20・王子と春


 だいぶ雪も溶けて春が近づいている。


俺がこの世界に来てもうすぐ四年目に入るのか。


最初は全く生きる気力のない十歳だった王子も、いまや十三歳のしっかりした子供だ。


そういや、俺も二十三になるんだな。


まあ、この身体が子供だからどうしても子供っぽい思考になるんだろうけど。


俺は結構この世界を楽しんでいる。




 早朝まだ暗いうちに起きてこっそり城外へ出る。


大通りの貸し馬車屋で馬たちの世話をして、帰りに黒い大きな馬を連れて帰る。


なんと、斡旋所のカードを見せたら通れたんだよね。


何だかうれしかった。


でもちゃんとチェックされてるみたいで、やっぱり一度門を通って外に出て、こっそり抜け道から帰る。


二度手間だ。


それでもうれしくて、たまに出たり入ったりしてたら宰相様に見つかって、あとでこってり怒られた。


あまり顔を知られるのは良くないらしい。


門番と挨拶している俺を見て宰相様は「心臓が止まるかと思った」と嘆かれた。


白い髭が一層白くなりそうだったので、宰相様の健康のためにも止めることにした。


後で訊いたらクシュトさんのほうも、俺についてた人をかなり怒ってた。


ごめん、何も言われないからって調子に乗った俺が悪かった。




 夜になって魔術の勉強をしている時、俺は王子に訊いてみた。


「なあ、王子。 こう、姿形を変える魔術とかないの?」


そしたら自由に町に出られるんじゃないかな。


まあ、どんなに変装したって、声が出ないからすぐにばれるんだけどね。


王子と幻影の小さな魔術師が顔を見合わせた。


『それはまだ無理だが、声が出る方法を探している』


「え?、なにそれ」


小さな魔術師が魔導書をペラペラとまくっていく。


すごく複雑そうな魔法陣が描かれていた。


『この魔法陣は念話という、自分の言葉を相手に直接送る魔術なんだが』


おお、テレパシーってやつか。


『これを相手を特定せずに使えば、普通に話しているように周りは聞こえるのではないかと思う』


「なるほど。 例えば俺と王子が会話するという念話を、相手を王子じゃなくて、周りにいる者すべてとすればいいわけか」


王子はコクリと頷いた。


「さすが、王子だ」


『うまくいけば筆談も必要なくなるし、ケイネスティではないという誤魔化しにもなる』


「でもそれって魔法紙じゃ難しいんじゃない?」


何かに魔法陣を描くにしても、たぶん何かの道具に描いて常に持ち歩くことになるだろう。


途中で破れたり消えたりする魔法紙では使いづらい。


魔法紙は基本的に使い捨てなのだ。


一度発動させると消えて無くなってしまう。


『かといって、こんな精巧な魔法陣を、持ち歩けるような道具に刻み込むのは職人技だ』


俺たちが考え込んでいると、小さな魔術師が何やら指さしている。




「これは、国王からもらった資産の一覧表だね」


小さな魔術師がその上に乗ると、ある一文を小さな杖でペシペシと叩いた。


『特殊魔法布』


「へえ、どんなものなんだろう」


『繰り返し使う魔法陣を大きな布に描くだろ。 それを持ち歩くために大きさを変えたり、違うモノに変形させたりすることが出来る布だ』


「おー、便利じゃん、それ」


王子は眉を寄せて考え込んでいる。


『布は描き直しが出来ないから一発勝負になる。 これに負けないような魔法陣を考えなきゃ』


王子はもうこれを使う気でいる。


俺はそんな活き活きとした王子を何となくニヤニヤして眺めていた。




 王子はやっぱり魔術の天才なんだと思う。


今ではかなり複雑な魔法陣でも描いてくれる。


俺が普段使っている筆談用の魔法紙も、相性の良いインクや、紙を止める板も王子が探してくれた。


 以前買った紙に王子が魔力を込めて魔法紙にし、大きさを切りそろえた大中小の三種類のメモ帳を作っている。


これは魔法陣帳になっていて、全てに簡単な魔法陣が描かれている。


 魔法陣帳を持ち歩いているのは、その場で書くより早いということもあるが、先に魔力を込めておけるという利点もある。


魔法陣帳から一枚を抜き取って発動させるのだが、魔法陣にはすでに必要な魔力は込められている。


俺は身体の一部にその紙を押し付け<発動>と念じるだけなのだ。


スイッチだけなら魔力も少なくて済むので、何枚も連続して発動出来る。


『ケンジは考えなしだからな』


