7・王子と魔法陣
翌朝、俺はいつも通り畑の見回りをしてから、ガストスさんと体力作りと剣術の稽古をした。
小屋の周りを走ったり、木剣の素振りをしたり。
最後はいつもガストスさんと実戦のように剣を打ち合う。
適うはずもなく何度も転がされる。
「ようし、ここまでだ」
ハアハアと荒い息を吐きながら、俺はガストスさんの服を掴んだ。
「お願いがあります」
急いでメモ帳の紙をめくりながら見せる。
「魔術の練習に付き合ってください」
もう一度「お願いします」の紙を見せる。
「そんなにお願いせんでも、ちゃんと付き合ってやるわい」
陽に焼けた爺さんの顔は笑っていた。
木陰で水筒を取り出して水分補給をする。
少し休憩した後、練習用の小さな広場の真ん中に立つ。
呪文まで書き込んである魔法陣の紙を取り出す。
俺はそれをあの日と同じように、足元に置き、その上に足を乗せた。
興味深そうに見ているガストスさんに笑顔を向ける。
<発動>
もちろん声は出ないので、心の中で叫んだ。
真っ直ぐに伸ばした右手。 指の先にボワッと熱が起きた。
キターー!。
「おお、坊。 魔法使えたんだな」
指の先に小さな火が灯っている。 あ、あれ?。
もう少し大きい火を予定してたんだけど、まあいいか。 どうせ料理の竈に使うための火なんだし、うん。
俺ががっかりしているのを見て、ガストスさんが、
「どうした?」
と聞いて来た。
「もう少し大きい火のつもりだったんです」と書いた紙を見せると、大笑いされた。
「そりゃあ、坊。 魔法陣が小さ過ぎるんじゃねえか?」
俺がきょとんとしていると、
「魔法の威力は魔法陣の大きさにも関係あるらしいぞ」
と話してくれた。
そういえば、最初に使った魔術師の婆さんの魔法陣は、俺がすっぽり入ってもまだ余裕がある大きさだった。
今、目の前にあるメモ帳はせいぜい俺の片足が乗る程度だ。
俺が黙って頷くと、ガストスさんは呆れていた。
「そんな事、基本だろう」
「てへっ」と書いた紙を見せると、今度は王子から『呆れた』と声が聞こえる。
昨夜、いっぱい書いたメモ帳の魔法陣は全部同じ大きさだ。
この大きさのメモ帳しか持っていなかったからな。
とりあえず、せっかく書いたから全部手当たり次第に試した。
小さな水たまり、わずかな風、ちょっとだけ動く土。
「普通、魔術師は呪文を詠唱して初めて魔法が発動するもんだが、坊は当たり前だが無詠唱なんだな」
それで発動するだけマシだとガストスさんは褒めてくれた。
夜になり、昼間の反省も含めてもう一度魔法陣を書く。
「筆談用のメモ帳とは違う魔法陣用の紙が必要だね」
『そうだね』
「うーん。 本に魔法陣の大きさが描いてあったのは知ってるけど、単位がなあ」
大きさを表す単位が違うので、俺は良く分かっていない。
今度は大きさが違うモノを何枚か書いてみる。
「やっぱり、実際にやってみないと分からないってことだな」
一つの魔法に必要な魔法陣の大きさを検証しないといけない。
『そうだな。 特にケンジは失敗しないと分からないようだし』
ちょっと悔しい。
王子に頼ってばかりいないで、文字も真剣に勉強しようと思った。
「それともう一つ疑問があったんだけど」
魔法陣がひと段落して、お茶を飲みながら少し休憩中。
この世界のお茶は緑茶に近い。 飲み慣れているのでうれしい。
「魔法を発動する時、色が無かった」
『うん?』
「あのさ。 魔術師のお婆さんの魔法陣は、こう赤い色がついてた気がするんだ」
もうだいぶ前のことなので、記憶もあやふやになっているが、あの赤は強烈だったので覚えている。
『色は魔法の特殊性かな。 普通は色は無いぞ』
魔術師の婆さんの魔法陣のように自分自身で考え出したような魔法は特殊なんだそうだ。
魔導書が勝手にぴらぴらとまくれて、どこかのページで停まる。
幻影の小さな魔術師がそこを杖でピタピタと示した。
「なるほど」
古来から使われているような誰でも使える魔法陣は色が無いと書かれている。
しかし、魔術師のお婆さんのように自分で作り出す人もいるのだ。
そうなると危険度で色が変わるらしい。 あの強烈な赤はきっと危ない部類だったのだろう。
何せ異世界人をこの世界に定着させちゃったんだもの。
