第17話 ナチ VS サリス
「帰って来てたの? サリス」
祭壇の横に立つサリスは、何故か黒い布で全身を包んでいた。見えるのは顔と、かろうじて靴だけ。
それを怪訝そうに見つめる。
「ああ、少し前にな」
「そうなんだ。それで、どうして隠れてたの?」
いたずら小僧の様な表情を浮かべながら、ナチは言った。
「この街に着いて、いきなり襲われたからな。警戒もするさ」
「サリスも襲われたんだ?」
「ああ。俺を教会に連れて来ようとしていたみたいだ。だから、教会に来てみたんだが」
「ラミルがマオを襲おうとしていた?」
サリスは首を縦に頷かせた。
「じゃあ、ラミルを殺したのはサリスなの?」
「ああ、俺だ。間一髪だったけどな」
「そう……なんだ」
ナチは一度、サリスから視線を外し、長椅子の上で死んでいるラミルを見た。何度見ても、ラミルは心臓を鋭利な刃物で貫かれて死亡、という死因は覆らない。
胸に宿る違和感。それを考えながら、ナチはサリスへと再び向き直った。
「シャミアとリルには、もう会った?」
「いや、まだだ。何かあったのか?」
「大怪我を負ったんだ。最悪、命も危ない」
サリスの表情が翳る。唇を引き絞り、眉を寄せた。
「俺は先に二人の所に行く。マオはお前に任せるぞ?」
「分かった」
サリスが長椅子の間に出来た通路を悠然と進んでいく。ナチはその背中を、首を傾げながら見つめた。
サリスが街に帰って来たのは本当に偶然だったのか。教会に現れたタイミングも、サリスが隠れていた理由も、不自然な気がしてならない。
胸に抱いた違和感を解くには、今持っている情報が不明瞭すぎる。
ナチが指で頬を掻こうとした時だ。一枚の符が地面に落下していき、滑る様に床へと落ちた。
それは、「反射」の属性が込められていた符。既に効力を失い、今は何の力も込められていない、ただの符。
そこで、ナチは改めて気付く。
効力を失っているという事は、誰かがマオに攻撃したという事。それは一体誰だ。
ラミルか。いや、おそらく違う。ラミルにあるのは刺し傷のみ。全身を注意深く見ても、他に外傷は見られない。
それに、ラミルは刃物を持っていなかったではないか。刺し傷が付いているという事は、マオに攻撃した人間は刃物を持っているという事になる。空洞を作る程の大きな刃物を。
刃物を持っていなかった時点で、ラミルはマオに攻撃していないという事になる。
もしも、ラミルがマオに攻撃したとしても、その攻撃手段はおそらく、風。ラミルは自身の能力を過信しているのか、能力に心酔している傾向が強い。
ナチの推測では、ラミルは能力を行使してマオを攻撃する可能性が高い。
だが、暴風が巻き起こった形跡は無く、長椅子が暴風によって動いた形跡も無い。
つまり、ラミルは教会内で能力を使用していないという事だ。
となれば、マオを攻撃したのはラミル以外の人間という事になるが、この場に居たのは、ナチ、ラミル、マオ。そして、サリス。
考えられるのは、サリスだけだが、彼がマオを殺そうとする動機が思い当たらない。
家族の様に仲睦まじい二人が殺し合わなければならない理由が、ナチには思い当たらなかった。
ナチが落ちた符を拾おうとした時だ。出口に向かって歩いて行くサリスから、何かが滴り落ちた。
身を包む黒い布の内側。そこから、液体が床に零れ落ちた。一粒。そして、また一粒。音を立てて木板に落下し、瞬く間に床に吸い込まれていく。
よく見れば、木板に浮かぶ染みは列を成して落下している。ナチは符を拾いながら、その染みを指先で触れた。まだ乾ききっていないそれは、指先を濡らし、肌色を塗り替えた。
肌色を塗りつぶすそれは、ナチの指紋をハッキリと浮かび上がらせる。
床に染みを作っているのは血だ。
「サリス。ちょっと待って」
