1-3

 私たちは名乗りながら歩いて、着いたのは体育館裏だった。いつもどおりに人けがない。

「三人にこれを渡しておくっシュ」

 ゆーま君はしっぽの先を自分の前に動かして、手をしっぽ玉(だま)に突っ込んだ。水の滴みたいに飲み込まれて、ゆーま君は小さなものをいくつか取り出した。

「折り紙?」

「ボックの妖力を染み込ませてあるっシュ。一つずつあげるっシュ」

 どれもタコを折ってあって、結構上手。犬そのものの手で作ったんだとしたらすごい。

「カギみたいなものっシュ。持ってたらこの中に入れるっシュ」

 ゆーま君が指さしたのは、体育館裏の壁。校舎と同じように白くて、ひどい汚れはない。

 下の方に小さな印が付けられていた。切ったカマボコを横に縮めたみたい。真ん中に縦線が入っているから、門を連想させる。描くのに使ったのは筆と墨汁とか? ちょっと垂れている。

「その折り紙を手に持ってないと、見ることもできないっシュ」

 いわれたとおり、折り紙をポケットに入れると門マークが見えなくなる。折り紙を手で持つとまた見えるようになる。ただの落書きじゃない。口でくわえたり足の指にはさんだりしたらどうなるんだろう。

 ゆーま君は門マークに触って、消えた。私たちは恐る恐る触って、辺りの景色が一瞬で変わったように感じた。

「ここ、どこ?」

 私たちのいる場所は、体育館裏じゃなくなっていた。体育館の中でもない。

 教室よりせまくて、私の部屋より広い部屋。テーブルやソファーがあるからくつろげそう。変なのは、カサ立てみたいな形のツボ。ササが挿してあって、観葉植物の代わり? 七夕には早い。

「さっき作ったボックの部屋っシュ。ゆっくりしてほしいっシュ」

「ど、どーも」

 私たちは長いソファーに並んで座った。ゆーま君は一人がけのソファーに腰を落とす。子犬サイズの体には大きすぎる感じだった。

「……それで、お願いって何なの?」

 私が切り出すと、ゆーま君は悲しそうな顔をした。

「実は、ボック……前に住んでたところを追われてここに流れてきたっシュ」

「追われたって、どうして?」

「ボックたちにも、仲がいいとか悪いとかあるっシュ」

 人間関係、もとい妖怪関係。そういうのが大変なのはあっちも同じらしい。

「だから、この学校を縄張りにして住みたいっシュ」

「ちょっと待て!」

 アミちゃんが立ち上がって、ゆーま君の言葉をさえぎった。

「妖怪が住みついたらまずいことになる、とかあるんじゃないか?」

 ゆーま君は驚いてソファーの陰に隠れていた。

「妖怪は、人間がこぼす感情のエネルギーを吸って栄養にすることもできるっシュ。学校は人間が集まるっシュから、妖怪がこっそり住むのは普通っシュ。何もいないここが珍しいっシュ」

 顔だけ出して答える。

「人間をおそう妖怪も世の中にはいるっシュ。でも、そんなことしたら人間が逃げちゃって感情を吸えなくなるっシュ。普通、自分の縄張りを住みにくくするなんてありえないっシュ」

 私は二人の話を聞いて思った。トラブルのせいで学校が休みになったらうれしいかも……いやいや、そんなのはさすがにまずい。

「この学校はボックの縄張りだって目印を付ければ、他の妖怪が入ってきにくくなるっシュ。ずるがしこい妖怪がフラッと来て悪さするのを防げるっシュ」

 私には、ゆーま君がそういう妖怪じゃないように見える。人をおそう妖怪だったら、子どもにいじめられたりしないだろうし。

「じゃあ、目印ってのはどうやって付けるんだ?」

 アミちゃんが座り直すと、ゆーま君はソファーの上にそろそろと戻った。

「この学校に、ななフシギを作るっシュ。学校のななフシギは、妖怪が自分の縄張りだって示すために作るものっシュ」

 ななフシギ。私も知っている言葉だった。ツキちゃんはメガネを光らせて、スマホを取り出した。軽やかな動きでボタンを押していく。ネットで検索するためだ。

「学校のななフシギ……いろいろなところにある噂話ですね」

 ここは不思議な部屋だけど、電波は通じているみたい。不思議だ。

「トイレに花子さんがいるとか。理科室の骨格標本がひとりでに動くとか。鏡に変わったものが映るとか。うちの学校で聞いたことはありませんけど」

 私が知っているのも、教室の噂話で聞いたからじゃなくて怪談関係の本で見たから。ゆーま君はうなずく。

「ななフシギは生徒同士の噂から生まれるっシュ。長く続いてる学校、大勢の生徒がいる学校ほどいっぱいっシュ」

 うちはできてから十年ちょっと。今までにいた生徒の合計数も少ない。それに校舎も体育館もきれいで不気味さが少ないから、余計にななフシギがなさそう。

「ななフシギなんて、どうやって作るの?」

 尋ねると、ゆーま君はしっぽ玉を私たちの前に動かした。丸くて、天井の明かりを反射する。

「この玉のそばで噂話をしてほしいッシュ。そしたらボックの妖力からななフシギが生まれるっシュ」

 アミちゃんはうさんくさそうな顔のまま。ツキちゃんはスマホと玉を交互に見る。そして私は。

「本当に、そんなことできるの?」

 正直、興奮していた。パッチンガムの作り方を教えてもらった気分っていうかいたずら心を刺激されたし、自分で考えたものから何かが生まれること自体もすごいと思った。

「でも、どういうななフシギにしたらいいかな」

 ツキちゃんが私にスマホを手渡した。

「大抵は怖いものみたいですね」

 ディスプレイに〈学校の七不思議〉と映っている。そういう怪談をまとめたサイトらしい。スクロールさせると例がいくつも並んでいて、私はその一つが見えたところで指を止めた。

