8・王子と姫君
春が来て、俺が王子の中に入って三年目に入った。
王宮の庭の片隅にある小屋をもらい、俺はそこに引退した老兵のガストスさんと二人で住んでいる。
庭師のお爺ちゃんと、食料を届けてくれるおばちゃんが良く顔を出す。
あとは畑仕事を教えてくれるおばちゃんたちが、入れ代わり立ち代わりで出入りしている。
そして、週三で俺に勉強を教えに来てくれる老婦人の先生。
お年寄りが多いけど、皆、俺のことを本当の孫みたいにかわいがってくれている。
ごくたまに宰相であるオーレンスさんが、俺の様子を見に来る。
おばちゃんが気を利かせてすぐに小屋の中に案内し、お茶を出してくれた。
「なかなかがんばっているようですね」
お婆ちゃん先生から色々と聞いているらしい。
「体力も年相応になったようだし、魔術の勉強もしているそうだな」
この人がこの小屋の地下にあった魔術師の部屋の鍵をくれたからだ。
えーっと、「宰相様のお陰です。 ありがとうございます」と紙を見せる。
お茶を飲んでいた白髭の宰相様の顔がピクリと動く。
「そういうところは、まるで大人のようだな」
この人が来ると王子が引っ込んじゃうんだよね。
俺はこの人は敵じゃないと思ってるけど、王子は苦手なんだろう。
まあ、こっちは声が出ないから紙に書いて見せているだけなんだけど。
「今日は何か御用ですか?」
のんびりメモ帳に文字を書いていたら、後ろに回り込んだ宰相が手元を覗き込んでいた。
宰相が「うむ」と唸る。
「実は困ったことがあってな」
まだ書き終わっていないのに、宰相様はそう言って顔を顰めた。
「アリセイラ姫様が、ここに来たがっている」
たった一人の妹だ。 王子もうれしそうにしている。
この小屋に移ってからはまだ一度も顔を見ていない。
「二年ほど前に一度ご様子を見ることは許可いたしましたが」
あの時、俺はアリセイラの持っていた筆談用のノートに自分の現状を訴えたメモを挟んだ。
お陰でこちらは待遇が改善されたわけだけど、メモが見つかったアリセイラ側は大変な騒動になったらしい。
さっと「ごめんなさい」の紙を見せる。
汎用の高い文字は事前にいくつか書いて別に持っている。
素早い謝罪に宰相様は余計に訝しい顔になる。
「まあ、とにかく。 ここは王宮の中であって中ではない。
ケイネスティ様もあれからどうも王族としての自覚がなくなってしまったようであるし」
う、それは、王子じゃなくて俺が前面に出ているからな。
「以前の殿下を知っている者には、全く別人のようだと言われております」
以前の王子、か。
きっとおとなしく何でも言うことを聞いて、ただ寝ていたんだろうな。
でもそんなことを知っている人っているのかな。 例の三人は捕まったはずだし、他に知り合いって。
もしかしたら、この宰相様のことじゃないか?。
「ご心配おかけして、すみません」と書いたら、ため息を吐かれた。
「おやさしい所は変わっていらっしゃらないですな」
そう言って明日の午後、ほんの少しの時間だが姫様を連れて来ると言った。
深く頭を下げたら「本当に庶民のようだ」と呟くように言った。
簡単に頭を下げるのは良くないのかも知れない。
翌日の午後、約束通り、王子の妹のアリセイラ姫が来た。
「お兄様」
小屋の前で、少し大きくなった妹を出迎える。
宰相様までついて来た。 うっわー、すごい邪魔。 王子が引っ込もうかどうしようかと悩んでいる。
でも妹かわいさにふんばって、前に出て来た。 俺はここは一歩引いておく。
「アリ、大きくなったね」
王子はいつもより大きく分かり易い文字を書いていた。
「うんっ。 お勉強もがんばってるの」
六歳になったアリセイラはまだ無い胸を張る。
微笑ましく見ていると、ちらりと誰かの視線を感じた。
王子が顔を上げると、宰相様の側に一人の女の子が立っている。
「今日はね、お友達も一緒なの」
そう言ってその女の子を連れて来た。
聞いてないよ?、とチラリと宰相様を見る。 目を逸らしやがりました。
きっとアリセイラ姫が無理を言ったんだろうね。
「フェリア姫よ。 隣の国のお姫様なんだよ」
「フェリアと申します。 ご病気と伺っておりましたが、お元気そうで良かったですわ」
十二、三歳くらいの少女がニコリと微笑んだ。
俺はその子を見て驚いた。
