2(紫水晶の物語)

 フィージョには多くを持っていくことは許されない。エントはオノル師と別れると、そのまま旅路へと着いた。僧院の親しい仲間にも挨拶せず、荷物を調えることさえなかった。

 白い頭巾にいつも身につけている粗末なチュニック、ややくたびれた外套というのが、エントの格好だった。季節は初夏の頃とはいえ、朝晩にはまだ肌寒かった。ろくな旅支度もなく、路銀さえ持たず、朝食のあてさえなかった。向かうべき先を示す地図さえ持ってはいない。

 だがフィージョとは、それがはじまったときから、すべてをあるがままに委ねることでもあった。

 星の流れた場所、東の地へと向かうのが、今のエントにとれる唯一の行動だった。彼は何度か訪れたことのある村で、厚意にすがって食事をもらい、簡単な旅支度を詰めた旅嚢さえ用意してもらった。

 ウィタキアがそのように卒然として漂泊の旅に出ることを、人々は知っていたのである。

 エントは深謝して、自分からは何も与えられないことを詫びつつ、村から出発した。ただ東へ、東へと向かうため。

 そうするうち、街道は平野の道から外れ、エントは山道へと入っていった。夜はようやく明けはじめたばかりで、山あいにはまといつくような白い霧が漂っていた。エントは途中、杖の代わりになるような棒を拾い、川音と杖先の感覚を頼りとして道を進んでいった。

 少しして、エントは奇妙なことに気づいた。霧を透かして見える木々の緑や、岩場の灰色といったもののほかに、目を引きよせるような鮮紅色が現れたのである。その色はまるで、たった今誰かがそこで血を流しているかのようだった。

 エントは不審に思い、杖を突きながら谷川のほうへと降りていくことにした。岩場を慎重に這い進み、川の流れへと足を沈めた。水は切るように冷たく、一瞬頭が痺れるほどだった。

 色の本源を求めて行くと、谷川の淀みとなったところに一個の紫水晶が沈んでいた。血のような紅は、その鉱石から流れだしているのだった。

 エントは流れの岩場に腰かけ、その紫水晶をのぞきこんだ。それは実に見事な水晶だった。精緻な金細工で装飾され、その輝きには一筋の瑕疵さえも見あたらなかった。ちょうど、高貴な魂が決して汚れを知らないかのように。

 その紫水晶は、エントに向かって語りはじめた。


 …………


「ああ、悲劇だ、悲劇だ。

 何という悲劇だろう、これは。

 私に染みついた血はいくら洗っても落ちることはない。それはあまりに深く、私の内側まで入りこんでしまった。その血を洗い流すためには、新たな傷口と、新たな血が必要とされる。

 はるか北の地、一年の半分が雪に閉ざされる地で私は見つかった。鉱山の奥深く、一度も光を見たことのない、重さのある暗闇の中で私は眠っていた。それは長い眠りだった。そして平和な眠りだった。激しい熱と圧力が私のはじまりにあり、それらが静かに収まっていくにつれ私の肉と骨は作られた。

 ああ、今思えばそれは何という寂静であり、完全な世界だったろう。私を傷つけるものはなく、私が傷つけるものもいない。静けさだけが友であり、暗闇だけが語り相手だった。

 だが、ああ、だが何ということだろう。私の久遠の眠りは破られた。繊細な暗闇たちは粗暴なランタンの明かりによって皆殺しにされてしまった。鉱夫のつるはしが岩を砕き、私の寝床を粉々に破壊してしまったのだ。

 私の姿を見たその鉱夫は、一瞬にして私の魅力の虜となってしまった。私ほど見事で、美しい水晶を見たことがなかったからだ。彼はとっさに私をぼろ切れの中に包み、何食わぬ顔でそれを自分のものとした。

 彼は一人でいるときにはよく、私を取りだしては飽きもせずに眺めた。そして私がいかに貴く、また優美であるかを語った。彼は次第に私を眺めることに溺れ、仲間とのつきあいも遠くなっていった。

