第9話 密談

秋人達が夏帆の部屋で勉強会を開催したのと同時刻。皇家当主の書斎には、複数の人影があった。


「朝早くからすまんな。」

「いいえ、会長。我々の研究資金を提供して頂いている会長の頼みであれば、出来る限りの事はさせて頂くのは当然ですよ。」

「早速ですが、こちらをお願いします。」

「うむ。どれどれ・・・。」


会長と呼ばれた1人の老人男性が謝罪の言葉を述べ、青年と思われる男性が答える。そのすぐ後、青年男性と並んでいた美女が1枚のカードを手渡す。これはアダムやイヴを介さずに情報をやり取りする際、一般に用いられる手法である。一般とは言ったものの、一般人が用いる事はまず無い。


手渡されたカードを専用端末のスロットに差し込むと、端末の画面にメッセージが表示される。 同時に、表示されたメッセージを端末が読み上げた。


『これより室内全てのSLAVE UNITは、メインシステムから切り離されます。再接続する場合はプリズンカードを抜いて下さい。なおリンク切断解除後、『エデン』によってログを補足される恐れがあります。』


メッセージを読み上げ終わると、端末の表示が『リンク切断中』に変化する。




人間の体内に存在するナノマシンはその大きさ故、データの保管には不向きである。それ故、人間が見聞きした内容はナノマシンを介して自宅のサーバーに保管される。これには各個人での設定が必要となるのだが、ほぼ全ての人間がデータとして保管している。いつでも削除可能なのだから、残しておいて損は無いという考えだ。


その際、人口知能が必要な処理を行うのだが、それらの人口知能は全て『アダム』と『イヴ』に繋がっている。悪意ある者がデータを盗み出す事も不可能では無いが、結局は2つの人口知能に知られる事となる。



有識者は『アダム』と『イヴ』によって作り出される監視網を『エデン』と呼び、『エデン』の監視を潜り抜ける方法として『プリズン』と呼ばれるシステムを考案した。機密データはネットワークを介さない媒体に保管する事で、さらなる漏洩防止に励んでいる。


これらは公的機関、とりわけ学校で用いられている通信阻害とは異なる。学校等の場合は、『エデン』自体の働きで外部とのアクセスを妨害しているのである。すなわち、情報そのものは『エデン』によって把握されている。


現在の科学技術では、ナノマシンはリアルタイムの情報を読み取る事は出来るが、人間の記憶を読み取る事は出来なかった。いずれは記憶を読み取る事も出来るようになっただろうが、世論が反発した事で開発は永久に凍結される。


実際には世論よりも政治家の反発が強かった。記憶を読み取るという事は、後ろ暗い件も掘り起こされてしまう。リアルタイムの情報を記録出来るのだから、それで満足しろという事で落ち着いたのであった。



ここまで説明すると気付く者も現れるだろうが、一部の人間達は『エデン』を信用していない。便利なので利用はするが、重要な情報を握らせるつもりはなかった。『エデン』が何を反乱分子とみなすかわからないのだ。


逆に『エデン』も、こういった人間達に不信感を抱いていた。自我を持つ人工知能であるが故か、その思考は人間のそれを大きく逸脱するのだが・・・。




話は戻るが、端末の表示を一瞥した老人男性が声を上げる。


「これで『エデン』、『アダム』と『イヴ』には悟られんな。報告書を貰おうか。」

「では、こちらを。」


美女が先程とは異なるカードを手渡し、会長はもう1台の端末に受け取ったカードを差し込む。暫くの間、表示された報告書と思われるデータに意識を向ける。一通り目を通すと、後ろでデータを眺めていた2人の男女に声を掛けた。


「どう見る?」

「これを個人で開発とは、正直驚きですね。」

「彼の頭脳が加われば、皇家の地位は盤石かと。」

「うむ、ワシもそう思う。問題は・・・魔法省が彼を嗅ぎ付けた事か。」


会長の言葉に、後ろの2人が正面の美男美女に視線を向ける。すると、佇まいを正した男性が声を発した。


「恐らくは、行方不明となっている黒川教授のリークによるものでしょう。」

「歪んだ愛・・・か。実の息子に人体実験紛いの処置を施すとは。よもやワシにも信じられんかったのを、今でも鮮明に覚えておる。」


老人は机の上に置かれた拳を握り締め、苦虫を噛み潰したようにして呟く。


「特殊なナノマシン。開発呼称『All Intelligence summarized force system』・・・通称『Alice system』。理論上は原初のAIである『アリス』に管理者権限で唯一アクセス出来る、眉唾物のナノマシン・・・でしたか?」

「友香梨、失礼だぞ!」

「あら、そういうつもりで言った訳ではありませんよ。智和さん?」


智和と呼ばれた男性が、友香梨と呼ばれた女性を叱り付ける。しかしこの発言は、特に誰かを侮辱する意図が含まれたものでは無かった。眉唾物という表現は、純然たる事実である。しかしこの発言に、対面していた美男美女が揃って異を唱えた。