優雅に挨拶するその姿は、子供なのにとても品がある。
美しい長い黒髪に白い肌。 つぶらな黒い瞳、ほんのりと桜色の唇。 メリハリのある身体。
しかし、彼女の美しい顔の半分が、青黒い痣に覆われていた。
俺はごくりと息を飲む。
だが王子は王族らしく優雅に彼女の手を取って、甲に軽く口づけをした。
「私はもう王子ではありませんが、アリセイラの兄であることに変わりはありません。
フェリア姫様、どうか妹と末永く仲良くしてやってください」
突然のことだったので手早く書いた文字は、少し乱れていた。
それは俺の動揺だったのか、王子も少し動悸が激しいような気がする。
「もう、お兄様ったら。 フェリア姫様がおきれいだからってそんなに見つめてはいけません」
王子はハッとして手を離した。
「本当におきれいで驚きました」と書いた紙を見せる。
「いいえ、そんなに気を使わないでくださいませ。 自分が醜いことは承知しておりますので」
フェリア姫は寂しそうに笑う。
俺は王子から主導権を取り戻し、急いで書いた。
「とんでもない!。 そのサラサラと美しい黒髪も、 白い肌も、その唇も愛らしいです」
それを見せながらフェリア姫をガン見しいると、彼女の頬が赤くなったのが分かる。
でも俺は決してロリコンではない!。
将来が楽しみな美少女だから、暗い顔がもったいないと思ったんだ。
実際俺は、この国に来てから、こんな美しい黒髪を見るのは初めてだった。
懐かしいといえばいいのだろうか。
彼女はどちらかというと俺の記憶にある日本人に近い顔立ちをしていたのだ。
俺は久しぶりに母や姉の顔を思い出していた。
「あ」
フェリア姫が手にしていたハンカチのような布で、俺の顔にそっと触れた。
どうやら俺は涙を流していたらしい。
「どうなさいましたの?」
妹もフェリア姫も、突然涙を流した俺に戸惑っている。
俺は何でもないと軽く頭を振って笑顔を見せた。
「失礼しました」と書いた紙を出しながら、俺は王子と入れ替わる。
王子らしい笑みを取り戻し、二人の姫を連れて小屋の中へと案内する。
おばちゃんが用意してくれていたアリセイラの好きそうなお菓子とお茶を出す。
今日は高級そうな紅茶だ。
俺がもう失態をやらかしたので、フェリア姫は安心したのか、普通に話をしてくれている。
もし、俺がやらかしていなかったら堅苦しい雰囲気のままだったと思う。
だから予定通りということにしておく。
俺は王子の意識の下に隠れ、彼女をじっと見守っていたが、王子はちゃんと妹を甘やかしていた。
「キース兄様はいつもお父様と一緒にいて、私とは遊んでくれないの。
クライス兄様はお勉強ばかりだし、ギル兄様は他の子と遊んでばかりいるの」
ケイネスティ王子の弟は二歳年下のキーサリス王子、三歳下のクライレスト王子、四歳下のギルデザス王子の三人だ。
皆、なかなか忙しいみたいだね。
アリセイラ姫は王子がニコニコと何でも話を聞いてくれるのがうれしいようだ。
「あ、お兄様。 私ばっかり話してごめんなさい」
「気にしないで。 楽しいよ」
そう書いて見せたら、少し顔を赤くしてムフーと鼻息を吐いた。
俺は上の兄姉はいたけど、下はいなかった。 本当にかわいい。
予定の時間よりだいぶ遅れて、宰相様がそろそろと腰を上げた。
「お兄様、また来てもいい?」
アリセイラ姫にそう言われ、王子はちらりと白髭の爺さんを見た。
首を振る白髭の爺さんを無視して「いつでもおいで」と紙に書いていた。
そして俺は、最後にどうしても彼女に挨拶したくて前に出る。 王子は何も言わずに引いてくれた。
俺はこっそり書いていた手紙を、後で読んでくださいと彼女に渡す。
「今日は失礼しました。 妹と仲良くしてやってください」
メモ帳にそう書いて見せると、フェリア姫は言葉ではなく頷いて微笑んでくれた。
そして、俺のメモ帳にそっと手を出して、ペンを受け取る。
「ありがとうございます。 私もアリセイラ姫様が大好きです」
と書いてくれた。
俺はまた泣きそうになった。 なんて優しいお姫様なんだろう。
本当の俺の年齢からしたらずっと歳下なのに出来る子だ。
王子に「結婚するならこんな子にしろよ」と言ったら、マジで呆れられた。
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