サリスの歩みが止まる。ゆっくりと振り向いたサリスが苛立ち混じりにナチを見る。
「その布、少し貸してくれないかな? マオが風邪を引くかもしれない」
「マオなら大丈夫だ。布なんか無くてもな」
「今回は大丈夫じゃないかもしれない」
「俺はお前よりもマオに詳しい。大丈夫だ」
「何だか、必死だね。たかが布一枚に。その布が無いと困る理由でもあるの?」
ナチは霊力を放出し、一枚の符に属性を込めた。
何も答えないサリスを見て、ナチは笑顔を作った。
「そろそろ白状したら?」
「何をだ?」
「マオを殺そうとしたって」
ナチは符を投げ飛ばすと同時に属性を解放。「大気」の属性を具象化させ、ラミルが得意としていた風の弾丸をサリスに向かって撃ち出した。
吹き荒れる暴風はサリスの体を傷付ける事なく、彼を包んでいた黒い布だけを後方へと吹き飛ばした。
出入り口の扉に布が風と共に流れていき、激突した所でナチは符を解除した。効力を失った符は地面へと落下していく。
「その右腕どうしたの?」
ナチは、消えたサリスの右腕に視線を向けながら、硬い口調で言った。右肩から先が綺麗に消失しており、右肩から零れる血液が次々に垂直に落下しては、床に染みを作る。
無表情で見つめて来るサリスに、ナチは視線を合わせた。
長い沈黙が降りる。
再び静寂に包まれた教会内には不穏が立ち込め、息が詰まる程の緊張感が空間を支配する。
手に汗が滲む。握っている符が汗を吸い、それを幾度となく繰り返しては、符を何度も握り直した。
頼む。言ってくれ……。
マオを殺していないと……。
そして、沈黙が打ち破られる時が来た。
「俺だよ。俺がマオを殺そうとしたんだ」
ナチは持っている符を強く握った。奥歯を噛み締めながら、恨めしそうにサリスを見る。
「どうして?」
震えていると自分でも分かる声でナチは紡いだ。酷い声。動揺が丸わかりの声だ。
「殺す必要があったからだ。まさか、お前が小細工しているとは思わなかったがな」
「サリスの手からマオを守る為に作ったんじゃない」
「無意味に終わったな」
嘲る様な笑みを浮かべるサリスに、ナチは憤りを感じた。
「マオは大事な仲間じゃなかったの? サリスにとってマオは、大切な家族じゃないの?」
「前にも言ったが、俺とマオはただの他人だ。家族でも何でもない。守れと言われたから、守っていただけだ」
「相互利益の関係だとでも言いたいのか」
「ああ。その通りだ」
「なら、どうして僕にマオの両親の事を言った。マオが傷付く姿を見たくなかったからじゃないのか?」
ナチの荒ぶる声が教会内に響き渡る。だがそれは、静寂を打ち破っただけで、サリスの表情に変化をもたらしてはくれない。
「お前に言ったのは、気まぐれだ。特に意味は無い」
淡々とサリスは言った。感情が乗っていないせいで、言葉の裏に潜む感情が読めない。
ナチは奥歯を噛み締める事で、怒りに呑まれかけている精神を必死に諫める。まとまらない思考を何とか振り絞り、紡ぎ出す為の言葉を用意する。
「マオを殺す必要があるのなら、どうして出会ってすぐに殺さなかった? サリスは昔からマオを知っているんだろ? 殺すチャンスは幾らでもあったはずだ」
サリスは黙った。何も告げない。動かない表情からは何も読み取る事は出来ないが、黙ったという事はそれなりに理由があるはずだ。
ナチは間髪を入れずに、サリスに追い打ちを掛ける。
「殺せなかったんじゃないの? マオが大切だったから殺せなかったんでしょ?」
「お優しいな、お前は。冷静で冷徹な様で、人を見捨てる事が出来ない。その優しさは、必ずお前を苦しめるぞ」
「そんな事どうでもいい。僕の質問に答えろ!」
「そう猛るな。殺せなかった訳じゃないさ。今までは殺す必要が無かっただけだ」
