第9話 強くしてくれませんか?
家屋に着く頃には、日は橙色に染まっており、その光を浴びた途端にどっと疲れが体に圧し掛かった。
「おかえり、マオ、ナチ」
包容力を感じさせるシャミアの声が家屋内に響く。
「ただいま」
「……ただいま」
「どうしたの、ナチ?」
シャミアが心配そうに、ナチを見る。
「別に何もないよ。お兄さんがおじさんってだけ」
「どういう事? ナチってまだ二十代前半でしょ?」
白の監獄に行った時の年齢はもう覚えていない。確か、二十一か二だったと思うが、どちらにしても大差はない。
「二十一だよ」
「なら、全然おじさんじゃないわよ。若い、若い」
子供を慰める様な口調でシャミアに肩を叩かれ、余計惨めになった。しかも、マオがこちらを見て嘲笑めいた笑みを浮かべているのが、余計に腹立つ。
そこでふと気付く。首を動かし、家屋内を見回した。リルと目が合うと軽く会釈される。ナチも笑顔で返す。
「あれ? サリスは?」
「少し出掛けてるわ」
「どこに?」
マオが身を乗り出す。
「さあ? 行先は言わなかったから」
「そうなんだ。早速、仕事の報告しようと思ったのに」
「ウサギモドキの駆除と、住処の破壊だっけ?」
「うん。あっという間に終わらしてやったよ」
「ナチに迷惑掛けずに行けた? マオが迷惑掛けなかった?」
からかう様な口調と表情を作りながら、シャミアはナチとマオを交互に見た。ナチは苦笑を浮かべ、マオは憤慨した。
「迷惑なんて掛けてないよ。もう子供じゃあるまいし」
「まだ十六でしょ?」
「まだ十六なの?」
「どういう意味それ?」
マオが真顔でナチに詰め寄る。綺麗な顔立ちをした女性の真顔というのは、素直に恐怖を抱く。未知なんかよりも余程怖いと思う。
「若いなあって思っただけだよ」
「何か馬鹿にしてる感じがしたから」
「してないよ」
十二歳くらいだと思ってました、とは死んでも言わないようにした。
「それで、依頼は終わったんだっけ?」
「うん。お兄さんがほとんど倒しちゃった」
「さすが。ラミルを倒すだけはあるわね」
ナチは頬を掻きながらそっぽを向いた。さすがに真正面から褒められると照れてしまう。
そっぽを向いた先で、リルと視線が重なった。何やら体をもじもじとさせている。どうしたのだろうか。
ナチはリルの横に置いてあった椅子へと腰を下ろした。
「どうしたの? 何か悩み?」
「その……」
「遠慮しないでいいよ。僕は新入りなんだから」
じゃあ、とリルは真っ直ぐにナチを見据えた。
「僕を強くしてくれませんか?」
ナチが驚いていると、リルの背後でマオとシャミアがさり気なくこちらへと視線を移動しているのが見えた。
「え? 強くって?」
「僕も強くなりたいんです。ラミルを倒せるくらい」
「強くしてくれって言われてもなあ。僕は人に教えるのは苦手で。上手く教えられないかもしれないよ?」
ナチにも符術を教えてくれた師匠と呼ばれる存在はいるが、誰かを教えた経験は無い。だから、どう教えればいいのかが良く分からない。
「それでも構わないです。ナチさんに教えてもらえるなら」
「それで良いって言うなら、教えるけど」
「はい。よろしくお願いします」
「今日はもう遅いし、明日からでもいい?」
「大丈夫です」
「じゃあ、明日からという事で」
はい、と笑顔で頷くリル。それを見て、ナチは少し罪悪感を抱いた。戦い方を師事するのが、自分で良いのだろうか、と。もっと、しっかりとした人間に教えてもらった方が良いのではないだろうか。
ナチは異世界の人間で、この世界の超能力とは全く別の神秘の術を使用している。そんなナチが、この世界の住人に対して何かを教えられる事があるのだろうか。
それに符術は無理だ。符術は、体内に流れる霊力を物体に流し込み、符に変換して発動させる。符に属性を込めるのも、符を作るにも、前提として霊力というエネルギーをその身に宿していなければならない。
だが、この世界の住人から霊力を感じない。
結果、符術を習得するには先天性の才能が既に欠如しているという事になる。
本当に、それでもいいのだろうか。やはり、そう思ってしまう。期待していた特訓と違うと、リルが思ってしまわないだろうか。
ナチは一度、首を小刻みに横に振った。誰にも気付かれない様に小さな動きで。
不安は拭い切れないが、もうやると言ってしまった以上は手を抜く事は出来ない。リルがせっかく勇気を出してナチに教えてほしいと言ってきたのだ。それに応える為の努力をナチもせねば。