 ある日のことだった。柔らかな雪の代わりに、重く冷たい雨の降る一日だった。その日は朝から不吉な空気が漂っていた。勘の鋭い者は仲間たちに警戒を呼びかけた。だが、彼はそれを聞かなかった。彼が考えているのは、私のことばかりだった。

 そして運命が彼を襲った。鉱山で大規模な落盤が発生したのだ。ほとんどのものは前もってその事故を逃れた。だが彼は――彼は最後まで気づかなかった。自分が最初から死に憑かれていたのだということを。

 何ヶ月もたってから、彼の遺体は掘りだされ、私もまた逃れられぬ運命の渦中へと連れ戻された。運命は彼を見逃さなかったが、私のことも放っておくつもりはなかった。それはまだ多くの血を欲していた。

 私は鉱山にほど近い町の、ある職人の元へと預けられた。それは年老いた、盲といってもいいような白髪の老人だった。

 彼はその霞んだ目のかわりに、それよりはるかに優れた手を持っていた。彼は私に三度ほど触れただけで、私の価値と、何よりその呪われた運命について覚知した。あるいはそこで、私は微塵となって砕かれるのがよかったのかもしれない。少なくとも彼は、一瞬とはいえ自分がそうすべきだと思ったのだ。

 けれど結局のところ、彼は私をハンマーで打ちつけるようなことはなかった。彼が何を思ったのか、私にはわからない。それは職人としての性だったのか、己の運命を受容する諦念だったのか。

 彼の手によって、私はより美しく生まれ変わった。自然が作りだした荒削りの私の姿態は、より精密で合理的な形象へと昇華された。私をひきたてるための金細工が施され、私は一つの星の輝きを凌駕するほどになった。

 だがもちろん、神にも似た術技を振るおうと、その老職人が運命から逃れられるわけでもなかった。

 噂を聞きつけた盗賊どもが、ある夜、彼の家へと押しいったのだ。空がその惨劇を嘆くような、ひどい嵐の日だった。物音は一切が風の音によってかき消された。憐れな老人は最初からそうなることを知悉していたかのように、従容として凶刃に倒れた。

 目的をはたした荒くれどもは、嵐のおさまらぬうちに町を遠く離れていった。彼らは森の奥深くにある隠れ家へとやって来ると、さっそくその夜の上首尾を祝いあった。

 だが、ああ、だがその夜に運命が欲したのは、罪のない老人の血ばかりではなかった。それはもっと多くの、罪ある血をも流れることを欲したのだ。

 宴はいつまでも続き、盗賊どもは酒と肉をたらふく飲み食いした。そして今夜の成果を確かめあった。色とりどりの金銀宝石、その一つでもあれば、一生を安閑として暮すには十分な逸品ばかりだった。

 どの男も、その真の価値など知りもせず、ただその輝きがもたらすはずの金貨にだけ思いをはせていた。彼らにとって、宝飾品とはあくまでそうした価値しか持たなかった。その瞳は盲の老人よりもなお、暗きものだった。

 だがその中にあって一人、じっと私を見つめる者があった。まだ若い、瞳の奥にかすかな光を残した若者だった。彼はほかの宝石には目もくれず、ただ恋する者のように私を見つめていた。

 やがて、はてもなかった騒ぎも収まり、盗賊どもは眠りにつきはじめた。私はとても分相応とは言えぬずた袋の中に放りこまれ、小屋の壁へとかけられた。これからやって来る運命を、私は密かに恐懼していた。

 は、実に静かに、密やかに行われていった。寝入った盗賊どもは、鋼の刃で声もなく喉を切り裂かれていったのだ。一人、二人――誰にも気づかれることなく、着実に――三人、四人。