「こういうのでどう?」

「そうっシュ。ななフシギって、こんな感じっシュ」

 ゆーま君に見せるとうなずいてくれたので、スマホをツキちゃんに返した。

「じゃあ、ちょっとやってみる!」

 私はさっきの怪談を頭の中で何回か繰り返して、息を吸い込んだ。目の前にはゆーま君のしっぽ玉。横にはアミちゃんとツキちゃん。

「真夜中、体育館に……が出る!」

 いい終えると、しっぽ玉が強く輝き始めた。

「生まれるっシュ、新しいななフシギ!」

 しばらくすると光が消えて、見たことのある景色が映った。魔女の水晶玉みたいだ。

「体育館?」

「さっそく見てみるっシュ」

 今日は剣道クラブの練習日。防具を着けた子が何人もいる。これからもっと集まるのかも。

「今から体育館でななフシギが始まるっシュ」

「私、さっき『真夜中』っていったよ?」

「真夜中じゃ人がいないっシュ。誰かに見られないと噂が広まらないっシュ」

 だから早めにしたってこと? まだ明るいんだけど。

 見ていると、部員の一人が倉庫に入った。男子で、私たちより少しだけ小さい。一つか二つ下の学年みたい。

『えっと、タイマーは……』

 声がしっぽ玉から聞こえた。剣道の子が探しているタイマーは棚の上。ドアをくぐって何歩か進んだところ。

 タイマーをつかんだとき、倉庫の扉が動き始めた。ひとりでに、だ。最初はゆっくりと。だんだん速く。最後はバン! と大きな音を立てて閉まって、剣道の子は驚いて振り返った。

『誰だよ、急に閉めたの』

 いたずらと思ったみたいで、面倒くさそうに引き返す。取っ手をつかんで動かそうとしたけど、びくともしない。まるで壁の一部になったかのよう。

『つっかえ棒でもしたのか? 開けろって』

『早く……練習、しようよ……』

 その声は剣道の子が出したものじゃなかった。剣道の子は後ろを見て、言葉を失った。

 倉庫の中に、バスケットボールのユニフォームを着た男の子がいた。男の子だって判断する材料は声だけで、見た目じゃわからない。顔を見ることができないからだ。

 ユニフォームがじっとりとしめっていた。汗のせいならスポーツマンとして普通だけど、染み込んでいるものは赤い。体を伝って床で同じ色の水たまりを作る。

 頭が胴体の上になかった。赤いものは、本来頭があるべきところから泉のようにあふれている。

『ひ……!』

 剣道の子が腰を抜かしているなか、首のないバスケ部員はさまようように動いていた。

『バスケ……したい……ボール、どこ……見えない……』

 頭がないんだから、ボールが見えないのは当たり前? じゃあ、声はどこから出ているのか。

『どこ……ボール……』

 声がする方向をたどると、頭があった。バスケットボールと同じカゴにしまわれている。ボールが見えない理由は、ボールがある方と逆に向けられているからだ。剣道の子を見つけて、不気味な笑みを浮かべる。

『ねえ、ボール……ちょうだい……』

『うわああっ!』

 剣道の子は叫びながら扉を動かそうとした。ガタガタ鳴らしているうちに開いて、外へ転がり出る。

 他の部員は、あわてた様子を見てきょとんとしていた。

『で、出た、出た……なか、中に、幽霊が……首が、ない……』

 さっきまで倉庫にいた子は、立つこともできないまま倉庫を指さす。

 体育館はざわついた。でも、そばにいた部員が倉庫の中をのぞいてから短く笑った。

『何もいないぞ。寝ぼけてたんじゃね?』

『本当に、いたんだって!』

 一人だけ驚いているのがおかしく見えたみたいで、体育館は笑い声ばっかりになった。

『こんな昼間に幽霊なんて出るか!』

『何ビビってんだよ!』

 私たちがいる部屋では、ゆーま君が「やったっシュ!」っていいながらバンザイしていた。

「やっとななフシギを作れたっシュ! 初めてっシュ! 完成の印も出てきたっシュ!」

 瞳を輝かせながら、飾ってあったササを指さす。

 最初はササだけだったけど、いつの間にか短冊が一枚下がっていた。書いてある言葉は〈体育館に首なしバスケ部員の幽霊が出る〉。

「こんなふうにして七つ作れば、ななフシギできあがりっシュ!」

「ふうん」

 短い声を出したのはアミちゃんだった。またソファーから腰を上げる。

「何をするのかは大体わかった。犬、ここから出るにはどうしたらいいんだ」

「入ったときと同じっシュ。そこの壁に扉の印があるから、触って……帰っちゃうっシュ?」

 アミちゃんは指さされた壁に速い足取りで歩いていった。

「あたしは抜けさせてもらう。驚かせるだけっていえばそうかもしれないが、気に入らない」

 ゆーま君が「えーっ!」っていってもアミちゃんは構わず、扉マークに触って部屋から消えた。

「もっと一緒にななフシギを作りたかったっシュ……」

 ゆーま君は残念そうな顔を私たちへ向けた。でも私はどういったらいいかわからなくて、ツキちゃんと顔を見合わせた。

 私たちだって、さっきの幽霊を見て怖かった。でも、それだけじゃない。

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