14・王子と冬


 俺の日課に乗馬の訓練が加わった。


早朝、空が白くなる頃にクシュトさんが訓練用の馬を連れて来た。


身体を動かすことがあまり好きじゃない王子は出て来ない。


でも動物は好きらしく、触ったり乗ったりするのはまんざらでもないようだ。


 クシュトさんが連れて来たのは、貸し馬車屋の黒い馬だった。


「この馬、どうしたんですか?」


俺は綺麗に磨いた板にピンで張り付けた魔力紙に文字を書く。


板は文字を書くために、首から下げる紐が対角線に付いている。 元の世界での画板を参考にした。


「ああ、この馬な。 もう年寄りで仕事には出ない奴らしくてな」


見かけは良いので客寄せに道から見やすい場所に置いていたそうだ。


俺はまんまとその策に引っかかってた訳だ。


「お前の練習の時間だけ借りることになった」


おとなしい馬なので、誰が乗っても嫌がらない。


 とは言っても、手綱はあるが鞍はないので現在作ってもらっている。


それが仕上がるまで裸馬に乗ることになったが、特に問題がないのは馬のほうが慣れているからだ。


本当なら馬の世話もしたいところだけど、俺の小屋には馬小屋が無い。


早朝の僅かな時間のふれあいで我慢するしかなかった。


ペットを飼うなんて夢は、まだまだ遠い。




「でも、良く王宮が許しましたね」


魔法紙に書いた文字はしばらくすると消える。


王宮にも馬はいるし、他の王子たちも乗馬の訓練があるからそれなりにおとなしい馬もいるはずだ。


それを外から借りるのは、王宮の馬係りにすれば嫌がらせと思われても仕方ない。


「俺もそろそろ引退が近くてな。 割と自由にさせてもらっている」


クシュトさんは優秀な影だが、それでも年齢には勝てない。


「次代が育てば俺もすぐに無職だ」


自嘲気味に笑っていたが、「それならぜひここに」と書いたら目を丸くして驚いていた。


「このわしを怖がらないとは。 お前さんは本当に面白いな」


王子は怖がってるけど、俺は特に実害がなければどうでもいい。


それにこの黒いお爺さんがいなかったら俺は外に出してもらえなかっただろう。


 目立たないこげ茶の髪と穏やかそうな茶色の瞳。


いつもダボっとした服装なのは体形を誤魔化すためだ。


「ガストスさんが連れて来た人に悪い人はいません」


王宮には悪い人はいっぱいいますけど、と書いていたらククッと笑われた。


「お前さんの側にいるのも楽しそうだ」


そう言うと俺の肩をポンッと叩いて、黒い馬に乗ってみせた。




 冬の真ん中に、新年を祝う儀式がある。


俺は今まで病弱ということになっていたので、王宮の儀式には出たことはない。


まあ、今も王族とは認めてもらっていないから出る必要もないんだけど。


「どうしてですか?」


宰相様が、俺に儀式用の服を作るようにと縫製の職人を連れて来たのだ。


魔法紙を張り付けた板を見て驚いている。


白髭の宰相様は、コホンと一つ咳をして話してくれた。


「アリセイラ姫様がどうしてもケイネスティ様とご一緒にと」


どうやら盛大に駄々をこねたらしい。


宰相様も従者たちも、姫の可愛らしいおねだりには逆らえなかったようだ。


王族ではなく、アリセイラの従者の一人としてならということで、儀式に参列することになった。


俺は邪魔臭いので思いっきり嫌そうな顔をしたが、王子は「はい」と承諾の返事を書いた。


その様子を宰相様が興味深そうにじっと見ていた。




 採寸を終えた縫製職人が王宮に戻り、宰相様と二人っきりになった。


応接用のソファに向かい合わせに座り、俺はまだ何かあるのかと構えてしまう。


「その、其方は本当に、ケイネスティ王子なのか?」


その声は、まるで独り言のように小さい。


俺が首を傾げると、宰相様は顔を背けた。


「な、何でもない」


そう言いながらも、チラチラとこちらを窺っている気がした。


「何か仰りたいことでもあるのですか?」


こちらから聞いてみる。


 宰相様は冷めてしまったお茶をごくりと飲み干した。


「どうも最近、ケイネスティ様が二人おられる気がしてな」


俺は動揺を隠して「そんなバカな」と、一緒に笑う。


王宮でも俺は「まるで別人の双子がいる」と噂されているとおばちゃんたちが教えてくれた。


俺の存在自体は隠しているはずなんだが、小屋に住む変わった子の噂は有名だった。