 だがしばらくして、ある男が異変に気づいた。その頃には木の床が、流れた血でべとつくほどだった。男はすぐさま叫び声を上げ、仲間たちに警戒を呼びかけた。

 犯人はすぐさま露顕した。もちろんそれは、例の若者だった。彼は私を自分一人のものとすべく、仲間たちを皆殺しにするつもりだったのだ。

 同士討ちはしばらく続いた。若者によって盗賊たちは半ば以上を殺害され、嵐にあってさえ血の臭いが鼻をつくほどだった。夜の闇は禍事を祝福していっそう濃くなり、どこからか不吉な笑い声が聞こえてくるようだった。

 狂った若者は捕えられ、木の枝に吊り下げられた。それから世にも恐ろしく残虐な方法で、彼は解体され、ほとんど原型をとどめぬまでにその体はばらばらにされた。そうして殺戮の罪を贖うために、新たな殺人が重ねられたのだ。

 残った盗賊どもは、この苛烈な運命を招いた元凶として、すぐさま奪ってきた宝石を処分することにした。彼らはほとんど商人の言い値によって私たちを売却した。商人は不思議がったが、彼らにしてみれば一刻も早く厄介払いをしたかったのだろう。

 こうして私は三度、持ち主を転変させ、とある商人のものとなった。彼は表向きはまったく誠実そのものといった商売人だったが、盗賊からそれと知りつつ物を買いとるなど、裏ではまったく油断のならない行いをしていた。

 彼はさすがに十分な目を持っていたので、数多の宝石の中にあっても、すぐさま私の価値に気づいた。彼はしげしげと私を見つめ、そして断崖絶壁でものぞきこんでいたかのように目を離した。老練な商人としての勘が、目前に広がる酷薄な運命をかいま見せたのだろう。

 濡れ手に粟というべき取り引きではあったが、彼は不吉な予感をひしひしと感じとっていた。すぐ後ろから、影のようにひっそりとして危険な何かが迫っていることに、彼は否応なしに勘づいていた。訳もなく湧きあがる汗や、夜明けに見る黒い夢がそれを告げていた。

 手に入れた宝石たち、中でも特に私とは、できるだけ早く縁を切るべきだと彼は考えた。とはいえ彼は商人であって、何よりも損というものを嫌った。内心ではすぐにも道端へと私を投棄してしまいたかったのだが、彼の性と、そして何より運命がそれを許さなかった。

 ほどなくして、彼は私を処分するための格好の機会を見つけだした。彼が旅した先、ジッグラハッタという王国で、その国の王が新しく妃を迎えることとなったのだ。抜け目のない彼は、これこそ私を手放す絶好の機会と見た。彼は王に対する引き出物の一つとして、何食わぬ顔で私を捧げたのである。

 国王は――それは実に若々しく、雄偉な王だった――異邦人の捧げ物を、ことのほか奇瑞として受けとられた。商人はその損失を上まわる多くのものを返礼として受けとった。もっとも、彼にしてみれば私をうまく手放せただけでも十分に算盤にはあったのだろうが。

 結婚式にはそのほかにも、国中から祝賀の品と、大勢の貴賓たちが集まることとなった。祝いは一ヶ月も前からはじめられ、これ以上はないというほどの豪華さと絢爛さで夜に昼をついで行われた。

 やがて式のもっとも華やかな舞台として、百頭の象と千頭の馬、その背に乗せられた絨毯、宝玉、楽器、細工物、絵巻物、刀剣、玻璃、香辛料、果実といったものが運ばれてきた。そしてそれらとともに、数万の奴隷を引きつれて、王妃となるべき女性が。

 その贅沢な嫁資も、目を見張るような珍奇な品々も、彼女に比べればまるで取るに足らぬものに思われた。

 極北の雪さえくすんで見える艶やかな肌、一粒の宝石かと見まごうような両の瞳、その頬はもっとも美しい夜明けを思わすようにほのかに染まり、口元には天使でさえ我が身を恥じるほどの罪のない微笑が浮かんでいた。

 どれほど多くの財宝も、どれほどたくさんの奴隷たちも、彼女一人にさえ及ばないほどだった。

 婚姻は圧倒的な歓喜と、かつてないほどの喜悦を持って結ばれることとなった。二人の姿を見た誰もが、限りない幸福と、王国の繁栄、永遠に続くはずの安寧を予感した。沖天に輝く太陽を見て、誰がその凋落を思致するだろうか。

