第28話 本の選別
「どうして? 間違いなくここに入れたのに」
焦っていると分かる声を漏らしながら、本を必死に探しているコルノンの肩を、ナチはそっと叩く。動きを止めたコルノンは、静かにナチを見上げた。その表情には申し訳なさが浮かぶ。それを見て、ナチは小さく頷いた。
「大丈夫です。一緒に探しましょう。僕達は奥を探してきますから、コルノンさんは手前をお願いしてもよろしいですか?」
ナチの言葉に少しだけ希望を取り戻したコルノンは何度も頷き、動揺か歓喜か分からないが、震えた唇を必死に動かす。
「は、はい。ありがとうございます。では、お願いしても良いですか?」
「はい。構いません。マオもそれでいい?」
「うん。大丈夫」
「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします」
コルノンと別れ、ナチとマオは書庫の奥の方へと歩いて行く。壊れた壁を修繕する音がカンカンと書庫内に響き渡り、その度に書庫内が軽く振動し、倒れかけた本棚が僅かに動く。
それに少しばかりの恐怖を抱きながらも、ナチは落ちた本や、本が入ったまま倒れている本を選別していく。埋もれた本を漁り、倒れた棚を持ち上げ、見落とさない様に隅々まで探す。
ナチが本をいそいそと探していると、隣でマオがしゃがみ込んだまま、天井を見上げている事に気付く。気の抜けた顔で天井を見つめ、本を探す仕事を完全に放棄。整った顔立ちは見事に台無しになっていた。
この姿をコルノンが見たらどう思うのか。非常に気になる。
「本が多すぎてきりがないよ。もう面倒臭い」
「早いよ。もう少し頑張って」
「お兄さんが符術でパーッとやっちゃってよ。風でバーッて浮き上がらせて一気にさ。ほら、例の二酸化なんとか使ってさあ」
急に擬音語が多くなったマオの態度に苦笑しつつ、ナチは落ちている本を一冊手に取った。そして、表紙を開き数枚破る。
「お兄さん、何してんの? 本破っちゃ駄目だよ。怒られるよ?」
注意しているつもりなのだろうが、マオの言葉に力強さは無い。むしろ、ようやくその気になったか、とも取れる口調と表情をしている。
その表情に少しばかりムッとしたが、マオの提案は確かに効率的だ。本を一つずつ選別するよりも、一度に全てを見る方法があるのならば、その方法を取った方が効率は良い。
それをマオに気付かされるのは大変悔しい事ではある。本当に悔しい事ではあるが、素早く本を探す為には、この悔しさは飲み込むしかない。
「さあ、お兄さん。やっちゃって」
「ちょっと集中するから、静かに」
本から破り取った紙は十五枚。その全てを符に変え、作った十三枚をポケットに入れる。それを見て、マオが明らかにニヤニヤしているのが分かったが、取り合う事はしない。
符切れを起こさない為には、手に入れられる時に触媒を手に入れておく必要があるのだ。
手に持った二枚の符に属性を付加「大気」。ナチはそれを宙に投げ飛ばし、霊力を指先から解放。属性を具象化させる。
宙を風車の様に回転する符は、大気を支配権に置き、その権利をナチへと譲渡。すぐさま気流を操作し、倒れた本棚を起こす。その過程で落下していく本を全て空気で受け止める。
宙に浮かぶ本。地面から浮かび上がる色取り取りの本。ナチは大量の本を宙に浮かせ、一目で色を判別する事が出来る天井付近に天高く舞い上がらせる。
その中から、黒色の本以外を全て地面に落下させていく。横からマオの補助を受け、着々と黒色の本とそれ以外の本を選別していくが、如何せん数が多すぎる。符術を使っているとはいえ、膨大過ぎる本の量にはナチも舌を巻く。
黒色の本を発見した瞬間、手元に引き寄せつつ、それを床の上に積み重ねていく。が、黒い表紙の本も数えきれない程にある。既に黒い表紙の本は三十冊を超えている。それもこれから増えていく。
それを選別した後に、再選別。さすがに、骨が折れる。ナチが苦笑を漏らしていると、マオが積み上げられた本に手を置いた。
「こっちは私が分けておくから、お兄さんはそっちに集中して」
「ありがとう、助かる」
ナチは霊力を放出。集中力を高めると同時に、気流操作の精度を上げる。より速く、より素早く。本を俯瞰で見つめ、広範囲の本を見つめる。視界に入った黒を素早く手元に寄せ、マオの邪魔にならない様に彼女の近くに置いていく。
ナチが選別し終えた黒い表紙の本はマオが素早く棚に戻していく。今の所、黒い本は見つかっていない様だ。
だが、まだ希望はある。宙に浮かぶ無数の本。この中にあるはずだ。この中に黒い本はある。そう自身を鼓舞しながら、ナチは更に集中力を、気流操作を高める。
脳が焼き切れそうになる程の思考を以って、ナチは本と対峙した。
結果は、ナチの惨敗。驚異的な選別力により、本の選別自体は短時間で終わった。だが、結果が芳しくなかった。百冊以上の黒い表紙の本の中に、紙が黒く、文字が書かれていないという本は無い。一冊も無い。
黒い本はナチが探した本の中には無かった。そうなると、コルノンに期待するしかないのだが、おそらくまだ黒い本を探しているコルノンの応援は出来そうにない。
さすがに数千冊の本を一度に選別するという作業は疲労が溜まる。ナチは床に腰を下ろすと、酷使した目を癒す為に目頭を手で強く抑えた。凝りをほぐすと共に、疲労が濃い双眸を閉じる。
「お疲れさま、お兄さん」
「マオもお疲れさま。大変だったでしょ?」
「お兄さんに比べれば大変じゃないよ。私は本を運んでただけだし」
