第十一幕『逃げた小鳥』
「……ったく。世話の焼けるガキだな。こんな所からは逃げるが勝ちだ」
闇を切り裂くように飛ぶ船の、甲板には黒い影があった。
「“花の都”……オレリアか。オレは観劇側に回らせてもらうぜ」
黒く、大きな翼が羽ばたく。深い、闇の色をしたコウモリの羽。
船の甲板から、悪魔のような男が飛び上がる。
漆黒の髪に赤い目をした、その姿はまるで悪魔か吸血鬼のようだった。
甲板の柵から黒いマントを翻し、夜空よりも暗い闇の彼方へと消えていった。
船員の中で、それを目撃したものはいない。
――
団長ライラは、ミカエラとシドを含む数人を残し、他の団員を部屋から出させる。
「これからの会議で決まったことは……明日の朝話すわ。
演目は“少年と小鳥”……それから、“エリオとジュリエッタ”に変更するかも。
だから、音楽担当はどちらの曲も練習しておくこと!
それじゃ、演劇担当以外は、解散!」
とはいっても、音楽を担当する団員は5名のみ。
担当はトランペットとホルン、バイオリンとコントラバス。
それから打楽器係の、各一人ずつ。指揮者はいない。
狭い船の中でこれから練習でもするのだろう。
しばらくすると船のどこからか音楽が聞こえてくる。
騒がしい中での会議という事になる。
「ジャックのかわりになるとしたら……やっぱりギリギリシドかしら」
ギリギリシド――もとい。シドはジャックに次ぐ若い青年だった。
団長の言葉を聞くと、すぐさま話に飛びついた。
「ギリギリって……。まぁジャックより年上だしな。
あの坊主よりも深くて、大人の男って感じの演技を見せつけてやるぜ!」
そこへ紅一点のミカエラがつっこみを入れる。
「ってそれじゃダメじゃない、少年役なんだから。
それに、たった二つ三つの歳の差でしょ?」
ライラ団長は高らかに笑いながら話を進める。
「もう、シドったら。言ってしまえばアンタの方が坊主じゃない」
参ったな……とつぶやきながら、シドは自らの短い髪をなでた。
その頭には、トレードマークとなっているはちまきが巻かれている。
「そうねぇ……やっぱりアンタは、
“エリオとジュリエッタ”の『エリオ』役の方が向いていそうね」
“エリオとジュリエッタ”
――まるであの有名な‥‥‥というのはまた別の世界の話であり、
ここでは別の話である。
「ただ、オレリアからの注文である以上、
“少年と小鳥”の演目は避けては通れない」
それなら一体どうすればいいのだろう――団員は団長の方を見て首を傾げる。
「だから、今回は“二作上演”するしかないわね。
“少年役”と“エリオ役”が来たというなら、演劇好きの国の姫は立腹されないはずよ。
派手好きな王家ならなおさら――主演を演じた若い男の二人ですもの♪」
これは名案、とでもいうかのように団長は生き生きとしていた。
そこへシドが調子よく演技をする。
「我が美しき姫――ジュリエッタ。
この国の騎士でありながら、私はあなたのことを愛してしまった。
これはきっと、天より与えられた罰なのだ」
役になり切った様子で、シドは胸に片手を添える。
「ああ、エリオ! あなたのそれが罰だというのなら、
私はなんて罪深いの。もういっそ、姫という名を捨ててしまいたい♪」
姫に扮して台詞を返したのは、
シドよりもたくましい体つきをした男――団長だ。
シドの妄想していた“ジュリエッタ”像は、その瞬間に打ち砕かれた。
「団長、それ最高!」
ミカエラは目の端に涙が滲むほど笑っている。
「ラ、ライラさん……」
こうなってはまるで喜劇だ。
この、演劇というものは役の演じ方一つで喜劇にも悲劇にもなる。
そういう事もあり、色んな人間が色んな役ができるようにしているのだ。
「喜劇も悪くないわね~え♪」
一人一人が、さまざまな仮面をもっている。
そしてこの仮面は、つける人物によっては物語も変わる。
それから夜は更け、港へ着く予定までの時間は刻一刻と迫る。
「明日に備えて今日は寝ましょ。
ジャックは……答えによってはお互い覚悟が必要ね」
解散の合図とともにそれぞれ席を立ち始める。
「その時の計画は、また港へ着いてから考えるわ。
港へ着くのは明日の早朝。このまま真っ直ぐ船が進んでくれればだけどね♪」
「嵐が来ても大丈夫さ! この、飛空船“ファントム号”はそんなにヤワじゃない。
なんたって、蒸気と動力のハイブリッド飛行船だぜ?」
シドは得意げに笑った。造船の知識が少しばかりある様子だ。
「壊れた時は、シドがいるから大丈夫ね♪」
「ああ、俺に任せとけ」
――そして、夜が明けた。
早朝――
「あそこがオレリアの港だな」
船の先頭を見張っていたシドは、双眼鏡の向こう側を見据える。
しばらくすると、
“演劇団『マスク・パレード』”の一行を乗せた宙船は高度を下げ、
そのままオレリアに到着する。
「さぁ、碇を降ろすぞ!」
シドは意気揚々としたステップを踏み、
バレエダンサーのようにその場でくるくると回り始める。
どうやら、何かの役になりきっているようだ。
引き締まった体で軽快に踊る。
船乗りたちは、閑静な港に荷を降ろす。
その目には、シドの様子が何とも可笑しく映った事だろう。
シドは構わず得意げに飛び上がり、その姿を人々に見せつける。
早朝というのにもかかわらず、オレリアの港は人々で賑わっていた。
「ごらんの皆様方、はじめまして! 演劇団『マスク・パレード』でございます。
わたくし、シド・ガルドと申します。
空の日が最も高く上る頃が劇の始まりでございます。
わたくしたちの芝居をご覧くださいますよう、どうぞごひいきに願います」
お辞儀をした後、人々の死角に消えた。
「アンタって……やっぱバカねぇ」
背後から団長の声。
「でも、そんなところが好きよ♪」
団長はシドに抱き付く。
「…………」
シドは何とも微妙な心持だった。
その様子を少し遠くから見守るミカエラ。
「まぁ、二人とも。朝っぱらからおアツいこと」
お節介焼きのミカエラは、ふとジャックの事が気がかりになる。
ジャックを起こしに部屋に行くことにした。
ジャックがいつもは誰よりも早く起きるということを、
皆が忘れているような妙な朝だった。
―
「――なんだって!?」
下船の準備をしていた団長とシドは耳を疑う。
「ジャック……どこにも、いないの!」
ジャックの失踪にいち早く気が付いたのはミカエラだった。
相当慌てて、あちこち走り回ったのか、息を切らしていた。
「すました顔して自分勝手なガキだぜ!
この俺が準備しているっていうのによお」
シドは露骨に不快な表情だ。
「まだその辺にいるんじゃないか?
……しっかし、いくらなんでも逃げるとはなあ。見損なったぜ!」
「きっと何か考えてるのよ。ジャックなりに」
ミカエラはシドをたしなめるが、
自身もジャックに対する動揺を隠しきれない。
「今までこんな事一度もなかったわ、
ジャックがこんな……逃げたりするなんて……」
「大丈夫。ジャックはきっと戻ってくるわよ。帰る場所はここなんだから」
やはり団長は、そんな中でも落ち着いた表情をしている。
しかし先ほどの言葉とは変わって、少し寂しそうにこぼした。
「でも、そんなに今回の作戦、気に食わなかったかしら……?」
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