見せかけの成長

「嘘でしょ? だってあれがほんの一部なら、どれだけ星って沢山あるんですか」

「アタシ、お前に無数って言っていたよな。星なんてもんを数えようとすればアタシらの指じゃ何本あっても足りないぜ」


 しかしながらこう夜空の景色を眺めていると、彼女の話が事実である事も納得出来るような気がしました。

 私は小さな世界しか知りません。けれどこの地球全体から見ればその範囲は、世界そのものの細胞以下でしかないのです。

 だからこそ今私は飛び出そうとしている。井の中の蛙が、大海を知る為に。


「人間も同じだぜ。お前に見えている人間の姿ってのもごく一部でしかねぇんだ」

「人間も……同じ」


 黄色一色に見えていた星も、よく目を凝らせば少しオレンジだったり白かったりと、様々な色をしています。そう、言わば星は星でも一つ一つにちゃんと違いがあるんです。

 そしてそれは人間も同じ。良い人間もいれば当然、悪い人間もいる、そんな世界なのです。


「ツクモノ、お前の世界はまだ狭い。だから昔のアタシみたいに一部のものに執着するんじゃなくて、もっと広い視野を持つんだ」


 つまり彼女が本当に言いたかった事はただ一つ。人間を数人見ただけで人間そのものを判断しない、と言う事でした。ご子息達がどれだけ悪くてもお婆ちゃんは別に悪い人じゃない、それは私や轆轤首さんにも言える事です。元が人間だった妖怪の前世も、悪い人間がいるからと言って、決してその前世が悪人と言う訳ではないのです。だから私が気を病む理由なんて、何処にも無かったんです。


「そうすれば人間だった時の自分にもいずれ向き合えるようになる。第一今のお前は妖怪だろ、前世なんてこれから生きていく上でどうでもいい事だぜ?」


 最後に彼女は私を自分の方へと向けて、首を伸ばしたまま微笑みかけてきました。


「今のお前は付喪神、市松人形のツクモノなんだからさ」


 私は何を迷っていたのでしょう。どうやら私はまた、彼女に助けられてしまったみたいです。

 自己理解をする為にわざわざ轆轤首さんまで連れてきて、自分の正体がわかった途端にそれから逃げようとする。そんなわがままな私にも彼女は、優しく対応してくれました。それも自分の苦い過去を掘り起こしてまで、私の安定に力を注いでくれた。その様には、言葉では足りないくらいの感謝をしました。


「轆轤首さん、ありがとうございます……!」


 涙は出しません、と言うよりかは出ませんでした。泣く理由は十分にあったのですが、おそらく水分を摂取していなかったので涙が出てこなかったんだと思います。故にここは、我慢した風を装っておきますね。それで少しは成長したなと轆轤首さんにも思ってもらえるでしょうし。結局のところ、泣けない理由を泣かないと言う事にしただけでした。ーーだから一応、心の中で泣いときました。


 *


 今日の朝食はニンジンとゴボウが入ったお味噌汁に焼き鮭、そして白ごはんと夕食の時とは違って控えめな内容ではありましたが、胃を慣らしてゆく段階として見ればとても良いものでした。味覚に関してはまだどれが美味しいと言う感覚なのかわからないですけど、食後の幸福感があると言う事はきっと美味しかったんでしょうね。

 おかげで気分もいつもより晴れ晴れとしていますよ。でもちょっと食べ過ぎちゃったかもーー。お腹もちょっと苦しいです。


 何故私が食事をしているのか。実は昨日野鎌さんに聞いたんですが、なんと付喪神にも食事が出来るそうなんです。これを聞いた時はもう、ちっちゃい子みたいに飛び跳ねちゃいました。

