第41話 水蒸気爆発

 可燃性ガスに引火した瞬間、大爆発を引き起こす結界内。結界を張っていた符は衝撃で吹き飛び、炎と砂塵が全方位に向かって吹き荒れる。


 赤一色に染まる街道に遅れて黒煙が混じり、赤と黒の対比で視界は埋め尽くされていく。


 爆発によって生じた爆風が、少し離れた場所に居たナチ達にまで伝わってくるのだから、爆発の中心地に居た喰蝦蟇は一溜りもないだろう。とは思わない。


 あの程度で倒せる敵ならば、既にイズ達が倒している。イズが倒せず、追い払う事しか出来なかった敵なのだ。この程度で殺せたとは思わない。


 ナチは静かに砂塵と黒煙が晴れるのを待った。


「何だ、今のは……」


「派手過ぎだよ、お兄さん……」


 二人の驚嘆混じりの声を聞きながら、ナチは視線を結界があった場所へと向け続ける。


 殺せたとは思わない。けれども、多少なり傷は与えられたはずだ。それが致命傷ならば、勝機が見えて来る。致命傷ではなくとも、傷を与える事が出来ていれば、光明を見出す事が出来るかもしれない。


「ナチ! 上だ!」


 ナチが視線を前方に向け続けていると、突如として響き渡るイズの大声。ナチの視線が上を向く。陽光を遮る巨大な影。頭上から落下してくるそれは、喰蝦蟇だ。


 ポケットに符は無い。地面の雑草を取っている暇もない。避けられない。ナチは歯を食いしばった。


 その時だ。


 イズの腕が伸びる。急速に引き寄せられるナチとマオは巨大なイズの手の中でに収まると、視界が後方へと下がっていく。遠ざかっていく黒煙と炎。その景色を遮る様に、喰蝦蟇が地面に落下する。


 ギリギリだ。あと少し遅かったら、ナチとマオは踏み潰され、命を落としていた。肝が冷えるのと同時に、冷や汗が頬を伝う。それを拭いながら、ナチは目の前に落下した、未だに火を吐き続ける喰蝦蟇と目が合った。


 薄気味悪い色をした、濁った紫色。その双眸がナチを射抜く。ナチは、その視線から目を逸らし、喰蝦蟇の全身にナチは視線を変更する。


 焼け爛れた皮膚。破裂した水泡。そこから出血している赤い液体。それは間違いなく血だ。致命傷ではないが、それでもダメージは与えられている。


 でも、駄目だ。バックドラフトでは火力が足りない。威力も足りない。もっと強い力じゃないと目の前の化け蛙は倒せない。


 他に何がある。探せ。探し続けろ。喰蝦蟇を倒す事が出来る、最高で最善の超常現象は、自然現象は何だ。


「あれでも、死なぬとはな。化け物め」


 後退を続けながら、イズは言った。


「でも、ダメージは受けてるよ。お兄さん、次は?」


「少し考え中」


「何を呑気な事を言っておるのだ。さっさと捻り出さんか」


「出してるよ。出してるけど、出ないんだ」


 ナチは苦渋の表情を浮かべた。


「だったら、私達が時間を稼ぐよ! お兄さんが考える時間を」


「そうだな。我等が時間を作ってやる。お前がいなければ、この戦闘はとっくに我等の敗北で幕を閉じておる。自信を持て」


「お兄さんなら、思いつくよ」


 イズがナチを手から離し、喰蝦蟇へと向かって行こうとする。が、そこでイズは足を止め、ナチの前で動きを止めた。


 イズとマオは何も語らずに、ナチの前に立ち続ける。炎が燃え続ける音だけが耳に届き、二人の声が発せられる事は無い。


「イズ? マオ?」


 嫌な想像が頭をよぎる。イズとマオの心臓が喰蝦蟇によって抜き取られ、絶命している。そんな光景が、イズ達の眼前に広がっているのではないか、という不安を抱きながら、ナチはイズの横に並び立った。


