第十四幕『身分違いの恋』







「歯車と歯車が噛み合うように人々は出会い、物語は動き始める」


 舞台の袖から現れたのは、薄汚れたローブを身に纏った怪しい人物。


「一体、この物語の悲劇の始まりはいつなのだろう」


 あくまで傍観者であるかのように、

過ぎ去った悲劇を笑うかのように芝居を演じる。


「気が付いた時は既に遅く、知らないうちに歯車は狂いだす――

それに気付くことが出来たのならば、この惨劇は回避できたのかもしれない」


 一階、二階の席から、今年の芝居への期待を込めた拍手と歓声が沸きあがる。

 緊張感のあるモノローグに、会場全体が一体となって惹き込まれた。

 自らの身分を人々は、この時だけは忘れて。



 第一幕の開演。会場は静寂に包まれる。


 観客が一番期待するのは、

主役――“騎士エリオ”と“姫ジュリエッタ”の登場だ。


 静寂と仄暗さのなか、照明を浴びた二人は現れた。


「我が美しき姫――ジュリエッタ。

この国の騎士でありながら、私はあなたのことを愛してしまった」

 片方の手を胸にあてるのは、皮の鎧を身に付けた青年。


「これはきっと、天より与えられた罰なのだ」


「ああ、エリオ。あなたのそれが罰だというのなら、

私はなんて罪深いの……もういっそ、姫という名を捨ててしまいたい」


 嘆き、二人は見つめあい、そして供に歌いだす。


『――そう、あの日。運命の歯車は廻り始めた。

この気持ちに恋と名付けた、あの日から』



 時は恋の始まりに遡る。仄暗い歌い出しから、旋律は徐々に軽快に。

 伴って背景も王宮の石壁だとわかるほどに明るくなる。


 美しい姫の、どこかいたずらな雰囲気の美しい歌声が響く。

 小鳥のさえずりが聞こえてくるような。


『いけないとはわかっていた』


『でも、嘘はつけないの。私のこの気持ち』


 そこへ騎士は跪き、華奢な手の甲に口づけ歌う。

『守るのが騎士の役目、この気持ちは決して叶うことはない。

叶う事――それは重い罪となる』


 素直な気持ちで微笑む姫、恋する気持ちで悩む騎士。


『わがままに。自分の気持ちに正直に』


『報われぬ想いを供にして、愛する者を守り続ける』

――それはせめてもの、騎士にでき得る行為。

 結ばれることはないと知りながら。



 恋の悩ましさに浸るのも束の間。

 明るい歌と旋律が途切れるのとともに、

騎士は立ち上がり姫に背を向ける。


 そして腰に携えていた剣を敵へと向けた。

 こうすることでしか傍にいられない。


 剣を持って姫を守り、使える。

 それだけが騎士に許された、自分の気持ちに正直に生きるという道だった。




――




 オレリア城内劇場いちばんの特等席。

 その横に侍り、国の騎士ダニエルはなんとも神妙な表情で芝居に聞き入っていた。


 その視線は片時も離さずレナ姫を捉えている。

 勿論、レナ姫を守るためであることは間違いではないだろう。


(……自分の気持ちに正直に、か。なれるのだろうか? しかし、身分違いの恋は即刻死刑――)

 劇中の話だが他人事に思えず、肌が粟立つような寒気がした。

(い、いかん。考えないようにしよう。騎士は常に、冷静でなくては)


 一方レナ姫の方はというと、何やら不穏な表情だ。

 考えや想いが頭の中を巡り続け、観劇どころではなさそうだ。


――あの者は一体、何者?

 なぜあんな所に幽閉されているの?

 なぜ私と同じ名を……?


――なぜ? どうして?

 髪の色、目の色が違うだけでどうしてあんなにも似た姿をしているの?


 疑問ばかりが頭に浮かぶ。


――自分に似ているどころではない少女、この城やこの国の事……。


 何もかも疑問だらけだった。



――彼女を助けたい。

 方法や、助けられるのかすらもわからない。

 呪いの仮面のせいで私の身代わりとなった、哀れな彼女を。


 このまま彼女を死なせてしまったら。

 きっと私は死ぬまで後悔する……いいえ、

死んでも死にきれずにこの世を彷徨う事になるかもしれない。


 きっと彼女だってそうなるわ。

 私の事を呪うでしょう。

 今だってそうよ。

 私は、呪われたって何も可笑しくないもの。


――どうすれば、一体どうすれば、彼女の事を助け出せる?



