第九幕『潔癖少年と演劇団』
船が目的地へと向かう間、ジャックは自室で独り、本を読んでいた。
自室とは言っても狭い船の中である。
部屋数が限られているので本来ならば、二人で一つの部屋を使う。
この部屋に限ってはジャック一人だった。
机はひとつあればいい方だが、ベッドはどの部屋も二段。
ジャックはベッドの上側を使っており、下の段はカーテンで隠している。
こうなったのはジャックからの、わがままとも取れるような申し出によるのだが、そもそも他の団員達もジャックと同室にはなりたがらなかった。
同室である者が居ようものなら、消毒用のアルコールスプレーを体中に吹き付けられていたに違いない。
それも逐一、事あるごとに、徹底的に。
それほどまでにこの少年は几帳面、かつ神経質なのだ。
今この、本を読む姿すらも、周囲の人間を寄せ付けない雰囲気を醸し出す。
しかし、本を読んでいるうちに少年の目が輝くのを、見たものは誰もいなかった。
普段のその瞳は、光の届かない、深海の水底のような色をしている。
けれども今の少年の瞳はまるで、よく晴れた日に輝く、水面のようだ。
本を読むという行為、またはこの本が、この少年にどのような光を与えるのだろう。
本は緑色の背表紙で分厚く、一見、小難しい内容を思わせる。
だが、本の内容は、子供向けの物語だった。
タイトルにはこう書いてある――『少年と小鳥』
少年の齢が十六才ほどだとすると、
おそらくはその半分ほどの年齢向けの本である。
一体この本はどのような内容なのだろう。
よほど思い出の深い物なのか相当使い込まれているようで、
所々くすんだ色をしている。
生活を感じさせないまでに整頓された、この部屋には不似合いな程汚れていた。
それでももちろん、その手には常に手袋がはめられていた。
その手袋はいつも不思議とあまり汚れたように見えないが、
何枚かは替えが控えているのだろう。
もしかすると、二段ベッドの下段に隠されていたりして。
そこにはいつも閉め切られたカーテンがあり、
他人が触れることをジャックは許さなかった。
そもそも、この部屋には誰も、滅多な事では近寄らなかった。
おそらく幼少期の体験が原因であると考えられるが、
ジャックがこのような性格になるのに至った経緯を皆は知らない。
ジャックはふぅと息をつき、本を机に伏せる。
それから丸眼鏡をはずし、その上に置くと瞳を閉じた。
肩の下まで伸びた髪を適当にまとめているだけだが、
無造作な前髪の下は端整な顔立ちをしていると誰にもわかる。
まだ成長期を終えてないこともあり、中性的ともいえる容姿から、
女装をさせたがる者もいるようだ。
腰まではある背もたれに体を預け、少年は前髪をかきあげる。
その様を見ている者が居たのなら、きっとさぞかし見とれたことだろう。
「……かゆい」
少年はそんな事を呟くのだが。
ジャックはふと、思えば会議の時間であると気付く。
明日に控えた、ある計画についての会議。
(一応、出席しておくか。僕の出番はないだろうけど)
この手は何があっても汚れることはない。
誰に触れることも、触れられることもない。
こんな僕が一体、何の役に立つのだろう。
そんな思いが時々ジャックの頭には過るのだった。
――
「狙いは、“花の都・オレリア”の財宝だ。まずは、王女レナ姫を誘拐する!
これがいちばん大事なんだ」
銀髪を右肩に垂らしたその人は、いかにも男らしく言った。
盗賊団『マスカレード』の団長だ。
部屋の一番奥、背の高い椅子に腰かけている。
団員たちは円卓を囲み、話を聞いた。
「やることは大体いつもと同じだが……今回の流れを伝えておく。
アタシたちは、“劇団マスク・パレード”として、王宮に招待されている」
この盗賊団の手口は独特で、劇団に成りすまし事を成す。
貴族や富裕層など、お金や宝を握る者たちの娯楽といえば演劇だ。
ターゲットは観客、若しくはその観客の住居である。
芝居に夢中になっている隙を狙うのだ。
といっても、この手は演劇に目のない者たちにのみ通用する。
オレリアは、城下町の富裕層は大抵、
演劇に熱を上げていると言われているので問題はないらしい。
「今回はこの盗賊団、始まって以来の大仕事だ。
依頼人≪クライアント≫について今は言えねぇが……。
とにかく、失敗は許されない」
(なんで、会議の時は言葉遣いが男になるんだ?)
