私は誰だ
人間は普通、言葉の読み書きなんてものは習う事で身につけています。ですが私はどうでしょう。いくら妖怪だからと言って、それらを教わっていないのにも関わらずいきなり読み書きするなんて、そんな事が出来ますか。答えはノーです。だってその点に関して言えば、妖怪も人間も一緒なんですから。
やっぱり野鎌さんの言っている事は本当だーー。心の底で自分が、何かに対して呻き声を上げているのがわかりました。いつの間にか私は、何処かで人間を見下していたのかも知れません。そう、恥ずかしながら私は妖怪である自分に酔っていたんです。つまり真に醜かったのは人間ではなく私自身。妖怪の立場でも人間の立場でも、それは変わる事のない事実でした。
「ーーおい、ツクモノ! どうしたのじゃツクモノ!」
天狐さんに体を揺さぶられて我に返った気がしました。顔を上げて彼女の顔を見てみると、美しい顔が皺でぐちゃぐちゃになっていました。なんでそんな顔しているの、とでも問い掛けたくはなりましたが、すぐさまその答えを彼女に問い掛ける間も無く理解しました。ーー友達だから、だったんですね。
自分の今の表情も、実際どんな事なっているのかはわかりません。けれど天狐さんの顔を見る限り、と言うよりかは彼女の瞳に映る私を見る限りでは、相当酷い顔をしていました。感情が顔に出やすいのは相変わらずですね。
「私は一体誰なんでしょう」
私は頬をひきつらせながら言いました。誰でもいいから、この思いを受け止めて欲しかった。誰でもいいから、何か救いが欲しかった。でもそんな願いはただの私欲に過ぎない事もわかっている。事実私は助けてもらってばかりで一人なれば当然、何も出来ないただの市松人形に過ぎない事も。ーーけれど。
「助けて下さい」
自ずと声が出ました。言い訳をするのであれば、これは欲ではなく救助信号だとでも言っておきます。ただひたすらに助けが来るまで送り続ける救助信号。この一方通行さも、相手からすれば鬱陶しい事この上ないです。
私の顔をじっと見つめたまま、天狐さんは何も言いませんでした。おそらく言葉を返してあげたくても返す言葉が見つからないのでしょう。そりゃそうです。私も逆の立場だったとしても、今の私にかける言葉なんて全くと言っていいぐらいに思いつきませんから。つまり今の私はよっぽど友達としても関わらづらい、そんな状態なんだと思います。
「……ったくよぉ。お前らアタシの居ないとこで何の話してんだ」
すると静まり返ったこの空間の中で、もはや日常の権化と言っても過言ではない声が聞こえてきました。その声の主は口調こそ野鎌さんに似てはいるけれど、声質からして全くの別人。そう、この部屋に居ないと思っていたにも関わらず、彼女はそこに居たのです。人間に捨てられた私を救ってくれた恩人と言えば、もう誰だかわかりますよね。
「なっ、轆轤首か!? お主いつの間に部屋へと入っておったんじゃ、ドアが開く音は聴こえてはこんかったぞ」
当然、天狐さんは軽く声を上げてびっくりしていました。見た目が見た目だけにあんな顔されると、化けているとは言え彼女の心臓が止まるのではないかとハラハラしてしまいます。と言うか、いつまで天狐さんはその老女の姿をしているつもりなのでしょうか。
「妖怪に常識なんて求めんなよな。音を立てずに部屋に入る術なんざ四百年人間を脅かしてりゃあ嫌でも身につくって」
「それもそうじゃな」
ですがすぐにそんな単純な理由で納得する辺り、やはり天狐さんも妖怪であると言う現実は認めざるを得ません。妖怪同士の会話ってのは、人間が思いもしないような事柄が平然と飛んできます。でもそこがまた面白い所でもあるんですけどね。
ふと話を聞いていて思ったんですけど、轆轤首さんって過去に不法侵入紛いな事をやってたんですね。人を驚かす為に行っていた、それはいつの時代の話なのかは定かではないですけど、今の時代にそんな事をすれば大変な事になりそうです。ーー勿論法的な意味で。
が、彼は既に瞳を閉じて眠りについているではありませんか。どれだけ野鎌さんは他人の話に興味が無いんでしょうか。ここまで来るともはや、逆に尊敬する域ですね。
「それより天狐、ちょっとコイツと二人だけにしてもらえねぇか?」
話が少しズレてきたと思いきや、その言葉から轆轤首さんの表情は一変しました。急に真面目な雰囲気を漂わせている辺り、ようやく何処かへ行っていた話も戻ってきたみたいです。
こんな話のスイッチのオンオフ切り替えが出来るなら、普段からもやってくれればいいのにーー。まぁそれが轆轤首さんと言う妖怪なんですけどね。
「ああ。なんならそこのベランダを使うと良い」
あまり天狐さんも、轆轤首さんには散策を入れませんでした。正直私も天狐さんも、彼女が何処まで話を聞いていたのかはわかっていません。けれど私の顔を見た轆轤首さんは、何かしら感じ取ってはいたのでしょう。場の空気が恐ろしい程に重苦しくなっている事を。
「サンキューな」
それだけを言い残し、私と轆轤首さんは【一一二】の部屋の中から外の森が上から見えるベランダへと場所を移しました。ベランダの広さは県営住宅のものと遜色ありませんので、私を抱いた轆轤首さんがゆったりと立っていられるぐらいです。それに五階と言う高さだけあってか、森の木に景色の邪魔をされない為に二階とは違って、夜空に広がる星々が綺麗に見えていました。
【六六】の部屋では自然が感じられるとかどうとか言っていましたが、やはり森の木々ばかりの景色よりかは断然こちらの方がいいです。
「私、人間の霊だったんです」
ダラダラと景色ばかり眺めていても話は進まないので、取り敢えず私は核心から話してみる事にしました。これなら例え轆轤首さんが話の内容を知っていなかったとしても、直に言いたい事が伝わると思ったからです。一旦出始めた言葉は、封を切った途端溢れ出してきました。
「でもさっき気付いたんですけど、私って人間の事があまり好きではないみたいなんです。多分お婆ちゃんの部屋を荒らしていったおじさん達の、印象のせいってのもあるんでしょうけど」
しかし続けて発言してみるも、何故か轆轤首さんは返事もせずにただただ夜空の星を眺めていました。それもまるで、私の話している内容が耳に入っていないかように。
本当に轆轤首さんは話を聞くつもりがあるのかなーー。少しずつではありますが、轆轤首さんに対して不信感が募り始めてきました。
「しっかし馬鹿げた話ですよね、人間が嫌いだなんて。お婆ちゃんだって同じ人間なのに」
なんでこの人は同じ反応を続けるのーー。
どうしてこの人は私の事が見えていないのーー。
不信感は止まりを知らずに大きくなっていきます。にも関わらず、口を開かず沈黙を守り続ける轆轤首さん。私には、彼女が何を言いたいのかわからなくなってしまいました。
轆轤首さんは私を助けてくれると言った。いいえ、そうは言っていなかったけど私にはそう捉えた。でも話してみてどうだ、私の事なんて目もくれずに同じ態度を取っているだけじゃないかーー。その事が、ひたすらに信じられませんでした。
やっぱりこの人は初めから私なんかを相手にするつもりがなかったんだーー。そして心が不安定だった私は、そんな轆轤首さんへの鬱憤からついに、彼女が傷つき兼ねない鋭さを秘めた言葉を投げかけてしまいました。
「……どうせこんな話をしても、妖怪の轆轤首さんにはわからないでしょうけどね」
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