 だが運命は、そのような二人を前にしても決してその暴虐をゆるがせにすることはなかった。

 結婚当初、二人はこの世の何よりも光にあふれ、王国はいっそうの絢華を極めんものと思われた。天は二人を嘉し、寿いだ。

 ところがほんの気まぐれ、ささいな思いつきから、王妃は贈り物の中からこともあろうに私を見つけだしてしまった。王宮の倉深くに納められていたものを、一人の女官が発見し、王妃へと注進してしまったのだ。

 王妃は一目見て、私を気に入ってしまった。ああ、私はその時のことを実に悲しむ。私はその時、いっそ粉々に砕けてしまえばよかったのだ。私には彼女の幸福を、この地上の光とも呼ぶべきものを、決して破滅させるような権利はなかったというのに。

 けれども死神の哄笑を、冥府の地響きを、彼女が聞きとることはなかった。彼女は少女のような純真で私を身に飾ると、喜々として己の姿に見入った。

 それは呪わしいことではあったけれど、しかしそれにしても、何と美しい光景ではあっただろう。私はおそらく、この世で私が飾るにもっともふさわしい人の胸で輝いていた。神々でさえ目をくらますような姿で。

 だがすべては、悲劇によって終わらなければならぬ。

 彼女の美しい姿、そのあまりに美しい姿は、王の心にかすかな疑念を呼んだ。最初は一匹の蝿ほどだったその暗い想念は、またたく間に草原を覆う雲霞ほどにも成長してしまった。それは人々が、嫉妬と呼ぶ感情だった。

 ああ、そのような必要はなかったのに。彼ほどに勇ましく、何より強く、荘厳なる王は、ほかにはなかったというのに。どのような人物も、彼の小指の先ほどにも値せぬものでしかなかったというのに。

 だが彼は、己の暗い情念の虜となってしまった。

 彼の振舞いは、次第に軌を逸するようになりはじめた。王妃を常に監視させ、どんな男も近づかないようにした。彼女の姿を見たというだけで、庭師の首を斬り落とすほどだった。王宮の人々は不吉の翳りにただ息を潜めるばかりだった。

 やがて王妃はいわれなき罪によって幽閉の身となり、それとともに王の勘気は嵩じはてるばかりとなった。彼は人を信用することをやめ、世のすべては裏切りと詐略によって成り立っていると確信し、些細な罪を見つけだしては人々を処刑しはじめた。

 当初、何かの間違いだと思った人々も、王の豹変をどうすることもできなかった。数年という歳月のあいだに、多くの汚れない血が流れ、怨嗟の声が国中にあふれた。王妃は閉ざされた一室で、尽きせぬ涙を流し続けた。その涙の多くが、私を濡らした。

 暴戻と蛮行の日々が続いた。豊かだった国土は荒れはて、人々の多くが家を失い、子供は常に飢えていた。神に見捨てられたかのように、災いだけが飽きもせずにこの国を襲った。

 そしてとうとう、その日はやって来た。悪逆に耐えかねた民衆が、王宮を襲ったのだ。

 宮殿の兵士たちは、もはや一人として王を守ろうとはしなかった。彼らは剣を捨て、あるいは人々と共に剣を持って玉座へと迫った。ジッグラハッタにはもう、王の味方となる者は一人もなかった。

 最初の声、最初の叫びが生まれるはるか前から、王はその身の運命を知っていた。いや、むしろそうなることをこそ、彼は望んでいたのだ。自分自身にはどうにもならぬ、この暗く魂を腐食する精神に、ふさわしいだけの結末がもたらされることを。