「その件につきましては、少しだけ進展がありまして・・・。」

「実は『アリス』へのアクセス以外に、何か狙いが有りそうだという事がわかって来ました。」


2人の言葉に、会長の表情が険しさを増す。


「何じゃ?」

「検査が出来ないのでハッキリした事は不明ですが、肉体に何らかの作用を齎す可能性が出て来たのです。」


ーーガタン


「何だと!?」


会長が勢い良く椅子から立ち上がる。酷く慌てた様子であった。後ろの智和、友香梨両名の動揺も隠し切れない。


「大丈夫なの!?」

「彼に何かあったら夏帆が悲しむ!」


この2人、実は夏帆の両親である。この2人が動揺しているのは、『彼』と呼ばれる者の身を案じた為であった。その様子に苦笑しながら、美男美女は皇家の3人を落ち着かせる事にした。


「心配して頂けるのはありがたいですが、秋人君に危険はありません。雪さん・・・黒川教授も、秋人君を傷付けようとは思っていなかったようですし。」

「翔悟さんの言う通りです。ただ・・・詳しい検査が出来ない以上、推測の域を出ないのも事実。見守る事しか出来ない現状に、親として悔しい気持ちでいっぱいです。」


そう告げた美男美女は、秋人と小春の両親であった。正確には秋人の父、翔悟。小春の母、優花である。2人が悔しさを滲ませる様子に、椅子に座り直した会長が声を掛ける。


「しかし、ナノマシンに今以上の機能を持たせるのは不可能だと思ったのじゃが?」

「お父様のおっしゃる通りです。そこがナノマシン研究の第一人者である、黒川教授の凄さなのでしょうね。」


会長の疑問に友香梨が答える。そしてこの後、事実を知らない者達が驚愕する内容を告げる。


「そして先程、各国の諜報機関から新たな情報が齎されました。件の黒川教授ですが、各国を転々としながら『Alice System』の実験を行っていたようなのです。」

「「「なっ!?」」」

「友香梨よ、その顛末は?」


流石は巨大財閥のトップと言えよう。動揺した様子も見せず、娘に説明の続きを促す。ちなみに先程椅子から立ち上がったのは、孫に直接関わる案件だったからである。あらゆる者達を圧倒する迫力と胆力を持ちながら、実は爺バカキャラでもあった。


「実験は全て失敗。1人の適合者も現れず、全てのナノマシンは体外に排出され消滅したとの事です。当然人体にも影響は無いとの事でしたが、先程のお話では・・・。」

「適合せず、体外に排出されたのであれば一切の影響は無いでしょう。しかし・・・そうですか。」

「翔悟さん・・・。」

「あ、優花さん。多分違いますよ?」


翔悟の予想通り、この場にいる全員が思い違いをしていた。ある者は秋人の心配をしていると、またある者は黒川教授に未練のような物があるのではと思っていたのだ。しかし翔悟という人物は違った。


「秋人君や黒川教授の心配をしていると思われているんじゃないかな?と思っただけです。ですが全く違います。僕はただ、彼女の思考を読んでいただけです。」

「雪の思考?」


妻である優花は同じ職場という事もあり、夫である翔悟と寝食を共にしている。世間一般の夫婦よりも共有する時間が多い事から、互いの考えが何となく理解出来た。しかし、前妻に関する事だけは理解出来なかったのである。


「はい。彼女が失敗を続けるのは異常です。恐らくは、既に結論を導き出している事でしょう。何の根拠もありませんが、今後犠牲者や適合者が現れる事は無いはずです。」

「どういう事じゃ?」


翔悟の言葉に、一瞬全員が安堵しそうになった。しかし、会長だけは翔悟の表情に違和感を覚えたのである。


「度重なる失敗の後、魔法省へのリーク・・・彼女は失敗したのではありません。実証実験を行っていたのでしょう。」

「実証とは何じゃ?・・・まさか!?」

「えぇ。『Alice System』の適合者は世界中でただ1人。その実証です。そしてそれが意味する物・・・彼女の次なる狙いは秋人君です。」

「「「「っ!?」」」」


全員の表情が強張る。単なる憶測ではあるが、思い当たる節はあったのだ。


「実力行使で有名な魔法省・・・そうか!強引にでも手に入れようという事だな!!」

「でもどうやって?」


皇夫妻が思考を巡らせていると、不意に優花が声を上げた。


「あの・・・秋人君の事は、政府高官の耳に届いていますよね?」

「え?えぇ。それがどうかしたの?」

「秋人君の頭脳は、既に幾つもの特許を取得する程です。特にあの記憶力は、人知を超えた力と表現する研究者もいる程です。」


ここまで話して、優花が口を閉ざす。本人自身が荒唐無稽だと思った為、これ以上は躊躇われたのだ。だが会長には理解出来た。出来てしまったのである。そうなれば、辿り着く先は同じであった。


「そうか・・・驚異的な記憶力は『魔法』によるもの、とでも言い張るつもりじゃな?」

「あり得る話ね。科学で証明出来ない力は全て『魔法』と定義されているのだもの。」

「対応を考えねばならんのぉ・・・。とりあえず、今日の所はここまでとしておくか。」



チラリと端末を確認した会長によって、密談の終了が告げられる。端末からプリズンカードを抜き取り、優花に手渡す。と同時に、扉をノックする音が鳴り響いたのであった。

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