに並べられた」「器に盛られた」「果物はどれも瑞々しく」「色鮮やかで」「遠い異国から」「彼方の土地から」「運ばれた果実さえ」「つい先ほど」「数瞬前に」「庭から捥いできたかのように」「新鮮だった」「香料をふんだんに」「贅沢に」「使った」「料理の数々は」「皿の空になるそばから」「次々に新しいものが」「代わりのものが」「運びこまれた」「背の低い宦官は」「美酒の数々に酔い」「子供のように甲高い」「女のように甲高い」「その声で」「戯歌をうたっては」「人々の笑いを買った」

 「けれど」「しかし」「そんな永遠の宴にも」「尽きせぬ饗宴にも」「終わりはやって来た」

 「辺境から起こった」「彼方の地で生じた」「騎馬民の群れが」「勇猛な戦士たちが」「各地を」「王国の隅々を」「蹂躙しはじめたのだ」「王国の軍隊は」「守備兵たちは」「なすすべもなく」「連敗を重ねた」

 「沈みかけた船から」「人がいなくなるのは」「逃げだすのは」「あっという間のことだった」「人々は我先に」「必死に」「蛮族たちの群れから」「少しでも離れようと」「都を捨て」「歴代の家屋を捨て」「別の土地へと」「名前しか知らぬ土地へと」「移っていった」「繁栄と」「壮麗を誇った都は」「住む者もなく」「寂れはて」「荒れはて」「わずかばかりのネズミが」「小さな支配者が」「人々の残していった」「家を毀ち」「王宮の玉座へと」「座った」

 「見捨てられた都は」「栄華の街は」「長い年月のうちに」「仮借なき時の流れのうちに」「朽ちはて」「崩れ落ち」「かつては月さえその姿を恥じるほどだった」「舞踏会の間も」「絨毯は食い破られ」「カーテンは色もわからぬほど」「汚れてしまった」「耳を澄ませば」「声を潜めれば」「今でも宦官の」「甲高い」「子供のような」「歌が聞こえそうだと」「いうのに」

 「時の流れはやがて」「やがて」「都を押しよせる砂の下へと」「貪欲な砂漠の中へと」「埋没させてしまった」「かつて常世の春を謳った」「栄華を誇った」「美しい都は」「今はもう」「その夢を見ることさえなく」「眠りを覚ますことなく」「虚ろな風音だけを」「響かせている」「――」

 「南の地にある」「雲の生まれる場所にある」「美しい都の」「朽ちた都の」「それが私たちの見た」「聞いた」「物語である」

 「ほかにも私たちは」「北の地で」「長き夜の地で」「多くの人々が暮らす」「数えきれぬ家の建つ」「一つの町を」「旅してきた」

 「それは実に」「幸福な」「明るい」「夜明けのバラのような」「町だった」「人々は誰もが」「日々の暮らしに」「感謝し」「満足し」「神の恵み深さに」「祈りを捧げた」

 「一日のはじめ」「夜の終わり」「ようやく東雲が」「茜の空が」「山の端に差しかかる頃」「朝の早い」「勤勉な」「パン焼きたちが」「夜のあいだに」「暗闇の秘密によって」「ふくらかされた」「パン種を」「さっそく熱い竈へと」「使い慣れた竈へと」「次々に」「運びいれる」「馥郁とした」「芳醇な」「香ばしいかおりが」「町のはじまりを」「包みこむ」

 「それと共に」「時を同じく」「長夜を明かした」「眠りを忘れた」「酒飲みや」「後ろ暗い泥棒たちは」「寝床へと」「帰り」「替わって働き者の主婦たちや」「洗濯婦」「物売り」「近くの村から野菜を持ってきた」「農家の馬車が」「町の道路を」「賑わせはじめる」

 「子供たちの一団は」「見えない髭を生やした」「桶をかぶった」「将軍に率いられ」「元気な喚声をあげながら」「威勢のよい叫声をあげながら」「町を走りまわる」「時々」「気まぐれに」「その辺で見つけた」「目についた」「のろまな野良犬を」「獲物に見立てながら」

