19・王子と名前


 新年の休暇が終わって王宮も空気が慌ただしい。


俺は午後からのお婆ちゃん先生の授業の時、また「宰相様にお願いがあります」を書いた。


「ふふ、相変わらずお元気そうですね」


うーん、元気というより大詰め?。


国王にも宣言しちゃったし、仕事も決まった。


後は何を用意すればいいのか考えないとな。


 俺がボーっと考え事をしている間、王子は先生と真面目に勉強している。


チラッと見ると、特に王子が調べているのは各領地や交易についてだった。


 地図は簡単なものしかない。


まあ戦争とかになると他国に知られるとまずいっていうのがあるらしいからね。


でも各地を飛び回る商人には必要だということで、大雑把だが街道を中心とした地図がある。


この国は穀倉地帯が多く、王都の外にも農地が広がっている。


この緑豊かな土地を巡って、昔から隣接国との争いは絶えなかったそうだ。


「現在の国王陛下は大変良く他国と交流されております」


十分な量を交易や支援という形で輸出し、王族同士の交流や会議を頻繁に行っている。


お陰で今は攻め込んで来る心配はないそうだ。




 俺は少しドキリとした。


あの黒髪の姫は隣の公国の姫君だった。


この国の王子の誰かと結婚、なんてことも有り得るのかなあ。


『また話を聞いていなかったな、ケンジ。


彼女の国は妹姫と二人姉妹だ。 おそらくどちらかが婿を迎えることになる』


あ、そうなんだ。


まあ、どっちにしても俺には関係ないけど。 うん。


 俺は一人でどんよりとしていた。


いつの間にか勉強も終わり、先生も帰っていた。


「ちょっと走って来ます」


いつもなら夕食作りもおばちゃんと一緒にやるのだが、今日はお願いして一人で外へ出た。


 雪は今日も少し降って、雪玉を投げた木の側にはまた新雪が積もっていた。


白い雪が夕陽の色に染まる。


俺はしゃがみ込んで雪玉を何個も作る。


何も考えたくなくて、無心に木に向かって投げる。


「なんだ、坊。 下手くそだな」


ガストスさんが俺の横に立って、貸してみろと雪玉を奪った。


そして、ほいっと投げる。


クシュトさんほどではないけど、しっかりと的である木に当たった。


俺は何だか悔しくて、哀しくて、雪玉を作るとその場から少し離れた。


(えーいっ)


