第4話 入団テスト

「入るよ、お兄さん」




 マオの声に足を止め、ナチは一軒の店の前で止まった。ナイフとフォークがバツ印の様に描かれた看板が入り口に設置され、店の壁に沿う様に酒樽が四つ程置かれていた。



 その樽をテーブル代わりにして酒と料理を楽しんでいる客が数人見えた。




「酒場?」



「そそ。入るよ、お兄さん」




 扉を開けて中へと入るマオに続いて、ナチも酒場に入った。





 耳を塞ぎたくなる程の喧騒がナチの耳に響く。




 テーブルを囲んで酒を飲む大男や、剣を腰にぶら下げた若者達が机に突っ伏している姿が至る所に存在した。顔が真っ赤になり、心地よい夢心地で何事か呟いている。



 アルコールをほとんど飲まないナチからすれば、思わず苦笑してしまう光景だ。




「こっちだよ」



「……うん」




 あまりの喧騒に気後れしながらも、マオの後をついて行く。



 マオが向かった先は厨房。小太りで蝶ネクタイをした男性と、赤髪の美しい女性が疾風の様な動きで料理や酒を作っては、給仕係の女性を呼びつけている。




 それを尻目に、ナチとマオは厨房に設置された扉を開き、裏口へと抜けた。裏口へ抜けると、そこには石壁に囲まれたかなりの広さを持つ裏庭が存在した。




 木造の家屋が一つ存在するが、それを踏まえても敷地は十分に余っている。





「到着だね」




 マオに手招きされ、ナチは木造の家屋に近付いてく。窓から見えるのは蝋燭の灯り。つまり、ここには人が居るという事になるのだが、ナチは家の一歩手前で急に立ち止まった。




 闘気とでも言うのだろうか。もしくは、強烈な存在感と言ってもいい。ビリビリと肌を刺激する存在感にナチは、息を呑んだ。先程、すれ違ったラミルには感じなかった物だ。





 この中に居る人物こそが、理不尽な暴力なのではないか、と疑わずにはいられなかった。





「どうしたの?」





 急に立ち止まったナチを、マオが怪訝そうな顔で覗く。




 ナチは地面に落ちていた葉を一枚拾った。それを符に変換し、属性を付加する。その光景を見ていたマオが眉を顰めた。




「止めた方が良いよ? お兄さん」




「使う必要が無いと良いんだけどね」




 まだ、マオを完全に信用はした訳ではないのだ。ここに誘い込まれた可能性を完全に否定できるまでは、武器を持っておいた方がいい。




 唇を尖らせながらもマオは家屋の扉を開き、中へと入っていった。そして、ナチを振り返る。挑戦的な笑みがナチへと向けられる。





 一度大きく息を吐き、ナチは覚悟を決めて、扉を潜った。




 まず目に入ったのは燭台だ。扉を入って左手にある燭台に立てられた蝋燭の光が、仄かに部屋を照らしている。既に日は落ち、空は茜色から夜色に変わった。




 蝋燭の灯りだけでは、少し薄暗い。だからか、ナチは右側に人が立っている事に気付かなかった。





「よう、初めましてだな」





 突然、発せられた声に体を震わせ、ナチは反射的に左側へ跳んだ。背に蝋燭の光を浴びながら、ナチは目の前に立つ男性へと視線を注ぐ。





 緑色の短い髪。右の頬に付いた一文字傷。脳まで筋肉で出来ているのではないか、と思う程に筋肉の鎧に全身を包み、腕の太さだけで言えばナチの二倍か三倍はある。



 服の上からでもそれが分かるのだから、さすがに目を引く。





 一見すると精悍な顔つきをした強面な男性ではあるが、口調や声質のおかげか穏和な雰囲気を感じられた。





「あなたは?」



「俺は、サリス。ウォルフ・サリのリーダーだ。それで、お前は誰だ? まさか、マオの彼氏じゃないだろうな?」





 凄味ながら言うサリスに、ナチは思わず背筋を伸ばした。





「違うけど」



「違うよ」





 特に慌てる様子も無く、二人は同じ言葉を口にした。





「何だ、つまらん。もし、お前が彼氏だったらボッコボコにしてやったのに」



「父親?」



「それも違う」



「それで、お前は何をしに来たんだ?」





 退屈そうな響きを醸しながらサリスは言った。





「ラミルを倒す為にここに連れて来られたんだ」



「ラミルを? お前がか?」





 サリスが大声で笑う。腹を抱えて、それこそ地面に顔を着ける勢いで腰を屈めて笑っていた。



 一頻り笑った後、サリスは急に真面目な顔つきになり、ナチの肩を叩いた。





「無理だ、無理。お前みたいなヒョロいやつには無理だ。諦めて田舎にでも帰るんだな」



「ラミルには勝てないかもしれないけど、お兄さんは強いよ」





 サリスの背後で言ったマオの言葉に感化されてか、サリスはナチの全身を舐めるように見た。顎に手を添え、鼻息を荒くしながら。





「ハッキリと言わせてもらうが、俺にはそうは思えない。お前がラミルに勝てるとは思えない」





 本当にそう思っているのだろう。サリルが嘘を言っている風には見えなかった。



 だが、ナチには世界を渡り歩いて実力を上げてきた経験がある。それに伴う実績もある。それに付随する形で自信も持ち合わせている。



 だから、ハッキリと弱いと言われた事に苛立ちを募らせた。





「やって、見ないと分からないよ。ラミルの暴挙を許してるサリスには負けないくらい、僕は強いよ?」





 一瞬、驚いた後に、サリスは不敵な笑みを漏らした。





「ならば、入団テストをしてやろう」



「別にいらな」



「明日の日の出頃に、またここに来い」