 誰も言わないが、姫のその目元は血色が悪く、きっと暗い色をしていたであろう。

 暗闇の中でも虚ろな目は冴えており、ただ、遠くの方を見つめていた。




――




 物語は進み、ジュリエッタに婚約の話が出たその晩。

「この国の騎士である私と、この国いちばんの麗しき姫。

一体、誰が二人の恋を許しましょう? どうか、お幸せに」

 エリオはジュリエッタに背を向ける。


「私のエリオ。まるで私はカゴの鳥だわ。

私があなたに惹かれたのは、ただのわがままだというの?」


 エリオの目の前に回り込み、その手をジュリエッタは両手で包み込む。

「あなたがカゴから救い出してくれる事を、私は望んではいけないの?」

 ただひたすら、自分の愛に正直だった。


「ああ、愛しいジュリエッタ様。

私は一国のただの騎士、あなた様に似つかわしいものではありません」


 こちらを真っ直ぐ見つめる瞳から、目を背ける。

「もう、いっそのこと。私はあなたの前から去りましょう」


 ジュリエッタの手から逃れ、エリオは距離を置くように一歩前へ踏み出す。

 張り裂けそうになる胸を遠ざけるように。


「わたくしめのことは、どうかお忘れくださいませ」

 エリオはただ、自分の運命を受け入れようとしていた。

 それが己の気持ちを押し殺すことになろうとも。


「待って、エリオ。」

 ゆっくりと、去りゆく背中へ歩み寄るジュリエッタ。


「私はカゴの中を飛び回り、何度もあなたを呼ぶでしょう。

カゴを突き破れないだろうかと、幾度もこの身を傷つけながら」

 踏みとどまる青年の背中に、姫は寄りかかる。

 一国の姫がここまで情熱的に、騎士に対して懇願するのだ。


「ああ、私の愛しいエリオ。

どうせ消えるというのなら、せめて私をさらっていって」


 しばらくその場から動ぜず立ち尽くしていたが、エリオは振り返る。今まで抑えていた感情が姫の言葉に揺さぶられ、騎士も己の正直な気持ちに覚悟を決める。


「ジュリエッタ姫……それほどまで私を思ってくださるとは、この身に有り余る幸せです」

 そしてジュリエッタの手を取る。


「どうか、その愛の証に口づけを」


 見つめ合う二人。



 その時、舞台の空気は一変する。

「一体こんな夜に何をしておる! 今すぐ離れよ!」

 罵声を発しながら国王が現れた。


 この場を見られてしまった以上、エリオの命は既に無くなったものと同じ。


「お父様!? どうしてここに……」

 娘の言葉に貸す耳もなく、王はふたりを引き離す。

「わが娘ジュリエッタを――わが国の姫をよくもたぶらかしたな! なんと汚らわしい……」


 王は壁に飾られていた剣を手に取り、剣の先をエリオの懐へと向かわせる。

「その罪は重い。即刻死刑にしてくれる!」


 憎しみを込めた剣先は肉体へと突き刺さるが、気が付いた時は既に遅い。


 哀れにも、王が刺し貫いてしまったのはジュリエッタの方だった。


 体勢を保つことが出来ずその場に崩れ落ちるジュリエッタを、エリオは受け止める。


 狂った時の歯車は、悲劇から惨劇へと加速していく。


 ジュリエッタはそれを知ってか知らずか、時に抗うように言葉を振り絞る。

「おとう……さま……ジュリエッタは……愛していますわ……、

でも、それと同じに……エリオを……愛しているの……だから――」


「誰か!」

 エリオは瀕死のジュリエッタを抱えながら叫ぶ。

「誰か救護の者を! 医者を……早くここへ!!」


 その、弱弱しく伸ばされた手を。王は掴むことしかできなかった。


 ジュリエッタは、誰よりも国王の手を――事故とはいえ、自分を刺した父親の手を探す。


 その瞳に湛えていた火は、魂の灯のように微かになっていた。


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