第6話 

「貴方、本当に訳がわからないわよね」

 トレセンで調教を終えた後、竜野は呆れられた様に言われた。

「仕方ないですよ。乗りたく無いものは乗りたくないんですから」

 竜野は相変わらず飄々としているが、内部では結構な騒ぎになっている。

「でも、そのおかげでうちの子に乗って貰えるんだから感謝しないとね」

 今まさに竜野が跨っている"ランザンライフル"は週末の若葉Sに出走予定だ。

 この若葉Sも皐月賞トライアルで2着までは優先出走権が与えられる。

「文が乗って2戦2勝ですか。乗った感じも良いですし、随分と頭のいい馬ですね。能力もあるだろうし、もしかするともしかしますよ」

 竜野の言葉に殿山は表情を曇らせる。

「そうね、菊花賞辺りにはG1も勝てるかもね」

「なんですか、随分と消極的ですね。俺なら狙って行けますよ皐月賞から」

 俺以外なら本来の文を乗せれれば――とは言わなかったが、喉まで出かかった。こういう類の塚田ネタは彼女の前ではNGなのだ。

「文君も同じ事言ってたから、あなたに頼んだんじゃない」

「それで、オーナーのご希望は」

「竜野君は話が早くて助かるわ――出来れば、ここは勝って来て頂戴。その次は掲示板の端でいいわ」

 その意図は掴めないが、とりあえず頷いておく。

「わかりました。ご希望にお答え出来るかは分かりませんが、全力出させて頂きます」

「宜しく頼むわね」

 竜野の言葉を疑いながら、殿山は大きく溜息を吐く。その言葉の意味を理解している証拠であった。


 ランザンライフルは単勝2番人気。竜野の見立てではもう少し下かと思っていたので驚きだ。

 皐月賞最後の切符を欲しがる中粒なメンバーが集まる若葉賞。一級戦で走って来たサラブレット達に入ると流石に軽視されるだろうと思っていただけに意外だったのだ。何番人気だろうと勝つつもりなので関係は無いと思ってはいるが、自分の跨がる馬が人気なのは何だかんだで嬉しいのだ。

 そうは思っているが、竜野に慢心は無い。相手を舐めずに己の弱点は把握する。今回一番人気の馬は重賞の2着馬イマジンスターだ。実際に勝ち負けだろう。末脚のキレる馬で展開関係無く伸びて来るのは驚異だ。

「これといった敵はアイツだけかな」

 しかし、竜野が見ていたのは別の馬だった。ベテラン牧野 厚が跨がる未勝利上がりのゴウオン。竜野は新馬戦で同じレースを走っているので分かる。そのレースは不利を受けて2着だったが、強者独特の雰囲気を持っている馬だ。そんな馬に跨がる牧野は何度かG1を取っているがクラシックとは無縁である。出走こそは何度かあるが人気薄の馬で一度だけ3着に入っただけである。ようやく戦えそうな馬だけに気合の入り方も違う。

「でもまあ、勝つのは俺達だけどな」

 油断でも慢心でも無いが竜野はそうして気合いを入れレースに挑むのだ。

 ゲート入りは順調だったが、開いた1完歩目に場内がどよめいた。一番人気のイマジンスターが大きく出遅れ離れた最後方になった。ランザンライフルは綺麗なスタートを決めて三番手を確保するが、竜野は顔をしかめる。

「まずいな」

 その目には一つ前を進む馬ゴウオンが写っていた。スタートを先頭できり、逃げ馬が前に行くのを追わずに2,3番手というのは想定していたに通りだが、抜き去って行くゴウオンを見た時に嫌な気配を感じた。

「新馬からの成長速度がおかしいだろ」

 手綱を持ったままなのに抜かれたのは、スピードが違うからだ。後ろから眺めるその姿はG1馬とも遜色無い気配だ。

「潜在能力だけなら負けてないんだけどな!」

 それでも勝ちを取りに行く竜野は後から突付いて行く。若干のロスになるが、外から被せる様に半馬身後方に付ける。プレッシャーをかけて体力を消耗させるのだ。

 だが、強者は揺るがない。知っているのだ、普通に走ればこのレースは誰が勝つのかを。

 その姿を見ても竜野は諦めない。直線に入るなりゴウオンに並びかける。手応えは良く、素直に伸びてくれそうな感触はある――そう思った瞬間、隣にいたはずの馬は目の前にいて差は広がっていく。能力が桁違いだった。

 あっと言う間に置いて行かれるとはまさにこの事。この時点で竜野は狙いを2着に絞る。勝ちを目指すのが竜野の信条だが、逆立ちしても勝てない状況で自滅する程の愚者でも無い。それに後続の馬達も伸びてきている気配も無いので、頃合いを見てゴーサインを出そうと思った瞬間――スタンドが沸く。