 でも食べた物が何処に行くのかと訊ねると、野鎌さんは沈黙を守ったまま私を見つめてきました。ーーそれも答えを察せとでも言わんばかりの眼光で。

 私が思うに、彼もまたその答えはわからなかったのでしょう。妖怪は未知の部分が沢山ありますからね。


「ところであなた達、今日はどう言ったご予定なの?」


 朝食で使った食器の片付けに来たお初さんは、食後のお茶を用意するついでに畳で寛いでいた私達に話し掛けてきました。


「ここからアタシ達の家は公共交通を機関使っても六時間ぐらい掛かるからな、実は飯を食い終わってからは帰ろうかと思ってるんだ」

「行きたい所は昨日の内に行っちゃってましたからね」


 確かに今日の予定は、なんて聞かれても少し困っちゃいますね。何せ昨日の時点で、ここに来た本来の目的が達成されちゃいましたから。今日の残された時間を使って出来る事と言っても、近場の地域観光ぐらいでしょうし。因みに帰りは天狐さん曰く、加胡川さんの車で送っていただけるみたいです。なので帰宅時刻は、少しだけですけど早くなると思います。

 まぁ昨日行けなかった石の博物館に行ってみる時間ぐらいはあるとは思いますんで、そこは視野に入れておいて欲しいものですね。


「あらそうなの? でもこんな所に来るって事はやっぱり、観光以外の目的があったんじゃないかしら」

「ま、まぁ色々と……」


 お初さんには私達の山城町へ来た目的は話していませんでしたから、一から全てを話すのは面倒でした。でも今の返答の仕方は、少し間違えちゃったかも知れないです。何故なら私みたいな答え方をすれば、誰だって話の内容が気になっちゃいますから。


「なるほどね。道理でツクモノちゃんの顔、昨日よりも生き生きとしてるわけだ」


 しかし私が危惧していた事を、お初さんは尋ねてきませんでした。寧ろ彼女は、あたかも昨日あった出来事の一部始終を見ていたかのように、的確な発言をしているようにも見て取れます。

 無論私は疑問を抱きました。だってもし一部始終を見ていたのであれば、過去に轆轤首さんがしていたと言う不法侵入紛いの話も信ぴょう性が増しますからね。実は私、今でもあの話は受け入れたくなかったんです。


「わかるんですか?」

「当たり前よ。私はここで多くのお客様を見てきたからね、お客様の様子が昨日と違う事ぐらい余裕でわかるわ」


 しかしその理由は、単なる凄まじい観察力でした。これには私も返す言葉が見つかりません。彼女程他人を見ていると、無意識の内に相手を観察や分析してしまうのかも知れません。それもこれも接客業をしているが故の賜物、やはりお初さんにとって宿屋の女将と言うのは天職なんでしょう。


「もし時間が取れるのなら、是非とむらいの祠は見てもらいたいものね」


 ふと、お初さんは声を漏らすようにそう言いました。


「弔いの祠? なんだそりゃ」

「聞いた事が無い場所ですね」


 粗方山城町の観光スポットなるものはホームページなどで見ていましたが、彼女が口にした場所には聞き覚えがありませんでした。しかし観光地には現地の人しか知らないような場所があるってのは、結構有名な話です。なので、もしかすればその事を言っているのかも知れません。

 しかし続くお初さんの説明は、私が考えていた場所とは大きくかけ離れた場所である事を強く知らしめました。


「崖の下にある小さな祠でね、身投げした妖怪を弔う為にぬらりひょんさんが建てた祠なのよ」


 身投げスポットとはまた陰気な場所でーー。と言うかえっ、今のってただの聞き間違えでしょうか。


「もしかして……妖怪って死ぬんですか!?」


 私は声を大にして叫びました。妖怪は朝に寝る事が多いらしいのですが、それすらもお構い無しに私は叫びました。そりゃあだって驚きますよ。轆轤首さんは約四百年、そして天狐さんは千年程生きておられます。そんな話を聞いてばかりでしたので妖怪が死ぬと言う事自体、全く視野になんて入れてなかったんですから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る