サリスは腰に提げた剣を、左手で引き抜いた。重厚な刃が、蝋燭の火を反射して銀色に煌く。剣の腹にナチの顔が映る。怒り、悲しみ、恨み。
それらをぐちゃぐちゃに混ぜた感情を浮かべているナチの顔が、剣には映っていた。
「殺す理由が出来た。だから、殺す。それが、誰であろうとな」
「なら僕は、それを止めるだけだ」
サリスは剣をナチへと向けると、笑顔を浮かべた。
「なら、止めてみろ新入り」
二人は同時に動いた。
ナチは符に属性を付加しながら、右に跳躍。サリスはナチが立っていた場所に剣を力任せに振り下ろした。
ナチは振り下ろされたサリスの剣を難なく躱す。その瞬間、大きな刃風が巻き起こると共に、破砕音が教会内に響き渡る。
ナチは先程まで自分が立っていた木板が砕けたのを見て、表情を強張らせながら符を投げ飛ばした。「硬化」と「加速」の属性を付加した符は、真っ直ぐにサリスへと向かって飛行していく。
霊力を流し込み、属性を具象化。
加速していく符の弾丸はサリスの剣によって、いとも簡単に切り落とされた。粉々に砕け散った符は空中で霧散し、すぐに見えなくなる。
ナチは長椅子の背もたれに飛び乗ると、次々と飛び跳ねながら符を二枚取り出した。
符を放り投げようとした所で、目の前に剣が迫っている事に気付き、ナチは右に大きく跳躍。
剣を避ける事に成功はしたが、壁に激突。衝撃が体に伝わる。背骨が軋み、呻き声が漏れた。
細めた視線の先でサリスが剣を構えている事に気付き、ナチは体を回転させて、左に移動。
すると、先程までナチが居た場所に剣が突き刺さった。あと数秒遅ければ、体を剣が貫通していたという事実に、ナチは慄然とする。
ナチは先程投げ損ねた符を投げた。投げた先は、ナチとサリスの間。それを足下に落とす。
ナチは大きく後退し、符とサリスから、かなりの距離を取った。
壁に突き刺さった剣を抜き終えたサリスがナチに向かって猛進し、サリスの体が符に重なった瞬間に、ナチは霊力を指先から放出した。
ナチは、咄嗟に耳を塞ぐ。
込められた属性「音」が具象化され、サリスの足下から脳を破壊しかねない程の超高音が大音量で発せられる。サリスは咄嗟に剣を地面に突き刺し耳を塞いだが、サリスには左腕しかない。
両耳を塞ぐことは不可能だ。
人体を破壊する音の奔流によってサリスは片膝を着き、苦渋の表情を浮かべた。
この好機をナチは見逃す事無く、指で挟んでいた符に属性を込めた。「硬化」と「加速」の属性を付加した符を、指から離し、地面に落下させる。
ナチはひらひらと舞い落ちる符を、右足で蹴り飛ばした。
その瞬間、ナチは指先から霊力を放出し、属性を具象化。
加速していく符弾は、サリスの左腕目掛けて飛んでいく。左腕が機能を失えば、ナチが生み出す超高音の奔流を防ぐ術は無くなる。
だが、サリスは右に倒す事で符を避けた。そして、足下で爆音を奏でている符をサリスは背中で踏み潰し、体を回転。それによって生まれた摩擦力によって符を破壊した。
サリスは剣の柄を杖に立ち上がると、ナチに不敵な笑みを向け、床から剣を勢いよく引き抜いた。
「さすがは、異世界の力だ。俺がここまで苦戦する事になるとはな」
「今、なんて……?」
「俺も本気を出さねばならないな」
茫然としているナチを他所に、サリスは剣を無造作に床に放り投げると、瞳を閉じた。
すぐに、サリスの体に変化が生じ始める。
体を覆っていく灰色の毛皮。肥大化していく手と足には、長く巨大な黒い爪が伸びる。前方に突き出される様に顔が伸び、肉を噛み千切る為の牙が口を閉じていても、見え隠れしている。
最後に尻尾と、耳を生やすと、サリスは金色の瞳を見開いた
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