 大丈夫。マオもイズも生きている。だが、口を半開きにし、目を大きく見開いたまま、二人は喰蝦蟇が居る方角へと視線を向けていた。


「二人共、何を……」


 ナチは喰蝦蟇へと視線を移動させた。視界に喰蝦蟇が入り込む。だが、先程までの喰蝦蟇とは少し違う。喰蝦蟇の前方に、ピンク色の袋状の何かが吐き出されている。


 ピンク色の中で煌々と輝いているのは、赤と橙。あれは、火だ。ナチが符術で、今も生み出し続けている火だ。


 そして、喰蝦蟇が吐き出したピンク色の袋が何なのか、ナチは知っていた。


「あれは……胃だ」


「胃?」


「胃だと?」


 似た様な反応を示す二人を見て、ナチは驚きも苦笑もせず、淡々と首を縦に振った。


「蛙は胃の中に異物が入ると、胃袋ごと吐いて、異物を取り出すんだ。あれは、僕の符を取り出そうとしているんだと思う」


「それってやばいんじゃないの? だって、あの炎って符術で生み出してるんでしょ?」


「うん。状況はすこぶる良くない」


「どうするのだ?」


「どうするって……」


 僕が知りたいよ、と思いながらも、それは口にしない。それは今、この場で口にしてはいけない言葉だ。ナチに期待してくれている二人に、絶望を抱かせる様な事を言ってはならない。


 だが、強がってはみても、やはり案が出て来ない事実は変わらない。ナチは雑草を引き千切り、それを符に変えるも属性は込めずに、ただ握った。


 属性は、込められない。生半可な属性を込めた所で、喰蝦蟇には効かない。高火力、高威力のガス爆発ですら倒せない相手なのだ。


 属性を組み合わせ、爆発的な威力を引き出せる現象を引き起こせなければ、満足にダメージは与えられない。


 この状況で生み出せる高威力の現象。ナチが見つけなければならないのはそれだ。


「お兄さん、あれ見て」


 マオが少し困惑した様な表情をしながら、指で喰蝦蟇の胃袋を指し示す。先程と、何も変わらない炎を内包した胃袋。赤色がピンク色の向こう側からうっすらと見えるだけで、マオが何を言いたいのかが、ナチには分からなかった。


「どれ?」


「あれ。胃袋の中に何かある」


 マオが指し示しているのは、胃に開いた大きな穴だ。その穴から漏れ出ている炎。マオが指差しているのは、その炎の先だ。


 ナチは炎の先に目を凝らす。踊り狂っているかの様にゆらゆらと揺れる炎の先に見える、暗い赤色の塊。それは、かなり巨大な塊だ。おそらく、全長はナチよりも大きい。


 喰蝦蟇が胃袋を動かすも、それはとてつもなく重いらしく、喰蝦蟇の膂力りょりょくでは微動だにしない。そのせいか、胃袋を吐き続けている喰蝦蟇の前足が慌ただしく胃袋を揺らしている。


 簡単に言えば、焦っている様に見えた。


「あの赤黒いのは何だ?」


 ナチは首を傾げながら、それを凝視する。炎の熱量と勢いに目が猛烈な勢いで乾き、瞬きを繰り返しては、胃袋の中で赤黒い光を放っている何かを凝視する。


「あれは……」


 ナチは五枚の符、全てに「火」の属性を付加し、それを投げた。胃袋に開いた穴からそれを通し、属性を具象化する。猛る炎に一瞬で飲み込まれた符は、その勢いを助長させ、温度をさらに上昇させる。


 そこに膨大な量の酸素を追加供給。さらに火の勢いを強くする。


 すると、赤黒かった塊に変化が現れた。黒さが抜け、より鮮やかな赤に近付いていく。


 温度上昇に伴い、色が変わる物体。それは高火力に耐え得るだけの強度を持ち合わせ、喰蝦蟇の両腕では持ち上がらない重量を有している。


「あれは多分、鉄?」


「鉄? 何故、鉄が胃袋の中にある?」


「分からない。食べたって考えるのが自然、なのか?」


 そう考えれば、胃袋を吐き出した理由にも納得がいく。喰蝦蟇が異物と感じた物体は、符ではない。喰蝦蟇が真に吐き出したかったのは、高火力の炎によって急激に温められた、鉄の塊だ。


 そして、体内に留めておくには苦痛を感じる程に温められた鉄を、胃袋ごと吐き出したまでは良かったが、その後に自分が重大なミスを犯した事に喰蝦蟇は気付いてしまった。


 四肢を駆使する事でようやく持ち上がった鉄の塊を、二本の腕だけで持ち上げる事は難しい。その証拠に、喰蝦蟇は腕で胃袋を持ち上げようとしては、断念。それを繰り返している。