同じ顔なのに、全く雰囲気が違う時がある、ということらしい。


 おとなしくて魔術が好きな王子と、外へ出たがり、嬉々として剣を振り回す俺。


俺たち二人はやりたいことが違っても、身体は一つしかないのだ。


当然、昼間会う人たちが見ているのは俺のほうが多い。


 しかし、ここは王子が産まれ育った場所だ。 昔の王子を知っている者も多少いる。


「……私はこれでも幼い頃のケイネスティ様を良く知っている」


その顔には苦渋が浮かんでいた。


「病に倒れ、苦しんでおられる姿を見ているしかなかった」


まだ幼い子供が虚ろな瞳でベッドに横たわっている姿を想像して、俺は心が塞いだ。


「以前は医術者に言われるままに部屋に籠り、静かに過ごされることにご不満はないようであった」


 それなのに、身体が健康になったとたんに、行動的になる。


剣術に馬術、庭仕事に勉強。 城の外へ出ていることも聞いた。


「丈夫になられたのは結構だが、少々やり過ぎな気もしておる」


苦笑を浮かべた白髭のおじいちゃんは、青い目でじっと王子の姿を見た。


「あなた様は、お若い頃の国王陛下に良く似ておられる」


姿形は母親似らしいが、とんでもない行動や他人を思いやるやさしい心は国王の子供の頃にそっくりだという。


三男だった国王は、常に心は城の外に向いていて、成人するとすぐに旅立ってしまったという。


そんなところまで似ているのかと俺はドキッとした。


「ご病気でさえなければ王太子となられていたはずなのに」


宰相様は肩を落とし俯いた。


今のままでは、いずれ王太子はケイネスティの弟の第二王子になる。


俺はいつも厳しい顔をしている宰相様の目に涙が光ったのを見た。




 それから一週間ぐらいして、町は雪に覆われた。


「おー、こっちでも雪は降るのか」


『国の南のほうは降らないところもあるみたいだよ』


お婆ちゃん先生の指導のお陰で、王子もだいぶ博識になった。


『ケンジも一緒に聞いたはずだけど』


褒めたのに、ハァとため息を吐かれた。


うーん、俺はいまいち興味が無いことは覚えられない。


身体を動かして覚えることは割と得意なんだけどな。


 王子の身体は思ったより丈夫だ。


疲れても一晩寝るともう回復している。 これは若いせいかな。


俺は病気を発症するまではサッカーが大好きだった。


じっとしているより、ボールを追いかけて学校の運動場を走り回っていた。


そして走っている最中に倒れたのだ。


ずっと諦めていた運動が出来るようになって、俺は本当にうれしい。


 しかし鍛えても鍛えてもあまり筋肉がつかないのはどうしてだろう。


背は多少伸びているが、体形が細いままなのだ。


『おそらくエルフの血が入っているせいだと思うよ』


エルフという種族は特徴的な耳をしていて、金色の髪に美しい緑の瞳。 男女共に華奢な身体つきをしている。


自然を愛し、森に住む種族で滅多に人前には現れないそうだ。


「じゃあ、どうやって知り合ったんだろうなあ」


俺は、ぜひ自分もエルフに会ってみたいと思った。




 雪の中の町は静かだった。


こんな日にも外へ行くのかとガストスさんに呆れられたが、


「こんな日でも体作りはお休みじゃないでしょ?」


と書いたら、屁理屈だとゴツンと頭に拳骨が落ちた。


それでも俺は行くんだけどね。


「今日も斡旋所か」


「はい」


最近はずっと斡旋所でどんな仕事があるのか調べている。


 魔法紙の板はもう隠さないようになった。


何度も通ううちに商店街の人たちも俺がしゃべれないことに気が付いたのだ。


クシュトさんを通さずに話したい時はどうしても紙を出す。


そんなことを繰り返して、今では大っぴらに筆談している。


しゃべれない王子がいることを王宮が隠していたせいで、王宮関係者でも知らない人もいるみたいだしね。


『そうだね。 十三年前のことだからな』


王子は王宮の隅の部屋にずっと軟禁状態だったのだ。


世話をしていたのは例の三人。 その他で知っている者は少なかった。


お陰で「ちょっと変わった子」ぐらいであまり気にされなくなっている。


一応クシュトさんが付いているので、宰相様は黙認してくださっているみたいだ。


雪の町での寒さは元の世界とあまり変わらなかった。


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