 「やがて掃除夫が」「バケツと箒の主が」「陽気な歌を口ずさみ」「大工たちの」「金槌」「のこぎり」「鉋」「その音が」「軽やかなリズムを」「心地よいリズムを」「刻む」「娘たちは恋の噂話を」「罪のない風聞を」「まるで小鳥の囀りのように」「甘く密やかに」「楽しげに大仰に」「囁きあう」「広場では」「軽業師たちが」「旅のからすたちが」「自慢の技を」「踊るようなフィドルの音にのせ」「心弾む音楽にのせ」「見物たちに」「披露する」「荘厳な教会の鐘の響きが」「金属の震えが」「町に」「人々に」「時の移ろいを告げる」

 「日が暮れ」「太陽が衰え」「長かった一日も」「無尽の太陽の恵みも」「ようやく終わる頃」「子供たちは」「幼きものたちは」「また来る明日の約束をし」「温かい夕食と」「家族の待つ」「優しい家路を」「帰り急ぐ」「一日の仕事を終えた」「働きの対価を得た」「労働者たちは」「あるいは愛する者の待つ」「我が家へと向かい」「あるいは気のあう仲間たちと」「連れ立って」「今日という日の」「終わりを遅らせるべく」「賑やかな酒保へと」「明るい酒場へと」「足を運ぶ」

 「家庭では」「家族では」「賑やかな団欒が」「柔らかく夜を包み」「子供たちは」「その日あった出来事を」「いくつもの冒険の成果を」「得意気に」「嬉しげに」「報告する」「その一方で」「男たちのくりだした」「押しかけた」「酒場では」「玉突きの音が」「九柱戯の音が」「空気を」「震わせ」「弾かせ」「その日の稼ぎを賭けた」「カードゲームに」「何度も歓声が上がる」

 「やがて」「いつしか」「教会の最後の鐘も」「鳴り終わり」「夜はゆっくりと」「すべてを癒すように」「更けて行く」「子供たちは」「いまだ疲れを知らないものたちは」「夢の中でも遊びを」「続け」「大人たちは今日の無事と」「明日の幸福を願いながら」「一日の疲れを養分として」「月のようなまどろみを育て」「やがて深い眠りへと」「濃い暗闇へと」「落ちて行く」「――」

 「北の地にある」「長い夜の支配する」「幸福な町の」「安閑な巷の」「それが私たちの見た」「聞いた」「物語である」


「そうして私たちは」「東の地で」「太陽の昇る先で」「一つの流れる」「生きた」「黄金色の星が」「光をまとった星が」「地に墜ちるのを」「見た」

 エントは雨たちの言葉に足をとめ、篠つく雨に向かって問いかけた。

「お前たちはあの星を見たのか? 世界を巡る大いなる旅人よ」

「私たちは」「私たちは」「確かに」「それを見た」「聞いた」「眩い光が」「空を赤熱させ」「光輝を放ち」「夜を切り裂いて」「闇に傷痕をつけて」「この地上へと」「降りてくるのを」

「それなら是非、教えて欲しい」

 と、エントは大声で叫んだ。

「その星とはどのようなものだったのか。また、どのような理由でこの地へとやって来たのか」

 雨たちはしばらくのあいだ何も答えなかった。無数の滴が地を打つ音だけが、淡彩の音楽を奏でていた。

「それは」「私たちには」「与り知らぬこと」「関わらぬこと」「私たちはただ」「ただ」「見る」「聞く」「だけのもの」「物事に」「意味を綾なすのは」「物語を読みとるのは」「お前たち」「人の仕事」

 エントはなお、フードの下から顔を上げ、雨たちの真意を読みとろうとした。だが雨たちはもう、それ以上の言葉を語ろうとはしなかった。黒雲はいつのまにか薄墨色へと変わり、雨足は急速に衰えつつあった。

 雨たちはその長い旅を終えたのだ。あるいは、次の旅をはじめたのか……

 乾いた南風が吹きはじめ、陽光と蒼穹が再び空へと戻ってきた。風は塵でも払うようにして、わずかに残った雲たちを西へと追い散らそうとしている。

 エントがフードをとり、ふと道を振りかえってみると、そこにはたった今生まれたばかりの虹が、燦然と輝いていた。

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