 それに鉄は今、鮮やかな赤色をしている。細かい温度は分からないが、現状の鉄の温度は、約七百度から、八百度。そんな超高温の物体に触れれば、喰蝦蟇だろうが火傷は免れない。


 迂闊に触る事は許されず、胃袋から異物を取り出す事も出来ず、胃袋を体内に戻す事も出来ない。


 詰んだ。目の前の化け蛙は、文字通り詰んだのだ。喰蝦蟇が状況を打開する策があるとしたら、胃を引き千切るか、胃に大穴を開け、鉄塊だけを取り出すか。


 だが、そんな時間をナチは与えない。与えるつもりもない。


 ナチは地面に広がる雑草を、大量に引き千切る。細かく千切り、数を増やす。すぐに雑草は百枚を超え、ナチの手の平には大量の緑が積み重なっていく。それら全てを、符に変えると同時に、濃い緑は白く変色。


 属性も付加。全てに「氷結」。


「マオ。お願いがあるんだ」


「さっきもそんな事、言ってなかったっけ?」


 マオが少し口角を上げながら、ナチへと視線を向ける。


「言った。大丈夫、今回はもっと簡単だから」


「一応、聞くけど、何をすればいいの?」


「胃袋に氷を大量に詰めて」


 マオが首を傾げる。


「大丈夫。僕を信じて?」


 ナチが笑顔で言うと、マオは一瞬の内に真顔に戻り、イズに抱き着いた。


「怖いよ、イズさん。お兄さん絶対、何か怖いこと考えてる」


「大丈夫だ、マオ。氷を詰めろ」


「私の味方は居ないのか……?」


 イズから離れたマオは、怨敵を恨む様な目をしながら、喰蝦蟇の胃袋を睨んだ。マオの頭上に生み出される氷塊。歪な形をしたそれは、今のマオの精神状態を表している様だった。


「こうなったら限界までやってあげるよ! 孤独なめんな!」


 マオが言っている事は良く分からなかったが、胃袋に向かって飛んでいくマオの氷は次々に胃袋に侵入すると、一瞬で蒸発し、気化した。ナチも手の平に積み重ねられた符に、息を吹き掛け、全ての符を胃袋内へと侵入させる。


 その瞬間に属性を具象化し、氷結した符は一瞬で、気化。それから胃袋内に侵入させてあった「大気」の属性を使用し、胃袋内を密閉みっぺい空間に変える。


 最後にマオが巨大な氷塊を胃袋内に侵入させると同時に、ナチは声を張り上げた。


「イズ! 離れるよ!」


「あ、ああ」


 イズはナチとマオを手で掴み、背中に乗せると、喰蝦蟇から全速力で距離を取り始める。半ば焼け野原と化している街道をナチ達は、駆け抜け、ブラスブルックとは反対方向へと進んでいく。


 そして、イズが街道に生える一本の常緑樹を通り過ぎた瞬間、先程までナチ達が居た場所で大爆発が起きる。


 耳を覆いたくなる程の爆音の後に、天高く舞い上がる砂塵と、黒煙。


 爆発と同時に発生した爆風と衝撃波により、鈍器で殴られたかの様な強い負荷がナチ達の背中に掛かる。


 それをイズの毛を必死に掴む事で耐え忍ぶ。殴られても居ないのに、軋み出す背骨の音を耳にしながら、ナチは必死に歯を食いしばる。



 ナチが起こしたのは、水蒸気爆発と呼ばれる爆発現象。



 ナチとマオが大量に胃袋内に入れた氷。それらは一瞬で気化し、胃袋内に水蒸気として溜まり続けた。そして、最後に放り込んだ巨大なマオの塊。不純物を一切含まない純粋な水の塊。


