第20話 出発

 サリスの失踪。ラミルのウォルフ・サリ襲撃、及び彼が死亡した事については、すぐにウォルケン全体に広まった。


 ラミルが死亡してから、街は少しだけ明るくなったような気がした。それは理不尽な暴力によって抑圧されていた平穏が解放され、本来の姿を取り戻していくようでもあった。


 サリスやウォルフ・サリを心配する声は連日の様に続き、シャミアとリルが未だ入院している診療所には雪崩の様に人が押し寄せていた。


 シャミアは美しい容姿をしており、気も利く。それに家事も万能であり面倒見も良い。街の男達が放っておくはずはなかった。


 シャミアとリルが眠る部屋には見舞い品の果物や花が大量に置かれており、足の踏み場も無いような状態になっている。


 それを連日受け取れば、この結果は当然なのだが、シャミアはうんざりした様な顔をして果物を男らしく豪快に齧り付いていた。


 リルも果物を食べさせられていたが、食欲が無いのか、ほとんど口を付けてはいない。


「どうしたの? お腹すいてない?」


 ベッドの上で横になっているリルは、自身の右目に巻かれた包帯に、そっと触れた。


「痛む?」


 マオが聞いた問いに、リルは首を横に振った。


「右目が無くなった実感が無くて」


 リルの右目はラミルに襲撃された際に、破裂してしまった。ラミルの風からシャミアを庇った事で、受けたという事らしかった。


 失明した訳でもなく、破裂してしまったとなれば、もうどうする事も出来ない。


 ナチとマオはリルに掛ける言葉が見つからずに、視線を伏せ、座っている丸椅子の脚を見た。


「ごめんね。落ち込んでるわけじゃないんだ。でも、何となく実感が湧かなくて」


 リルはベッドの上に転がった、赤い果実を手に取った。それを手の平の上に転がし、左目で見る。


「それに、サリスも居なくなって、ナチさんとマオも居なくなっちゃうから、何だか僕だけ取り残されてる気がして」


 シャミアとリルが目を覚ましたのは失踪から二日後。それまでずっと眠り続けていた二人だが、目を覚ましたその夜にナチは街を離れ、旅へと出る事を伝えた。事情を二人には離し、マオを旅に同行させることも、その時に伝えた。


 当然、二人は難色を示したが、マオ本人が希望すると二人は渋々と言った感じで、了承したのだ。


 そして、サリスがウォルケンから姿を消してから、約五日。


 ナチ達が今日ここに来ている理由は、別れを告げる為だ。



「でも、そんな事言ってちゃ駄目だよね。二人は世界を救う為に旅に出るんだもんね。僕が弱音を吐いてたら駄目だよね」


 マオがリルの目を覗き、真っ直ぐに瞳を合わせた。そして、少し大人びた表情を浮かべながら、マオは微笑んだ。


「良いよ、弱音吐いても。だって、家族が居なくなって、右目が無くなって、リルは今傷付いてるんだから。弱音くらい吐いたっていいんだよ」


 リルは持っていた赤い果実を強く握ると、手を震わせた。そして、浮かび上がった涙が頬を伝い、赤い果実の上に落ちると、それはリルの手まで流れていく。


 リルは目を伏せる。鼻を啜り、腕を震わせながら、大量の涙雨を赤い果実に降らせていく。


 嗚咽が部屋に響き渡り、マオはそれを見て優しく微笑むと、ジャケットの袖でリルの涙を拭った。


「大丈夫。私達は必ず帰って来る。世界を回って、世界を救って、必ずこの街に帰って来る。だから、安心して待ってて」


「……うん」


 リルは鼻を啜りながら、充血した左目を指で擦った。


「……サリスを必ず連れ帰って来なさい。どんな手を使ってでも」


 少し涙声で言ったシャミアは、ナチ達から顔を背けながら言った。


「任せて。私がぶん殴ってでも連れ帰るよ」


「それと、ナチ。マオをよろしくね。我が儘で、生意気な子だから迷惑を掛けるかもしれないけど、優しい子だから」


「うん」


 シャミアは指で、目元辺りを擦ると、ナチ達に顔を向けた。


「じゃあ、行ってこい! さっさと世界なんか救って戻って来なさい」


「うん」


「行ってきます」


 笑顔で見送るシャミアとリルに、ナチ達は笑顔を浮かべながら病室を後にした。








 病室を出た二人は茶色のリュックを背負うと、教会の横にある小さな墓地へと足を運んでいた。


 芝生に突き刺さった白色に塗装された木造の十字架が並び、マオは迷う事無く墓地の中を進んでいく。マオは墓地の中心に位置する場所に立つ十字架の前で立ち止まると、白色の花を二輪、十字架の前に置いた。


「ここに、お母さんとお父さんが眠ってるんだ。だから、お別れ」


 十字架を見つめるマオと共にナチも同じ十字架を眺めた。他の十字架に比べて、汚れもなく、綺麗な白色を保っている。誰かが毎日ここに来て手入れしている様だった。


 その誰かは考えなくても分かる。


「二人はどうして?」


「十年前かな。三人で森を歩いてたら通り魔に殺された、らしいんだよね。良く覚えてないけど、何故か私だけが助かって、気が付いたらサリスに抱えられてた」


 森でマオがしていた表情は、もしかしたら両親が亡くなった事を強く意識させられたからかもしれない、と思いながら、ナチは十字架を見つめながら言った。


「犯人は?」


 マオは首を横に振った。


「分かんない。どこかで生きてるかも知れないし、もう死んでるかも知れない」


「会いたいとは思わないの?」


「別に思わないかな。会ったらぶん殴ってやりたいとは思うけど」


「そっか」


 マオが出した答えにナチは微笑みながら、十字架に対して手を合わせた。


 目を閉じ、頭を下げる。少しの間、瞳を閉じたまま黙祷し、頭を上げると同時に、ナチは目を開いた。


 目を開くと、マオが驚いた様にナチを見ていた。そして、すぐに嬉しそうに笑みを浮かべた。


「ありがとう。お母さん達に祈ってくれて」


「いえいえ」


 お互いに微笑みを交わす。


「そろそろ行こうか」


「うん」


 ナチ達が墓地を出ようとすると、二人の背中を押す様に突風が吹いた。その風に押され、二人は前のめりに体勢を崩す。


 二人して体勢を崩した事に驚き、その後に声を上げて笑った。


「さあ、世界を救いに行こうか」

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