 彼は民衆の怒号、その靴音を聞きながら、最後の時を迎えるべく運命の場所へと向かった。最愛の者、この世界のすべて、己の魂を狂わせてしまった彼女の元へと。

 鳥籠にも似たその部屋で、彼女もまた運命の時を待っていた。何年かぶりかで扉が開いたその時、彼女はすべてを覚悟し、そして許した。彼女もまた最愛の者、ただ一人の王、己の魂を捧げた相手が現れるのを待った。

 もはや誰のものでもなくなった王宮の片隅で、二人は運命の結末に従うべく再会した。

 王妃は婚礼の際に用意した衣服を身にまとっていた。その胸元には、ああ、何と言うことか、この私が飾られていた。彼女はもちろん、すべての禍事の源が私であることに、とっくに気づいていた。にもかかわらず、いや、だからこそ、私こそその最後を飾るにふさわしいと思ったのだ。

 かつての賢王はすでに正気を取り戻し、その心は何の妨げもなく澄みわたっていた。来るべき結末が、二人をこの上なく美しく、また悲しく引きたてた。どのような時、どのような場所、どのような人物であっても、もはやこの時の二人ほど美しく、高貴であることはできないだろう。

 二人はその短い幸福のあいだ、一時の別れと、そして永遠の再会を誓いあった。もし神がおられるなら、その望みがはたされることを、私は強く願う。彼らにはそれだけの権利と、資格がある。

 だがその時現実に起こったのは、結局はたんなる悲劇にすぎなかった。

 王は剣を抜いた。それは金剛石を柄頭に嵌めこまれた、白銀に輝く希代の一振りだった。数多の敵を打ち倒し、数多の名誉を担ってきた王の剣は、いまやもっとも不名誉な、もっとも醜い行いに供されようとしていた。

 王は剣を構えた。王妃はかすかに笑った。それを見て、王もまた寂しげに、地平の向こうへと沈む太陽の最後の光のように笑った。部屋の外の叫び声は、ますます強くなっていた。空は不自然なほど青く晴れわたっていた。寸時の後、ため息のような、何かが小さく漏れでる音が聞こえた。

 今、この世でもっとも価値を持つ、美しい花が枯れた。そこにあった確かな光は、もはや永久の闇へと去っていった。どれほどの犠牲を払っても、いかなる奇跡が繰り返されても、もうそれが元に戻ることはない。

 それだけのことを見届けると、王はすぐさま次の行動へと移った。もはやそれは、たんなる作業にすぎなかった。彼はまだ赤く濡れたままの剣を逆しまに構え、我が身の喉笛へと突きたてた。

 ああ、悲劇だ、悲劇だ。

 この世でもっとも尊い二つの血が、私を濡らした。その血は私の奥深くへと入りこみ、運命を輝かせた。私はますます美しく、そして残酷になった。誰にもそれをとめることはできなかった。運命がそれを欲していた。

 迫り来る喚声と足音、終結を迎えた静寂の中で、私は長年王妃の慰めともなっていた鳥へと頼み、その部屋をあとにすることにした。私を見つけたその人間から、新たな悲劇の生まれることを恐れて。

 善良な鷹は私の願いを聞きいれて、その強い爪で私を摑みあげると、誰の手にも届かぬ大空へと飛びたった。私はどこか人のいないところ、その不幸な運命を見ずにすむところへと行きたかった。

 ところが、ああ、ところが何としたことだろう。

 ちょうど山あいの谷へと差しかかった頃、一本の矢が、一筋の光線のごとく飛来した。矢は狙いたがわず、私を運んでくれた親切な鷹の肺腑を一突きにした。その強い爪から零れ落ちた私は、深い谷底へと墜下した。

 落ちた先で、私は谷川へと沈み、渓流は私を飲みこんで下流へと運んだ。今、私がここにこうしているのは、それだけのことがあったからなのだ。

 ――旅人よ、なろうことなら私をこのまま海まで行かせてくれ。その深い海神の底、光を知らない暗闇たちの元で、また私を静かな眠りにつかせてくれ。この世は私にとってあまりに光にあふれ、騒々しすぎる。永遠の孤独こそが私にふさわしい。

 ああ、何という悲劇だろう、これは」

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