第3話 超能力の世界

「私、マオリア。マオって呼んでよ、お兄さん」


 隣を歩くマオは、満面の笑みをナチへと向けた。笑うと余計に幼さが増すな、と思いながらナチも自己紹介をする為に言葉を発する。


「僕はナチ。よろしくね」


 林道を歩きながら、ナチは袖に付いていた霜を払い落とした。全身で氷を受け止めたせいか、湿っている部分が肌に纏わりついて気持ち悪い。ナチは白く変色したコートを正しながら、マオに顔を向けた。


「マオは氷を作ってたけど、他の人も氷を作れたりするの?」


「作れないよ。氷を作れるのは私だけ。使える力は人それぞれ違うから」


「へえ、他にはどんな能力があるの?」


「他には、風を操ったり、自分の体と物を繋げたりとか、かな」


「マオは氷以外作れるの? 例えば、水とか」


「私は氷を作る事しかできないかな」


「そういう力が使えない人っているの?」


「それは見た事ないかも。皆、何かしらの力は使えると思う」


 そうなんだ、と呟きながらナチはこの世界がどういう世界なのか何となく理解した。


 この世界は超能力の世界だ。固有の能力を先天的か、後天的かは分からないが身に着ける。マオの固有の能力は氷を生成する能力。


 マオの言葉を信じるならば、超能力は人の数だけあると思っていいだろう。


 そうなると、マオが言う弱肉強食の社会が生まれる事は必然なのかもしれない。固有の能力が一つだけという事は、能力が判明した瞬間、この世界での立ち位置が決まる様な物だ。


 強力な能力は、時に体格差や経験を簡単に凌駕する。剣の腕前がどれだけ優れていようと、圧倒的な暴風の前には意味を成さない。


 残酷ではあるが、これが人の智を超えた超常の力。人が作り出した力は、天災には勝てない。これが、真理であり、真実。


「お兄さんが使ってた力は? あれは何なの?」


 ナチはポケットから符を取り出した。属性は込めていない為、これだけではただの白く変色した葉だが、ナチは符に属性を込める。「火」の属性を込め、ナチはそれを上空へと飛ばした。


 人差し指と中指を立て、ナチは霊力を流した。


 符は炎を纏い、一瞬で塵に変わる。風に流れていく塵は、すぐに視界から消えた。


「これが僕の力。符術だよ」


「ふじゅつ?」


「そう。今見せた様に葉っぱでも服でも、生物じゃなければ、どれだけ巨大な物でも符に変える事が出来る。後は、属性を込めれば符術の完成だ」


「分からないや」


「あ、そう」


 すっかり興味を無くした様子のマオに、ナチは思わず苦笑する。木々の隙間から差し込む木漏れ日が、湿った服を乾かす様にナチを照らす。


 その暖かさにナチは思わず目を細めた。


 感嘆の吐息を漏らす。ナチは生きている。生ある存在が横に居て、命ある自然が常に側にある。これが生きているという事か。


 長らく忘れていた生きているという事実に、心が脱力していく。それを止める事もせずに、ナチは緑に溢れる林道を歩み続けた。





 ナチとマオがウォルケン、と呼ばれる街にたどり着いたのは、夕暮れ時。茜色が世界を包み込み、空から寂寥感を降り注ぐ時間帯だ。その茜色に照らされた石造りの門を潜り、ナチは街へと入った。


 石畳の路地を歩き、次々に街の景観へと目を向けた。


 地面と同じく石造りの家屋や商店。蝋燭に火を灯し、夜間営業へ移ろうとしている露店の主人。すれ違う人々は、基本的に剣を腰に引っ提げており、常に緊張感を持った表情で路地を歩いている。


 街に入ってから、マオの表情も変わった。それは限りなく微細な変化だったが、ナチは見逃さなかった。常に周囲に気を配り、神経を尖らせ、すぐに動ける様に体を脱力させている様だった。