「だから、別にそんなのいら」



「マオ、宿に案内してやれ」



「ほーい」





 半ば強引にナチはマオに腕を引っ張られ、家屋を出た。幻想的な月明かりが差し込む裏庭に出ると、途端に心に静寂が降りた。




 賑やかな喧騒は終わり、星空に吹き荒れる夜風だけが裏庭を支配している。





「じゃあ、宿行こうか」




「僕、お金持ってないよ」




「……え?」





 ちょっと待ってて、と言い、再度家屋へと入っていくマオを見送りながら、ナチは夜空を仰いだ。夜空を彩る、無数に浮かぶ星。



 それらが、切り離された異世界に見えて、心に生まれた焦燥感を吐き出すかの様に、深く息を吐いた。





 星が見える。月が見える。太陽がある。空がある。この世界がまだ生きている証拠だ。世界樹と繋がっている証明。それらはただのナチの推論でしかないが。





 ふと、世界樹から切り離された世界の事を想像してみる。太陽はあるのだろうか。星は、空は、月は、それらは存在しているのだろうか。





 時間が停止している、という事もあり得る。星の鼓動が止まれば、その内部にいる生命も鼓動を止める。そんな気がした。詳細な情報を持っていない以上、憶測で言葉を連ねるしかない。




 天変地異が起きて、生態系が一変している可能性もあるな、と思いながらナチは頬を掻こうとした。頬に指が当たる直前、チクッと頬に何かが突き刺さった。爪が伸びていたのかもしれない。



 と瞳だけを動かして、その正体を見た。



 乾いた笑みが、夜風に乗って運ばれて消えた。





 ナチは、葉で作った符を指に挟んでいたのだ。サリルと対面してから時間が経ったというのに。家屋を離れてからずっと、ナチは指で符を挟んでいた。





 葉に付加した属性は何だったかな、と思いながら、ナチはそれを上着のポケットにしまった。




 符をポケットに入れると、白く変色したボロボロの服が目に入った。ボロ雑巾とでも呼べる程に、皺くちゃでボロボロな服。どこかで新調したいな、と思っていると、背後で扉が開いた音を聞いた。










 ナチを宿へと送り届け、再び酒場の裏庭に立ったマオは、真っ直ぐにウォルフ・サリの家屋へと向かった。深夜だというのに、未だに灯りが点いている。しかも、話し声が聞こえるという事は、サリスの他に誰かいるのだろう。




 誰が居るかは、深く考えなくとも分かるが。





 マオは扉を開けて、家屋へと入った。




 中に居るのは、マオとサリス。そして、もう二人。





 茶髪の髪を無造作に伸ばし、髪と同色の瞳を控えめにマオへと向ける少年と、酒場の厨房で働いていた赤い髪の女性。合計四人の人間が小屋には居た。



「何か、入団テストとかいう訳分からない事するって聞いたけど?」



 赤髪の女性が呆れた口調で言った。



「仕方が無いだろ。あいつが生意気な事言ったりするから」



「そんな子供みたいな事言って。入団テストも何も、そんなのした事ないくせに」



「来るもの拒まずが、ウォルフ・サリのモットーだもんね」




 ケラケラと笑いながら、マオが言った。




「だから、明日初のテストをする。マンネリ化は良くないからな」



 赤髪の女性がこめかみを押さえながら、溜息を吐く。そして、一度大きく息を吸った後、二回目の溜息を吐いてから赤髪の女性は口を開いた。




「……それで? テストって何するの?」



「あいつのお人好し度をテストする」





 サリスは茶髪の少年の肩を叩いた。




「リル。明日の朝、あいつがここに来る前に誰かと喧嘩して来い。派手にな」





 リルと呼ばれた少年は絶句する。




「駄目に決まってるでしょ。テストならサリスと戦えばいいでしょ?」



「俺と戦っても俺が勝つんだから、意味ないだろ」



「そうかもしれないけど」



「リル。どうする? やるか?」




 名前を呼ばれたリルは体をビクッと震わせながら、視線を彷徨わせた。宙を泳ぐ視線がある一点で止まる。マオだ。マオを一度見て、すぐに視線を逸らす。



 それから、すぐにリルは首を縦に振った。




「僕、やるよ」



「よく言った、リル。それでこそ、男だ」



「良いの? この街に手加減してくれるお人好しなんていないのよ?」



「危なくなったら俺が助けてやる。それに、俺が助けなくても、あいつがどうせ助けるだろ。見るからにお人好しだしな」



「それが見たいが為にリルに喧嘩しろ、って言ってるんじゃないでしょうね?」



「それが見たいだけでしょ」




 マオがすかさず言葉を挟む。




「シャミア。お前、少しリルに対して過保護すぎるぞ。リルがやるって言ってるんだから、良いんだよ。なあ、リル?」



「うん。シャミア大丈夫だよ」



「それを言われちゃうともう止めれないじゃない」




 シャミアが盛大に溜息を吐きながら、リルに近付いていく。「いい? 危なくなったら逃げるのよ?」と母親みたいな事を言いながら、リルの肩に手を置いた。




 リルは二回程、首を縦に頷かせる。




「マオ。お前はあいつを誘導する係だ。ちゃんと誘導しろよ?」



「了解しました」




 マオは丸椅子の上に腰を下ろしながら、笑顔で言った。



「それじゃあ今日はもう解散。無駄な早起きだわ……」





 シャミアの嘆きに苦笑を漏らしながら、全員が家屋を後にした。

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