「そっか。でも、助かったよ。ありがとう」
「どういたしまして」
ナチが目を開くと、ナチの隣に腰を下ろし、気恥ずかしそうに笑うマオの姿が見えた。嬉しそうに目を細め、白い歯を見せている。
少しだけ頬が紅潮している様にも見えたが、すぐに薄いオレンジ色の髪に隠れてしまったので、それを確認する事は出来なかった。
この少女はやはり少し変わった。初めて出会った頃は意味不明な事を口にし、いきなり襲い掛かって来た不思議な少女だと思っていたが、関わっていく内にマオに対する印象も変化しつつある。
生意気で、面倒くさがりで、飽き性。けれども、素直な一面も持ち、基本的には家族思い。やきもち焼きの印象も拭い切れないが、本質的には心優しい少女。これが、ナチがマオに対して抱いている印象だろうか。
いきなり素直になった時は、言い寄れぬ恐怖を感じたが、今ではそれを感じる事も無い。おそらく、ナチがマオの本質に慣れてしまったのだろう。
慣れてしまった今、それをおかしいと思う事も無い。
「そろそろ、手伝いに行こうか」
「うん。コルノンさん、一人で大変そうだし。お兄さん、もう一回」
「今度は普通に探すよ……」
符術を便利お掃除アイテムと勘違いしているのだろうか。
ナチとマオは立ち上がると、出口付近で本を探しているはずのコルノンを探す為に歩き出した。コルノンはすぐに見つかった。出口付近の右側。ナチ達とは反対側の通路に散らばる本を、地道に一つずつ丁寧に選別している姿が見えた。
コルノンは近寄ってくるナチを見て、苦笑を漏らす。それは、本が見つかっていないという証明か、それとも見つかってしまいましたよ、という驚きから浮かべた笑顔か。
答えは後者。笑顔を浮かべた後、コルノンは首を横に振った。申し訳なさそうに、首を横に振るコルノン。それを見て、ナチは符を二枚取り出した。
「おや、お兄さん? 普通に探すんじゃなかったの?」
口元に手を当て、からかう様な視線をナチへと向けるマオからナチは顔を背けた。仕方が無いじゃないか、コルノンが困っているのだから、とナチは心の中で言い訳を重ねる。
「気が変わったんだよ。普通に探すよりも、符術を使った方が効率的だし、効果的なんだよ」
「ふーん。そういう事にしてあげようかな、お人好しさん?」
「別にお人好しとかじゃないよ。僕は効率的に探したいの」
「はいはい。分かったから。早くやっておしまい」
「何か納得いかないな」
ナチは符に属性を付加。やる事は先程の選別と変わらない為「大気」。
コルノンが「な、何を始めるんですか?」と勇気を振り絞ってマオに聞いている声を耳で聞きながら笑顔を浮かべると、マオが「符術使いの効率的なお掃除紹介?」と言っているのを聞いて、ナチの笑顔は死んだ。
集中しよう、とナチは気を取り直し、符を天井に向かって投げ飛ばす。天井付近に到達した所で、ナチは霊力を放出し、属性を具象化。吹き荒れる旋風が、本から重力を強奪。無数の本を全て宙に浮かせる。
「浮いてる……」
驚きの声を浮かべているコルノンに苦笑を浮かべつつ、ついさっき行った選別をもう一度、行う。黒色の本とそれ以外を選別。簡単な作業ではあるが、やはり本が多すぎる。
天井を埋め尽くす程の大量の本に、ナチは苦笑を強めると、本をマオとコルノンの近くに落としていく。それを素早く二人が再選別し、本棚に戻し、それを延々と繰り返す。
気が遠くなる程の作業に三人は疲労を色濃く表情に浮かべながら、本に向き合うが多すぎる本にさすがのコルノンも「取り寄せる本の量をもう少し考えないといけませんね」と後悔を滲ませた言葉を漏らしていた。
全ての本を選別し終えた頃には空の色は澄み渡る青から、街に寂寥を注ぐ茜色に変わり、三人は戻した本棚と本を背に壁の修復作業を眺めた。
「結局、見つかりませんでしたね」
コルノンが切なく呟く。その後に、三人は同時に溜息を吐いた。疲労や落胆。その他諸々の感情を込めた深い溜息。
「見つからないって事は、盗まれちゃったのかな?」
「そう考えるのが普通だけど……。昨日の夜って書庫は無人、でした?」
「はい……すみません。泥棒が入るとは思っても居なくて」
がっくりと肩を落とし少し涙目のコルノンの肩をナチとマオは叩く。
「あんまり気にしないでください。黒い本が少し気になっただけで、めちゃくちゃ重要って訳じゃないですから。ね? お兄さん」
「うん。本当に少し気になっただけなので、あまり気を落とさないでください」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると、助かります」
目尻に溜まった涙を指で払ったコルノンは、笑顔でナチとマオを見て小さく頭を下げた。それを見て、ナチとマオも笑顔を浮かべる。
おもむろに立ち上がったコルノンに合わせて、ナチとマオも立ち上がった。そしてコルノンが書庫内に差し込む茜色に向かって一歩踏み出すと、ナチとマオに振り返った。
「では、私はこれで帰ろうと思います。もし、書庫に用がある時は自由に入ってくれて構いませんので」
「いいんですか?」
「はい。お二人は特別です」
「ありがとうございます」
ナチとマオはコルネンに礼を告げると、コルネンが書庫から出て行くのを静かに見送った。書庫内に残された二人は一度だけ、整えたばかりの本棚と本を見ると、書庫を後にした。
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