さっそく、明日の事を考えていると、シャミアがナチの肩を肘で小突いた。
「ナチ。よろしく頼むわね」
「うん。任せて」
まず何をするべきか、と視線を宙に彷徨わせていると、マオがこちらを見ているのに気付いた。どこか、不機嫌そうな表情を浮かべている。
「マオも一緒に特訓する?」
「しない」
きっぱりと断られた。そしてマオが不機嫌だという事も口調から判明した。理由も何となく分かってはいるが、面倒くさいので声を掛ける事はしない。
一日に何度も口論になるのは素直に疲れる。
「ナチもマオも、今日は休んでいいわよ。疲れたでしょ?」
本当ならば、これから酒場の給仕を手伝うはずだったのだが、ナチはシャミアの言葉に甘えて、そのまま休むことにした。
宿に戻ったナチは相変わらず不機嫌な主人に話しかけ、受付を済ませると、二階の一番奥の部屋に向かった。部屋へ入ってすぐに上着を脱ぎ、地面に放り投げる。
蝋燭に火を灯す事もせずに、ナチはそのまま、ベッドに寝転がった。既に日も落ち、部屋は暗いが、これから何かをする訳でもない。灯りを点ける必要は無いだろう。
ナチは天井を見つめながら、今日一日の出来事に思いを馳せた。
「人と喧嘩になったのは久し振りだな」
街に帰還してすぐに起きたマオの口論を思い出して、ナチは思わず口角を上げた。久し振りに他人と喧嘩をした気がする。あれを喧嘩と呼んでいいのかは分からないが。
下らない事で喧嘩をしたな、とは思う。人に馬鹿、と直接言ったのは何年ぶりくらいだろうか。子供染みた発言だったと自負している。
もしかしたら、子供なマオに引っ張られて、発言が子供っぽくなったのかもしれない。
それに面と向かっておじさん、と呼ばれた事も初めてだった。実際、ナチはおじさんと呼ばれる様な年齢ではない。
白の監獄に居た年数を合わせると、年齢不詳になってしまうが、肉体年齢は二十代前半のはずだ。
まだ若い、はずだ。おじさんに見えるのは白髪が多いのが原因だろう。髪型や髪色というのは、それだけで印象を変えやすい。
どうせなら、全て白髪にでもなってくれればいいのに、と思いながらナチは右手で髪の毛に触れた。今にも千切れてしまいそうな程に柔らかい髪質。髪の量も多く、そのせいか男性にしては髪が長い。
人にボサボサ頭、と詰られても否定できない程には、頭は無法地帯になっていた。
全てが終わり、世界を救う事が出来たその日に、髪を切ろうと経った今決める。
「世界を救うまで残り八七七五時間……か……」
世界を救う、と単語を言うだけならば凄く勇猛に満ちた響きだが、実際は何をしていいのか、全くと言っていい程に分からなかった。
ヒントは何もなく、全く知らない異世界に降りて世界を救う術を見つける。そんな事をスムーズに行える人間が居るというのならば、ぜひ紹介してほしい。切実に。
世界を救う為に必要な事は、まずこの世界を知る事だ。この先、この世界の人間に協力及び共闘してもらう必要が必ず出て来る。
この世界の事を知らず、この世界の人間を知らないまま協力を募ったとしても、誰もナチを信用はしてくれないだろう。
ナチがまずすべきなのは、この世界で信用を勝ち取る事。世界を救う為に必要な人材が見つかった時に、味方に付いて貰えるように。
その時の為に信用を積み重ねる事こそが、今のナチがするべき事だ。
「明日から……頑張らなきゃ……」
髪を触れていた手を動かし、顎を掻いた。顎に触れた瞬間、ふとマオに絡んできた太い唇が印象的な男性を思い出した。
彼が言っていた言葉を思い出し、それを引用する。
「サリルに守ってもらってる弱者……か」
これこそが現在、マオ達がウォルケンという街に抱かれている印象そのものだ。サリスが居なければ何も出来ない弱者の集まり。そんな所だろう。
シャミアとリルは知らないが、マオは弱者と罵られる程に弱いのだろうか。氷を生成する能力は十分使いこなせているとは思うし、身のこなしも素人とは思えない。
強者と呼ぶには少し未熟だが、それでも弱者ではないとナチは思う。
おそらく、あの男は他人から又聞きした信憑性の薄い話を信じ込んでいるのだろう。一度植え付けられた固定概念というのは、中々拭い取る事は出来ない。それを綺麗さっぱり拭い取る為には、革命が必要だ。
マオ達が強者だと証明する革命が。
世界を救う前に、ウォルフ・サリを救う方が先かもしれない。
そんな事を思いながら、ナチは瞼を下ろした。
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