 おそらくあれが、水蒸気爆発が起きる引き金になった。


 熱せられた水が水蒸気に変換された場合、体積が千七百倍となり、密閉空間と化した胃袋内は既に溜まりすぎた水蒸気で飽和しようとしていた。


 そこに、巨大な氷の塊が一瞬で気化。胃袋内で急激に気化、膨張し続けた水蒸気は、密閉していた物質、すなわち胃を破砕しながら、水蒸気爆発を引き起こした。


 衝撃波に押されたのか、走る速度を上げたイズは、膝を大きく曲げ跳躍すると、背後に体を向けながら、地面に着地した。


 イズが体の向きを変えた事によって、先程まで喰蝦蟇が胃を吐き出し、もがき苦しんでいた場所が視界に入る。


「お前は……。あれ程の規模の爆発を起こすのなら、先に言っておかぬか! 馬鹿者!」


「本当だよ! お兄さんのアホ! 死ぬかと思ったよ」


 次々に言い放たれる罵声にナチは、思わずたじろいだ。頬を掻きながら、苦笑を浮かべる。


「ごめん。でも、緊張感あってよかったでしょ?」


「良くないわ! 馬鹿者!」


「良くないわ! アホ!」


 ほぼ同時に詰られ、ナチは「あはは……」と笑って誤魔化し、爆発の影響で空高くまで昇った砂塵と黒煙を見つめた。


 今度の爆発は逃れようがなかった。爆心地が胃袋で、それは肉体と繋がっている。爆発を回避する事は出来なかったはず。だが、それも胃を切り離せば、可能になる。


 喰蝦蟇が生存本能に従って胃を切り捨てた可能性は零じゃない。死に瀕した生物が見せる、生への執着は異常だ。あり得る。喰蝦蟇が生きている可能性は十二分にある。


 死んでいてくれ、と祈りながら、ナチは風に乗って晴れていく爆心地を見続けた。


 砂塵が晴れていく。右から左に。緩やかに流れて行く。


 先ず見えたのは、後ろ足だ。力無く伸びた黄土色の後ろ足が二本見えた。


 それから次に見えたのは、腹と背中。ナチが生み出した炎とバックドラフトによって焼け爛ただれた皮膚と筋肉。黄土色を塗り潰さんとする赤色が顔に向かって広がっている。


 潰れた水泡は数えきれない程あり、そこから絶えず流れる血液は地面を赤く染めていた。


 ナチは、ゆっくりとそこから左に視線を送った。砂塵の流れに合わせて、視線を動かしていく。砂塵が晴れる。完全に喰蝦蟇から離れていく。


 砂塵が消え去り、喰蝦蟇の姿が晴天の下に晒される。


 背中と腹。そこから先は、存在しなかった。消失した顔と胃袋。前足の肘から先が、力づくで引き千切られたかの様に無くなっていた。


 顔が無くなった場所には、臓器なのか血管なのか分からないが、赤く太い管の様な物が無数に伸びていた。


「勝ったのか……?」


 マオがナチの肩を強く叩き、揺する。肩が揺れる度に、全身が揺れ、目の前の景色も揺れる。喰蝦蟇の体が揺れ、動いているかの様に見えた。


「勝ったんだよ、お兄さん! 私達、勝ったんだよ!」


「まさか、本当に倒すとはな……」


 全身で喜びを表現しているマオと、驚いているとハッキリと分かる声で感嘆の吐息を漏らすイズを見て、ナチはようやく目の前の光景が現実なのだと理解する。


 勝利したのだ。喰蝦蟇を倒す事が出来た。だというのに、まだ勝利を疑っている自分がいる。


 また空中から飛来してくるのではないか、と何度も上を見てしまう。左から、右から、地面から突然現れるのではないか、と懐疑的になってしまう。


「どうした? もっと、喜んだらどうだ?」


 背から下りたナチにイズが言った。


「……なんか、倒した実感が無くて」


「お前達が倒したのだ。もっと堂々と勝利の余韻に浸っておれ」


「そうだよ! 倒したのに、どうしてそんなに暗い顔してるのさ」


「……そう、だね。倒したんだから、喜ばないとね」


 笑顔で、そうは言いつつも胸に膿の様に溜まり続ける疑念は消える事は無かった。こればっかりは、性格的な問題だ。死亡した事実が確認できるまでは、不安が拭い切れることは無い。


 人から恐れられている災厄と並び称されている様な生物は特に、油断ならない。


 前代未聞の特殊で異質な能力を有している場合もあれば、ナチの常識を覆す程の身体能力を有していたりもする。


 心臓や脳が体内を動き回り、体の一部分が残っていさえすれば自己再生、蘇生する、などという化け物染みた能力を持っている存在もいるくらいだ。


 死亡した事実確認が取れるまでは安心は出来ない。

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