俺はガストスさんに向かって雪玉を投げた。


予想もしなかった爺さんが「つめてっ」と驚いて振り返る。


「このやろお」


ガストスさんが雪玉を投げ返すが、俺はひょいひょいと逃げ回る。


あはははは。 いつの間にか俺は笑っていた。




 小屋に戻ってガストスさんと二人でいつものように夕飯を食べる。


宰相様にお伺いを立ててはいるが、特に返事を待つつもりはなく、俺は明日から貸し馬車屋へ出勤する。


「そういや、斡旋所を通すんだっけか」


「はい。 登録しておけば他の町へ行っても実績として残るそうです」


俺の書いた文字を目で追って、ガストスさんは頷く。


「それで貸し馬車屋の若旦那は坊を斡旋所で探してたわけか」


板に張った紙で筆談する金持ちのぼんぼんなど俺しかいない。


誰かが斡旋所で見たと教えてくれたと若旦那は言っていた。


そして、たまたま訪れたおばちゃんを、受付のお姉さんが知り合いらしいと教えたそうだ。


「明日、クシュトさんと登録に行きます」と書く。


早朝に馬の世話をした後、斡旋所へ行って登録してから戻って来る。


早過ぎると登録手続きをする斡旋所の窓口が開いていないのだ。


「でも毎日となると、クシュトさんも忙しいのに悪いかなあ」


俺がためらいがちに書いた文章を、ガストスさんは笑い飛ばす。


「大丈夫だ。 あいつは弟子が何人もいるから、何かあればそっちが動く」


そういえば、仕事のし過ぎでギクシャクしてたんだっけ。


この際、適度に難しい仕事から手を引いたほうがいいんだとガストスさんは言う。


どんな仕事なのか、俺には分からないけれど。




「でも、坊。 登録には名前がいるぞ」


あー、そうだった。


名もない通りすがりには仕事なんて斡旋してもらえない。


俺は王子に聞いてみる。


「名前、どうする?」


『どうする、とは?』


「そうだな。 こういう場合は偽名とか付けるんだけど、王子はどう思う?」


『どうせ王子として登録するわけじゃないから、どうでもいい』


俺はガストスさんに「偽名でもいいですか」と書いて聞いてみる。


「ああ、かまわん。 住処も定まらない者が多いからな」


とりあえず仕事をする時だけ使う名前でもいいらしい。


「それじゃあ、ネスティでどうでしょう」と書く。


ケイネスティのネスティ。 知っている者なら分かり易いんじゃないかな。


「ふむ、割とありふれた名前だから違和感はないだろう」


ガストスさんはどこにでもある名前だから良いと言う。


俺の元世界でいう鈴木太郎みたいな感じかな。




 翌朝、まだ暗いうちに起き出し、そっと雪に足跡を残さないように歩く。


これが結構邪魔臭いので、昨日のうちにこの辺りは走り回って足跡を付けておいてある。


その上を歩くようにすれば大丈夫のはずだ。


庭師のお爺ちゃんに古着をお願いしたら、お孫さんのお古をくれた。


ちょっと大きめだけど、これなら馬小屋でゴソゴソしてても目立たない。


 早朝の町は勤めに向かう人々が足早に歩いている。

 

「お、早いな。 おはよう、ちょっと待ってな」


町に溶け込んでいると思ったけど、店の前の雪かきをしていた若旦那に見つかった。


「どうして分かったんですか?」と書くと、若旦那は笑いながら柵の前にいた黒い馬を指さした。


「あいつが坊やを見つけて、早く入れろってうるさいんだ」


ぺこりと頭を下げて柵の中へ入れてもらい、黒い馬にも挨拶をする。


一通りやることを教えてもらい、今日は二人で作業をする。


「明日からここへ来たらこの鈴を鳴らしてくれ」


小さな鐘のような鈴が柵の横に付けられていた。


「来た時に鳴らしてくれれば坊やが来たなっていうのが分かるからな」


帰りは鈴をならして若旦那かお嫁さんに確認をしてもらうことになっている。


 それより、今朝はお嫁さんが朝食を用意してくれた。


ホットケーキみたいな甘い匂いがするパンで、ジャムをいっぱい付けてくれた。


俺は「ありがとう」「美味しいです」をいっぱい書いて見せた。




 その後、クシュトさんと合流して斡旋所へ行く。


やはり朝は人が多い。 受付には若旦那もついて来てくれて、登録は手早く済んだ。


受付のお姉さんから「ネスティ」と書いた名刺くらいの大きさの登録カードを受け取った。


斡旋所からは雇い主に勤務票が渡される。


それに若旦那が、俺の仕事をした日や時間を記入し、サインをして何日か分をお金と共に斡旋所へ持ち込む。


斡旋所は雇い主からの勤務票を確認し、金額に間違いがないか調べ、手数料を取る。


俺は、指定された給金日に斡旋所で自分の登録カードを見せて、お金を受け取るという流れだ。


「ネスティ、ネスか。 良い名前だ」


若旦那は「これは大昔の英雄の名前だ」と教えてくれた。


それで多くの家庭で、男の子が産まれると付ける人気のある名前なんだそうだ。


俺は英雄になんてなれそうもないけど「名前に恥じない大人になります」と書いた。


受付のお姉さんもニッコリ微笑んでくれた。




 午後に宰相様がお婆ちゃん先生と一緒にやって来た。


俺が斡旋所の登録カードを見せると、こめかみに手を当てて唸った。


「貸し馬車屋で馬のお世話をしています」と書いて見せる。


金額やその他も、クシュトさんが問題ないと言っているので大丈夫だろう。


宰相様が呆れてため息を吐いている横で、先生はニコニコしていた。


「うふふ、本当にあなたはお父様にそっくりね」


どうやら国王も子供の頃に同じことをしていたらしい。


「嫌なところが似ていて困ります」


白髭の宰相様は小声でぶつくさ言っていた。


そして出来るだけ貸し馬車屋の馬小屋から出ないということを固く約束させられた。


「何かあったら必ず連絡をしてください」


これは周りのガストスさんやおばちゃんたちに向けて言ったみたいだった。


 宰相様が帰った後、俺はお婆ちゃん先生から国王陛下の子供の頃の話を聞いた。


「自由気ままな方でしたが、それでも責任感は強い方でもありました。


ですから、国民を見捨てられず、王宮に戻られたのでしょう」


王子はそっぽを向いているが、俺はそれなりに尊敬出来る国王だと思った。



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