「後ろから1頭、まあイマジンスターだろうな。来てるなこれは――ちょっと早いけど頼む」

 最後の勝負所鞭を入れるが、戻ってきた反応は予想外だった。スピードがのってこない。スタミナも脚も残している感じは手応えから分かるのだが、ランザンライフル自身がこれ以上走ろうとしないのだ。

 ゴウオンには届かないが、後から猛追ぐらいはしのげると思っていただけに焦る竜野。

 後方から来ているイマジンスターの勢いが分からないが竜野の背中は嫌な汗がへばり付いている。

 それ以上に問題なのは、手応えはあるのに一向に伸びないランザンライフルだ。

 サラブレットも生きている。嫌なことだってある。まだまだ能力のあるG1、重賞馬がメンタル的に萎えてしまい急に勝てなくなる事も多々ある。

 一瞬それを疑うが、竜野は首を振る。伸びこそしないが走ることを止めている訳では無いからだ。

「そうか――これはお前なりの抗議なんだな」

 そう気づいた時、竜野は追うことやめる。それとほぼ同時にイマジンスターに前に出られてランザンライフルは3着レースを終えた。

 ランザンライフルを管理している調教師の野村に馬を引き渡すと、野村も困惑の表情を浮かべている。

「お前、追ってたよな」

「はい。でも、どうにもなりませんでした」

 レースを見ていた野村も神妙な面持ちだ。

「原因は分かったのか?」

「はい。思い当たる事はあるので直接殿山さんに言います」

 野村も薄々感づいているのか大きく頷く。

「すまんな、損な役回りで」

「いえ、むしろ役得ですよ」

 ランザンライフルを野村に引き渡して、殿山の元に向かう。彼女も野村と似たような表情をしていた。

「何があったの?」

 怒っている様子は無いが腑に落ちないといった感じだ。竜野の表情も渋い。

「簡潔に言うと、俺じゃあ駄目みたいですね」

「詳しく話して」

 竜野は大きく息を吐く。

「ライフルが頭がいいのは知ってるとは思いますが、違いましたね」

「何が違ったの」

「頭が良すぎるんですよ」

「それに問題があったの?」

「ええ、さらに――これは多分なんですが、完璧主義的な所がありそうですね」

「勝てなさそうなら諦めるって事かしら――でも、その口振りだと他にもあるのね」

 そこまで聞いて殿山も理解し始める。

「はい、おそらく自分である程度の勝ち負けを把握してしまうんでしょうね。全力で戦えたなら最後まで走ってくれるかも知れませんけど……」

 そこまで聞いて殿山は大きく溜息を吐く。

「あの子は今まで全力を出した事が無いって事がここで効いてきたのね」

「ええ、今回は運が悪かったっていうのもありますけどね」

「運の要素なんてあったかしら」

「ええ、二冠馬がこんなOP戦に出てきてたっていうのもツイて無かったですよ」

 あの4角であそこまでの差を見せつけられて無ければ、後ろから来たイマジンスターは凌いでいただろう。

「あの勝った子、そんなに強いの?」

「強いなんてモノじゃないですよ。怪物の類です」

「でも、三冠とは言わないのね」

「そりゃあ、菊はライフルが取りますから」

「やめてよ。あなたのそういうのホントに当たるんだから」

「当るも何も、事実を言ってるだけですよ――条件を満たせばって話しですどね」

 そこで、殿山も竜野が何を言いたいのか完全に理解した。

「文くんを乗せろって言うのね。でも、あの子が乗ってくれるかしら」

「それは殿山さんの腕に掛かってますよ」

 竜野は乗せるだけなら出来ると思ってるいる。菊を見据えて着実に上がって行くだけなら今の文でも問題は無いはずだと。

「あまり無理強いはしたくないわね」

「でも、文じゃ無いと無理ですよ。あの馬は」

 能力の高い繊細な馬は当たり前のようにいる。それでも、重賞を取れない馬の方が多いのだ。殿山も多くのサラブレットを見てきているので、そんな事は分かっている。

「あなたも、競馬の神様もホント甘く無いわね」

「いえ、殿山さんが甘いんですよ」

「言ってくれるじゃない。否定はしないわよ。特に文君の事になるとねっていうのも――分かったわよ。善処してみるわ」

 何か諦めたかのように鼻息を吐く殿山だが、人も馬も前に進まないといけない。こういう世界で生きている奴らはそうで無ければと思うと竜野であった。

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曲者 Zumi @c-c-c

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