第八幕『予告』
王座の前で片膝を地につける若い騎士が居た。
「女王様、何やらこのような怪しい文が……」
青年は跪いたまま、女王へ封筒を差し出す。
横長の茶封筒の口を封じた赤茶色の蝋は、仮面の形にかたどられていた。
女王は乱雑に封を開けると、入っていたカードを見るなり目を見開いた。
『今宵、麗しの姫君
レナ姫を頂戴いたします
~マスカレード~』
「――!? じゃと!?」
女王は予告文を驚嘆とともに読み上げ、動揺した様子でなにやら呟く。
「ふんっ。このような文をよこすなど、なにかの悪戯のつもりかの……!
善からぬ輩じゃ……」
その様子は自分に言い聞かせる如くで、虚勢を張っているのは明らかだった。
「女王様」
カードを睨みつける女王に、この国の大臣が口をはさんだ。
「お話はお伺い致しました。念のため、警備の強化をされるのが良いかと……。
今日の式典はいかがなさいますか?」
その声は女王には半分届いてないようで、冷静さを失っているようすが伺える。
「中止することは許さぬ……! 断じて!
今日の式典は必ず予定通りに執り行うのじゃ!」
女王によって握りしめられ、カードは醜く歪む。
「ダニエル・アンダーソン!」
「はっ!」
其処に跪いていた若い騎士は短く返事をした。
「姫の護衛を、貴様に任せる!」
(姫にはこやつ一人つけておけば十分……なはずじゃ)
いかにも律儀そうな青年は、歯切れのよい返事で引き受けた。
「はっ!」
姫を守る、という、名誉ある仕事を命ぜられたのだ、
と使命感に燃えているにちがいない。
「この、アンダーソン。
姫様は私めが必ずお守り致します! この身に変えてでも!」
―
女王様の命を受けてから、俺はすぐに姫様の部屋に向かった。
「……姫様。いらっしゃいますか? アンダーソンです。
女王様より、姫様の護衛を命ぜられました」
「…………」
物音がするのでいらっしゃるようだが、姫君の返事はない。
「姫様を誘拐しようという、賊からの予告状が届いておりまして」
(国一番の美しいレナ姫を私から奪おうとは、なんて不届きな輩だ……)
※お前のものではない
「……そう。」
扉の向こう側から聞くことが出来たのは、淡々としたお声。
「お支度の最中でなければ、姫様の一番お傍にいさせて頂きたいのですが」
「…………」
しばらく姫様の返事は得られないと肝に銘じておこう。
しかし、気のせいだろうか。元気のないご様子が取って感じられる。
何か自分にできることはないだろうか。
「姫様。お節介かもしれませんが、何かご不安を抱えていらっしゃいますか?」
ドアの隙間の傍らに跪いたまま様子をうかがう。
(この場所でなら、ドアが開いたとしても頭をぶつける様なヘマはしないだろう)
「ご心配には及びません。この、ダニエル・アンダーソン。
命をかけて、姫様をお守り致します!」
自分にできるのは、この気持ちを伝える事のみ。
特にご返事を期待していたわけではなかったが、
「ぷっ」
――なんと、姫様はお笑いになった。
「ど、どうかされましたか?」
姫の笑顔は、騎士の(俺の)勲章。
これは怪我の功名といったところだろうか。
姫の笑顔のためなら、何を笑われようが気分は悪くない。
「……だって、あなたの話し方があんまり必死だったから……つい」
姫様の笑みとともに、開いた扉のすき間から光が溢れてきた。
(向こう側から、侍女が扉を押し開けたのだろう)
「笑ってしまってごめんなさい」
深い、土色の瞳で真っ直ぐ、姫様はこちらを見つめていた。
その姿にはいつも、つい見とれてしまう。
透明感のあるなめらかな肌。
栗色の髪はこれ以上伸ばせない程に長く、それでいて艶やかだ。
「でも、ありがとう」
姫様はきらびやかな絹色のドレスから、華奢な腕をこちらに伸べられる。
その肘から細い指先までは、上品に布のグローブに包まれており、
気品を感じさせられるものだ。
いつもながら、相変わらず見目麗しい。
「勿体ないお言葉にございます」
自分の頬に添えられた小さな手を取り、軽く口づける。
「麗しの姫君から微笑みを頂けたというのならば、このアンダーソン。
身に余る光栄にございます!」
姫様はまた、ふふっ、とお笑いになる。
「?」
よくはわからないが、元気なご様子なので安心だ。
「姫様」
