第十五幕『悪魔の所業』
――赤。背景を彩る血の色。
心臓より少し斜めに外れ、剣が刺さったままのジュリエッタはすぐに運ばれる。
「衛兵、衛兵よ! 今すぐここへ来い! こやつを――」
王は兵を呼んだ。
「今すぐこやつを捉えよ! 直ちにこの物を牢へ」
すぐさま現れた2、3人の衛兵に対し、王は非常な声で指図する。
誰もが一言も言葉を発することはなかった。
魂が抜けたように気力のない、生きた屍と化したエリオ。
うなだれたまま、その体は引きずるように連れて行かれてしまう。
そこからは。一人残された、王の皮肉な一人芝居。
「ああ、何ということだ……嫁入り前の娘に傷をつけてしまったとは……」
その嘆きは醜いまでに愚かなものだ。
「嫁に断られてしまっては困るのだ。
せっかく良い縁談を結ぶことが出来たというのに……」
いかにも大袈裟に、まるで道化を演じるかのように。
「エリオめ、極刑にしてくれる!」
それはどこか喜劇めいても見えた。
――悲劇と喜劇。それは見るものによって感じ方が選ばれるのだろう。
「やつには罰を……」
愚かな王の嘆きは終わらない。
「娘よ。愚かな私を許しておくれ」
――
その晩、王は夢を見た。
悪の形相の仮面で夢枕に立つのは、愛しき娘ジュリエッタ。
――娘はまだ生きているはずだ。ともすればこれは生霊か。
暗黒の渦を背景に、恨むような声と表情で王に囁く。
『よくもエリオを囚人に……愚かなお父様。
私がエリオをわがままに巻き込んでしまっただけなのに……』
禍々しい青紫色の、ジュリエッタが口にするのは呪いの言葉。
『罰を受けるのはこの私……あの国との縁談は破談。
そしてこの国は戦場となり滅びるの。
エリオに酷い仕打ちをするのなら……私はあなたを呪います』
悪夢にうなされ、どうにもいたたまれない居心地の悪さから国王は目を覚ました。
「おお、ジュリエッタよ……わしは一体どうすればよいのじゃ」
目覚めた後も居た堪れない心持ちで、その顔は青ざめたままだった。
――
(ずっと見てると尻が痛くなってくるぜ)
劇場に潜む悪魔は素行が悪く、一階席の脇、階段に陣取っていた。
しかし誰も、注意しようとする者はいない。
その眼光で威圧でもされたのか、または芝居に魅入っているかのどちらかだろう。
(はあ~、体がなまってきやがる)
退屈そうにため息をつく。
静寂と暗闇の中、黒子のように空間に溶け込む真っ黒な悪魔。
その男は立ち上がり、伸びをする。
周りの客からすれば、何と迷惑な人物なのだろう。
(ちょっくら二階席の見物にいってやるか)
男は何を思ったか、二階の王座を見上げる。
そうして体を屈伸させたり左右の足を伸ばしたりしたかと思うと、そこから飛び上がった。
姿を隠したかのように辺りにはまるで気配を感じさせず、無音の状態で翼を広げた。
勿論、その姿を目にしたものは一人としていない。
唯、一人を除いては。
(おっと。今回の目玉発見! 一番の狙いのレナ姫さんじゃありませんか)
悠々と宙を舞うこうもりの翼。
闇と一体となったその姿は誰も気づきはしなかった。
男は調子に乗ったのか、逆さまになり宙に浮かぶ。
「…………」
レナ姫を正面から、まじまじと見つめた。
そしてレナ姫はというと。
「…………!?」
大きな茶色の瞳と赤い瞳の視線がぶつかる。
目が合ってしまったのだ。
姫は虚ろな目を見開き男の方を凝視していた。
さすがに声は出せないようではあったが、どう考えても異様な光景を目の当たりに、恐ろしさを隠しきれないようだ。
勘の鋭い子供に接近された時や、男が自在に操る気配を露わにした時以外――この町の誰にも気づかれなかった。
だが驚くべきことに、その姿は一国の姫に気付かれてしまった。
しかしなんとも可笑しなもので、姫よりも男の方が驚いているようにも見える。
困った男は姫を睨む。
鋭い眼光を赤く光らせ、姫の瞳の奥を射抜く。
