彼女の追憶
「プッ……」
が、その言葉に轆轤首さんは鼻で笑って反応を示しました。ようやく反応を見せたと思ってみたら、あろう事か鼻で笑うなんてーー。さっきの話の何処で笑う場面があったのか、私には彼女の意図が全く理解出来ません。
先程からの彼女の態度に困惑していると、轆轤首さんはとうとう口を開きました。「実はな」
「アタシも昔、人間だったんだ」
私は言葉を失いました。突然の彼女の告白。それは私を勇気付ける為のフェイクなのか、はたまた本当に彼女が人間であったのか、加胡川さんの一件で少し疑り深くなっていた私は、轆轤首さんの話の続きを求めていました。当然、真実を知る為です。
そして同時に、思い知る事となります。自分がいかに生温い問題で、頭を抱えていたのかを。
「ちょぉっと首が長いからってさ、住んでた村の奴らからは化け物扱いされてよ。ただでさえ貧しい村だってのに食料の配給が絶たれ、アタシは餓死した」
轆轤首さんの言葉一つ一つには、彼女自身が受けてきた仕打ちの生々しさが気持ちの悪いくらいに伝わってきました。村絡みでの差別、人間だったが故の食料不足による餓死、聞いている限りではこれらの話にただ一つとして偽りは感じられませんでした。
平和ボケをした私が抱いていた苦悩が、彼女からすればまさしく足元にも及ばない些細な事だと痛感しました。ーーだからあの時彼女は嘲笑したんだ、その程度の事で人間を嫌いになろうとしていたのかと。
耳を塞ぎたくなるような轆轤首さんの話は、私の事情なんて知ったこっちゃなしに先へと進みました。
「アタシは成仏出来ずに地縛霊になった。そりゃあ村の奴らにあんな事されちゃあ仕方ねぇよな。だからアタシは村の……いいや、人間そのものを恨んだ。そしてこの世界を恨んだ」
「世界を……ですか」
私にはわからない、わかりたくもない真理へと彼女は、その時辿り着いたんだと思います。自分の関わりのあった人間、そして関わりの無い人間がまとめて嫌いになる。言っている事はさっき私が轆轤首さんに言った事となんら変わりはありませんが、それ以上に彼女の発言には理由がありました。それも全ての人間を恨む、身勝手だけど正当な理由が。
「で、でも! なんで今じゃ轆轤首さんは人間との共存なんかを……」
一切の救いも無い話にとうとう耐え切れなくなった私は、轆轤首さんに結論を迫りました。確かに聞いている限りではこの話には救いが無いように思えます。でも今の轆轤首さんは人間が嫌い、と言うよりかは寧ろ好んでいました。だからこそ私は、本当に彼女が言いたい事を急かしたんです。ーーこれ以上彼女の暗い過去を聞きたく無い、そんな願望を抱きながら。
「ちぇ、ここからが面白くなるのに」
すると少し不貞腐れた表情で、轆轤首さんが呟きました。どれだけその先を言いたかったんですか、もうあなたの暗い過去なんて沢山ですよ。その話の続きは私の心がもっと強くなってからにしてください。
「ある時、地縛霊のアタシに変わったやつが話し掛けてきた」
彼女は直接「変わったやつ」を人間とは言いませんでした。ひょっとしてそれは、その人が人間ではない事を薄っすらと示していたのではないでしょうか。未練があり、一定の場所に留まり続ける地縛霊。その彼らに気安く話し掛けられる力を持つ者と言えば、それこそ妖怪以外では考えられませんから。
「そいつはアタシにこう言った、妖怪になって第二の人生を歩んでみないか、ってな」
そう言いながら轆轤首さんは自分の首を伸ばすと、何処か遠い所へ目線を移しました。横目から見た彼女の顔は少し口元を緩めて笑っているようにも見えましたが、よく見るとその目は笑っていませんでした。
多分当時の轆轤首さんからしても、妖怪への転生は相当な覚悟の上での同意だったんだと思います。
人間としての前世を持ちながらも、妖怪へと転生する。それは人間と言うある程度安定した形状から、大きくかけ離れた異形とも言える
しかもその方の話を聞く限りでは、一体どんな妖怪なるのかもさっぱりわからないときている。故に妖怪への転生には相当不安が煽られたのでしょう。何せ私と違って轆轤首さんは、自分の意思で妖怪になる事を問い掛けられたんですし。
それにしたって妖怪になるのに第二の人生と言うのは、ちょっと違和感がある言い方ですね。
「ちょっと迷いはしたが、アタシはその話に合意した。理由は簡単だ。何故ならアタシを殺した人間達への、復讐が出来るからな」
今度は遠い所を見てではなく、頭を上下左右に回しながら彼女は言いました。それも人間が自分の足で歩き回りながら、立ち止まらないようにして話しているかのようでした。
にしてもまさか、復讐なんて言葉が彼女の口から出るなんて、これまでの生活からは想像もしませんでしたよ。それ程までに彼女が抱いていた、恨みの大きさは底知れなかった。だから自身が妖怪になってまで、その恨みを晴らしたかったんだと思います。
「そんでもってアタシは妖怪として転生した。だがその時やつは大量の金を渡してきてこうも言ったんだ。『人間の街に行ってみなさい』ってな」
「人間の街に?」
突然、二人を包む空気が変わりました。それも重苦しかったものが一気に軽やかになったのです。
何故轆轤首さんを妖怪へと転生させた方が、そこまでして彼女に街へ行く事を進めたのか。私にはその理由がなんとなくですがわかっていました。おそらく小さな囲いの中でしか暮らしていなかった彼女に、その方は見せたかったんじゃないでしょうか。ーー人間達が生み出した文化が行き交う場所、町と言う集大成を。
「アタシを蘇らせてくれたからよぉ、アタシも仕方なくやつの言う通りにしてみたんだ。そこでアタシはあるものに出逢った」
そして次の彼女の発言は、私の中で固まりつつあった答えを、不安定なものから確信へと昇華させました。
「化粧や着物、貧乏だったが故に触れられなかった人間達の、文化ってやつの素晴らしさに。あんなの反則だぜ、おかげでアタシの恨みは感動へと変わっちまったよ」
大方話の流れは予想していましたが、いざ轆轤首の口から言われるとすごく安心しますね。あたかもそれは、心地の良い結末を迎えたテレビドラマを見終わったかのように清々しさすら感じられますよ。
だって考えてもみてください。世界からすればほんの小さな範囲で人間を恨んでいた轆轤首さんが、ふとした事がきっかけで人間との共存を望むまでになるんですよ。ーーこれ以上のハッピーエンドがありますか。
更に轆轤首さんは空の方を指差して言います。
「今私達から見えている無数の星、全てある内のほんの一部であって全部見えてるわけじゃない」
言われるがままに見上げてみると、それはもう綺麗な夜空が広がっていました。私達の住んでいる雛形区は、都会と言う事もあってかあまり夜空に星は見えません。けれどここではその星の光を邪魔する街の灯りが無い、その為に淡い光を放つ天の川さえ、裸眼で薄いグラデーションが見える程に見る事が出来ました。
それに目視出来る限りでも、相当な数の星が見えています。ですが轆轤首さんは、あれら全てがまだ一部だとおっしゃっているんです。お婆ちゃんの家の中の景色しか見えていなかった私には、とても信じられない事柄でした。
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