姫の後ろから声がする。
終始扉を押さえていた侍女が、腕の痺れを訴えようとでもしているのだろうか。
「なあに? キャスリン」
そのお返事される様子は、姫様をとても無邪気な印象に思わせた。
「髪を結わせて頂きたいのですが、よろしいですか?」
姫様よりも小柄なその侍女の名は、キャスリン・ワトソン。
姫様に申し出た後、その深緑色の瞳は、冷ややかにこちらを見上げる。
「あなたは、扉の外を守っているのがお似合いね?」
幼い印象があるものだから、その小さな口が放つ言葉は地味にエグい。
だが、俺も男だ。このまま引き下がるわけには行かない。
……が。
『相手は子供』
と自分に言い聞かせ、ぐっ、と紳士的にこらえる。
「では、姫様。私めは扉の外で待機しております。
外出の際は、必ず私めをお頼りください。“女王様の命でございます”ので」
(どうだ、ワトソンめ。これなら口出しはできまい)
姫様は私めに向かって「ごめんね」といった風なお茶目な表情をされ、
軽くウインクを下さった。
そうしたのちに、扉は重々しく閉まっていく。
しかしその刹那に姫様は、
切なげというか、何とも妙な表情をなさるのだった。
「?」
そして私めは、姫様の唇の小さな動きに目を凝らす。
「では、また――」
――小さな唇の動きから読み取ったのは、“あとで”という言葉。
扉が閉まった後も、姫様の表情は頭から離れなかった。
明るい表情が一瞬にして曇ったのが余計に気になる。
『では、またあとで』
――どのような想いであのように言われたのだろう。
姫様は後で私に何か、相談事でもあるのだろうか。
この、重々しい気持ちはなんだ。なにが、彼女をあんな表情にさせるのだ。
盗賊団に狙われているということは、
キャスリン嬢から既にお聞きになっていると思うが……。
きっと、それとはまた別の事なのだろう。
姫様は一体、後で何をなさるんだろう?
考えすぎかもしれないが、美しいお方の、あの表情は反則だ。
おかげで、姫様の事で頭がいっぱいになってしまった。
そこに色々と、少々の期待をしてしまうのは、不謹慎なのかもしれないが。
―
「姫様。このように結わせて頂きました」
ドレッサーに向かったまま、背後から少女の声を聞いた。
「お気に召して頂けたら嬉しいです」
私の髪はとても長く、よく伸びている。
なのでとても自分では結ぶことが出来ない。
しかし私より小柄なこの女の子は、その髪を見事に編み上げてくれた。
いつも黒い服に、控えめなフリルのエプロンを腰に身に付けている。
幼げな容姿に反して、常に冷静な侍女のキャスリン。
「ありがとうキャスリン」
背もたれのない丸椅子に腰かけたまま、キャスリンの方を振り向く。
座ったまま、軽く上目遣いになりながら彼女の方を見つめる。
視力が低いからか眼鏡をかけているキャスリン。
その奥の、深緑色の丸っこい瞳は綺麗で、とても不思議。
乳白色の肌に浮かぶそばかすも、素朴で可愛い。
肩につくかつかないか程の長さの髪は、身軽そうでうらやましい。
「いいえ。姫様の髪を結えるなんて、ワトソン家末代までの光栄です」
幼い雰囲気の、そんな彼女が言う言葉は少し大袈裟に感じる。
そう思うと、先程のダニエルに次いで、
またしても吹き出してしまいそうになった。
「姫様?」
不思議そうな顔でこちらを伺う。
「ううん、なんでもないわ」
本人は真面目に言っているのだから、笑うなんて悪いことしたかな。
それにしてもこの城の者たちは。
皆、真面目で従順で、なんてひたむきなんだろう。
(それに比べてお母様ときたら……いや、私も同じかもしれない)
父が亡くなってからだろうか、何かが変わってしまった。
(厳しかったけれど心のうちは寛大で、優しかったお父様……)
そう思うと心がつい、暗くなってしまいがちになる。
でも、部屋に閉じこもっていたら、余計にそうなってしまいそう。
「キャスリン。しばらく部屋を空けます。
あなたは自分の事をお願いね。付き添いはダニエルに任せるわ」
「わかりました。では、くれぐれもお気をつけて……」
そしてキャスリンを残し、部屋を後にする。
「あまり無茶をなさらないように……レナ姫様」
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