それはまるで、姫の思考を支配するかのように。
脳内までも浸食し、その記憶を蝕んでしまおうというのだろうか。
結果として一国の姫は、謎の飛行生命体に記憶を奪われてしまった。
勿論そんな事を知る者は誰一人としていないのであった。
ほどなくして姫の意識は芝居へと向けられる。
今までより少し気持ちが軽くなったような――とてつもなく大切な何かを奪われたような。
そんなことには当の本人には見当もつかなかった。
――
その後、医者と聖職者と王が見守るなかジュリエッタは死んだ。らしい――それはエリオの耳に届いた。
悪魔の囁きのような、殺伐とした歌が舞台に響く。
『ジュリエッタは死んだ』
『だれがジュリエッタを殺した』
どこからでもなく聞こえる唄。
『ジュリエッタを殺したのはお前だ』
これは国王の陰謀だろうか。
恋の罪は重くのしかかり、エリオは暗く彩られた運命を背負わされた。
そして悪魔がそばを横切ったかのように、一つの考えがエリオの頭をよぎる。
「この世に神などは存在しない。唯一の女神であった愛しき人も、この世から旅立ってしまったのだという」
それは悲しき切なき、届かぬ悲痛。
「もはや何もかも、終わった事と同じ。
王に見つかったあの時点から、私の命は終わっていたも同じ――
ならばどうしてあの時、すぐ死を選ばなかったのだろう」
今まで歩んできた道を外れると覚悟したあと、死を覚悟しなければならない状況であったことは知っていた。
「自らこの心臓を一突きにしていれば、
このような悲劇は生まれなかっただろう。
今この世に己の命が存在するのは、どうしてなのだろう」
己の命、愛する者の死、自分を陥れた神のような存在。
それらに疑問を抱く。
悲しみ故に歪んでしまったエリオは、何もかもを否定するように呟いた。
「あの方が亡くなったなんて嘘だ。
何もかも信じられない、ジュリエッタはきっとまだ生きている」
黒く、その想いはどこまでも黒く、己のその運命を染めてゆく。
ガラスのように透明で、純粋な信念はもろく崩れてしまう。
それからエリオは、孤独な時間を幾夜も過ごした。
綿花のようにたおやかだった恋心は、憎しみの色に染められた。
それは堪えきれず涙のように溢れ、そこから滴る程までに。
『その目で確かめたくはないか?
ジュリエッタが生きているのか死んでいるのか』
夜になると悪魔が独房の前を、外の自由さを見せつけるかのように何度も横切る。
『お前は易々と信じているつもりか? あんな遣いの戯言を。あれは嘘だ』
『姫の方にもお前が死んだと聞かされて、すでに他の男の物になっているのさ』
エリオはその言葉を信じるつもりはなかった。
『お前はただの捨て駒に過ぎなかったのさ』
『姫は自分の生活が退屈だっただけじゃないのか?』
『お前は王に嵌められた。この国に復讐するのだ』
エリオは精神を削がれ続け、その悪魔のように狂気を増してゆく。
『王をコロセ。姫をコロセ』
――
そんな夜を幾夜も過ごした男。
『此処ヨリ出でて、復讐ヲ。我を此処へ閉じ込めタ、非道な国王ヲ。
己ノ我儘に巻き込み、遂にハ我ヲ見捨てタ冷酷ナ姫ヲ』
疑心暗鬼を生じ、悪魔に取りつかれ、ついには自我を失った。
男の恨みはその身を黒に染め、悪魔の騎士となり果ててしまったのだ。
その存在は復讐という惨劇を呼ぶ。
一つの歯車は孤独の中で大きな存在となり、多くの犠牲を生むこととなる。
歯車はより巨大な歯車に飲み込まれ、もろく儚くつぶされる。
狂った時の歯車は、罪のない魂までも喰らい、ただひたすらに加速し続ける。
この惨劇を止めることは、もはや誰にもできないだろう。
『壊シテヤル、此ノ国ノ全テヲ』
雷が轟く、暗い灰色の空。
分厚い雲がその国すべてを覆い尽くした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます