第十三幕『画策』





「レナ姫様、お芝居が始まるまであと一時間程ですが――」

 一国の姫レナと騎士ダニエルはオレリア城の書斎にいた。


 置いてある本はどれも小難しいもので、分厚く重たいものばかりだ。

城の教育係の学者などいるが、彼らは姫がいようと構わず、

各々本棚に向かっていた。

(レナ様は一体このような場所で何をお探しなのでしょうか……)


「わかってるわ、静かにしていて」

 姫は視線を本に向けたまま、こちらを見ようともしなかった。

ダニエルは何が気まずいのか、了解の返事さえもできない。


 学者たちが調べ物をしているなか、

姫はテーブルの上に普通の図鑑よりも大きな本を広げていた。

 何枚折と折り畳められているページを開いたそれは、建築の図面のようだ。

その図面の大きさに姫は思わず圧倒される。


「先生は仰ったわ。敵を攻略するには地図を制する……。

隠し通路については書かれてないかしら……」

 何やら姫は、独り言を呟いている。


(この部屋にある本には載ってない……。

重要な情報はきっと……警備が厳重にされている場所にだったら……)



「おお……これは! レナ姫様ではありませんか」

 白髭を少しばかり伸ばした、小柄な老紳士が訪ねてきた。

小ぶりだが分厚い丸眼鏡の奥で、青銀の瞳は光を湛えている。


「二コラ先生! いらして下さったのですね! ……一年ぶりくらいかしら」

 どうやら面識があるようで、姫は思わぬ来客に歓迎といった様子だ。


「もう一年もご無沙汰しておりました。

16歳になられた姫様を見ることができるとは、いやはや感慨深いですな」

 老紳士は、先程まで被っていたポーラーハットを手に取る。


 一年間を振り返り、思い出に浸りそうになったが、

コホンと咳払いし、自らを律する。

「そんな事より。姫様がこのような場所に、一体何をお探しですかな?

……見たところ、城の図面をお探しのようですな」


「ええ。先生、どうしても現在の城の図面が必要なのです

――でも、その理由はいえません」

(あの部屋の事を他言すれば、あの子が罰せられる――

恐らく死罪だと言っていたわ……

キャスリンを巻き込むわけにはいかない)


 姫はとてもこの学者を頼りにしているようだった。


「現在の城の図面ですか……ここにはないでしょうな。

なにしろ、間取りや地図などは重要機密になっておりますからな」


 藁にもすがるような想いも虚しく、姫の表情は輝きを失う。

「先生だったら何かご存知かと思って……」


「隣の、資料保管庫なら。もしかしたらあるやもしれません」

 学者の感と知識による重要な手がかり。


 それを聞くと姫はすぐさま立ち上がった。

「ダニエル・アンダーソン」

 静かな声で、騎士の名を呼ぶ。


「は……はい!」

 置いてけぼりをくらっていた騎士は慌てて返事をする。

 5、6名の学者から白い眼を向けられていた事は知らずに。


「私は資料保管庫へ行ってくるわ。

あなたはこの本を片付けるのをお願いね」

 颯爽とその場から去る。


 大きな本が2・3冊程――それに一瞬目をやった後、敬礼するダニエル。

 静かな室内にカシャン、と鎧の音。

各々研究に集中していた学者とっては、耳障りだったことだろう。


「ダニエル君。書斎では静かにお願いしますね」

 若い騎士は、老人にたしなめられる。


 鎧の騎士が本を片付ける間、

書斎は一層ピリピリとした空気に包まれた。

「さて、ダニエル・アンダーソン君。君は急いで姫を追わなければ」

 それを聞くか聞かないかのうちに、ダニエルは姫を追う体制に入る。


「それから姫様に、おいぼれが申していたとお伝えください――」

(えっ?)

 自分のすべき事に慌てるダニエルに、振り向く余裕はなかった。

 一刻も早く姫を追わなければ。


「わがままに生きるというのも、一つの道かもしれませんぞ。と」


 一体どのように返事をすればよいのかわからなかったが、

そのまま背中で聞いたそれは自分に対する言葉のようにも聞こえた。


 それでも今のダニエルには、その言葉の本意はわからなかった。




――




「あの……資料保管庫に用があるのですが……」


 資料保管庫前の扉は、いかにも頭の固そうな兵士によって守られていた。

「姫様であろうと、ここに立ち入って頂くわけにはいきません」


 姫は困り果てた様子でそこに立ち尽くす。

(どうしたらいいの……こんな時)

 後ろからカシャンと音を立て、騎士が追いついてきた。


「姫様。そろそろ劇場に向かわれた方がよいかと……」

 姫の姿が確認できて一安心だが、

確実に傍で護衛をしたいダニエルは、観劇を勧める。


「えぇ……そうね。ここにいても、私にはどうしようもできないみたい」

 何もできないという無力感と、自分には無理だという絶望感。


「……やはり姫様は何か、ご心配を抱えていらっしゃるのですね?

それが何かは存じませんが。でも――」

 騎士は力のない姫の手をとり持ち上げた。


「そんな時こそ、姫様の好きなお芝居を見ませんか?

姫様の安全は、このダニエル・アンダーソンがお守り致します。

わがままに生きる、そんな姫様を全力で守りたいと存じます」


 少しキザなセリフをこの男は、至って真剣に申し上げる。


「ダニエル……ありが、とう」

 姫はそんなダニエルを大きく開いた瞳で見つめる。

 良い意味で、姫にとって意外だった。


 姫の想いとは少しずれてはいるが。構わず独白は続く。

「わがままなレナ様だろうと、私は……いや、皆はレナ様を愛しております」

 良のいか悪いかまっすぐな青年は、頬を赤らめながら付け加える。

「えっと……その、二コラ先生方がそうおっしゃっていたので」


 この青年はバカ真面目というか、

”真面目バカ”という言葉が似合うのかもしれない。

 卑下や馬鹿にしているわけではなく、誉め言葉の方向で。


 姫の表情は綻び、柔らかく微笑みながら、

鋼鉄の指先を白いグローブの手で包み込む。

「そうね。あなたの言うとおりだわ――お芝居を見に行きましょう」

 柔らかな微笑みは、不意に悪戯な微笑みへ変わる。


 姫は、走るには邪魔なドレスの裾を持ち上げ、

ダニエルが気づかぬうちに、ヒールの靴で駆け出していた。

「あ。……えっ!?」

 気が付いた青年は慌てて、走るには動きづらい、鎧の体で姫の後に続く。


 ゆるやかなカーブを描いた階段を、

上品なドレスを着た少女と鎧の音が駆け降りる。

「姫様! 何をそんなにお急ぎになっているのです!」


 お互いの走る速度はさほど早くはなく、

まるで子供の追いかけっこのようだった。


「私のお傍をお離れになっては危険です!

賊が紛れ込んでいることが万が一あれば」

 騎士は歩調を緩めるよう懇願する。


「万が一、あれば?」

 階段の途中で立ち止まり、姫は振り返る。

 それはほんのすこしの間。


――上がる心拍数の中で見た、柔らかな微笑みは、

一人の青年の時をとても容易く止めてしまった。


「あなたが助けてくれるのでしょう?」


 停止する思考。

自分に向けられたその表情に、

視界の全ては奪われる。


「は……はいっ!」

 時は動きだし、青年はようやく返事をする。


「姫様~っ!」

(……元気になられたご様子だな)


 姫は身軽にふわりと、石の階段を降りてゆく。

青年はその姿から、結局片時も目を離すことが出来なかった。

 色々な意味で。




――




 ここは、オレリア城の中にある劇場である。

 いつぞやの王が王宮での観劇を所望したおりに、

宮廷の大工に劇場を造らせた。


 一階部分は市民全般に用意された席。

 二階は王族の席を中心に、

貴族と来賓の席をその左右にといった造りである。

 つまり王族は、一番の特等席から劇を見ることができるのだ。



 一国の姫は騎士の青年を侍らせていた。

 どこか浮かない表情をしており、

別の場所に心を置き忘れたかのように見える。


 どんなに明るく気丈に振る舞おうとも、

一抹の不安と罪悪感は消えず、無力感に苛まれる。

 この姫が心から劇を楽しめる事は、

きっとしばらくはないのだろう。








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