若干一名の少年を除いて、十数名程の団員は、息をのんで話に聞き入る。
それでもその、丸眼鏡の少年がふざけているかというと、そう言うわけでもない。
しかし蒼の瞳の奥では、今回もまたいつも通り、
自分の仕事を全うするだけだと安心しきっている様子だった。
「ただし、今回はいつもと違うのよ」
団長は少年の様子を見たのか見ていないのか、ここが重要なポイント、
という風に声の調子を変える。
「劇の後の催しにも招待されたんだけど。クライアントの意向もあって、その催しにも参加することになったの。今回は、夜の催しの最中を狙うのよ♪」
「その催しというは何だ?」
団員の一人、青年は問う。
「うふふ♪ よく聞いてくれたわ、さすがね♪ その催しはね……、
王族主催の仮面舞踏会≪マスカレード≫なの♪」
団長がそう言うと、その場には一瞬、歓喜の声が上がった。
仮面舞踏会≪マスカレード≫とは。
仮面をつけてさえいれば誰でも参加できる、いわゆるパーティの事。
貴族や庶民、人種を問わずどんな人間でも参加できる。
とはいえ……衣装を上手く着こなせてなかったり、立ち振る舞いが不自然だったりするとバレてしまう事もある。
高級な衣装を身に纏える庶民は、ごく僅かなのだ。
しかし富裕層の中でも変わり者だと、あえて庶民と思わせるような服を着たり、
普段はできないからと道化や盗賊、はたまた浮浪者などの恰好を好んでしたりする。
そして先ほど問いかけた青年は、計画を自分なりに要約する。
「要するに。まずは、演劇でみんなのハートを奪っちまう。そんで、パーティでかわいこちゃんをゲット……じゃなくて、そのあとに金品や姫君をかっさらおうってことだな!」
この、頭にはちまきを巻いた青年――シドは、団員の中の誰よりも嬉しそうな顔でガッツポーズを決めた。
余談だが、噂によると。
そこではお見合いのような――異性探し、要するにナンパ行為が密かに行われているらしい。
普段はやり辛い、という人も、素顔が見えないというその開放感を利用するのだった。
それは若者たちの間では、一般的な楽しみ方のひとつとなっているようだ。
「まぁ、その、アンタの本領を存分に発揮できるってわけね」
想像より浮かれているシドに、やや呆れた様子の団長。
女嫌いのジャックは、その中でも全く表情を変えずに話が終わるのを待っていた。
(どうでもいい、早く終ってくれ……)
「とにかく、アタシたちは盗賊団『マスカレード』だ。
其処のところは得意分野ってわけね」
その言葉の理由は、団員のそれぞれが、個々に仮面(マスク)を持っているからだ。
仕事の時、その仮面をつける事がトレードマークとなっている。
それが団の名前の所以でもある。
「音楽担当、舞台・俳優、姫の誘拐役、余裕があれば金品・財宝を狙う係。
大体いつもと同じだから、ここの説明はいいわね」
いつも大体、観客やターゲットを惹き付ける役、仕事をこなす役と大まかには決まっているのだ。
「ただ」
団長は神妙な、それでいて挑戦的な表情をする。
「今回は、主役、それから姫の誘拐、の二役をやってもらいたい団員が、一人いる」
一人で主役をしつつ、姫を誘拐する。それは一番の大仕事だ。
団員たちは静まり、団長の方へ意識を集中させる。
誰に任されるのか予想しているのだろう。
「それはアンタよ」
意外な人物の名に、団員たちの目は一瞬にして一点に集められることとなる。
「ジャック」
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