 ここまで少女を警戒させる理由がこの街にはあるというのか。


 マオが言っていた理不尽な暴力を振るう相手とは、一体どういう人物なのだろうか。


 すれ違っていく人々はマオの姿を見るや否や、気さくな笑みを浮かべながら一言二言、挨拶を交わす。マオも軽く挨拶と談笑を交え、すぐにその場を離れる。無言で通り過ぎる事はせず、ナチも軽く挨拶を済ませ、マオの後を追った。


「思っていたよりも平和な街な気がするけど」


「全員が悪い人な訳じゃないよ」


 それはそうだ、と思いながら、ナチは再び街を見やった。一人の悪意が街全体を苦しめる、というのは往々にある。表面的には出さないだけで、人々の内心はナチには想像もつかない程の苦痛に見舞われている恐れもある。


 それにウォルケンに来たばかりのナチが、この街の実態を全て分かった気になるにはまだ早い。


「どこへ向かうの?」


「もうすぐ着くよ」


 マオを先頭に路地を進んでいくと、前方から歩いてくる人物に目を向けた。


 男性だ。長い金髪の髪を肩甲骨辺りで縛り、胸元を大きく広げた白いシャツには、何やら赤い染みが出来ている。そういうデザインなのだろうか、などと訝しむ様に見ていると前方で異変が起きる。


 その男性が一歩進む度に、誰もが道を開けていく。怯えた表情を浮かべ、視線を合わせ無い様に躍起になっている。それは、男性を凱旋している様にも見えたが、実情は全く違うのだろう。


 もし、これが凱旋だというのならば、街の人間が怯えた様な表情を浮かべるのはおかしい。


「あいつだよ。あいつが理不尽な暴力を振るう奴だよ」


 小さな声で紡がれたマオの言葉は、ハッキリとナチの耳に届いた。その意味も、明確に理解する。


「あれが……」


 マオに腕を引っ張られ、ナチとマオも道の端へと寄った。群衆に紛れながら、金髪の男性を凝視する。シンプルな黒のズボンは所々解れており、茶色のブーツには擦れて白んだ跡がいくつも見える。


 そして、シャツに出来た赤い染み。あれは、塗料などではない。デザインでもない。


 おそらくは、血だ。血で汚れたシャツを着て往来を闊歩する姿は、どこからどう見ても悪党にしか見えなかったが、それを口にする者は居ない。


 ナチが醒めた目で、金髪の男性を見つめていると、不意に視線が重なった。男性は立ち止まり、狩人の様な鋭い視線をナチへと向ける。気のせいか、とも思ったが、おそらく間違いない。


 金髪の男性はナチに視線を向けている。ナチは笑顔を作る事も目を逸らす事も無く、金髪の男性と数秒間、視線を合わせた。


 端に避けた群衆が金髪の男性とナチを交互に見ている。驚愕、困惑といった表情を浮かべながら、事の成り行きを見守っている。群衆が声を上げて驚きや動揺を表現しないのは、保身の為だろう。



 金髪の男性は、一度舌打ちを鳴らすと、ナチから視線を外しそのまま路地を進んでいった。その背中を見続ける様な真似はしない。


「行こうか。そろそろ日も暮れる」


「お兄さん、ラミルと目が合ってた、よね?」


 驚き混じりに紡がれたマオの言葉に、何故か群衆が耳を傾けている様に見えた。ナチとマオはラミルと反対方向に歩を進めながら、ナチは口を開いた。


「何か見られてたね。理由は分からないけど」


「やばいかもしれないよ。お兄さん」


「やばいって、何が?」


「ラミルに目を付けられたかもしれない」


「それならそれで好都合じゃない?」


 マオが首を傾げる。どういう事、と疑問を視線でぶつけてくる。


「だって、ラミルってやつを何とかしてほしいんでしょ?」


「そうだけど……」


「じゃあ、問題ないよ」



 ナチは笑顔を浮かべながら、マオを見る。向かってくるのならば、迎え撃つまでだ。言葉には出さず、それを訴えかける様に口角を上げる。


「変な人だね、お兄さんは」


 唐突に失礼な事を言うマオは笑顔だった。それでも、その口調は悪意が無く、からかう様な口調だったせいか、怒る気には当然ならなかった。

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