『作り出そうとする者は滅多にいないようだ。 新しいモノというのはどうしても危険が伴うからな』
「ふうん。 でも危なくない魔法ならいいんじゃない?」
火とかは危ないだろうが、例えば植物の成長など、他人に影響がないものなら簡単に出来そうな気がする。
『その場合は細かな設定が必要になるだろうな。 どれくらい成長させるのか、大きさはどれくらいにするのか』
誤って大きくなり過ぎたり、成分が変わってしまったりする危険があると王子は言う。
「むう、そこまで考えないといけないのか」
『だから皆、簡単に使える汎用のモノを使うのさ』
「そうかー。 分かったよ、ありがとう」
小さな魔術師はうれしそうに杖を振り回して踊っていた。
最近、この幻影は俺が何かを理解すると、こうして身体全体で喜びを表すようになった。
失敗すると指先をチクチク刺すのを止めてくれれば、もっとかわいいと思うけどな。
それからの俺は、出来るだけ王子の知識に頼らずに文字を書くことを心掛けた。
冬になって畑仕事もなくなると、五十音を覚えた子供の頃のように表を作ってみる。
王子は興味深そうに覗き込んできた。
そして、王子も一緒になってこちらの五十音を覚え始めたのである。
王子の発音はきれいなので、一つ一つの音がはっきりと分かって気持ちいい。
やがて春になる頃には、俺は文字の読み書きに不自由しなくなった。
だけど、もしかしたらこれは王子が俺の世界の言葉を覚えたからじゃないだろうか。
何となく分かる程度だった王子の意識から、俺の想像通りの言葉が浮かぶようになったのだ。
紙飛行機を折って、「飛べ」と呪文を書いた魔法陣に片手を置いてを発動する。
自分より大きな魔法陣は踏むしかないが、小さいモノはこれで十分だということが分かっている。
「お、動いた」
部屋の中で小さな紙飛行機がすいーっと動き出し、そのまま壁にぶつかって落ちる。
俺が感動していると、王子は首を横に振った。
『ケンジ。 これは魔法としては不十分だ』
「えー」
口から発する言葉としては「飛べ」でいいらしいが、魔法陣だけで発動する場合は細かな設定が必要になる。
言葉としての詠唱は本人のイメージがその言葉に宿る。
だけど文字として直接魔法陣に書く場合は細かい設定を必要とするのだ。
『飛ぶ、部屋の中の物にぶつからない、ゆっくり、一周して着地』
最低限これくらいは書けと指示してくる。
紙が小さいので苦労したが、書き終えて発動する。
「おお」
紙飛行機はすいーっと動き出し、部屋の中をくるりと一周して机の上に戻って来て止まった。
『魔法は発動した時点でちゃんと最後をどうするか決めたほうがいい』
王子は魔導書のページを開いて、幻影の小さな魔術師と一緒になってページをトントンと示す。
原因と結果。 そういうことかな。 ほんとに王子は魔術に関しては真面目だなあ。
「分かったよ」
俺が頬を掻きながら言うと、小さな魔術師はくるくると踊りを披露した。
「だけど、そうなるとやっぱり口で呪文を言ったほうが早いし、短くて済むんだよな」
王子の顔が曇る。
「あ、ごめん。 王子が悪いわけじゃないよ。 ただそういうものだっていう話で」
俺が慌てて声が出ない王子のことを慰めようとしたが、王子はただ顔を背けた。
『ああ、分かってる。 普通に生活出来るものは、他人が出来ないということが理解出来ないからな』
おいおい、この王子、ほんとにまだ十二歳なの?。
王子の声を出せないという呪いは、身体的なものではないそうだ。
うめき声一つあげられない王子は、おそらく『声による意思伝達が出来ない呪い』なのだと言う。
そういえば、最初この世界に来た時、王子の身体であっても俺自身の声は発することが出来た。
その後、王子と一心同体になってから声が出なくなっている。
王宮でも解呪は誰もが最初に思ったことだ。 だけど十年以上経っても状況は変わっていない。
俺がこの世界に来たことくらいだ。
「そうだった。 俺がこの王子の状況を変えるために、魔術師の婆さんが送り込んだのに」
ごめん、魔法に夢中になって忘れてたよ。
今はまだ無理だけど、いつか解呪の勉強もしなきゃね。
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