王子は、俺が魔法陣を間違えると大変なことになるので、魔法紙の大きさや色、紙質を変えたりしてくれた。


最近、仕事に良く持ち歩いているのは汚れや匂いを落とす<洗浄>と<治療><鎮静>だ。


怪我や病気は大きなものは無理だけど、応急処置的なことは出来る。


本当に王子さまさまだ。




 夏も近くなったある日。


その日は午後からも外に出る日だった。


ここ二、三日、クシュトさんは忙しいようで顔は見ていない。


でも誰かが見張っている感じはするので、代理でもいるのだろう。


いつものように大通りに向かい、貸し馬車屋で黒い馬に挨拶した後、俺は斡旋所に向かっていた。


 最近、斡旋所でも簡単な仕事を廻してもらえるようになっている。


言葉が話せなくても出来る配達の仕事だ。


お届け先の地図と荷物を渡され、受取票を預かる。


それを相手に届けて、受取票に名前を書いてもらって、帰ると給金がもらえる仕組みだ。


王都は広いが、俺はまだ未成年なのであまり遠くへは行けない。


何故か受付のお姉さんは俺に優先的に安全な仕事を回してくれる。


「はい、お疲れ様。 ネス君はお客様に評判がいいから助かるわ」


俺はお姉さんにペコリと頭を下げる。


うれしいけど、あまり愛想よくしてはいけないと言われている。


俺の笑顔は女性を勘違いさせるそうだ。


この頃、背が伸びてきている俺は、おばちゃんたちにきつく言われている。


まあ、あの美少年王子の特上の笑顔は、俺でも反則だと思うわ。


 今日のバイト代をもらって斡旋所を出る。


さっき雨が降っていたので道はぬかるみになっていた。




 後ろからガタガタと馬車の音がした。


(なんか変な音だな)


貸し馬車屋にいるせいか、馬車の車輪の音がおかしいのに気付いた。


俺は道の隅に寄り、その馬車を避ける。


(あっ)


高級そうな馬車だが、ぬかるみに車輪を取られて傾いた。


「危ない!」


誰かが叫んだ。 女性の悲鳴も聞こえる。


ガターンと大きな音がして、馬車は横倒しになった。


俺は慌てて駆け寄る。


御者が怪我をしているようで、馬車の側に蹲り、馬は興奮していて誰も近寄れない。


俺はなるべく人が見ていない角度を確認して馬に近寄り<鎮静>を発動した。


作っておいて良かった、馬用の微妙な魔法陣。


大人しくなった馬に怪我が無いかを確認し、御者のほうへ顔を向ける。


「あ、あんた、誰か呼んで来てくれ。 馬車にお姫様が」


俺は目を剥いた。


急いで箱馬車の中を覗き込むと、そこにいたのは侍女らしい女性と、黒髪の姫様だった。


俺は息を呑んだ。




「おい、大丈夫か?」


貸し馬車屋の若旦那が駆け付けてくれた。


俺は箱馬車の中に入り、侍女の女性に手を貸して外にいる若旦那に渡す。


「馬車の修理と御者さんの怪我を見てもらえますか?」


と書いた紙を若旦那に見せる。


馬車の中に顔を突っ込んでいた若旦那は頷いて「分かった」とすぐに動いてくれた。


 そして俺は箱馬車の中で気を失っている黒髪の姫の様子を見る。


気を失ってはいるが怪我は無いようだ。 ホッと息を吐く。


自分が羽織っていた服に<洗浄>を発動し、姫様の頭からすっぽりと掛けた。


そおっと身体を抱き上げて何とか外へ出る。


 侍女の女性が駆け寄ってくるが、静かにと唇に指を当てる仕草をして、貸し馬車屋の中に運ぶ。


「あ、あの、ひ、姫様は」


俺は微笑んで侍女を落ち着かせる。 彼女はポッと顔を赤らめた。


「大丈夫?、ネス君。 こちらへどうぞ」


若旦那の奥さんが奥へ案内してくれて、姫様を長椅子に寝かせた。




 若旦那と一緒にクシュトさんが店に入って来た。


クシュトさんは俺の顔を見て安心したように息を吐く。


「馬車の修理は頼んで来たよ。 御者のおっちゃんは怪我と馬車を直したら帰るって言ってるけどいいの?」


若旦那が聞いてくる。 どうやら姫様の国の者ではなく、途中で雇われたらしい。


侍女は御者にとお金の入った袋を渡していた。


「何故、護衛がいない?」


俺はクシュトさんとこっそり筆談していた。


「後で話す。 城から馬車を手配してもらった。 すぐに迎えが来る」


俺は頷き、クシュトさんから侍女に話をしてもらう。


そして姫様の側に戻り、目が覚めるまでじっとその寝顔を見つめていた。



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