第五幕『隠された部屋』




 震える手と強い意志で握られたのは、護身用の短剣。

その切っ先は自らの方に向けられている。

「死すべきは私の方……」

 呪われているのは、自分の方ではない。

認めたくなかった。そう思うのは仕方がない。

二人のうちどちらかが呪われているのだとしたら、

少なくとも自分がそうなるのは嫌だ。

 自分が呪われたくないがために、罪のない他人に呪いを押し付けたいと思ってしまったのだ。

 そんな心の醜さが憎かった。

 それは反対に言い換えれば、心の高潔さがあったからこそ、自らの命を絶とうと思ったのかもしれない。

潔癖なほどの心の美しさが、心の醜さ――自分の弱さを許さなかったのだ。


 ここ数日間、布団にもぐる度にいやな夢を見た。


 飲み込まれそうなほど底なしの、果てしない暗闇。

 形の見えない何かに体を絡めとられ、身動きは取れない。 

 暗闇の、宙に浮かぶ何かが四方からにじり寄る。

 離れたところからすでに感じるのは、殺気のような視線。

 それに心というものはない。

人でも機械でもない、この世のものではない何か。

 それは呪いの面。それに取り囲まれ、追い詰められ、何度となく、怨念のこもった言葉を浴びせられる。


『お前が悪いのだ』『お前は偽物だ』『お前は呪われた娘だ』

『その仮面を剥ぎ取ってやる』『お前は偽りの姫だ』


 そうしたのちに、自分が今までたっていたはずの床板が外れ、底のない闇へと引きずり込まれる。


 最初はただの悪夢だと思った。

だが何度も見るうちに、ただの夢に過ぎないと思う精神は少しずつ削がれていった。


 真実はいつも手の届かない、自分の知らない場所に遠ざけられる。

その真実を捉えることさえ許されず、ただ、王宮という籠に囚われたままだった。


 自分の素性というものが、実は単なる刷り込みであるかもしれない。

そう疑いながら何もすることが出来なかった。


――もう、すでに限界は通り過ぎただろう。


 眠ることさえも恐ろしい。

自分の事も、何もかもが信じられない。




「姫様」


扉の向こうから少女に呼ばれ、体がびくっと反応する。


反射的に察知したのは、『姫』という職を全うしなければならないという現実。


 何事もなかったのだ、どこも私はおかしくない。

平静をよそわなければ。


――じわり、額には汗が滲む。


「お加減でも悪いのですか?」


 侍女はさらに問いかけてきたが、なかなか言葉を返せなかった。


 周りの者に迷惑や心配をかける訳にはいかない。


 なんとか返事をしようとも、震えて声が出ない。


 ひとまず落ち着こうと息を深く吸い込むが、意味深な言葉を耳にしてはっとする。


「真実が知りたいですか? レナ姫様――」


 思わず息をのんだ。

 慌てて姫は扉に近づき、外開きに開けた扉のすき間から、頭をのぞかせる。


「何か……知ってるの?」

 疑い深く問う。


「ご案内いたします」


 その冷静な答えへの返事は、外出用のフードを被り、再び扉から顔をのぞかせることだった。



――





 そこには少し湿ったような、暗い空気が漂う。光はまるで皆無だった。


 圧迫感の漂う場所に、ふわりと灯がともる。そこに現れたのは二つの人影。


 お互いは、一言の会話を交わす様子もない。

 前にはランプを持った者。その後ろに、フードをかぶった人物が続く。


 前者は至って冷静といった様子だが、後者は先の見えない暗闇に怯えていた。

 足音をひそめ、聞き耳をたて、狭い通路を歩く。


 ランプの火に照らされた通路の床や壁、天井までもが石で出来ており、

それが延々と続くような殺風景な道だった。


 コツ……コツ、二つのゆっくりとした足音が、微かに響く。


 この先に何が起こるのかわからない。

 恐怖心からか、暗闇の中で聴覚は研ぎ澄まされていく。


 城のことなら知り尽くしていたはずなのに、こんな場所があったとは知らなかった。

この隠し通路は一体どこへ向かうのだろう。


 暗闇の中、考えだけが巡る。



――書斎に連れて行かれたかと思うと本棚の前で立ち止まり、

目を閉じたかと思うと(目を瞑れと言われたので)侍女は何やら呪文を唱えた。


 そうして気が付いた頃にはこの通路にいたのだ。

 このような通路が隠されているなどと、普通なら考えもしないだろう。


 そんな場所なのだから、異質な感情を抱かないわけにはいかない。

 よく目を凝らすと、とくに汚れている所はなく、妙に小奇麗にしてあるように思えた。


 そして、姫を先導していた侍女は、行き止まりが見えると歩みを止める。


「くれぐれも、ここで目にしたことは他言されませぬように」


 侍女の意味深な発言に、緊張感が増す。

 より一層暗い空気が、この先に漂っているようだった。


 目の前にあるのは、重々しい、鉄の扉だ。


「手短に」

 一言、侍女は冷たく急かす。


 少女は焦る気持ちを静めながら、侍女に渡されたランプを扉に近づける。

 ランプの光はその扉の鍵の部分を照らし出す……。


――その鍵は、鎖で厳重に固められている。


(この先には行けないのね。ここは……部屋?)


 一体、どんな恐ろしい物があるのだろうか。または恐ろしい人物がいるのだろうか。

 ここまで厳重にする必要があるのか、全く見当もつかない。


 姫は扉から少し左の方へ目動かす。

 目の高さ程の場所に、鉄格子のはめられた小窓があるのに気付く。


(ここから向こう側が見えるかも)


 姫はすぅー、と冷たい息をのみ、恐怖と焦りと不安に苛まれながらも、思い切って向こう側を覗き込むことにした。

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